三章・26



 異質の匂い。

 異質の景色。

 交じり合った異文化の土。 

 嗚呼此処は、道繋がらぬ越境の、未だ確かな文化無き、作りかけの理想郷。既存のしがらみ一切と、無縁となれる彼方の地。


 ――――けれど、付き纏うものがある。

 それはいつも通りの、ぼんやりとした浮遊感。  

 左目と右目が別の景色を移しているような心地を、藤間圭介は覚えていた。


「おっしゃぁ! いくぞちびども、このおれについてこいッ!」


 例えるならば。

 それは【役者】の藤間圭介と、【観客】の藤間圭介だった。


【役者】の圭介は、溌剌と振舞う。周囲に活気を振り撒いて、誰より先に一歩を踏み出す。

【観客】の圭介が、そんな自分を只管に、冷めた視線で観察している。

 その態度を一言で表すならば、こうだ。


『相変わらずだな、この馬鹿は』。


「よぉしまかせろ、ここは最初におれが行くッ!」


【主体】は。

【本音】と呼べる面はどちらなのかといえば、そんなものは決まりきっている。


 より長く。

 より深く。

 より強く、慣れ、親しみ、信じ、感じ、思い、抱いてきた側面こそが、人を縛り、固め、その姿勢を決定付ける。生涯通してへばりつく。


 だから。

 彼にとって、これは、この現状は、初めての【遠足】は。

“道中を楽しむ”ものではなく、“手際良く終わらせる”作業に過ぎなかった。


「あん? 感謝なら、おれじゃなくてモンジに言えって。あいつがヒントくんなかったら、おれだってヤミクモに突っ込んでたっての」


 生きることは、うまくいかない。

 世の中は悪意に満ちていて、自分と他人だれかはどんな時にも、利用を理由に関係する。使うか使われるか、奪うか奪われるか、都合が良いか胸糞悪いか――互いを結ぶ矢印の向き、ストローの先端が果たしてどちらに刺さるのかを、押し付けあって転げまわる。


 ずっとそうされてきた。

 逃げても逃げても、何を見ても何をしても、どんなに【別のルール】を探しても。

 藤間圭介は、【それ以外の事実】を見つけられなかった。


 そしていつしか気が付いた。

 あれだけ忌み嫌っていた――父親と同じ【ルール】を、遵守している自分の姿に。


「まったく、敵わねえよなあ。わーかったわかった、おれが調子に乗ってましたっ!」


 何が良いって、楽で良い。

 他人を。

 道具にする側になるというのは、それはそれは快適だった。


 観察するのには慣れている。――――だって、そうしないと居場所が無かった。

 賛辞とは形の無い潤滑油だ。――――心の切り売りに、費用コストは一切掛からない。


 他人との付き合いに、誠意さえ欲さなければ、何だって出来ることを藤間圭介は知っている。

 何故ならば、ずっと間近で【成功例】を浴びてきた。


 突き詰められた上っ面の振る舞いが、心にもないくせに実感のある言葉が、どれほどに思考力と想像力を麻痺させることが出来るのか――それも、本人に意識することさえ許さずに。


「ったく、勝手にでっかくなってんじゃねえよ! 頼りにしてるぜ、チームメイトッ!」


【あの人の為に】。

 あらゆる手段を採用し、そう思うよう仕向ければ良い。後は勝手に機能する。馬鹿馬鹿しいほど自動化される。


 何も言わなくても。

 何をされようとも。

 理屈も理由も理論も理解も、向こうが自分で整える。その、他人の真意も見抜けない、自分を客観的に見れもしない絶望的な脳ミソで、希望的に解釈する。


 つまり。

 もがけばもがくほど、泥沼の深みへ嵌っていく。


「そこまで言うなら、仕方ねえな。今回はおまえがバシっと決めろよ、シノダッ!」


 何故気付かないのか。

 何故気付けないのか。

 かつて搾取される側だった時も、そして逆の立場に回った後でも、圭介は考えた。


 答えは、出ない。

 何故、一体、どうして、こんなに簡単なことがわからないだろう?


 求めるものは手に入らない。見ている姿は嘘でしかない。傍からならばすぐに見抜ける偽造と欺瞞を、しかし愚直に、否、ただただ愚かに信じ続ける被害者たち。


 苛立ちと軽蔑が罪悪感を磨り潰した。善良であることと人を疑わないことが同一のものだと履き違えたかのような振る舞いを見せる連中を、藤間圭介はいっそ憎しみと使命感すら感じながら食い物にした。


 いつも。

 達成感以前に、諦念を覚えながら。

 成功する度に、自分自身を嗤って。


「さあさ張り切れ! 背中はおれが見ててやる、いっちょ楽させてくれよ、ヒーローズ!」


 言葉に出さず。

 態度に見せず。

 それでもずっと叫んでいる。

 心の中で。

 声がする。


『いい加減にしろ』。

『おまえは、そんなに怖いのか?』。


 そう、喉を嗄らすのは。

 醒めた目で舞台を眺めているのとは違う、また別の藤間圭介だ。


 そいつはいつも現れる。呼んでもいないのに邪魔を始める。

 今の自分より、もっと小さくて、もっと弱くて、もっと割り切れなくて、そして、もっともっと、正直に。


 世界の道理、なんかより。

 自分の理由を、訴える。

 舞台を観る資格すらもない、不法入場の侵入者。


 傲慢に尊大に席に座る【観客】は、その自分を心底疎ましがる。お定まりの筋書きに、波風が立つことを嫌う。

 だが、その【侵入者】の自分は、あろうことか舞台の端に跳び付いて、外様の立場の分も越えて、お構いなしに張り上げる。


『このまま続けて』。

『大事なことから目を背けて』。

『そうやって、どんな大人になるつもりだ』。


 知るか、と【観客】が思う。

 どうにでもなれ、と【役者】が思う。


 だってそのほうが楽なんだ。

 人を利用すれば、自分が出来ないことが出来る。人にやって貰えば、自分が責任を負わなくていい。そう考えた時、それを知った時、それでいいんだと分かった時、藤間圭介は、きっとようやく始まった。


 だって。

【自分】では。

【ちっぽけで弱くて情けなくて誰にも求められていない生まれなくてもよかった糞餓鬼】は。


 何もするなと言われたんだ。

 出来やしないと殴られたんだ。

 だから、

 だからだからだからだからだからだから、

 それが本当だったから、


 藤間圭介は、大好きな母親さえ守れなかった。

 どれだけ説得しても、大切だと訴えても、自分のほうを向いてもらうことも出来なかった。


 それこそが何よりの証拠だ。誤魔化しようのない、覆しようのない真実であり、腹の底まで思い知らされた立脚点だ。


 しょうがないだろう。

 しかたないだろう。


 自分では、何も出来ないなら。しちゃいけないなら。許されないなら。

 他の誰かにやらせるしかない。代わりを動かせないといけない。

 それが藤間圭介なんだから。

 これしか方法が無いんだから。


『不本意なんだ』の言葉を添えれば、何をしたって、許される。

 それを、少年は。

 唯一、自らの両親から教わった。


「こんだけ立派なら。後は、ほとんど任したっていいかもなァ」


 それを、少年は。

 今また、今度は逆の立場で、示そうとしている。


 訪れた異世界。

 十二人の道中。

 呆れるほど素直で、笑えるほど単純で、聞こえのいい言葉を並べ立てられていいように使われていることにも気付かない、年下の甘ったれ共。


 ――ここに誘われた際。オープンワールドへ来ませんか、と誘われた時。

 最初は誰もが、乗り気ではなかった。それをあの、やたら能天気な創造神は、一言でやる気にさせたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る