虹別色内 0時01分

 気分が高揚していた。これは熱帯夜に近い鬱蒼とむっとする夜の札幌の空気のせいでも光輝くビルビルの美しさに胸を打たれたからでも走ってきたからでもない。

 飛んできたから。

 あっちからこっちに飛んできたから。

 地に足を付けたとき、翼は無くなった。消えてしまった。この非現実物が非現実的な現象を非現実世界ではない現実世界に来たことを示して教えてくれた。

 

 帰ってこれたんだ。


 テレビ塔は0:01を表示している。

 八月三日。十二時一分。現実世界に私は帰ってきた。近くのビルのガラスに駆け寄って背中を念入りに、入念に確認する。ない。翼はもうない。

「恒、帰ってきたよ。帰ってこれたよ」

 初めて自分の涙がきれいだと思い、拭って照れた。

「恒…は...?」

 そうだ、恒はこっちに戻っていないんじゃ。スマホの電話帳を確認して電話を掛ける。

 〉この番号はここでは使われていません。

 どうしよう、私だけ戻ってきてしまった。どうしようもなかったとは言え、私は後悔した。どうにかしないと。



▶▶▶

 

「何、これ? どうなってるの?」

 約束の時。ゼロ時ゼロゼロ分の三分前。もうすぐ時間だというのに何も起こらなくてうずうずして外に出たら、赤い光が見えた。翼を広げて飛んで場所を確認する。

 飛び方ははっきりとは今でもわからない。想像して飛んできた。溢れ出しそうなよく分からない気持ちを胸に秘めて翼を、エイのヒレのように広げてぐっと背中を押してもらう。発射台から飛び出したかのように宙へいなくなるってそのまま泳いでいくの。

 

 テレビ塔

 札幌市資料館

 公園のような緑地

 JRタワー


 この四か所が強い赤い光を放って、四点が結び合って結界のような四角を空の果てまで放っていた。

 少しためらって、思い切って結界の中に突っ込んだ。

 すんなり入れた。

 歓迎されているかのようにすんなりと。

「きっとこれが、メールの意味ね。そして、あと少しで何か起こる」

 深夜零時。テレビ塔がその時を示した。八月は二日から三日へと日付を変えた。これを待っていたかのように。結界が縮み始めた。

「しまった」

 出れない。え、ゼリーみたいなバリアになっていて出れない。テレビ塔以外の三点が収束していく。このままじゃまずい。潰される。

 見上げた空は白だった。

 飛ぶしかない。

 眉をひそめて宙を蹴った。勢いよく加速してそのまま。速く早くもっとはやく

 迫る壁から飛び出して脱出したら今度は落ちる番だった。羽が効かない。ものすごい勢いで落ちていく。エレベーターが動き出すときのふわっと感に襲われて、目を瞑ろうとして瞑れなかった。

 色がある。

 空は青がいなくなった黒で明るかった。テレビ塔も赤く光っていて下の芝生も暗いけど緑だ。街をぐるっと見回して暖かな色に包まれて降りた。

 羽は最後の役割として着地時に羽ばたいてくれた。おかげで無事に怪我なく地上に降りれた。


▶▶▶



 念願の帰還だ。なのにこうも鬱蒼として晴れないのはなんでだろう。一時間以上も歩いた。地下鉄は終電あるかないか分からなかったから歩いた。

 気づいたら足の先は我が家だった。向こう側では恒と住んでいた場所。こっち側では両親と暮らしていた場所。点いている明かりはだれのための灯だろうか。両親か。私か。それとも恒のためなのか。

「はい?」

 押したインターホンの先からは懐かしい声が聞こえた。忘れかけていた忘れたくない声。

「かあさん」

「え? え…いろ、な? いろな! 色内、待って、色内!」

 待ってるよ。私の帰る場所はどの世界でもここしかないのだから、扉が開くのをいつまでも待ってる。

「いろな!」

 抱きしめられた。まったく、いつもと同じように変わらずに夜更かししていたんだな。ほんと、変わらないんだな。

 情緒不安定になって泣き虫になってしまった私を両親は離さなかった。

「ごめんなさい。とうさん、かあさん」

「おかえりなさい」

「おかえり、色内」

「ただいま」

 私は一時帰宅した。日付は八月三日。時間は午前一時十二分。

 部屋の中は涼しかった。

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