第68話 約束とローズティー
ついに待ちに待った紅の日がやってきた。
一日千秋とはよく言うけれど、ほんの数日だというのに本当に首を長くして待っていた自覚がある。
「おはよう!」
「ごきげんよう、ですわ」
カーヤさんにイルメラの到着を教えてもらった俺は、走っているとは言えないギリギリの速度で廊下を移動し、玄関ホールへと足を運んだ。
気分と一緒に弾む声はそのままに、にこりと微笑めば彼女もいつも通りのつんとした挨拶を返してくれる。
あれから両家で色々と話を詰めた結果、当初お昼過ぎに訪問予定だったイルメラは予定を大幅に変更して、午前中から家でもてなす事になった。
これはイルメラ本人が願い出たのでは無く、俺の方が頼み込んだ結果だ。
イルメラに話を持ちかけられたその日に母上に話を通すと、母上も一緒になって喜び、彼女の訪問を快諾してくれた。
父上には母上の方から話を通してくれて、何も問題ないという事で計画は決行された。
「今日のその格好はどうしたの?」
「フフン。動き易さを優先したのですわ。ドレスでは馬には乗れませんもの」
そう言って得意げに胸を反らしながら、モデルのようにくるりと回って衣装を見せつけてくる今日のイルメラは、いつものドレススタイルとは違い、凛々しさを感じさせる。
足下はぴたりと下肢に添う細身のキュロットの上からチャップスというブーツを履き、上衣はフリル付きの白シャツに黒の燕尾服を着ていた。
手には黒いグローブを着用している。
いわゆる乗馬スタイルだ。
豊かな長い髪は動きの邪魔にならないように結い上げられていた。
帽子を被っていないのは屋内だからだろう。
「今日も可愛いね。それにそのブローチ、付けてくれたんだ」
「べっ、別に貴方の為ではありませんわ」
これが仕上げとでも言うように、胸元に飾られている俺の贈った青薔薇のブローチを見つけて頬を弛緩させながら指差すと、イルメラはぶわっと顔を赤くしてパッとブローチを手で覆う。
何でもないと言いながら俺の目から隠すその仕草は、気に入って付けていると語っているようなものなのに、本人は気付かない。
あまりその点を弄り倒しては可哀想なのでそれ以上突っ込む事はしなかったが、当然のように内心で激しく萌えていた。
乗馬服というレアな装いを見る事が出来たのも、萌えポイントが高い。
「とりあえず邸の中を案内して回るね」
「珍しい動物は?」
「ふふっ。それは一通り見て回って、昼食をいただいてからだよ」
「わかりましたわ……」
そのままフリューゲルのところに直行しかねない雰囲気のイルメラに、自然と笑みが零れる。
ただの口実かと思っていた珍しい動物が気になるというのも、まんざら嘘ではなかったらしい。
そんなイルメラはお預けを食らった事が若干不満らしく、一応理解はしたけれど納得はしていないとでも言うようにむくれていた。
こんなところは年齢相応に子供らしくて、やっぱり可愛いなと思う。
もっとも、イルメラが何をしても俺には可愛らしく見えてしまうのかもしれないけれど。
「イルメラちゃんは、乗馬するつもりなの?」
「もちろんですわ。ここにいるという珍しい生き物とは馬型の動物なのでしょう?」
双方の付き人を背後に携え、玄関ホールに、俺の部屋、書庫、客室、ビリヤード台やチェスセットの置かれたゲームルームなどを案内しながらも、話題の中心はやはりフリューゲルの事だった。
イルメラが現在住んでいる邸も別邸とはいえ、似たような部屋を見慣れているので今更大きな衝撃を受けるという事も無く、
ルーカスにでも聞いたのか、馬に似た姿形なのでしょうと確認するように問われる。
「馬に翼が生えた感じかな。ペガサスって言って、一応建国時代の伝承にも出てくる幻獣だよ」
「その幻獣と動物とはどう違うの?」
「保有する魔力量が普通の動物とは桁違いな事。それから一番の違いは念話による相互の意志疎通、つまり会話が出来るって点かな」
「まあ……」
人間と意志疎通が出来る獣と聞いて、イルメラは目を丸くした。
ちなみに魔物は動物に比べて魔力は多いけれど、殆どのものは知能がそれほど高くない為、念話による対話は出来ない。
知能が高く、念話が可能な魔物というと軒並みゲームでいう中ボスクラスの強敵になる。
では幻獣と魔物の線引きはどこかというと、凶暴性・攻撃性が高いか否かだった。
これら諸々の情報の多くは幻獣の代表格・ペガサスであるフリューゲル本人……いや、本馬から聞き出したものだ。
人間の記録にはどうも誤りや欠損が多いので、せっかく当事者が存命なのだからと直接確認したのだ。
最近の出来事は長らく隠遁生活を送っていた為にあまり知らないようだが、さすが長生きの生き物だけあって昔の事に関しては物知りだった。
だけどその際についうっかり心の声が念話で洩れて生き字引な年寄り扱いをし、機嫌を損ねてしまったのは失敗だった。
「でもせっかくだけど、乗るのはお預けかな」
「どうして?」
「俺たちの体格だと危ないからね」
フリューゲルはそう気性も荒くは無いので子供を、それも俺の知人をいきなり振り落としたりはしないだろうが、それでも体格的に安定しないのだ。
まず、背に乗るだけで一苦労だ。
次に乗ったら乗ったで、手足の短い子供体型では
かと言って誰か誰か大人の人と一緒にというのは、今度は俺の方が納得いかなかった。
一応、これでも俺がフリューゲルの契約者なのだ。
無関係の他人に一番乗りを譲りたくないという気持ちはある。
前契約者のアダルブレヒトさんはノーカウントだとしても、それ以降はやはり譲れない。
イルメラの願いを叶えてやりたいという気持ちも確かにあり、苦渋の決断だった。
「そう……。残念ですわ」
「俺が上手に乗りこなせるようになったら、一番にイルメラちゃんを乗せるって約束するよ」
「本当?」
残念だと肩を落とすイルメラに思いつきで、それでも本気で代案の約束を提案をすると、彼女はパッと顔を明るくして赤みがかった大きな瞳で俺を見つめてくる。
「手を出してくれる?」
「こうかしら?」
誓いを何か目に見える形にしたくて、ふと思い至った俺は足を止め、イルメラがグローブを外して胸の前に差し出したほっそりと華奢な右手小指に、自分のそれを絡ませる。
「なっ、何を!?」
「これはね、指切りと言って、絶対に破っちゃいけない約束をする時の誓いの儀式なんだよ」
突然俺に触れられて驚いたイルメラをなだめるように説明をすると、彼女は視線を何度も動かして結ばれた小指と俺の顔を見比べた。
「指切りげんまん。嘘ついたら針千本飲~ます!」
まじないを歌うように唱えて、軽く腕を振り絡んだ小指を解く。
「これで約束完了だよ。俺が破る事は絶対に無いと思うけど、イルメラちゃんも約束守ってね」
「何だか魔法みたいですわね……」
さらに念押しをする俺の言葉にもうわの空のイルメラは、しばらく自分の小指をぼんやりと見つめる。
口紅を塗っていないのに真っ赤な唇から零れた感想は、言い得て妙だと思った。
「ここが俺のお気に入りの場所」
建物の中の案内は案外あっさりと終わり、ついでだからと俺がイルメラを連れてきたのは
女の子なら人工的な建物より、花や草木のような自然物の方が好きだろうと考え、庭に出たのだ。
「わ~!」
実際、俺の睨み通りイルメラは植物に心を奪われている。
俺の隣を離れ、タタタッと花に駆け寄っていく姿は気取った紳士のような格好をしていても女の子だなと感じた。
赤い花弁の華やかな花にそっと伸ばされた指先にも、女性らしい気遣いと繊細さが窺える。
「この花のお名前は?」
「ごめん、俺もよく知らないんだ」
生憎と俺の方は花に関しては全くの無知で、せっかく聞いてくれたのに答えられず、後悔が胸を貫く。
母上か庭師さんに聞いておけば良かった。
だけど今答えられないのは悪い事ばかりでは無い。
「次にイルメラちゃんが来てくれる時までに、調べておくね」
思い直して、次に繋げる言葉を俺は紡ぐ。
これはチャンスなのだと自分の心に念じながら。
「絶対よ?」
くるりとこちらを振り返りながらイルメラは俺の誘いに乗ってくれた。
小首を傾げて可愛らしく頼まれて、いったい誰が断れるだろうか?
それが好きな子からのお願いなら、なおさらだ。
また一つ、イルメラとの約束が増えた事に俺は胸を躍らせた。
「いつもはこの場所で何をしているの?」
「気になる?」
昼食までの時間を談笑をして過ごす事にした俺たちは、鮮やかなコーラルカラーの紅茶が注がれたカップを傾けていた。
ティーカップの中身はローズティーだ。
イルメラが
ローズティーは単に香りが良いだけでなく、女性のホルモンバランスを整える効果がある為、美容にも良いと聞いた事がある。
水色も赤色が好きなイルメラの好みに合ったものだ。
わざとじれったい程にゆっくりとカップをソーサーに戻しながら、問いに対して問いで返してみる。
水面に浮かぶ薔薇の花びらが静かに揺れた。
イルメラが俺自身の事について訊ねてくるなんて珍しい。
胸の内でふわりと広がった甘やかなものは、きっと紅茶の香りだけでは無いだろう。
「きっ、気になんてしていませんわ。ただ……そう、ただ成り行きでついでに訊ねてみようと思っただけで……!」
「ごめん、この返し方は少し意地悪だったね。うーん、そうだなぁ……。大抵は今みたいに紅茶を飲みながら、本を読んでいるよ」
「本を?」
「うん。建国記とか、魔法の本とか。面白いんだよ?」
「難しそうな本ばかりなのね」
「おとぎ話とか、物語として面白い本もあるよ。イルメラちゃんも読んでみたらどうかな?」
我が家の蔵書のラインナップには『空飛ぶポケット』だとか、『夫の浮気の見破り方』だとか謎なものも多いけれど、パッと見で数千冊はあろうかという点数を誇るだけあって、色んな系統の書物がある。
その中には絵本や、いわゆる小説の類い含まれていた。
イルメラに勧めるとなると、飼い犬と少女の日常を描いた『カーフィと私』や歌えなくなった小鳥が声を取り戻すまでを描いた名作『その歌声をもう一度』あたりだろうか?
「考えてみますわ」
「うん、読みたくなったらいつでも相談してね」
幾つかのタイトルを頭の中でリストアップしていく俺に、イルメラは慎重な返事をした。
いつか一緒にここで本を読めたらいいな、なんて思うのは贅沢な願いだろうか?
こうしてお昼前の僅かなひと時は和やかに、けれどあっという間に過ぎていった。
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