第21話 初めてのお料理




「手伝ってほしい事があるんだ」


 コック長にそう言った俺はまず、豆の状態を確認する事にした。


「びしょびしょの豆は何処にあるの?」

「それならこちらに」


 案内してくれるコック長は太めな身体からは想像出来ない程キビキビした動きだった。


 さすが、と思う。

ここ、厨房は彼の支配領域だ。

もしかしたら、純粋に食べるのが好きで料理を始めたのかもしれない。


「んー、ちょうどいいくらいかな?」


 タライのような深さのある、大きめの容器に入ったひよこ豆は充分に水を吸ってパンパンに膨れ上がっていた。

一つ摘まみ上げてみると、丸々太ったひよこの顔に見える。


 何時間も水に浸かったまま放置されないとこうはならない。

慌てて引き上げたりしなかったのかな?

いったいどういう経緯で、この状況が生み出されたのだろう?


 何となくだけれど、ドジッ子疑惑の例の新人さんが深く関わっていそうな気がする。


「この豆と、だいたい同じくらいの量の水をテーブルの上に運んで下さい」


 摘まみ上げた豆をお仲間の元に戻すと、コック長さんに運んでもらう。

自分では重くて持てないからな。


 それなりの量の、水を目一杯吸った豆はかなり重いだろうに、それを事も無げに軽々と運ぶ初老のコック長は格好良かった。

筋肉は男の憧れだ。


「あの、やはりあちらの新しい豆の方が宜しいのではないでしょうか? ご覧の通り、こちらは……」

「ううん、これがいいの」


 終始不安を浮かべるコック長。

考えてみれば完成図の見えない状態で子供のアバウトな指揮の元、未知への挑戦をしているのだから、不安に思うなという方がおかしい。


 俺の“はじめてのお料理”を心配したのか、申し出てくれたが、敢えて言葉を遮るようにし、今回は気持ちだけ受け取る事にする。


 充分に水を吸っててくれなきゃ困るからね。


「それと麺棒はありますか?」


 俺の問いかけに、コック長さんはすぐに木でできたそれを手渡してくれた。

それだけでも、この厨房がよく整頓されているのだと分かる。


 俺の手には少し大きな麺棒。

直径にして五センチくらいだろうか。

それをしっかりと両手で握りしめた俺は、一つ深呼吸をして、うるおいたっぷりの豆の中に突き入れた。


「えいっ」

「お坊ちゃま!?」

「お、これけっこう楽しいかも?」


 端から見れば俺の行動は奇怪なのだろう。

黙々とひよこ豆を潰していく私に、『坊ちゃまはご乱心』という言葉をコック長はどうにかこうにか飲み込んでいる様子だった。


 俺が雇い主の息子で無かったら、おそらく『食べ物を粗末にするな』と言われているだろう。

子供の砂遊びの成れの果てのような物体など、誰が好んで口にするというのだろうか?


「うんしょっ……」


 少しずつ水を加えてながら豆を潰していく。

前世ではフードプロセッサーに任せきりだったその作業を終えた頃には、うっすらと頬が上気していた。


 地味に体力使うな、これは。

だけど、どうせこの作業くらいしか自分でやらせてもらえなさそうなので、交代を申し出てくれたコック長には悪いが、ここは意地を押し通した。


「できた……」

「それで完成なのですか?」

「あ、ううん。まだあるよ」


 得体の知れないドロッとした薄黄色の液体に成り果てたそれを、コック長は物珍しげに見ていた。


 うん、まあこの状態だと美味しそうには見えないよな。

これでさすがですとか言われても困る。


「あとは綺麗な布で濾して、搾り出した液体の方を鍋に入れて混ぜながら中火にかけるんだ」

「液体の方を使われるのですか?」

「うん。あ、布の中に残った搾り滓の方も使えるから捨てないでね」

「いやはや、変わった事をなさるのですな」


 目を見張るコック長さんはおそらく一流の料理人だ。

そんな彼の目にも俺の言う調理法は、新鮮に映るらしい。


 出汁を取る、という文化に馴染みが無いせいだろうか。

搾り汁の方を使うと言った時の彼の驚きようといったたら無かった。


 それでも彼は根っからの料理人だった。

長々と拙い手つきで豆を潰す俺をただ眺めているだけ(他の事をしていいと言ったら、監督責任があるのでとやんわり断られた)の状態だった彼は退屈だったらしい。


 俺が力いっぱい絞ったつもりの布を素敵な笑顔でコック長さんが引き絞ると大量の液体がポタポタと溢れ落ちてきて、少しヘコんだ。


「どのくらい加熱すれば宜しいのですかな?」

「うーんと、表面にお絵描きができるくらい?」


 決して身を乗り出さない事を条件に、鍋の近くに椅子を置いてもらい、俺はその近くに陣取っていた。

木べらで鍋の中を掻き回すのはもちろん、コック長さんの役目だ。


 熱を加えた事で豆乳が次第にもったりと重くなっていくのを見て初老のコックが子供のようにはしゃいでいた。


 今回の一番美味しいところを持っていかれた気がしないでも無い。


「手を止めちゃダメだからねっ」

「無論ですとも」


 悔し紛れに人差し指を突き付けるも、鼻唄交じりに返されてしまっては、もう何も言えなかった。



*****



「……して、坊ちゃま。この黄色味がかった物体は何でしょうか?」


 固まり始めた豆乳を別の容器に移し替え、おやつのクッキーをまぐまぐ食べながら待つ事、数十分。


 ソレの入った容器をでんと俺に示したコック長さんは目を輝かせていた。


 犬の尻尾的な何かが見えた気がする。

この人、今はこんなだけど、さっきまではテキパキと後片付けやら何やらで動き回っていたのだ。

まるで別人のようだ。


 普通はもっと小さいサイズに切り出されて出てくるから、バケットいっぱいのソレには結構な迫力がある。


「これはね……」

「見つけましたわ。こんなところにいらっしゃったのですね」


 得意気な顔をして説明しようとしたところを思わぬ声に遮られた。

カーヤさんだ。


 ……この人、音も立てずに忽然と現れなかったか?


「ティータイムにお呼びしようとお部屋に参りましたら、ベッドはもぬけの殻。私わたくしは生きた心地がしませんでしたわ」


 俺に苦情を申し立てる彼女は今の今まで、屋敷中を捜し回っていたのだと言う。


 ……この家、無駄に広いからな。

一部屋ずつ見て回れば、その労力は計り知れないだろう。


「……お腹が空いちゃって。ごめんなさい」

「そのような顔をされてしまったら、これ以上叱れないではありませんか。ズルいですわ」


 そう言って頬を膨らませて童女のように振る舞うカーヤさんはいい人だと思った。

子供好きなんだな、多分。


 それに引き換え、俺ときたら反省はすれども、屋敷内の独り歩きをやめるつもりは無かった。

俺にはやらなくちゃいけない事があるんだ。

悪い子でごめんなさい。


「ところで、これは何でしょうか?」


 心の中で良心に手を合わせたところで、話がちょうど一周した。

カーヤさんが漸く謎の物体Xに気付いたらしい。


 今はこれが何なのか説明するのが、俺のやるべき事だな。


 大人二人の視線に座ったまま思わず後退りしようとしたが、それは未遂に終わった。

おのれ、背もたれめ。


「これはね、豆腐って言うんだよ」

「トーフ、ですか?」


 目の前の男女二人が異口同音にその単語を繰り返した。


 何故、片言なんだ?

アクセントの位置がおかしい。


 そう、俺の作っていたのは豆腐だった。

日本で最もポピュラーなのは大豆の豆腐だが、他の豆でも作る事は出来る。

加えて、ひよこ豆の豆腐にはある利点があった。


 なんと、豆と水さえあれば作れてしまうのだ。


 一般的な大豆の豆腐は凝固剤としてにがりを要する。

だけどひよこ豆は澱粉質が多いおかげで、にがりを入れずとも固まるのだ。

超簡単、超お手軽!


 以上が海外で暮らす日本人の豆知識だ。

こちとら異世界在住だが。


 大豆が無いならひよこ豆で作ればいいじゃない。

俺は和の味覚に飢えていた。


「その豆腐というのは食べられる物なんでしょうか?」


 随分と慎重なみたいだけどコック長さん。

これの半分は貴方の手柄しわざでしょうに。


 一緒に作っていたのだから、食べられない物が入っていない事は誰よりもよく知っている筈だ。


「お料理って食べ物を美味しく加工する事だよね?」

「はい」

「一緒に作ったよね?」

「そうですね」

「これの材料は?」

「ひよこ豆と水のみです」

「じゃあ食べられる? 食べられない?」

「食べられる、筈です。……はっ、しまった! これが旦那様直伝の尋問テクニックなのですね」


 俺とコック長が先生と生徒みたいな問答を繰り返している傍らで、カーヤさんが『え、これ、アルト様が作ったんですか?』と今更な事に驚いている。


 コック長さんは俺の問いに促されるまま、気付けば全部頷いてしまっていた。


 いや、そんな恐ろしいものを見るような目でこっちを見ないで下さい。

こんなものは父上直伝でも何でもなく、タダのちょっとした会話テクニック・誘導尋問だ。

父上にはこの間色んな意味で嵌められただけで、まだ何も教わっていない。


 それなのにこんな恐れおののかれるだなんて、父上!

貴方はいったい何をやらかしたんですか?


「アイディアは俺だけど、作ったのは殆どコック長さんだよ」


 嘘じゃない。

俺がしたのは下拵えの部分のみだ。

皿洗い係よりはちょっとだけましだけど。


「そんなご謙遜を。私はただ言われるがまま動いていただけです」


 そんな事を言うコック長さんの方が謙遜していると思うぞ、俺は。


 気付けばだいぶ日が傾いていて、ここ厨房はそろそろ夕飯の支度に取り掛からなければいけない時間になったようだ。

料理人たちが何人か戻ってきて、こちらの様子を窺っている。


 あ、一人何も無いところで蹴躓いて転びそうになった。

あの小柄な女の人が例のドジッ子か。


 さてと、何時までもここに陣取って邪魔をする訳にもいかないし、最後の仕上げにかかるとするか。


 最後の最後の、一番大事な工程が残っていた。

それは味見だ。

完成品を味見して、ほっこり幸せ気分に浸るまでが料理だ。

家に帰るまでが遠足的な。


「坊ちゃま、万一失敗している場合も考慮してまず最初に私が味見させていただいた方が……」

「自分でする」

「では間を取って私が……」

「自分でする!」


 銀のスプーンを片手に見事に固まったひよこ豆腐を味見しようとしたところで、コック長とカーヤさんが横槍を入れてくる。

俺を心配するような事を言っていてもその実、自分が一番に食べたいだけなんじゃなかろうか?


 ダメだ、これだけは譲らない。

最初のひと口とはすなわち、一番美味しい所である。

誰にも渡さんぞ。


 滑らかなクリーム色の肌にスプーンを入れると、吸い付くようなむっちりとした感触が指先に伝わる。

うむ、予想通り少し固めの仕上がりだ。


 スプーンの上でぷるんと身を震わせるそれを、目線の高さまで持ってきて上下左右から眺める。


 いざ、実食!

皆が固唾を呑んで見守る中、俺はつるりとそれを口の中に放り込んだ。


 ふわっと口の中に広がるのは豆のまろやかな風味だった。

豆、豆、豆。

どこまでいっても、豆である。


 大豆の豆腐より、しっかりと素材の味が楽しめる。

それがひよこ豆腐の醍醐味だった。

贅沢を言えば醤油が欲しいところだけれど、これはこれで美味しい。


 絹ごしのような舌触りと懐かしい味にうっとりと目を瞑る。


 我が家に空前の豆腐ブームが訪れるのは、これより数刻のちの事である。



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