四章(序)・05



 華やかな店が軒を連ねる大通りからは逸れる。

 人通りも目に見えて減少し、『ここらへんは住宅街だな』と察し始めて暫し、その中にひょっこりと歴史の積み重ねを痛烈に感じさせる瓦屋根の家があり、自己主張もささやかな【納涼】の旗が立っていて、軒先の風鈴がちりんと歌う。


 そこが守月草でも知る人ぞ知る茶屋、【水々草すいすいそう】だ。

 そも、何がしかの店であることの判別すらし難い。屋号を掲げた看板も出しておらず、営業しているのは七月の後半から八月の間だけで、それ以外は周囲と同じ民家に戻る。


 引き戸を開けて中に入ると、給仕である店長の孫娘がはきはきと挨拶をしてくれる。浴衣を元に仕立て直したらしい、年頃の女の子によく似合う、エプロンを着けた和装の制服。


 入口から向かって右手側が調理場と四つのカウンター席、左手に四人の座敷席が二つ。待ち合わせの意を伝え、奥の座敷へと上がる。

 そこに、全異世界の憧れがいた。


「はじめまして」


 正座の姿に気品がある。それは取りも直さず、異国の、異世界の、異文化に対する敬意の証であり、相手方に歩み寄る誠意の所作。


「ハルタレヴァと申します。この出会いが、素晴らしきものでありますよう」


 すぐにそれとは分からなかった。

 真正面からこうして向き合っても、尚実感が湧いてこない。

 夢のような体験、幻のような現実、それもそうだが、それだけではない。


 普段の、創造神として雑誌等に載る時の正装でも、ステージで輝く際のアイドルの衣装とも系統の違う、衣服、口調、印象、雰囲気。

 一口に言ってしまえば、それはこの世界に、自らの身の振り方に馴染んでいる、ということ。


 夏という時節に合わせた浴衣姿、眼鏡を掛け髪型を変え、世間一般がイメージする【ハルタレヴァ】の記号を巧みに入れ替えた彼女は、成程、こうした御忍びが珍しくないのだと推測出来る。


「今日は、たくさんお話をしてくださるそうで。私、楽しみにして参りましたのよ」

「どうやったらそんなに魅力的にかわいくなれますか!?」


 初っ端から上げ過ぎのギア。

 田中はいきなり激しく不安になりながら、クリームあんみつを人数分注文した。



        ■■■■■



 対談、前夜。

 ここのところ連日だった呼び出しの場で、折を見て田中は切り出した。

 会って、話して欲しい相手が居る、と。


「――――――――ふぅん」


 次の言葉を促す相槌、それは誰かと探る自問、いずれでもない。

 その吐息には、と噛み締める色がある。


「興味本位で聞くのだけれど。その話、どちらが提案したのかしら?」

「……僕、ですが」


 風船が、弾けた。

 底抜けに明るい、愉快の表現。

 ソファに座る田中の、その膝元に倒れこんでいたハルタレヴァが、足をばたつかせて笑う、笑う、笑う、笑う。

 嗤う。


「驚いた! ええ、驚いたわ、私! ――なになになになに、もーっ、困るなあーっ! そういうことは早く言ってくれないと、たなちゃんっ!」


 くるり、回る。

 皮を着る。

 その口調は、様子は、素振りは、一点、必要以上に無邪気になる。田中はよく知っている。

 ハルタレヴァは。

 邪悪な時ほど、無邪気になる。 


「びっくりした! 危なかった、勘違いするとこだったぁ! そうなのねそうなのね、どうしてあなたがよりにもよって、異世界の創造神の、創世の面倒を見るなんて、有り得ないことをしている思ったら――――そっかっ! だったんだ!」


 身を起こし、顔を寄せる。

 鼻先がぶつかりそうなほど、真正面から目を覗く。


「そうだよねそうだよね、うん、その気持ち、わたしすっごくわかるもの! どうせ塔を崩すなら――――やっぱり、高ぁく積み上げてからのほうが、気持ちがいいもんね!」

「僕は」


 唇を。

 手で塞いで、言葉を止めた。


「異世界転生課の職員です、ハルタレヴァ。自分の仕事に真摯に取り組むのは、人として、当たり前のことでしょう?」

転生しうまれかわったみたいに言うのね、たなちゃん?」


 まるで。

 別の世界に行ったみたい、と。

 口を押さえる田中の指の隙間から、ハルタレヴァの舌がぬろりと現れ、蠢いた。


「同じ世界。同じ国。同じ場所に、いるくせに。年齢とし経験にもつを重ねれば――同じ自分から逃げられるとでも、あなた、本気で思ったの?」

「…………」

「かわいいね。かわいい。かわいいよ、たなちゃん――――本当に、昔から、ずっと変わらず、いとおしいわ」

「ハルタレヴァ」

「受けましょう」


 するり、さらりと身を離す。


「私も、この目で見ておきたいもの。あの、未熟で無様な創造神未満をね」


 ハルタレヴァは立ち上がると、浴室へ向けて歩き出す――――その衣服を、一枚ずつ脱ぎながら。


「湯浴みですか。どれだけ外が猛暑でも、あなたには落とすようなモノなどないでしょうに」

「当然。影響範囲・代謝規格を人に合わせるような愚を犯すなどありえない。神が汗を掻くなんて、夢の無い話があるかしら? 翳らず、衰えず、常美しく――人が憧れ、どれだけの年月や熱意を重ねようと決して届き得ぬ偶像として、手放しの諦めと崇拝を促してこそ、神は神足りえるのだわ。――――でもでもっ! ライブとかの、【がんばってる姿】を見せたい時にはー、演出で使ったりもすーるけーどねーっ! きゃはっ!」

「では、何故今?」

「――ふふ。必須であることと趣味であることは別よ。シャワーを浴びる、身体を洗う、湯船に浸かる――そうした感覚は、わたし、それなりに好みなの。香りを身から立ち上らせるのもね。明日は、ふふ、大ファンと会うのですから、準備は念入りに、施しておかなくちゃ。あなたの顔にも、泥を塗ってはいけませんもの」

「……よくもまあ。思ってもいない言葉をそれだけ並べられるものだと、感心しますよ」

「あら。そういうことが、あなたも随分、得意になったものだと思ったけれど?」

「大人になっては、いけませんか?」

「オトナになんてなりたくないと、泣いていたのは誰だったかしら?」


 分の悪さを田中は悟る。

 隠しもしない溜息一つ、荷物と皿を纏め始める。


「洗い物を済ませたら帰ります。待ち合わせの場所と日時は何点か候補がございますので、気に入ったものをご連絡ください」

「ねーねー、たーなちゃんっ! ハル、こっちの“あらいもの”のほうをー、てーつだって欲ーしーなーっ!」


 全世界憧れの大創造神が、一糸纏わぬ全裸で、最高に媚びたポーズで誘惑する。

 それを田中は心底白けた顔で一瞥すると、「タオルは上の棚に入ってますから」と指して食器を持ってキッチンに消えた。


「わーい! たまんないなー、この塩加減っ!」


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