四章(急)・09



[嗚呼、本当――人間も、神々も、底が無いほど馬鹿げてる]


 選ばれた者だけが進む、【階級制度】の先。

 それを羨み、それに憧れ、ハルタレヴァに住む者たちは、信仰を捧ぐ大創造神に、より愛される為の方法を考え続ける。


 第一層から第二層へ。

 誘われた人間が、も知らぬまま。


 ――――本当は。

【外部から獲物を誘き寄せる見せ物】に過ぎない自分たちより、遥かに多くの人間が――【効率の良い信仰収集】の為に、決して公には出来ようもない深層じごくに飼われているのかにも、気付かぬまま。

 天国の住民は、自らの幸福を意識せず、どこまでも強欲に充足を求め続ける。


 異世界ハルタレヴァ。

 それは、神の願いを叶える理想郷であり、人にとっての牢獄である。

 

[ねえ、ネフティナ。今彼が、どうなってるのか、教えてあげよっか]


 本当に耳元で囁かれているような、念話。

 強制的な接続、どこに逃げても塞げない声。


 それが、つつき、くすぐり、煽る。

 工藤の心に、その底から、絶望を引き摺り上げていく。


 早口で。

 蛇のように。

 


 大変だよ。さっきからずぅっとぼぅっとしてるの。何を見てるのかな。何が消えてるのかな。わたしの【記憶喪失】はね、思い出させて消させていくの。意識の表層に浮かび上がらせてから、それを体験させてから、ごしごし、ごしごし、汚れを落とすの。楽しい思い出。辛い思い出。嬉しかったこと。悲しかったこと。全部纏めて、一緒に拭うの。洗い流して、忘れさせるの。うふふ。あのねあのね、そうされたらどうなると思う? みんな、すっごい気持ち良さそうなんだよ。しあわせそうなんだよ。素直になるんだよ。子供になるんだよ。人ってさ。なんで成長なんかするんだろうね。そんなことをしたって、何もならないのに。出来るようになることなんて、本当にたかが知れてて。それよりもそれよりも、得られるものにとてもじゃないけど見合わないぐらいずぅっと多くて重くて苦しい不幸を背負わされるだけなのに。自分がどれだけ不幸なのか、わかるようになるだけなのに。みんな、気付けばいいんだよ。だからわたしが教えるんだよ。努力なんかしなくったって、わざわざ上を見なくったってあなたは最初から、そのまんまでいるだけで、しあわせだったんだよって――――



「うっせぇ、ブス」


 それに息を呑んだのは、工藤だけではなかった。

 工藤への接触を通し、通信室全体に声を届け、音を拾っていたハルタレヴァも、想定外に驚いた。


「さっきからベラベラベラベラベラベラと、好き勝手なこと言いやがって。ええ、そんなに楽しいかよ、弱いものいじめは」

「そうだそうだー!」

「ばーかばーかー!」

「シュミわっるー!」


 驚く暇も無い。

 いつの間に、忍び込んでいたのか。

 異世界通信室のそこかしこ――机の下やらロッカーの中に分散して隠れていた十二人の子供たちは、潜んでいた場所から飛び出すと瞬く間に工藤の側に群がり、ぎゅうぎゅうと身を寄せてくる。


「ちょっ、き、君たちっ!?」

「上から目線で偉そうに。誰がそっちの都合に乗るか」


 火の、燃える声。

 藤間圭介が、真っ直ぐな目で。

 虚空を、天井を、その先を見据え。


 強く、

 凛と、

 言い放った。


「ざっけんじゃねえ。軽く見たきゃあ好きにしろ。ああ、そうだ。だからって顔色なんか窺ってたまるか。こっちはな、こっちの都合で生きてるんだ。あんたがくださらなくったってな、シアワセにぐらい、勝手になってやるっつうの」

[ッ、]

「コドモ嘗めんな、創造神。ミライとか、むしろすっげぇ楽しみだよ」

[――――あは。あははは、あっはははははははははははははははははッ!!!!]


 甲高い哄笑が、異世界通信室に響き渡る。

 念話の向こうのハルタレヴァは、

 愉快そうに、

 とてもとても面白そうに、


「{君たち、全員、隣にいる子を、」

「うぁぁぁああああぁああッ!」


 硝子の、割れる音。

 工藤が、手元の【緊急遮断】のボタンを覆うカバーを叩き割ったのだ。


 瞬間、部屋全体に、床に、壁に、天井に、結界の注連縄が、白絹の幕が掛かる。

 その性質状、異世界通信室は常に【盗聴】や、他の世界からの【潜入】の起点になる危険性と隣り合わせにある。


 万が一、それらの現象が観測された時の為の備えがこれだ。

 異世界通信室を、限定的に【異界】にすることで、相手に攻撃のとっかかりを見失わせ、強制的に通信を断絶する。


 ――――【命令文】が成立する前に、ハルタレヴァの声も消えた。

 工藤は、今更ながらに噴き出した冷や汗を切羽詰った表情で拭う。


「お、おぉっ!? すっげぇすっげぇなにこれなにこれ!」」

「ヘンケーしたー!」

「ちょーかっけー!」


 無論、能天気に喜べるものでも乱発出来るものでもない。そうした類であれば、眼をつけられた段階でそうしている。


 この【封印】の解除には関係各位を巻き込む所定の手続が必要であり、異世界公安の権限を以てしてもすぐにどうこうするのは難しい。一度発動すれば二十四時間は解除出来ず、そしてその間は相互に通信が封じられる為施設利用も出来なくなる、まさしく【止むに止まれず】の緊急手段なのだ。

 

「このままじゃ、田中さんが……!」


 誰も悪くはない。

 今、考えるべきは、この後だ。


 一体どうする。どのようにして通信を回復する。間違いなく現状、彼は自身の記憶に囚われている。強制再生と、喪失の輪に乗せられている。そこから解放するには、外からの刺激が要る。その為には、今、自分が動かなければならない。間に合うか。今から、余所の課の通信室に行き、使用の許可を各部に取り、緊急の接収が叶うまでにどれだけの時間が掛かる? 田中はそれまで、無事でいられるか。経路を繋げた途端にまたしても、今度こそ戯れ無しで潰されるのではないか。


 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ、


「工藤のねーちゃん」


 彼の眼を見た。

 決意に固まった、その光を見た。


「これ、使えるかな」


 差し出しされたを見る。

 口が開いた。

 そうか、と思った。


「――――そうだ。君は、彼女から。直接、その【権利】を」

「使うには、おれが一緒にいかなきゃならない。だから、おれにも――いや、」


 おれたちにも、と彼は言った。

 大人よりも、真っ直ぐな目で。

 十二人の、二十四の眼が、工藤に訴えた。


「手伝わせてくれ。にーちゃんを、助けるの」

「――――ええ。いいですとも」


 世界と世界を繋げる、異世界コンサルタントは頷く。

 ついてきてください、と話して席を立つ。応答の声が響き、部屋を飛び出し、彼女は走り出す。

 通信室から一番近いのは、

 第十六番異世界渡航門。


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