第19話 王子の孤独




「アルト、アルトはミルクの他に何が苦手なのだ?」

「そうだな……今のところ特に苦手なものは無いかな。ミルクも苦手では無いよ」


 テーブルに着くなり、レオンは鼻息荒く質問を投げ掛けてきた。

俺はそれに少し考えてから答える。


 苦手なもの。

特に思い当たらなかった。


 表向きには四層構造とされている王城。

俺と母上はそこの一の郭に位置する王子の部屋へと案内されていた。


 四の郭は通行証を持つ者なら誰でも入る事ができ、三の郭は中流貴族の屋敷と城が点在する。

二の郭は侯爵家以上の身分の者と彼等に身分を保証された者のみが入る事を赦され、一の郭は王族の住まいとされている。


 表向きとしたのは一の郭のさらに奥に王と王の真に信頼する者のみその在処を知る『零の郭』がひっそりと存在しているからだ。

零の郭の存在は公表されていない。


 因みに魔法の授業が行われているのは二の郭の一室である。



「なんだ、ミルク嫌いではなかったのか? ならば何故紅茶を所望したのだ?」

「紅茶の方が好きだから、かな」

「ふぅむ。そのように苦いものが好きとは、アルトはおかしな奴だな」


 唸る王子を前に俺は白いカップをぐらつかぬよう、両手に持って口の前で傾けた。


 口の中に高地で育ったのであろう、豊かなお茶の旨味が広がる。

さすが王室御用達の高級茶葉だな。


 それと、淹れてくれた人――マヤさんの腕前にも素直に賛辞を贈る。


 ミルクと違って、熱いお湯で淹れる紅茶は火傷の危険性が高い。

その他、味の観点から言っても作り置きをすると風味が落ちるので、ポットは俺達お子様の手の届かぬ位置へと下げられていた。


 ミルクより紅茶の方が好き、という言葉に偽りは無いが。


 ストレートで紅茶を楽しむ俺を見て、砂糖もミルクも入っていないなんてとレオンは顔を顰しかめた。

過去に味わった苦味を思い出したのかもしれない。


 確かに子供の舌ではなかなか理解出来ない味かもしれないな。


「そういうレオンは?」


 ミルクの入ったマグを抱え込むレオンにお返しとばかりに話を振る。

すると小さな王子は嬉しそうに語り始めた。


「余か? 余は好かぬものなら沢山あるぞ。ピーマン、ニンジン、セロリ……」

「フッ……」


 思わず噴き出す。


 実を言うと、王子の苦手な食べ物など把握済みだった。

勿論、例のゲーム情報だ。


 しかし、こんなにも整った容姿のザ・プリンスの口から苦手な物として実際に飛び出す名詞がどれも子供が嫌いな野菜の定番で、何処の世界も変わらないのだなぁと思ったのだ。


「好きなものは肉だな!」

「ぶっ……くっくっくっ」


 男の子の好き嫌いド定番に再度笑いが込み上げた。

好きなもので真っ先に浮かぶのがそれなのか。


「でも野菜も食べような、大きくなれないぞ」

「うっ……野菜が余の口に合わぬのが悪いのだ」

「そうね。食べてみればきっと殿下好みのお野菜も見つかると思いますわ」

「口に合わないどころか、殿下は最初からお召し上がりにならないのが問題ですわね」


 ひとしきり笑った後に、廊下でされたお説教をそのまま返せば、お肉愛好家は納得がいかないというように唇を尖らせていた。


 その後の母上とマヤさんの言葉に撃沈させられていたが。

女性は女性同士の会話を楽しんでいると思っていたのだが、こちらの話もきちんと聞いていたらしい。


「是非、アルフレート様を見習って頂きたいですわね。アルフレート様はとても二歳だとは思えぬ程聞き分けが良く、ご聡明でいらっしゃいますから」


 レオンに向けられた声が俺にまでチクチクと突き刺さった。

主に、年齢の話で。


「そういえば……」


 いつもうるさいくらいに賑やかなレオンがしょげて微妙な空気になった室内に居心地の悪さを感じて、半ば無意識的に話題を変える言葉を口にした。


「最初の授業が始まる前、レオンは俺に何を聞きたかったんだ?」


 半分は単なる口実、もう半分では本当に気になっていた。

しかし当の本人は覚えていないようで、首を傾げている。


「確か、魔法がどうとか……」

「おお、そうであった!」


 記憶の糸を辿ると、思い出した様子のレオンが身を乗り出した。


 ガチャンと音がして、紅茶の水面が揺れる。


 危ない。

零れる、と思ったがだいぶ中身が減っていた為になんとか免れた。


「アルトはどうやって魔法師団を壊滅させたのだ?」

「えっ……?」


 今度は俺がテーブルを揺らす番だった。


「マヤに聞いたぞ。アルトがエリート揃いの魔法師団をバッタバッタと薙ぎ倒したと。挙げ句の果てには、防衛結界をも消し飛ばしたそうだな!」

「ええぇぇええっ!?」


 腹の底から空気を押し出すみたいに奇声を発する。


 なんで、全部俺のせいみたいになってるんだ?

そしてなんでレオンはそんなに誇らしげなんだ?


 目がおかしな具合に煌めいている。

ヒーローを見るちびっ子の目だった。


「マヤさ~ん?」


 ゆら~り。


「私はただ、ほんの少し話にスパイスを加えただけですわ」


『あらあら、二人とも元気ね~』なんてニコニコ微笑んでいる母上の隣でマヤさんにジト目を向ければ、悪びれない次期女官長候補殿はそれが何かとでも言いたげな顔で嘯うそぶく。


「世間ではそれを嘘、または脚色と言うんです!」

「あら、さすがアルフレート様。博識でいらっしゃいますわね」


 俺の正論はオホホという貴婦人風の高笑いに打ち返されてしまった。

口元に手の甲を添えるあれだ。


 この人、とことん食えない。

それでもって転んでもただでは起きない人だ。


 いや、顔色を窺いながらビクビクされて気まずくなるよりはいいんだけどさ。


 俺がやらかした事実は城の人間でもごく一部の人間のみ知る事実だ。

父上の根回しで全て『訓練に熱が入り過ぎた』母上の仕業として城の多くの人間には伝えられている。


 事件自体無かった事に出来れば良かったのだが、それ自体を隠しおおすには騒ぎが大き過ぎたのだ。

だからこそ、母上を隠れ蓑に俺の魔力暴発未遂事件を伏せた。


 半分は母上の手によるものだ、全くのデタラメでは無い。

うまく嘘をつこうと思うなら、真実の中に紛れ込ませるのが得策だ。


 ……どう答えたものか。

胸の内で煩悶する。


 いくら王子とはいえ、本音とか建前だとかをまだ理解出来ないであろう年頃の子供に話すのは如何いかがなものか。

それも尾ひれどころか胸びれまでついたような話を。


 かといって、子供の夢を壊すのも憚られる。


 今のでレオンが何故俺に興味を持ったのかだいたい理解出来た。

『すごい奴』が好きなのだ、この子は。


 剣術バカに成長したゲームのレオンハルト王子と、魔法という言葉が結び付かなくて、あの時は分からなかった。

けれどちょっと身近な人間の武勇伝と考えるのなら話はわかる。


 女の子が王子様やお姫様の出てくるお伽噺とぎばなしに憧れるように、男の子は英雄譚の類いが大好きなのだ。

十数年後には立派な剣術馬鹿に成長する彼だ、興味を持たない筈がない。


 ヒーロー願望が生きた形を取ったものが目の前に現れれば、視線は釘付けだろう。


 マヤさんはものすごく罪作りだな、と思った。

俺は誰かに責任転嫁したかったのかもしれない。


 恨み節を言う代わりに室内で唯一人立ったままテーブル脇に控えるマヤさんを見上げる。


「この世に知らないままで良い情報なんて一つも無いとは誰の言葉かしらね?」


 意味深な台詞に隣から小さく息を呑む音が聞こえた気がした。



「う~んと……実はよく覚えてないんだ」


 それが俺の答えだった。

人に説明出来るほどよく覚えていないのは本当の事だ。

自分を友と呼んでくれる人に嘘はつきたくない。

悩んだ末の答えだった。


「そうなのか、う~む。残念なのだ」


 一人前に腕組みして年寄り臭い口調で唸るレオンはそれ以上あの事件については何も聞いて来なかった。


「強さだけじゃないのよ?」

「そうですわ。本来でしたら、ルーカス様やディートリヒ様が殿下の最初のお友達になる筈だったのですが……」


 毒見済みの少し温ぬるくなったミルクをレオンが飲み干してプハッと湿った息をつく。

口の回りに白い髭がついていた。


 風呂上がりのオヤジか、お前は。


 それを手布で拭いてやりながらマヤさんは言葉を続ける。


「ルーカス様は大人しい方なので、活発な殿下とは折り合いが悪く、またディートリヒ様もあの通り何事にも関心を持たれない方ですので……。その点、アルフレート様は殿下との相性もばっちりですわね」

「ばっちり?」


 聞き返す言葉がレオンとハモった。


「ええ。アルフレート様は年に似合わぬご聡明さと思慮深さを持ちながら、子供らしい好奇心をも秘めていらっしゃいますから」


 手巾をしまいながらマヤさんは微笑む。


 なんとなくだが、王子サイドの事情が呑み込めた気がした。

おそらく、ルーカスやディートリヒ以外にも候補はいたのだろう。


 しかしその彼等含め、性格の不一致だったり、変人だったりという事案が発生した。

だからこそ、俺にまで話が回ってきたのだろう。


 これはあくまで俺のイメージだが、王子の未来の側近にするなら普通、王子本人より少し年上の子を宛がう筈だ。

そうでなければ、手の掛かる子供が一人から二人に増えるリスクの方が高い。


 出来れば王子に忠誠でありながらも、時に王子を諫めてくれる子がいい。

子供同士それも男の子同士でないと読み取れない場の空気というものもあるから、その存在は絶対に必要だった。


 だけど王子より少し年上の男の子で候補に上がってきそうな筆頭があれじゃあな……。


 一目で判る変人、一瞥しただけで回れ右したくなりそうな変態に心当たりがある。


 仕方なく視野を広げたところで、俺というそこそこ好都合な物件が見つかったのだろう。


 例の事件で少し考えを改めて躊躇しても良さそうなものだが、俺には魔力制御用の腕輪もとい手枷が掛かっているし、他に目ぼしい者もいないとなれば迷っている暇は無かった。


 事件すら利用して見せたのだ。

有る事無い事吹き込んで相手の反応を見て愉しむのはマヤさん個人の趣味でもあるだろうが、裏で渦巻いているものはもっとややこしい。


 逆に言えばそれだけ向こうも必死だったという事か。


 一方で次世代の国を案じて、一方で王子の行く末を案じて。

それがマヤさんの判りにくい優しさだ。


 レオンは孤独だった。

兄妹も無く、友も居らず、両親ともろくに会えず、会話に飢えていた。

だからこそ静けさを嫌い、よく喋る。


 ――耳が痛い程の静寂の中で、孤独の足音を聞いてしまわぬように。


 その孤独を今まで一番近くで見ていたのがマヤさんだ。

意地悪だろうと、口喧しかろうとレオンがマヤさんに懐いているのは分かる。


 当の本人はといえば、空になったマグの底を不思議そうな顔で見つめていた。


「人をたらし込む事においてシックザール家の右に出る者は居ないと申しますが、さすがですわね」


 そう言って俺を賞賛するマヤさんは、刷り込みのようにレオンが俺を気に入るように仕向けた。

他ならぬレオンの為に。


 ……いるじゃないか、ここに一人。


 ミルクで満たされたレオンは碧い瞳をとろんと濁らせる。


「ん、マヤ……」

「はい、お呼びになりましたか?」


 ミルクのヴェールで包み込んだような柔らかな匂い、紅茶の豊かでスモーキーな香り。

それらに混じって乳幼児特有の甘い匂いがする。


 一瞬で眠りに落ちたレオンの身体が傾かしぐ前にマヤさんは小さな身体を抱き上げた。


「あると……」


 王子を抱いたマヤさんの背中が隣室へと消えていく最中、甘い匂いが俺の名前を呼ぶ誰かの声を運んでくれた気がした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る