第91話 空気を読まない王子




「……このように初対面の場合、身分が下の者から身分が上の方に声を掛けるのは失礼にあたります」


「はぁ……」

「どうしたのかね、アルトくん?」


 滑り込みで間に合い、ルーカスたちが取っておいてくれた席に座った俺は、講師の先生の話を聞きながらため息をついた。


 俺自身はまだ爵位を持たないが、こういう場合は通例として生家の位に準じて判断する。


 ハイデルベルクは伯爵家、対する我が家は侯爵家。

しかも相手は大発見とはいえ、研究者の家系にもかかわらず数代前の当主以来、目立った研究成果は挙げていない。


 どう考えても、ナターリエさんより俺の方が上なわけで。

彼女から話し掛けていたさっきのやりとりは、そもそも入り口からして道を誤っている。


 夜会などのマナーでは異性同士の場合、原則男性から話し掛けるという暗黙の了解もあるが、この観点から言ってもナターリエさんは間違っている。


 そんな基本中の基本のマナーは学園入学前には俺は身につけていたし、ナターリエさんとてそのくらいは知っている筈だ。

貴族家系なら、各家庭でそのくらい教え込まれていてもおかしくない。


 それでも所詮は子供のやる事だから間違いもあるし、つい興奮して話し掛けてしまっただとか、教育の現場においてそれを言っていては始まらないだとか、色んな考えがあって多少のマナー違反には目を瞑ろうと思っていた。

だけど、イルメラを貶された事に我慢出来ず、ついやらかしてしまった。


「何かあった?」

「様子がおかしいのではないのか? ため息ばかりついてまるで不審者ではないか」

「ちょっとね……」


 事情を知らないディーとバルトロメウスにルーカスは曖昧にお茶を濁す。

ルーカスとて最後まで見ていたわけではないが、俺の様子から察してくれているのだろう。


 何故、学年が違う筈のディーやバルトロメウスがいるのか。

それはこの講義が特別だからだ。

このマナー講座のみ、教わった事を実践形式で身につけるべく、男女別の学年縦割りで行われるのだ。

先生一人では目の行き届かないところを上級生が下級生の面倒を見る事でカバーする狙いがある。


 俺がナターリエさんにあんな事を言ったから、あっちでイルメラと揉めたりしてないといいんだけどな。


 結局その日一日中、俺はグルグルと悩み、そんな悩みや不安は見事に現実となって俺たちを襲いかかってくる事になる。



「ごきげんよう、アルフレート様」

「おはようございます。ナターリエさん」

「私の事はどうか、ターニャとお呼び下さいませ」

「いえ、ご遠慮致します、ナターリエさん」

「でしたら、私がアルト様とお呼しても宜しいでしょうか?」

「その愛称は親しい者にだけと決めておりますので」

「あら……。残念ですわ……。でも、ふふふっ。ターニャと呼ばれ、アルト様とお呼びする日がいずれ訪れると思うと、楽しみですわ」


 そんな日は永遠に来ないと言ってやりたくなるのを俺は何とか堪えた。


 衝撃の出会いを果たしてから、ナターリエさんは毎日俺の元に足繁く通ってきている。

最初は俺の側からは興味・関心が無いというだけの認識だった彼女は、イルメラに対する暴言も件もあり、嫌い・ウザイという認識に変わりつつあった。


 それでも紳士の卵として、あまり滅多な事も出来ず、良識の範囲内の受け答えに留めていた。


 実のところ、極論でいえばナターリエさんを追い払うのが面倒だとか鬱陶しいだとか、そんな事は別にどうだっていい。

それよりも問題なのは、彼女が現れると目に見えてイルメラの機嫌が悪くなる事だ。


 今のところは俺に対して何かを言ってくるわけではないが、ドアの開閉だとか、物の置き方だとか、ちょっとした日常の動作が荒い。

普段は令嬢らしくしっとりふんわり、大きな物音を立てずに器用に動き回り、それこそ淑女然としているのに、ナターリエさんがいる時に限ってイルメラは必要以上に大きな足音を響かせながら、のっしのっしと廊下を闊歩する。

行き場の無い鬱憤を、物に当たる事で晴らしているのだろう。


 それを見たレオンが『大怪獣イルメラー』だとか悪気は一切無く揶揄するものだから、思わず噴き出してしまい、暫くイルメラに口をきいてもらえなくなるという事件もあった。


 これについて一つだけ弁解させてもらえるなら、俺だって一応は込み上げる笑いを堪えようとはした。

だけど、もともと何の身構えも心構えも出来ていなかったところにレオンがおかしな事を言いながら、大怪獣イルメラーの真似と称して床を踏み鳴らすものだから、抑えようにも抑えきれなかったのだ。


 悪乗りをしたバルトロメウスが演出と音響面で全面的にバックアップをしたのもいけなかった。

こういう時ばかり、彼はいい仕事をするのだ。


 魔法で町並みの幻をレオンの足元に出現させ、レオンの足踏みをするタイミングに会わせて変化を加え、効果音までも打ち鳴らす。

無駄に高等技術を駆使している。

彼が加わる事でレオンの一人お遊戯会は一気にグレードアップをして、特撮映画の現場のような様相を呈していた。


 悪いのは俺ではない、レオンとバルトロメウスだ。

笑ったのがまずかったというのなら、ディーだってよく見ていなければ判らない程度に笑っていたというのに、俺だけ咎められたのには納得がいかない。


 好きな子に無視されるというのは、なかなかに心を抉る事件だった。



 そんな事があって、俺としてもなるべくナターリエさんとの接触は避けたいところだった。

しかし、現実はそう上手くはいかない。


「アルフレート様! 私、アルフレート様の為にお昼をお持ち致しましたの」


 昼食の為にと寮へ戻った俺をナターリエさんが待ち構えていた。

チラッと彼女の手元に目を遣れば、バスケットのような編みカゴが握られている。

これまでは只々、俺を実家に誘ってくるだけだったのだが、作戦を変えてきたらしい。


 いっこうに頷こうとしない俺に焦れたか、或いは次の段階に踏み込んだと判断したのか。


「そうですか、ありがとうございます。ですが、お気持ちだけで……」


 いずれにせよ、俺には彼女の家にお呼ばれするつもりはない。

行ったが最後、既成事実だの何だのと俺自身は無理やり丸め込まれてしまうのは容易に想像がつく。

あの父上がいるから、それでも最悪の事態すなわちナターリエさんとの結婚は避けようと思えば避けられそうな気がするけれど。


 客観的に見て、自分がいわゆる優良物件と呼ばれる人間だという事は理解している。


 父上は侯爵にして現宰相、母上は魔法師団の元副長。

俺個人だって、次期国王であるレオンハルト王子の覚えもめでたく、北の公爵とは家族ぐるみの付き合いで、東西の公爵にもある程度顔がきく。

おまけに先立ってのゲルダとの決闘騒ぎで、魔法の腕前の噂も広まりつつある。


 これらは自惚れでも何でもなく、紛れもない事実だ。



「あちらの木陰でどうでしょうか?」

「いえ、折角ですがお気持ちだけで結構……」

「アルト! 食べ物を粗末にしてはいけないのだぞ!」


 今度も俺は丁重に断ろうとした。

食べ物に恨みは無いが、背中にビンビンに感じる視線を思うと、後が怖い。

それなのにここでもレオンが口を挟み、話をややこしくしてしまう。


「まあ! 宜しければ殿下もご一緒なさいませんか? 作り過ぎてしまいましたの」

「うむ、苦しゅうないぞ」

「苦しゅうない、じゃない! レオンはもう少し後先の事を考えろ! そして空気を読め」

「何の事か解らぬが、余は空腹である! この者が持っておるカゴの中身を余は所望する!」


 ここぞとばかりにナターリエさんはレオンの発言に食いつく。

断ろうとした俺の雰囲気を察してくれという願いは食欲に取り憑かれたレオンには届かない。


「寮は目と鼻の先だろう!」

「寮の昼食はこの先幾らでも食せるではないか。しかし、この者が持っておる食事はこれを逃せばもう二度と口に出来ぬかもしれぬのだぞ?」


 レオンの興味はあくまでナターリエさん自身ではなく、彼女の持つカゴの中身(推定ランチ)だった。

食べる機会を逃すまじと、利かん坊は必死に食ってかかる。

その主張がまた妙に筋が通っているのがまた厄介だった。


 だが、俺とてレオンの我儘に付き合わされてばかりではいけないと思っている。


「だけど、ゲオルグさんがいない今、そんな迂闊な事をして大丈夫なのか?」

「うっ……。しかし、あやつが特別に調合したアレを持っておるぞ」

「いつもソレを飲むのを嫌がって暴れているのはどこの誰だ?」


 俺とレオンがアレだのソレだの言っているのは、解毒薬の事である。

毒見をする者がいない今、レオンは毎食解毒薬を服用する事になっている。


 大抵の毒はバルトロメウスにも見抜けるが、さすがの天才も年上の知識と経験によって培われた精度には劣る為、万一の場合に備えて入学前に言い含められていた。


 だが、レオンはいつもそれを極端に嫌っていた。

薬が苦いらしい。

しかもそんな苦いお薬をゲオルグさんは嫌がらせのように粉で処方しているのだ。


 ただの嫌がらせではなくて、消化の関係だとか専門的な理由がいくつか入っているのだろうが、そんなものはレオン本人や俺には預かり知らぬところである。


 入学初日の時点で、レオンは解毒薬の服用をしらばっくれようとしていたが、事前にゲオルグさんから聞かされていた俺が無理やりお薬を口に流し込んだ。

それ以来、食事の際には毎回俺とレオンの攻防戦が繰り広げられている。


 そこを逆手に取ってやろうと考えた俺は、薬が嫌なら寮の食事で我慢するようにと条件を示す。

まあ、もちろんどちらにしても薬は飲んでもらわねばならないのだけれど。

小ずるい俺はそれを告げずに黙っている。


「飲めば良いのだな? 男に二言は無いのだぞ?」


 予想に反して、レオンはあっさりと薬を飲むと言ってきた。

食い意地が薬嫌いを上回ってしまったらしい。

男に二言は無いと言われれば、思わず黙りこんでしまう。


「では、決まりですわね。他の皆様も是非どうぞ」


 にっこりと満面の笑みを浮かべたナターリエさんは一瞬俺から視線を外して、俺の後方を見遣る。


 おそらくイルメラに対して牽制をしたのだろう。

背後でハッと息を呑む気配がした。



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