第47話 アイゼンフート家の者達
「なんだ、また来たの?」
中庭の東屋で紅茶を飲みながら読んでいた本の上に急に影が落ちた。
「親分!」
「ちぇっ、驚かせようと思ったのに」
「どうやって気づいたのですか?」
顔を上げずに話し掛けた俺に、三人は揃って飛び上がった。
反応が悪事を働いているところを見つかった子供そっくりだ。
俺にドッキリを仕掛けようとして、逆にびっくりさせられてしまったらしい。
「影が見えたから。あとはほんのちょっとだけど魔力の気配がした」
「頭いいな、オイ。こんなにちびっこいのに魔力の気配だとよ。か~、さすが貴族の坊ちゃんは違うぜ」
「ゴーロ、お前と違ってな」
「なんだとぉ~!」
「いてっ! ひでえよ、ゴーロ!」
「魔力の気配ですか……」
ゴーロとツァハリスが掴み合いを繰り広げる中、キーファはどこか懐かしむような口調で俺の言葉を繰り返す。
そんな彼の瞳は眼鏡のレンズの向こうで細められていた。
「でもそれだけじゃ、俺達だっていう確証は無いだ、ろ?」
「イデデデデデデッ!」
「そりゃあ、これだけ毎日のように来ていればね……」
ツァハリスを締め上げながら俺に言って寄越すゴーロに俺はようやく本から顔を上げ、椅子の背もたれに身体を預けてさもありなんと呟いた。
そう、ゴロツキ三人衆はここのところ頻繁に俺のもとを訪れていた。
そりゃあもう、うんざりするくらいに。
鴉の一件以来、暫く姿を見せていなかったというか、もう二度と来ないだろうとさえ思っていた彼らだが、またちょくちょく顔を出すようになったのだ。
再会の現場がまたもカーヤさんに捕まりそうになっていただなんて、彼らもなんというか懲りないなと思う。
今では一週間に渡る俺の必死な説得と、カーヤさんとのある取引によって彼らは俺の客人という事で通してもらっているが、侯爵家にごろつきが頻繁に出入りしていると噂になれば、あまり外聞が良いものでは無い。
せめて身綺麗にしろと俺は何度も言うのだが、三人ともお金が無いの一点張りだった。
お金か……。
実のところ、お金は俺も持っていない。
それどころか俺の記憶する限りでは、こちらの世界で生まれてからまだ一度も持たせてもらった事が無かった。
その理由は単純明快、必要無いからだ。
何か欲しいものが出来ても、使用人さんの誰かか母上に頼めばだいたい次の日にはそれが手配されている。
自分で買いに行く機会など皆無だ。
「あれ? 俺ってもしかして結構な箱入り息子?」
「当たり前だろう! お前をそう呼ばずして誰をそう呼ぶ?」
背中に冷たいものを感じながら尋ねると、気性の荒いゴーロが苛立たしげに肯定した。
地面を踏み鳴らす音がやけに大きい。
これは少しまずい傾向かもしれない。
ずっとイルメラやルル、ゲームで攻略対象だった子たち、魔法に意識を向けてきたが、そちらに集中するあまり人として基本的な部分を疎かにしてしまっていたのか、俺は。
温室でぬくぬくと育った結果、将来一人で何も出来ませんでは困る。
ある分野に特別秀でた人間の生活力が著しく欠如しているというのはよくある話だが、俺はそんな人間にはなりたくない。
自分で自由に出来るお金が無い事、己の未熟さ、それでもこのごろつき達をとりあえず見た目だけでもまともにしなければならないという現状。
それらに頭を悩ませている俺の横にどっかりと腰を下ろしたゴーロの目が妖しく光った。
「何ならそのティーカップ一つでも俺に貸してくれりゃあ、倍にして返すぜ?」
「賭け事禁止! それ、これから大負けする人の台詞だから」
「じゃあ、売り払うのは? 多分、上等の酒が三本は買えるぜ」
「だから、お酒を基準に金勘定するな!」
やはり類は友を呼ぶらしい。
ゴーロがあれなら、お調子者のツァハリスもロクでも無い事しか言わなかった。
酒代を出すつもりは無い。
今、彼らにお金を渡したらどうなるかなんて火を見るより明らかだ。
やっぱり一番いいのはちゃんと職を見つけてもらう事だな。
「この家で雇ってもらう、とか?」
最後のキーファの意見が三人の中では一番まともに思えた。
職を見つけてもらうという俺の希望にも添う形ではある。
だけど、雇うとなると今の俺にはその決定権は無かった。
俺個人は何の資産も持たない。
だから彼らを雇うと言ったところで、養っていけないのだ。
ここで親頼みというのはやり方として誤っている。
人に働けというのだ。
俺自身が何とかしなくてどうする?
「ま、そりゃー無理だろうよ」
「そう上手くはいかねーよな」
「なかなか難しいですね」
黙りこくった俺を三人は励ますように言った。
こいつらのこういうところを見ていると、根から悪い人間ではなさそうだと思えてくる。
少なくとも相手を思いやるという人間らしい優しさは持っているようだ。
「それで、三人はどうして毎日俺のところに来るの?」
「そりゃあ、親分だからよ」
「子分だからよ」
「暇だからです」
話題をすり替えてみたところで、頭を悩ませる事になるのは変わりなかった。
キーファの最後のは本気で言っているのか、親分、子分の流れに乗れなくて適当に言ったのかいまいち判らない。
光の加減でちょうどレンズが全反射状態だ。
くそ、眼鏡め。
「あのね、俺のところに来ても暇つぶしにはならないと思うよ? 手品師やピエロじゃないんだから」
言われた以上は、一応釘を刺しておく。
そういうのは俺じゃなく、あの子の方が得意だ。
「じゃあ何か変わった事は?」
キーファはどうしても俺で暇つぶしをしたいらしい。
テーブルの上で頬杖を付いた彼は、さあ話せと言わんばかりだ。
変わった事と聞かれて真っ先に思い浮かべたのもあの子の事だった。
手品やピエロなんて考えていたからだろう。
「実は明日、東領に行く事になった」
「東っていえば、アイゼンフート様の領地だっけか?」
「なんでまた?」
苦い胸の内を隠しながら告げると、真っ先に反応したのはツァハリスだった。
それに続くのはゴーロだ。
変わった話を俺に直接要求したキーファはテーブルに肘を突いたまま、黙り込んでいる。
東領と聞いてツァハリスがすぐにアイゼンフートの名前を出すのは、それが常識だからだ。
北のブロックマイアー、西のクラウゼヴィッツ、東のアイゼンフート、南のドッペルバウアー、中央のシックザール、そして王家・アイヒベルガー。
国民ならば、子供でもこのくらいは知っている。
俺がアイゼンフート領を訪問するのは無論、バルトロメウスに会う為だ。
半ば一方的に紹介の約束をゲオルグさんに取り付けた俺だったが、なかなか日取りが決まらなかった。
アイゼンフート公爵かご母堂辺りに反対されたのかとそれとなく聞いてみると、ゲオルグさんは否定した。
どうやらご両親ではなく、当のバルトロメウスが難色を示したらしい。
兄のゲオルグさんは俺を気遣ってか、弟は研究に邁進しているからなかなか時間が取れないのだと言った。
子供の癖に研究って何だよ?
「腹立つな、あの眼鏡」
「眼鏡?」
思わず声に出して悪態をつくと、目の前の金縁眼鏡が揺れた。
「あ、ごめん。キーファの事じゃないよ」
他にそれらしき人間がこの場にいないのだ、面と向かった状況で言われれば自分の事だと考えてもおかしくない。
そう思って謝れば、気にするなとキーファは手を振った。
本来であればこちらから彼を避けているところだった。
偽りの白の件がなければ、誰が好き好んであの一目で判る変人に近付くものか。
その勇気を持って差し出したもとい、突っ込んだ手を向こうから拒絶されるだなんて思ってもみなかった。
子供なら研究なんかよりもっと他にする事があるだろう。
友達を作るとか、友達と遊ぶとか。
それを研究の方を優先だなんて、子供のする事じゃない。
いや、俺だって転生者という事で、同じ年齢の子供からはだいぶ逸脱した言動をしている自覚はあるけれど。
ともかく、そんな理由でやっと日取りが決まったのがつい先日である。
どれだけバルトロメウスは俺を避けまくってくれたのやら。
「実は茶葉の収穫作業に興味があって、それで母上にお願いしたんだ。東領の山岳地帯は我が国一番の生産量と品質を誇るからね」
名目はこんなところが妥当だろうか。
九割九分の確率で変人と人様から認定される彼との面会を取り付けるのに必死な事を知られたくない。
本当の目的を言わなかったのはただそれだけの理由だった。
「農業……渋いな」
「じいさんみたいッスね。子供は黙ってミルクだろう!」
「そんなに面白いものですかね?」
「ピチピチの四歳児を掴まえて何を言うか!」
年寄り呼ばわりされて憤慨する俺に続いて、ゲラゲラと大人三人が笑い声を立てる。
子供はミルクといえば前にレオンがひと口だけ飲んだ時、露骨に嫌そうな顔をしていたっけ。
お喋りなレオンが言葉を発するのすら忘れて、唇を真一文字に結んでいた姿は新鮮だった。
その時と同じブレンドの紅茶が今、ここにある。
冷めても渋みが出にくくて、俺は美味しい紅茶だと思うんだけどな。
「これで親分とは暫くお別れッスね」
四人で笑い声をさんざめかせているとすぐに夕刻になり、大きな友人もとい子分たちが暇乞いを告げる。
ゴーロとキーファが軽く手を振るのみだった中、いつもは賑やかし担当の筈のツァハリスが妙に湿っぽかった。
肩を落とし、大きな身体を精一杯縮こまらせている。
そんなツァハリスを元・親分のゴーロは気まずそうに小突き、キーファは目を伏せて何か考えているようだ。
俺が出掛けにくくなるとか、そんな事を彼らなりに気にしてくれているのだろう。
若干一名マイペースだし、大男が小さくなっても全く可愛くないけどな。
それを口にした瞬間を想像して顔がニヤつくのを抑えながら三人の様子を十分に観察し、俺は口を開いた。
「おいおい、勝手に人の死亡フラグを立てるなよ。二日程で帰って来れるんじゃないかな」
「二日!? 東領の茶葉栽培で有名な山岳地帯って言えば確か、東のアクロイドとの国境沿いだろ? 俊馬を走らせても二週間はかかるんじゃなかったか?」
「いてっ!」
そういえば言ってなかったとわざとさらっと告げると、ゴーロが声を裏返しながら捲くし立てる。
ツァハリスは急に顔を上げたせいで、ゴーロの拳に強かに頭をぶつけた。
「転位魔法ですか?」
「うん、母上がね」
一人だけ訳知り顔で聞いてきたのはキーファだ。
そこそこ良い家柄の出身で物知りというのは本当らしい。
転位魔法なんてこの国でも普通の人間ならまず目にする事はない。
そもそも光系統に属する転位魔法は使い手が少ない上、歩いて数秒の距離の場所へ転位するのでさえ魔力消費量が尋常じゃないので、一般的に実用するには不向きなのだ。
ゴーロとツァハリスが可能性を除外して考えているのはごく自然と言える。
「なんつー、非常識な……」
「その親にしてこの子あり、ですね」
「俺は俺の知らない世界を今、垣間見た気がするぜ」
だいぶ失礼な事を言いながらも、結果的には笑顔で帰っていった三人の背中に俺は心の中で感謝を述べた。
翌日。
「遅いぞ。約束の時間より、302秒しか早くないではないか!」
アイゼンフート家本邸にてようやく対面を果たしたバルトロメウス少年は、揃えた右手人差し指と中指で鼻筋をなぞるようにして眼鏡を押し上げ、身体からゆらりと烈火の炎を出現させながら、久々に会った実の兄、そしてと俺へ向けて開口一番に苦情を申し立てた。
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