第97話 交渉
「アルフレートくん?」
「すみません、使いも出さずに突然お邪魔してしまって」
「いや、君ならいつでも大歓迎だよ。何なら、ここを自分の家だと思ってくれても構わない。私自身、君の事はルークと同じ、実の息子のように思っているからね。しかし、いったいどうしたというんだね?」
ブロックマイアー家別邸を訪ねた俺たちを迎えてくれたのは他ならぬ公爵自身だった。
俺の急な訪問にも、使用人さんたちが気をきかせてくれたらしい。
こうして顔パスで奥まで通してもらえるのが、公爵の言葉に偽りが無い証拠だ。
いったいどうしたのか?
公爵のその言葉には二つの意味があった。
一つは単純に急な来訪について。
もう一つは、俺が連れているイルメラについてだ。
正直、話が早くて助かる。
普段から懇意にしていて、なおかつ互いに信頼関係で結ばれていなければこうはいかない。
ざっくばらんに問う公爵の視線に少し怯えたのか、イルメラは人見知りをするように俺の腕にぴったりとしがみついてきた。
「そちらのお嬢さんは?」
「クラウゼヴィッツ公爵の長女、イルメラです。イルメラちゃん、こちらはブロックマイアー公爵だよ」
「あの西の堅物の娘さん、か。ようこそ、イルメラ嬢」
「お初に
人見知りしつつも、淑女の礼を忘れない。
立ち上がって優雅に一礼するイルメラの姿に、公爵はほうとため息を洩らした。
「さすがはクラウゼヴィッツ家の者、という事か。幼いながらも、立派に淑女だ。そこまで畏まる必要は無いと思うがね。しかし、アルフレートくんとは随分と仲が良いようだね?」
仲が良いと言われた瞬間、イルメラの頬がカアッと赤く染まった。
その姿を見る公爵の目に、一瞬だけ鋭いものが混じったのに気付く。
「仲が良く見えるなら、嬉しい限りです」
「私としては少々残念だけれどね。アルフレートくんにはうちのカティアをどうかと思っていたから」
「公爵様!」
「ハハハッ、冗談だよ。話を戻そうか」
冗談に聞こえない。
そう言い掛けて、フルフルと頭を振って浮かんだ言葉を打ち消した。
今は置いておこう。
「単刀直入に申し上げます。ルーカスが失踪しました」
「何だって!?」
温厚なブロックマイアー公爵が大きな声をあげるところを見たのはこれが初めてだった。
一瞬怖い顔をして、俺の横でイルメラがビクッと震えたのを見て公爵は表情を取り繕う。
「すまない、取り乱してしまった。その話、詳しく聞かせてくれないか?」
「はい」
公爵の言葉にしっかりと頷く。
半分はその為にここへ来たのだから。
「ルーカスがいなくなったのは今日の昼食の後の事です。学園中を捜しましたが、見つける事は出来ませんでした。魔力探知も試みましたが、ルーカスが魔力隠蔽能力に長けている事もあり、失敗しました」
「そうか……」
公爵の顔がさっと曇る。
「すみません」
「いや、君のせいじゃない。それよりも君はこの件をどう考えている?」
「事件性があるか、という事ですね。あくまでこれは個人の考えてですが、ルーカスは自分でいなくなったんじゃないかと考えています」
「郷愁か……」
前回ルーカスがこの家に帰って来た時は公爵はタイミング悪く不在だった。
だけど、俺が言うよりも先に即座にその言葉が出てくるという事は、使用人さんからの報告で聞いているのだろう。
「はい、その可能性が一番高いかと。公爵様もご存じの通り、学園の外部からの侵入者に対するセキュリティーはとても高水準です。それでも手がない訳ではありませんが誰かに浚われたのなら、ルーカスならきっと何か痕跡を残している筈です」
「あの子を過信する訳ではない。だが、君がそう言ってくれるなら、そうかもしれないと思える。……よく知らせてくれたね。お父君には後で正式に御礼をするつもりだ。後回しで悪いが、今は一刻を争う。すぐにでもあの子の捜索の為、派兵しよう」
「いいえ、今しばらくお待ち下さい」
すぐにでもすっ飛んでいきそうな公爵に制止をかけると、怪訝な顔をされた。
「俺が公爵様を訪ねたのは、単にお知らせしに走っただけではありません。ルーカスの居場所について、ここに住むものから聞き出しに参りました」
「なに? しかし、ルーカスが自分で学園を飛び出したのなら、その行方などこの家にいる者が知っている筈は無いのでは?」
「いいえ、恐らくルーカスの安否のみならずそのものならば居場所さえ手に取るようにわかっている筈です」
「君はいったい誰と会おうと言うのか? それであの子が見つかるというのなら、喜んで協力するが……」
とても信じきれないといった様子で公爵は俺に訊ねてくる。
俺自身、この間家に帰ってなければそんな方法は思い付きもしなかった事だろう。
「では、
「厩……。なるほど、確かに彼なら知っているかもしれない。また、彼が落ち着いている間はルークも無事というわけか」
「その通りです」
俺と公爵。
二人だけで納得していると、イルメラは頭の上に疑問符を浮かべていた。
*****
「こちらです」
連れてこられた厩は、さすが公爵家のものだけあって立派だった。
もともとブロックマイアー領は農耕牧畜が盛んな地域なので動物をことさら大事にする習慣がある事も、立派な厩の建立にひと役買っている。
「あの……やはり私はお邪魔なのではございませんか?」
「何を言っているの? イルメラちゃんの出番はこれからなんだから」
「ですがその……、厩番などに聞いてもルーカス様の居場所を知っているとは思えませんわ」
「ああ、用があるのは厩番じゃないよ」
「……? ではいったい……? 馬でも駆るおつもりですか?」
「いやー、イルメラちゃんはともかく俺は乗せてはもらえないだろうな。文句なしに速いんだけど」
苦笑いを浮かべる俺の横で、イルメラの疑問は止まらない。
この辺りで一度説明しておいた方がいいな。
あいつの事だから、怪我をさせるようなヘマはしないだろうが、それでも予備知識としてあいつの性質を知っていてもらった方がいい。
「イルメラちゃん、これから会う相手に俺は交渉を仕掛けようと思う。彼はかなりの高確率でルーカスの居場所を知っている筈だ。そこでイルメラちゃんの力を借りたい。ルーカスの居場所を俺たちに教えるか、迎えに行くように説得してほしいんだ」
「私が、ですか?」
「イルメラちゃんにしか頼めない。それで一つだけ注意点がある。交渉相手の性格についてなんだが……奴は空前絶後の女好きだ」
「え……?」
イルメラの表情が衝撃のあまり固まった。
ルビーのように赤い瞳が限界まで見開かれている。
「どうしようもない女好きでね。しかも、若い子が好きときた。だから本当はイルメラちゃんを会わせたくはないんだけど、これ以上に有効な交渉手段を思い付かなくて……イルメラちゃん?」
ハッとして説明の言葉を途中で切ったのは、イルメラが下を向いて黙りこんでしまったからだった。
「やっぱり嫌だよね、こんな人質にするみたいなやり方。ごめん、俺一人で行ってくる」
見ようによっては、イルメラはまず間違いなく食い付くだろう彼への供物、エサだ。
気位の高いイルメラでなくても、起こられてしまいそうだ。
さぞや気分を害する事だろう。
やっぱりイルメラに無理はさせられないと思い直した俺は、一人で説得に向かおうとした。
しかし、それを他ならぬイルメラが止める。
「待って! その……、私が行けばお役に立てるのかしら?」
「うん、そりゃあものすごく助かるよ。こんなに可愛いイルメラちゃんが頼んでくれれば、あいつもきっとグラッとくる筈だ。男ってのは可愛い子のお願いには弱い生き物だからね。でも、無理はしなくていいんだよ?」
「ふんっ、無理だなんて勝手に決め付けられては不愉快だわ。このイルメラ・クラウゼヴィッツに不可能な事があると思いますの?」
これは……。
気遣ったつもりが、余計なお世話だと言われる。
威張るように胸を張り、きっと本人的にはツンとおすましフェイスをしたつもりなのだろうが、頬が膨らんでしまっている。
「……もしかして引き受けてくれるの?」
「わ、私は貴方一人ではあまりに頼りないから、ルーカス様の為にお手伝いするのよ。貴方の為なんかじゃないんだからっ。よろしくって?」
「よろしいです……」
未だ頼んでしまっても良いだろうかと悩む俺を叱咤するが如く懸命に声をあげるイルメラに、俺は命じられるまま頷いた。
「殿方なら、しっかりなさい」
叱られて喜んでいる自分がいる。
自分でも変だと思うが、心の動きは止められない。
「うん。俺やっぱり、そういうイルメラちゃんの友達思いで勇敢なところ、すごく好きだな」
「なっ……ふ、ふ、不謹慎ですわ!」
「うん、でも好きだ」
「そういう、締まりの無いところを改めて欲しいと私は……!」
「うん、そういう照れ屋さんなところも好きだ」
「もうっ、知りませんわ!」
何を言っても好きだと連呼する俺に、真っ赤なイルメラはとうとう匙を投げ出した。
「じゃあイルメラちゃん、俺が呼ぶまで入ってきちゃダメだよ?」
「承知致しましたわ」
ほんの少し心細げな表情をするイルメラちゃんを厩の外に置いて、俺は奴の住み処へと突入する。
『ほう、青いのが一人で来るとは珍しいな』
せっかちな奴は、俺が一歩足を踏み入れると同時に話し掛けてきた。
そう、念話だ。
生き物の気配に敏感な奴は、すぐに何者かが入ってきた事、そしてそれが俺である事に気付いたようだ。
『その呼び方はやめろ。未熟者ってバカにされているみたいだ』
呼び掛けに呼応し、顔を顰めながら相手の姿が見える位置まで移動する。
顔を合わせずともこうして会話は出来るが、それではどうも落ち着かない。
交渉を控えているのだからなおさら、相手の様子を見て出方を伺う必要がある。
『みたいではなく、その通りだ、青いの』
ちょうど真正面に立った瞬間、奴はそれはもう偉そうに俺を見下しながら言った。
「そりゃあ、何百年も生きてるユニコーンに比べたら、俺たち人間なんて皆お子様だよね、オスカーおじいちゃん?」
『なっ……!? 我はユニコーンの寿命からすればまだ盛りの時期に差し掛かったばかりだ。
「あれ? じゃあ、やっぱりオスカーもお子様なんだ?」
『言葉が過ぎるぞ!』
嫌味には嫌味で返す。
短気なオスカーはこれだけで声を荒げた。
交渉事の前には出来るだけ相手の精神を掻き乱しておく。
オスカーの冷静な判断を妨げる為だ。
けれど嫌味はその布石に過ぎない。
「あー、ごめんごめん。伝説の幻獣様を俺なんかと一緒にしたらダメだよね。いや、でもその黒々とした毛並み、立派だなー。遠目に見ても、その辺りの馬とは大違いだって判るくらいだからね」
『フンッ、オスに褒められても嬉しくも何ともないぞ』
「駆ける姿もさぞや格好いいんだろうなー。背中に乗せてもらったらどんな景色が見えるんだろう?」
『我は乙女しか乗せぬ主義だ』
「いいな~、俺も女の子に生まれれば良かったかな?」
落とした後に爆上げする。
それが俺の作戦だ。
いったん貶しておいて、あとは思い付く限り褒めちぎる。
振れ幅がデカい方が効果的に決まっているだろう?
当のオスカーも、口ではああ言っておきながらも満更ではなさそうで、前足の蹄で何度か地面を引っ掻くような仕草をする。
分かりやすい奴め。
それでも一応名誉の為に言っておくと、俺の褒め言葉は、全て俺の本心から出た言葉だ。
生憎と馬の専門家ではないが、そんじょそこらの馬では敵わない立派な体躯や、艶感たっぷりの毛並みは見ればわかる。
さっきの言葉で完全なる嘘があるとすれば、「女の子に生まれれば良かった」の一つだけだ。
男じゃなきゃ、イルメラをお嫁さんにもらえないからな。
「でも、一人だけ例外の人物がいるんじゃないの?」
『やはりそれが真の目的か』
遠回しに切り出して探るような視線を向けた俺に、オスカーはさっきまでの様子が嘘みたいに一瞬で真顔に戻った。
「やっぱりそう簡単には騙されてはくれないよね。ルーカスはどこにいる?」
『知らぬな』
「知らないわけないよな? 契約獣ならわかる筈だ」
『知っていても、何故そなたに教えねばならぬ? 我は乙女の願いしか聞かぬ』
バレていたのなら回りくどいのは無しだと、今度はストレートに訊ねるも、やはり黒のユニコーンは頑迷だった。
主義主張が一貫していて判り易い反面、酷く頑なで意思を翻させる事が難しい。
こいつがここで悠長に振る舞っているという事は、ルーカスは無事なんだろうが……。
ダメだ、常に女の子のことでいっぱいの常春頭のお馬さんの考えに任せるのは危険過ぎる。
「女の子の願いなら何でも聞くんだな?」
『当たり前だろう。我に不可能などない』
仕方ない、か。
『イルメラちゃん、やっぱり君の助けが必要みたいだ』
心で念じると、外で風の吹く気配がした。
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