一章・03



 異世界派遣調査員、最大の武器とは何か。

 それを田中はかつて、研修期間の敬愛する先輩から教わった。


 相手の心を解きほぐす弁舌?

 礼儀を示し安心させる外見?

 否。

 もっとダイレクトに、その感性を攻撃する現物だ。


「いや、先程は警備の為の脅しとはいえ、大変失礼してしまった! この通り平に謝罪する、チキュウのニホンのドコだかの異世界派遣調査員、タナカよ! そして貴方の本心貴方の誠意に確かな身分と委任の事実、成程自分は了解したとも! 先の非礼の詫びも含めて、出来うる限りの協力をさせて貰おうではないか!」


【異世界派遣調査員に必要なのは、一に根性二に辛抱、三四が我慢で五が忍耐】。

【どんなの世界でも、“自分の知らないうまいもの”に勝る交渉の武器は無い】。

 それらの教えはこれまでにも数々の異世界で田中の公務の執行を助け、今日も確かにその有用性を証明した。


 床にどかりと腰掛けて、軍服の彼女がガツガツとかっ食らうのは、創業八十年、市役所の前に構える和菓子屋【美郷みさと】の最中もなか

 田中が勤める市役所の異世界転生課に代々伝わる、異世界派遣調査員の相棒。

 直近の例を上げるなら、深緑世界グレリアに於いて食通で知られるオークの王族も唸らせた、確かな歴史と実績を持つ一品である。


「しっかしうまいなこのモナカとやらは! なんだこれ! 黒い! 黒いぞこの中のやつ! こんなに黒いのにこんなに甘いのか! 小癪だな! 実に小癪だ、気に入ったッ!!!! これ全部食っていいのか!?」

「ええ、どうぞ。こちら、異世界転生課様への手土産の品でしたので、職員が貴女だけだと仰いますならその権利は当然貴女のものでしょう。……ええと、」

「何を躊躇う! 【天使】でいいと言ったろう、タナカよ! このモナカがモナカであるように、自分は、女神の使いであるが故に天使と名乗る他に無い! そもそれ以外の識別なぞ鬱陶しくて持ち合わせぬし余分であって覚え切れぬ! 私がそのように呼ばれたいのだ、是非そのようにやってくれ!」

「――では、天使さん」

「うむ!」

「こちらの異世界転生課の資料、閲覧させて頂いても宜しいでしょうか?」

「何を今更! 我が女神の許しとモナカの礼だ、即ち拒む理由が無い! 君の仕事を果たすといい!」


 物事を円滑に進める為の、相互理解と安心の要。

 最初にして最大のハードルは、和菓子屋美郷の最中によって越えられた。

 ただ、田中は天使のように床に座ってのんびりというわけにもいかない。

 異世界派遣調査員の仕事、女神から受けた依頼は、ようやくここからスタートだ。


 最中を食べて警戒心がゆっるゆるに緩んだ天使からヒアリングを行い、決して広くない室内の薄い資料を悲しいほどすぐ読み終えて、

 結果。

 女神や天使が、何らかの思惑で捏造や隠蔽でもしていない限り、という条件付ではあるが、確認が取れた。


 驚いたことに。

 この世界は、世暦零年――【異世界和親条約】が創造神たちの会議で締結され、異世界間交流が解禁して以後。

 一度して、外部からの転生希望者が訪れた試しが無かった。


 口に出しはしない。

 ただ、内心で推測する。

 この部屋の、異世界転生課としては惨憺たる有様も、或いはこれまで三百年弱の歴史が行き着いた、最適化なのかもしれない。


 切ない話ではあるが。

 それこそ、使われない器官が退化するように――まったく仕事の無い部署に、大部屋を与えておく必要などないのだから。

 

「――天使さん、」


 ただ。

 その事実が浮き彫りになったことで、逆に。

 田中の中には、疑問が生まれた。


「異世界からの転生希望が無かったのは把握しました。しかし、こちらの世界からの転生希望も無かったのはまた、何故でしょうか?」


 その一点が、腑に落ちない。

 異世界転生課内部で調べられた資料では、どうにもその辺りが曖昧だった。


 ここに至るまで。

 田中の働く異世界転生課に訪れた、女神の言葉からも。

 未だ彼は、その、【誰も転生してきてくれない異世界】がどういった場所なのかを分かりかねていた。


 気候は?

 風土は?

 文明は?

 一体どんな人がいて、

 どんな生物が過ごしていて、

 そこに住む者たちは、

 何を楽しみ、生きるのか。


「ああ。いないんだ、人は」


 その質問に。

 天使は、事もなげに答えた。


「、え?」

「我が女神の世界は、【他所から理想郷を求めて訪れる人々の為】に創造された場所が故にな。より広く、より多く、ありのまま自由に生きられる新天地には、【先住民】の存在は不要であるとお考えになられた。だからな、タナカ。慈悲深き我が女神は、自らの世界に――【悩みの種】を、お蒔きにはなられなかったのさ」


 心の底に、うずくもの。

 田中は自然と立ち上がっていた。

 狭い部屋。

 幕で閉ざされた向こう。


 それを彼は、

 今、

 一刻も早く、知りたい。


「お、往くか、タナカ」


 口端についた餡子を、指で拭い嘗め取りながら、天使が笑う。

 奮い立つ。


「喜ばしい。ようやく我が女神の世界が、正当に評価を受ける時が来た。なればこの自分が案内をせずどうするか。この世界に存在する唯一の知性体として、今こそ責務を果たさねばな」


 さぁさと伸ばされた手を取らない意味も田中には無い。異世界派遣調査員にとって、同じ異世界転生課の職員は公務を全うする上で大切な付き合いだ。好意的・積極的な協力を得られるのは実に有り難い。


「度肝を抜かすぞ、覚悟しろ。心をしかと持てよタナカ。事前に忠告しておくが――転生希望の書類なぞ、自分はろくに書いたこともないからな。自らの届けの受理を自ら手伝うことになっても、これも縁だと受け入れてくれ」


 自信満々の笑み。

 それが、どうしようもなく思い出せる。

 今の彼女と、あまりにも対照的に――

 ――『何がいけないのでしょうか』と、沈痛に語った女神の表情を。


「はい。行きましょう、天使さん」


 そうして。

 今こそ田中は、天使の先導の元、自らがしかと見定めるべき異世界の中へと踏み出す。


「百万の言葉や説明を並べても、到底伝わらぬ魅力というものがある。生で体感することの重要性というやつだな。我が女神の世界は、本当に――心地よく満たされた場所さ」

 

 微笑み。

 天使は、その扉を開けた。


「さて、タナカ。では、どこから回ってみたいかな? ちなみに自分のオススメは、」


 広がる光景。

 それを誇らしげに示し、


「タナカ?」


 問い振り返った彼女の後ろには、誰もいない。

 握っていた手の感触も。

 扉が、開かれると同時に失せていた。


「…………うむ?」


 首を傾げる天使。

 だが実際は、何の不思議もここにはない。ただ当然のことしかない。


 さもありなん。

【名無しの女神の異世界】は、清浄で、神聖で、高潔で、一切の穢れなく満ち足りていて。

 そうした状態を保つ為、隅から隅まで充満した、大気を構成する特殊な元素――エーテルは、通常の、一般の、他の世界の生命体が、およそ受容可能なものではない。


 その世界唯一の異世界転生課、あらゆる世界のあるゆる生物に対して中立な場所の扉が開かれ外の領域と繋がってしまった瞬間、真空に酸素が吸い込まれるが如く、エーテルが爆発的に流入した。


 こうして。

 彼にとっては有害大気の奔流に飲み込まれた田中は、悲鳴一つを上げる間もなく跡形もなく一瞬にして世界から消滅した。


「成程、そうか」


 残されて、一人。

 天使は合点が言ったとばかりに、いきいきと手を打った。


「読めたぞ! これはあれだ、君が先程やって来た時の意趣返しだな! かくれんぼというわけか、まったくなんともお茶目なやつめ! 気に入ったぞタナカ! 自分に気に入られるとは大したものだ! すぐに見つけ出して、骨の髄まで愛してやる!」


 言って。

 軍服眼帯の残念美女は、滑り込むように机の裏側を確かめた。



 

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