オマエダ
俺は今、電車に乗って友人の家へ向かっている。
先週の土曜日に、久しぶりに突然メールがあったのだ。
たぶん3年ぶりの再会。俺達は、ちょっと気まずい別れ方をしていた。
大学生だった俺達は、ある女性と三角関係にあったのだ。
俺とタカオは、高校からの同級生で一緒に同じ大学に進学し、そこで
彼女に出会ったのだ。俺達3人は入学当初は友人だった。
だが、男と女の間には友情というものは存在しなかった。
俺は彼女のことが好きになり、告白した。すると、彼女も実は自分も
俺のことを好きだったと答えた。俺たちはその日から付き合うようになった。
だが、彼女はこの3人の雰囲気だけは壊したくないから、タカオには黙っていて欲しい。
俺にそう言ったのだ。俺とタカオは親友だから、秘密にはしたくなかったけど、
彼女がどうしても、と言うので俺たちはタカオに内緒で付き合っていたのだ。
ところがある日、俺が彼女のアパートに居る時に、タカオが訪ねて来たのだ。
俺はびっくりした。その時、俺と彼女は一糸まとわぬ姿で抱き合っていたのだ。
鍵をかけたはずの玄関から、チャイムも鳴らさずにタカオは黙って侵入し、
立ちすくんでいた。
「やっぱりな。おかしいと思ったんだ。このクソビッチが!」
タカオは激昂して叫んだ。俺は何がなんだかわからなかった。
俺はこの状況に来ても、事態が把握できないほど鈍かったのだ。
「何よ!どうやって入ってきたの?答えなさいよ!」
彼女は逆切れしてタカオに怒鳴った。
「お前の家の鍵を作っておいた。ずっと前からおかしいと思ってたから。
いつか現場を押さえてやろうと思った。だけど、まさか相手がお前だなんて。」
タカオは俺を見て悲しそうな顔をした。
俺はその時点で初めて二股をかけられてたことを理解した。
「タカオ、違うんだ。俺、お前とこいつが付き合ってるなんて、知らなかったんだ。」
俺は必死にタカオに説明した。すると彼女は悪びれずに言った。
「最初にアンタに告られて、アタシは本当はシンジのほうが好きだったんだけど、シンジはかっこよくてスポーツマンでモテたから高嶺の花だと思ってたのよ。でも、アンタに告られたすぐ後にシンジから告白された。だから、シンジと付き合うことにしたの。ちょうどよかったわ。私と別れて、タカオ。人の家の鍵を勝手に持ち出して、スペアキー作るような男とは付き合えないわ。アタシには、もうシンジがいるから。ねーシンジ。」
彼女は呆然としている俺の腕に裸のままぶら下がった。俺は何も言わなかった。
ただただ、この状況が信じられなくて凍りついたままだった。
タカオは黙って出て行った。俺は急いで服を身につけ、彼女を置き去りにしたまま後を追ったのだ。
その日からタカオと連絡が取れなくなった。携帯に電話してもつながらないし、アパートを訪ねても人の気配が無かった。大学にも全く来なくなり、タカオは行方不明になったのだ。もちろん実家にも電話したが、実家の方にも帰っておらず、ご両親は心配して何かあったのかと俺に尋ねたが、俺は言えなかった。タカオは3年間行方不明になり、大学は除籍となった。もちろん、俺はあの後あの女とはすぐに別れた。
責任を感じていた。俺には本当のことが全く見えておらず、あんなくだらない女が何故好きだったかも思い出せない。押し寄せてくるのは、何年も続いた友情を失った後悔だけだった。何度も何度も自分を責めた。
俺に会わなくてもいい。嫌いでもいいから、せめて親には顔を見せてやって欲しかった。俺をいくら責めてもいいから、どこかで無事に暮らしていて欲しかったのだ。
それがつい先週の土曜日、あれからずっと消せなかったアドレスからメールが届いたのだ。タカオからのメールだった。
「久しぶり。元気だったか?俺、今埼玉に住んでるんだ。今度遊びに来ないか?」
そんな軽いノリのメールだった。俺は信じられなかった。信じられなくて涙が頬を伝った。
「心配してたんだぞ?どこに行ってたんだ、今まで。あの時のことは、ホントごめん、悪かった。」
俺はそうメールを返した。
「もういいよ、その事は。俺も大人になった。あれからちょっと旅に出ててさ。今落ち着いたところ。」
そして今日、久しぶりにタカオに会える。俺は嬉しさを隠せなかった。
俺は電車に乗り込み、埼玉に向かった。変わった名前の駅だった。確か・・・。
俺はタカオに言われた駅の近くまで差し掛かったところで、出入り口の電光掲示板を見た。
「次は、オマエダ」
俺は、ドキっとした。次は、オマエダ。カタカナで書いてあって少し恐怖したが、
「そっか、小前田オマエダ」か。
俺はカバンを肩に掛け降りる準備をした。
駅で懐かしい顔が手を振っていた。泣くまいと思ったが、俺は男の癖に泣いてしまった。
「バカだなあ、泣くなよ。俺が恥ずかしいだろ。」
懐かしい笑顔だ。
俺はタカオのアパートに行き、今までどうしていたのかとか、またあの日のことを詫びた。
「もういいって。俺さ、あれから旅に出てさ。大学とか全部なんか行く気なくしちゃって。でも、旅してるうちにさ、俺ってなんてちっちゃかったんだろ、って思ってさ。バイトを転々として暮らしてた。」
俺たちは3年分の積もる話をとりとめとなく話した。
よかった、本当に良かった。今日が俺にとって人生最大の喜びの日になったと思った。ずっとタカオのことばかり考えて、責任をずっと感じてた。俺はその日、人生の過ちの全てを許されたと思ったのだ。
俺はその日の夜、タカオのアパートを後にした後、二人で食事を取り、電車で帰ることにした。
俺は、電車が来るまでの時間、タカオと雑談をしていた。
「そう言えばさ、この駅に着く前に、電光掲示板に「次は、オマエダ」って書いてあってちょっとびっくりしたよ。」
とタカオに言うと、タカオは笑いながら言った。
「だろ?あれって絶対に狙ってカタカナだよな?別に漢字で、「次は、小前田」でもいいわけじゃん?」
俺たちがそんな雑談をしていたら、電車が来た。
「じゃあな、また連絡するから。」
俺はタカオに手を振り、電車に乗り込んだ。
タカオは笑顔で俺に手を振る。こんな日がまた来るなんて思わなかった。俺は安堵したのか、座席に座ると少しウトウトしてしまった。
目が覚めて、俺はしまった、乗り過ごしたか、と思った。今、どこを走っているんだろう。俺は少し不安になった。
すると車内アナウンスで、
「この電車は、終点、カエラズまで止まりません。」
と言ったのだ。
え?これって快速だっけ?しまった!カエラズってどこだよ。初めて聞く駅名だ。乗り間違えたか?俺は慌てて、スマホで検索をした。無い。そんな駅名は無かった。嘘だろう?検索で駅名がヒットしないとか在り得ないだろ。俺は仕方なく、タカオの電話番号に電話した。
「え?駅名が見つからない?そんなバカな。ちゃんと調べたのか?俺もカエラズなんて駅は知らないぞ?聞き間違いじゃないのか?」
タカオはそう言った。前に座っていた老女が俺をジロリと睨んだ。そっか、ここ電車だった。俺は早々に電話を切り、そこからはメールでタカオとやり取りをした。
「車内に誰かいないのか?カエラズってどこか聞いてみろよ。そこからどうやったらお前んちの近くの駅に行けるか知ってるかもしれないぜ?」
俺は、タカオからのメール通り、先程睨まれた老女に聞いてみることにした。
「あのう、すみません。カエラズってどこなんですか?そこからどうやったら東京まで帰れます?」
老女は虚ろな目で俺を不思議そうに見つめた。
「帰れないよ、あんた。カエラズって言ってるだろ?」
ボケてる。話にならない。
俺は少し離れて座っているサラリーマンに聞いてみた。
「カエラズ駅からどうやったら東京まで帰れます?そこからどこ行きの電車に乗ったらいいんでしょう?」
「わからない。そんなことは終点で聞いてくれ。」
こちらも虚ろな目でそう言う。なんなんだ、この車両は。まともな人間は乗ってないのか。俺はあたりをキョロキョロ見回した。
それにしても変だ。いくら田舎とはいえ、この少なさは異常だろう。
俺は他の車両も捜したが、どうやら乗客はあの二人だけらしい。
俺はもう一度、タカオにメールした。
「ボケた婆さんと、変なサラリーマンしか乗ってなくて、詳しいことがわからない。」
すると、すぐに返信が来た。
「じゃあ、車掌に聞いてみる?先頭車両のところに居るだろ。」
俺は先頭車両まで歩いて、車掌室まで行った。車掌室をノックしてみた。
返事が無い。ほかの車両をまわってるのだろうか。
仕方なく、俺は先頭車両からずっと歩いて、最後尾まで行ったが車掌と全く会わない。
車掌何してるんだ。
「車掌が居ない。車掌室もカーテンがしてあって、中の様子は見えない。」
俺がメールをすると、タカオから返信が来た。
「じゃあ、仕方ないから終点まで行くしかねえな。どうせ、止まらないんだろ?」
俺は諦めの溜息をついた。やれやれ、ちゃんと帰れるんだろうか、俺。
不安な気持ちのまま、俺は終点まで座席に座っていた。
あのボケた婆さんが口の中でぶつぶつ何事か言っている。
何なんだ。よく聞いてみると、読経のようだ。
なんだよ、気持ち悪いな。俺は、早く終点に着くことを願った。
電車のスピードが落ちて行き、車窓から看板らしきものが見えてきた。
「不帰」
これでカエラズと読むのか。なんだか、縁起悪い。
俺は見たことも無い駅に着いた。
俺が席を立つと、老女とサラリーマンも降りようと席を立つ。
老女は、自分の横にある杖を掴もうとするが、つかめないようだ。
世話がやけるなあ。俺はそう思いながら老女を助けてやろうと近づいたのだ。
杖を掴もうとしている右手の袖口を見た。
手首が無い!俺はぎょっとした。その手首の無い手で一生懸命杖を持とうとしている。
「おばあちゃん、そっちの手は無いじゃない。左手で持てる?」
俺が声をかけると、老女は、ああ、と言うように、今度は左手で杖を持とうとする。
そこで俺は初めて、左手も無いことに気付く。
両手無いのに、どうやって杖を持って電車に乗ったんだ。
俺は怖くなって、後ずさりした。
すると、後ろで派手な音がした。
先程のサラリーマンが床に転倒していた。
大丈夫ですか?と声を掛けようとし、俺は、あっと体を震わせた。
手も足も、おかしな方向に曲がって倒れている。
おかしい。この電車はおかしい。
俺は慌ててその電車から飛び降り、駅のホームへと降り立った。
電車は終点と言ったにもかかわらず、その二人を乗せたまま、行ってしまった。
「不帰」
ここはどこだ。なんだ、この駅は。時刻表すらないじゃないか。
「駅についたけど、周りに何も無い。人も居ないよ。時刻表もないんだ。」
俺はタカオにメールする。
「うーん、店とか無いのか?線路沿いにさがしてみろ。」
どこまで行っても、周りには鬱蒼とした森しかなかった。何なんだ、ここ。
人が住んでいる気配も無い。あまり線路から離れると迷いそうなので、なるべく線路沿いの道を歩いた。
「マジで何も無い。いっそ線路を歩いて引き返そうか。」
俺がそう返信すると、
「やめとけ。危ないぞ。それより、人を探して道を聞くんだ。」
人を捜せったってどうやってだよ。俺はあまりの人の気配の無さに不安と苛立ちを感じた。
俺はもう一度、タカオにメールしようとスマホを開いた。
ヤバイ、もう充電が無い。
俺が慌ててメールを打とうと思ったら無情にもスマホの電源が切れてしまった。
俺は途方にくれた。唯一、俺の頼みの綱が切れてしまった。朝まで待って、町を捜すしかないか。
途方に暮れながらも、線路沿いに引き返していたら、遠くから灯りが見えた。
助かった。あそこに人が居るかもしれない。真っ暗な道を歩いてようやくたどり着いた。
その灯りは駅の明かりだった。あの駅の手前にももう一つ駅があったのか。
俺は駅舎の看板を見た。
「不帰」
そ、そんなバカな。俺はカエラズから歩いてこっちに来たはずだ。
同じ駅名が二つもあるわけがない。
駅のベンチに若者が座っている。助かった!あの若者に聞いてみよう。
「すみません。」
俺が声を掛けると男は顔を上げた。
「タカオ!」
俺は意外な男の顔に驚いた。
「オマエダからどうやってここまで来たんだ?」
タカオの口がゆっくり開く。
「シンジ、お前、もう帰れないんだよ。」
何を言ってるんだ。俺は理解できなかった。
「お前、相変わらず鈍いな。」
タカオが笑った。
「俺はお前を迎えに来たんだよ。ほら、電車の中で、次はオマエダって言ってたろ。」
「あ、あれは駅の名前じゃないか。「小前田」だろ。」
「あの電光掲示板、いつもはちゃんと「小前田」って出てるんだよ。」
「じゃ、じゃああの電車は・・・。」
「お前、もう生きてないんだよ。死んでるの。」
「嘘だ。俺は今、こうして歩いて、しゃべっている。生きている!」
俺が叫ぶと、タカオは溜息をついた。
「まだ思い出せないの?ほら、小前田に着いた時を思い出せ。」
俺はタカオの言葉を手繰っていくと、だんだんと記憶が曖昧になってわけがわからなくなってきた。
駅について、タカオが手を振る。いや、タカオは居なかったんだった。
「俺、3年前のあの日、自殺したんだ。」
タカオの目がビー玉に見えた。
「お前をずっと恨んでいた。ずっとな。俺にとって涼子は初めての彼女で全てだったんだ。」
俺の体が宙に浮く。
そして、悲鳴。急ブレーキの音。
「俺は密かに森で首を吊った。お前を恨みながら。」
体に今まで感じたことのない衝撃が走る。
車体は俺の腕と足を弾き飛ばしながら、急ブレーキをかけた。
「だから、次はオマエダ。」
許されてなどいなかった。
俺は最後まで鈍い男だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ただ今、人身事故のため、電車が遅れております。
しばらくお待ちください。
スマホを片手に、涼子は小さく舌打ちをした
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます