死神の気苦労



 夜半過ぎ。


 レフと別れアルザークが宿館の部屋へ戻ってから数分後、バルコニーのある方向から扉をカリカリと引っ掻くような音がした。


 扉を開けて外を見ると、ココアがこちらを見ていた。



「なんだ焦げネコ」


「あ、あのなっ。ルファが!」


「あいつがどうした」


「いいから、こっち出て隣り覗いて!」


 ココアに急かされ、アルザークは露台に出た。


 そして隔て板から隣りのバルコニーを覗くと、暗闇の中でうずくまる影が見えた。


「ルファのやつあんなとこで寝ちゃったの! 夜空の観測してたんだけど、あたいじゃ運べないし、風邪ひいたら困る! なんとかしろよ死神」


(……なんとかって)


「部屋の鍵は」


「開いてる。まだかけてない」


「不用心が過ぎるぞ」


 アルザークは不機嫌に言いながら部屋を出ると、隣りのルファの部屋へ入った。


 寒空の下バルコニーの隅で、寝着の上に毛糸で編んだ上衣を纏っただけの姿で。


 冷たい闇の中で眠るルファをアルザークはそっと抱き上げた。


 身体が冷たくなっていたので長い間ここにいたのが判る。


(まったく! なんて世話の焼ける娘なんだッ)


 寝台に寝かせて布団をかけ、部屋の出入り口へ行きかけて立ち止まり、アルザークはココアに尋ねた。


「こいつは昔からこうなのか?」


「何が?」


「警戒心はないのか」


「ああ、まーね。のんびり大切に育てられたからな。でもルファはわがままな娘じゃないよ。まぁちょっと天然で鈍臭いけど」


(よく転ぶしな)


 アルザークは心の中で付け加えた。


「努力する奴だし、のんびりだけど家の手伝いもいっぱいするし、トロいけど料理も上手いんだから」


「それ、褒めてるのか?」


「もちろん。それに意外と乗馬は上手いだろ。養い親が星読みで幼い頃は旅にも同行していたから手綱捌きを教え込まれたんだ」


(そういえば馬から転げ落ちたことはまだなかったな)


「あのな、死神」


「なんだ」


「おまえ、ルファのこと嫌いか?」


「なぜそんなことを聞く?」


「だってルファがさ、あんたともっと歩み寄りたいとか言ってて。でもあんたってばよく怒るし、そんなツラだし」


「───そんな、とは?」


「整った顔のくせに無愛想すぎるってことを言いたいの」


「余計なお世話だ」


「周りに誤解を与えんのよ。直そうとか思わないの?」


「思わない」


「ルファを嫌わないでよね」


「べつに嫌いなわけじゃない。俺はただ………」


 その先へ繋げる言葉に迷う。


 酔いの入った思考回路では特に。


「俺はあいつをどう扱っていいのか、まだよく判らないだけだ」


 星読みという、難解な称号を持つあの娘のことを。


 今日、遭遇した奇現象の数々。彷徨いの森や神話の世界の生き物だと思っていた風の獣や両翼を持つ不思議な子供。


 正直、まだ自分の中で消化しきれていない。


 この任務ごと、どう扱っていいものやら。


「───あのさ死神、今日は風の獣からルファを助けてくれてありがと。ルファってば、ぼんやりしてるからあんたにお礼も言ってないだろ。あたい、ホントはこれが一番言いたかったの!」


 照れたようにこう言って、ココアはひょいとルファが眠る寝台に飛び乗り、もそもそと主人の布団の中に入り込んだ。


「それからルファを運んでくれてありがとな……」


 布団の中から小さな声が聞こえた。



「……おやすみ、焦げネコ」


 ささやくように言い残し、アルザークは部屋を後にした。



♢♢♢♢♢



………ゆらゆらと。



 そして


………ふわふわと。


 そんな微睡みの中にルファはいた。



 そしてふわりと匂った花酒の香りに、ルファは懐かしさを感じた。


 夢うつつの中で。


────誰。コルド?


(このお酒の匂いはコルドだよね……)


 花の香りがするお酒はコルドの好きな銘柄だ。


 でも強いお酒だって言ってた。


 だから呑み過ぎたらダメだよと、ルセルによく言われてたっけ。


 わたしを拾って育ててくれた、お母さんみたいな星読みのルセルと、お父さんみたいな星護りのコルド。


 彼等はルファを愛しみ、とても大切に育てた。



(幸せ者だな、私は)


 心地良い夢の中で、ルセルとコルドの顔が交互に浮かぶ。



 二人とも、元気かな。


 ルセルは身体が弱いから、風邪とかひいてなければいい。


 コルドはお酒大好きだから、毎日呑み過ぎてなければいいな。


(………会い、たい……な)



 ふわりと漂う花酒の匂い。


 ふわふわと………。



 お酒を呑んだこともないのに、ルファはとても心地良く、そして幸せな夢をみていた。



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