うるう人

2月28日、21時。

俺は、大きな紙袋を抱え、自宅マンションの鍵を開け、中に入ると居間のローテーブルに重い袋をドサリと乱暴に投げ出した。ネクタイを緩めると、冷蔵庫に向かい、缶ビールを取り出す。

もう一つのコンビニの袋から、冷えた弁当を取り出し、電子レンジに放り込み、適当にダイヤルを回す。

独身やもめの部屋の唯一の加熱器具だ。ガスレンジはあるが、使ったことがない。

たいていは、電子レンジと、小さな湯沸しポットで事足りる。

温まった弁当と冷たいビールをテーブルに置くと、リモコンでテレビをつけた。

たいして面白い番組などないが、寂しさを紛らわせるため、なるべく人が笑っているようなバラエティー番組にチャンネルを合わせる。

弁当をつつきながら、先ほど投げ出した大きな紙袋から中身を取り出す。

オシャレな包装紙に包まれた、これまたオシャレな小箱に宝石のようなチョコレートが鎮座している。

もう一つは、どうやら、自分で包装しているようだ。

包みを開けると、デコペンで書かれた「カズくんLOVE」の文字。

俺は、溜息をついた。袋の中には、大量のチョコレート。

「なあ、お前、甘いもん好きだったよな?特に、チョコレート。」

「ああ、好きだけど?」

すると和也は、大きな袋を俺に差し出してきた。

「これ、食べてくれねえかな。」

「あ?」

「実は、バレンタインのチョコがまだ消化できてなくてさ。」

イラっとした。俺など、会社で義理でご自由にと書かれた社食のテーブルにてんこ盛りになったチョコレートしか口にしていないというのに。実質、もらったチョコレートはゼロだ。

「なんだよ、自慢か?」

ついイラついて口に出てしまった。

「頼むよ~、俺、甘いもの苦手なの知ってるだろう?」

「じゃあいらないって断れよ。この優柔不断男が。」

「そうもいかないよお。折角の贈り物、断るなんて、無碍なことできないよ。」

このにやけた野郎の顔にパンチを入れたい。そんな衝動が次の言葉でかき消された。

「俺さ、結婚しようと思うんだ。」

「え?マジで?お前があ?まさか!」

「マジマジ。やっと運命の女に出会えたってやつ?」

このプレイボーイが一瞬中学生のように無垢に見えた。これは本気か。

「そっかあ。おめでとう。」

「ありがとう。そこでだ。今日、俺の部屋に彼女が来る。さすがに、このチョコの量はまずい。

彼女は大事な女なんだ。チョコレートなんかで気まずくなりたくなんかない。

本気なんだよ。俺は、この恋だけは失いたくない。だから、これ、全部お前が引き取ってくれないか?」

俺は、和也の言葉を信じられない面持ちで聞いていた。

こいつとは高校生の頃からの腐れ縁で、大学も会社も一緒。

しかし、和也と俺は正反対、和也はイケメンでフットワークが軽く、女子から凄くモテた。

俺はと言えば、根暗ではっきり言って不細工。しかし、正反対の性格だからこそ、お互いなんとなく馬が合った。

そして、和也と連るんでいると、それなりに可愛い子との出会いはあった。まあでも、俺はただの良い人で終わる。

和也はその子と付き合う。これがお決まりのパターン。それでも、和也と一緒に居れば、合コンにはバンバン誘われるので、俺に少しはメリットがあるかに思われた。だが、よく考えると、俺はたぶんあいつの引き立て役でしかないのだろう。

そんな和也は女に関しては、そこそこにクズだった。

和也はクリスマス前には女と別れる。なぜかと聞いたことがある。

「だってさあ、クリスマスには、どこか連れてけだとか、プレゼントしなくちゃならないだろう?

そういうの面倒だし、勿体無いじゃん?どうして、男だけにそんな義務が課されるのかね?」

そう言って笑うのだ。クズだと思った。大勢の女の子がこいつに毎年振られるのだ。

酷い時には1週間と持たなかったこともあった。束縛されて面倒、理由はそれだけだった。

たった1週間で束縛もクソもないだろう。二股三股は当たり前。バレてもしれっと別れる?と言って女を泣かせた。

こいつ絶対に良い死に方しない。そう思った。

そんな和也が、去年のクリスマスは俺と過ごさなかった。たいてい、クリスマスにはボッチの俺と連るんで遊んでいたのだが。彼女と過ごしたと聞いて驚いていた。これは本気なのだ。

しかし、世の中不公平だ。あんなに女を泣かせても、いざ本気になればあいつは結婚できる。

俺は早くに両親を亡くしていたから、家庭に対して憧れがあるし、結婚願望も強い。なのに、彼女すら居ない。

ぼんやりとテレビを見ていたら、いつの間にか日付があと少しで変わる。

今年は、うるう年か。

俺はテーブルの上の「カズくんLOVE」のチョコレートをバリンとかじりながら呟いた。

「はあ~、女の子でも降ってこねえかなあ。」

「はい?」

そう言うと、天井から女の子が降ってきた。

「わああああああ!」

俺は驚いてビールを倒してしまい、ローテーブルに川を作ってしまった。

「でっ、でででででっ、出たぁ!」

幽霊だと思った。だが、女の子はキョトンとしている。おそらく十六、七くらいだろう。

幽霊にしては、血色が良いし、ごく普通の女の子にしか見えない。

ただし、壁に立っていること以外は。

重力に逆らっている。やはり、人ならざるものか。

「あなたは、うるう人に選ばれました。」

女の子は微笑むとそう言った。なんだこれ。新手の詐欺か?

でも、やはりこれは人間ではない。重力の軸がおかしいのだ。

「お、お前、何者だ!」

俺は震える声で、指差した。

「私は、解き人です。あなたを解きに参りました。」

「ホドキビト?意味がわからねえ。とにかく出ていってくれよ!」

「女の子、降ってこねえかな、って言ったくせに。」

そう言って、口を尖らせた。かわいい。いやいや、でもこれは不法侵入だぞ。

「警察呼ぶぞ?」

「いいですよ?ただし、貴方が捕まるだけですけど。」

「ははん、俺にさらわれたって言うつもりだな?」

「違うますぅ。警察さんには私が見えないんですぅ。」

「なんだって?」

「だからあ、言ったじゃないですかあ。あなたがうるう人に選ばれたって。

選ばれた人にしか、私は見えないんですってば。」

「そんなバカな。騙されないぞ?」

「じゃあこれでは?」

そう言うと、女の子は今度は天井に立った。

ぶら下がったというのではなく、立った。髪の毛は重力に逆らって、こちらには垂れ下がってないのだ。

まるで重力が上に働いているかのように、彼女は天井に立つ。俺は唖然とした。

「お、オバケ?」

「ブッブゥー。それも違いますぅ。んー、なんて言ったらいいんだろ。私は次元の狭間人なんで。」

その子はペロっと舌を出した。またまたかわいい。いかんいかん、この子は人ではないのだ。

「ジゲンノハザマビト?」

「うん。実はね、にわかに信じがたいって思うんだけど、他の次元に居る貴方が死んでしまうんですよ。」

「他の次元?」

頭がおかしくなりそうだ。俺は人ならざるものと会話している。

「えーっと、今では三次元までが確認されている次元だけど、こちらでは四次元は空想の世界でしかない。

ところが、次元って九次元まであるんですよ。座標軸で現したら、わかりやすいと思うんだけど。」

「つまり、どういうこと?」

「別の次元、つまり平行世界があるってことですよぅ。それでね、あちらの世界のあなたが、この若さで死んでしまうんです。そこで、あなたにあちらに転生してもらえないだろうかと、あちらのあなたからの立っての願いで、うるう年にだけ叶う、うるう人にあなたが選ばれたってわけですよ。」

「勝手にそんなこと決められても困るよ。俺にだってこちらの生活があるし。」

「こちらに?何か大事な人でも?」

「ぐぅっ。居ない。で、でも、仕事が・・・。」

「あ、それでしたら、心配いりませんよ。あちらでも、あなたは同じ会社で同じ環境ですから。

ご友人も同じ人ですから、寂しいことなんてありませんよ。」

「で、でも・・・。そんなこと。信じられるかよ。ハイそうですかって行くわけねえだろ。」

その女の子は右の眉をくいっと上げ、こちらを値踏みするように見た。小悪魔の顔だ。

「あなたが、あちらで新婚さんでもですか?」

「えっ、あちらの俺は結婚してるのか?」

「ええ。結婚して、幸せに暮らしています。でも、悲しいかな、あちらのあなたの寿命は今日までです。」

「そ、そうなのか?」

「ええ。それをあちらのあなたに告げると、新婚なので何とかならないのかと泣きつかれました。寿命なので仕方ありません。だから、私があなたの前に現れたのですと告げました。せめてかわいい奥様を悲しませたくないと言われるので、うるう人を希望するか聞いたのです。そうしたら、ぜひと言うことで。お迎えにあがりましたw。」

「お迎えにあがりました、って、俺の意思は無視かよ。」

「でも、あなた、結婚したいんでしょう?幸せになりたいんですよね?」

「ま、まあな。」

「それじゃあ、何が不服なんですか?こちらと全く同じ環境なんですよぉ?ただ違うのは結婚しているっていうだけで。」

そうだな。これは、俺にとって願ったり叶ったりではないか?それに、これは、夢かもしれないし。

夢ならさめるし、現実だとしても、俺は幸せになれる。かわいい奥さんと暮らす。夢のようではないか。

「痛かったりするのか?」

俺は不安を口にした。すると、女の子は首を横に振った。

「ううん、ぜんぜん。あなたを解くだけですから。この世界から解いて、織姫さまに紡いでもらうんですよ。」

「オリヒメ様?」

また新しい言葉が出てきた。

「私は解くだけの人でー、紡ぐ人はまた別の人。」

織物かよ。でも、結婚したい。俺だって幸せになりたい。

「わかった。」

俺はそう呟いた。本当にこれでいいのだろうか。

「そう来なくっちゃ。では、早速!」

そう言うと、女の子は微笑み、どこから出してきたのか、魔法少女のようなステッキをくるくると回しだした。

すると、俺の体が、頭からしゅるしゅると糸のように解けていった。

もう声を出すこともできなかった。解ける、解ける、俺の体が一本の糸になって空を駆けた。

真っ暗な闇。

その遥向こうに、ぼうっと光がともった。

だんだんと糸になって俺の体はそちらに流れてゆく。

そこには、はっとするような美しい巫女装束の少女が機織り機の前に座っていた。

俺の糸を手繰り寄せると、無表情でかたんかたん、トントンと糸を紡いで行った。

俺が編まれて行く。かたんかたん、トントン。かたんかたん、トントン。

しばらくすると、平面の俺が織りあがった。一枚の二次元でしかない俺に、織姫と呼ばれた少女が、ふうっと息を吹き掛けた。バラのように甘い吐息だ。

何と心地よい。俺は、そのままフワフワと漂い、深い眠りについたのだ。


心地よい朝の目覚めを迎えた。

温かい清潔な布団の中。やはりあれは夢だったのか。

俺は苦笑した。

俺の鼻腔を懐かしい匂いがくすぐる。これは、お味噌汁の匂いではないか?

台所の方から匂いがする。

俺が半身を起こすと、鈴を転がすような、女の美しい声がした。

「あら、あなた、起きてたの?」

台所からパタパタとスリッパの音がする。

マジ?俺、本当に異次元に転生しちゃったの?まさかw

女の足元から、徐々に上に視線を移す。

「うわあ!」

俺は、つい叫んでしまった。

「な、何よ。びっくりした。へんな夢でも見たの?」

その女はカエルのような顔をした女だった。

目は、あらぬところについている。本来人間の目というのは、正面を向いているのだが、この女の目はほぼこめかみのあたりについていて、鼻は低くつぶれていて穴だけ、口は耳元まで裂けている。

人間の体に、カエルの頭がついている。

「おはようの挨拶♪」

そう言うとその女は、俺に抱きつき、ベロリと顔を舐めた。

「うひゃあ!」

俺がたまらず叫ぶと、女は嬉しそうに笑った。

「もう、そんなに喜んじゃって。すぐご飯にするねえ。」

そう言うと、またパタパタとスリッパを鳴らして、台所に向かった。

う、嘘だろう?あれが、かわいい嫁?

騙された!あの小悪魔め!

俺は信じられない面持ちで、カエル女の用意した朝飯を食いながら絶望した。

いってらっしゃいと、カエル女に見送られて、俺は電車に乗った。

これなら、元の世界のほうが良かった。確かに幸せな家庭は望んだ。

だけど、嫁がカエル女だなんて聞いてない!

会社に着くと、和也が俺のデスクに近づいてきた。

「よう!この幸せ者!新婚はいいなあ!」

そう肘で小突いてきた。

こちらの世界でも、友人は和也なんだ。

「良いわけないだろう。あんなカエル女。」

俺は初めて和也に殺気を覚えた。

「何言ってんだよ、お前!あんな良い女を嫁にもらって!贅沢言うんじゃねえよ!」

和也は真面目な顔で俺に抗議した。

わけがわからない。あれがいい女だって?

「ああ、いいなあ。お前はイケメンだからなあ。俺もこんな顔じゃなかったらなあ。

お前、高校生の頃からモテモテだったもんなあ!羨ましいぜ。」

こ、こいつ!嫌味かよ!

ぶん殴ろうと拳を固めたところで、和也が俺の肩をちょいちょいと小突いてきた。

「おっ!わが社一の美人のご出社だ。ちょっと挨拶してくるわ。」

そう言うと、和也は、その美人と言った女に近づいて行った。

カエル女!

その女も、俺の嫁と思われる女のように、ひらめ顔の鼻のつぶれた女だった。

「おっはよーございまーす。今日も綺麗っすねえ!」

和也がカエル女にチヤホヤしている。カエル女は和也を一瞥しただけで無視した。

そのかわりに俺を見つけると、色気たっぷりの目でこちらを見て微笑んだ。

うわっ。

どうやら、こちらの世界では美的感覚が全く逆らしい。

イケメンの和也は、こちらでは不細工。あちらで不細工だった俺は、こちらではイケメンということになる。

昼の休憩の社食で流されているテレビに映る女優と見られる女達もすべてカエル顔。

なんなんだ、この世界。

俺はうんざりした。

そして、恐怖の瞬間が訪れる。

「ねえん、あなたぁん。」

薄いネグリジェに身を包んだ、カエル嫁が俺の布団にもぐりこんできた。

カンベンしてくれ。お前とは、無理!

俺を元の世界に返してくれ!返して!返してくれよ!

俺が叫ぶと、また女の子が降ってきた。

「呼んだ?」

女の子はあらぬ方向に重力を無視して立っていた。

「た、助けて!俺、こっちの世界では無理!この女と一生暮らすの無理!」

俺が叫ぶと、後ろでカエル女が抗議していた。もうそんなことはどうでも良い。

「助けて!俺を元の世界に返して!」

「わがままだなあ。もう。」

そう言って、解き人の少女は頬を膨らませた。

「お前、俺を騙したじゃないか。かわいい奥さんって。どこがかわいいんだ。」

そう言うと、カエル女は癇癪を起こし、とうとう泣き出してしまった。

「ひっどーい。こちらの世界では、かわいい奥さんだもの。間違いないでしょ?」

「そんなのは詭弁だ。とにかく。元の世界に返せ!」

「わかったわよ。でも、一度解いて、紡いだ体は、元の姿には戻らないけどいい?」

「別人になったってかまわない。とにかく、こっちで暮らすのは俺は無理!」

「わかりました。じゃあ、いっくよぉ~?」

そう言うとまた少女は、魔法の杖のようなステッキを振り回した。

すると、俺の体が、またするすると解けて行った。

そして、また遠くにぼんやりと織姫の機織り機が見えてきた。

俺の糸が紡がれていく。

ああ、これで元の世界に戻れる。良かった。良かった。

俺の体は紡がれて、また温かいバラの吐息をかけられた。

俺の意識は遠くに飛ばされた。

深く深く、眠りについた。


目覚めると、うっすらと太陽の光を感じた。

温かい。俺の布団のにおいがした。

やった。俺は、元の世界に戻れたんだ。

んん?何だか、布団が重いぞ?

俺は必死で布団と思われるものを跳ね除けて、起き上がった。

「ゲコ」

え?ゲコ?

隣を見ると、巨大なカエルがこちらを見ていた。

「ゲコーーーー!」

叫んだ俺の声。ゲコ?

まさか、そんな。

布団と思っていたものは、柔らかく湿った土。

温かい春の陽ざしが降り注いでいた。

隣の巨大カエルが愛しそうに俺の顔をベロリと舐めた。

カエルになるなんて、聞いてねえ!


**********


「あ、そこのあなた。あなたはうるう人に選ばれました。

私は、解き人。あなたを解きに参りましたよぉ。」

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