距離感〈1〉
♢♢♢
「ア……お、おかえりなさい、アルザークさん」
馬から下りたアルザークは冷ややかにルファを見下ろした。
「おかえりー、アルぅ。お使いに行ってたって?」
「レフ。おまえここで何してる」
「何って。まったりしてただけだよねぇ、ルファちゃん」
「は、はい」
アルザークの纏う空気がとてつもなく剣呑で。
鈍いルファでも感じ取ることができるほどだ。
(アルザークさん、なんだかものすっっっごく!機嫌が悪そう!)
いったいどうしたというのか。
「アルザークさんはどうしてここへ?」
「おまえ。それは俺の台詞だ。そこの軽薄男におまえが連れていかれたと宿に帰ったらあの焦げネコが俺に言うから……まったく! どういう気でいるんだおまえは。俺が今朝言ったこと忘れたのか?」
「ぇっと、ぁの……」
オドオドと視線を彷徨わせるだけのルファにアルザークは苛立ちながら言った。
「警戒心を持てとあれほど……」
「でもレフさんは悪い人ではないので。警戒心はなくても……いいのではないかと」
「そーだそーだ! 俺はワルイヒトなんかじゃないぞ! ってか何をそんなに怒ってんだよ、アル。可愛い子をお茶に誘って何が悪いんだよ」
「貴様は黙ってろ! ───帰るぞ、ルファ」
「え、でも。レフさん、アルザークさんに何か用があったんじゃ……」
ルファはレフに視線を向けたのだが。
「ん~、今日はやめとく。なんか冷静な話ができそうもない雰囲気だし~」
「でも……」
(───んっ⁉)
「───ッ⁉───!わっ⁉」
いきなり足元をすくわれ、身体ごと宙に浮き。
ルファはアルザークの愛馬に乗せられていた。
以前にも、これと似たようなことがあったな、と思いながら。
転げ落ちないようにルファは慌てて横座りからリュウの背を跨いで姿勢を直そうとしたのだが。
「───ふわっ‼」
動揺し、バランスを失いかけ、身体が傾いたのとアルザークがルファの後ろで馬に乗ったのがほぼ同時で。
ぐいっ。───と、アルザークの腕が後ろから前へ伸び、ルファを抱くように引き寄せた。
後ろに座るアルザークの胸の中へ、ぎゅっと上半身ごと包まれるような態勢になる。
なぜだか心臓がバクバクと騒ぎ、ルファは苦しくなって身動きができなかった。
「帰るぞ」
「あーあ。なんか攫われちゃう感が半端ないんですけど」
レフの言葉など完全無視で、アルザークは愛馬の手綱を握り向かう方向を定めた。
「ルファお姫様、次はランチでもしようね~」
リュウが勢いよく駆け出したので、レフの声はすぐに小さくなっていった。
駆け行く馬の蹄の音が緊張している自分の鼓動と重なり、ルファの耳を掠めていく。
触れている背中はとても熱いのに。
なんだかとても彼が冷たいと感じるのはなぜだろう。
(アルザークさん、どうして? レフさんにあんな態度とらなくてもいいのに)
見送るレフの姿も見えず、さよならも言えずにルファは街を後にした。
♢♢♢♢♢
「どうしてあんな態度を?」
宿館の厩舎前で馬から下ろされると、ルファはアルザークに言った。
アルザークは怪訝な顔でルファを見つめた。
「レフさんはきっとアルザークさんに何か話したいことがあったんです。だから待ってたのに」
「用があったならここで待てばいいことだろ。なにもおまえを連れ出さなくても」
こう言ってアルザークは愛馬のリュウを厩舎の奥へ連れて行った。
それって。レフさんが私を連れ出したからアルザークさんは怒ってるの?
それとも私がレフさんについて行ったから怒っているのだろうか。
ルファは厩舎から出てきたアルザークにまた尋ねた。
「どうしてそんなに怒ってるんですか?」
「怒ってなどいない」
「そうは見えません」
「どこが」
「だから………。そういう言い方とか、怒ってるように見えるんです」
「呆れてるだけだ」
「何に呆れてるんでしょうか」
「それはおまえの警戒心の無さに決まってる。レフは腹黒い奴だから気を付けた方がいい」
「親友じゃないんですか?」
「あいつがおまえに何を喋ったかは知らんが、親友と呼べるほどの仲でもない。あいつの話はもうするな。おまえの書簡は二日後には王都の天文院へ届くはずだ。何かしら連絡が入るのは三日以降、長くて五日は待つことになるだろうな。それまでどうする。今後の予定は?」
「私、ほんとは今日、街の人の話とか聞きたくて。街に出かけるつもりでいて……」
「なぜ今朝言わなかった」
「アルザークさんにはおつかいを頼んでいたし。それに私、これ以上ご迷惑をおかけしてはいけないと思って。あの、だから私、午後に一人で街に行ってきます」
「なんでそうなる。星読みが護衛も付けずにフラフラするつもりか」
「ふらふらなんて」
「一人で行ってまた迷子になったらどうするんだ」
「だったらアルザークさんも一緒に行ってくれるんですか?」
「行かなきゃ俺の仕事にならないだろ」
それに、とアルザークは続けた。
「俺がいつ迷惑と言った」
「それは……」
昨夜、報告書に目を通してほしいと言ったとき、アルザークに何故と言われて。
奇現象にまで関わるつもりはないと言われて。
(でも確かに迷惑とまでは言われてなかったけど。これって私の思い込み?)
「勝手に思い込むな」
ルファの心を読んだようにアルザークが言った。
「午後から動く。俺は少し早いが食堂へ昼飯に行く。朝も抜いたからな、腹が減った」
「向こうでなにも食べなかったんですか?」
「───じゃあ後でな」
質問に答えることなく面倒くさ気にこう言って、アルザークはルファに背を向けた。
その背中を、ルファは慌てて追いかけていた。
彼ともっと話がしたいと思った。話さなければと思った。
遠く感じるアルザークとの距離を少しでも縮めたい。
魔に狩られた風の話やルキオンの月と呼ばれる彩星のことも。
(聞いてもらいたい。ちゃんと伝えなきゃ)
彼は星護りなのだから。
アルザークに追いつきルファは言った。
「アルザークさんっ、あの!私も一緒にお昼ご飯を食べたいんですけど!」
「……勝手にしろ」
困惑めいた表情でこう言って、すぐにまたいつもの仏頂面。
それでも怒って断られなかったことにホッとして。
ルファはアルザークに笑顔を向けた。
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