第16話 授業開始
「では自己紹介を始めましょうか。まずは私から。シックザール侯爵家のマレーネと申しますわ。授業中は私の事は先生とお呼び下さいませ」
議長席に座る母上が名乗ったのを皮切りに、皆が各々好きな順番で名乗りを上げた。
「余はレオンハルト・アイヒベルガー。この国の第一王子であるぞ」
「クラウゼヴィッツ公爵家のイルメラですわ。そして此方は敬愛して止まないディートリヒお兄様。わたくしの兄ですわ」
「……ん? ああ、宜しく」
レオン、イルメラと来てディートリヒ。
ディートリヒは自分では名乗らず、妹に紹介されて適当に一言述べるのみだった。
話を聞いているのか、いないのか判らない。
なぜ幼児なのに掠れたクラウゼヴィッツの兄の声が魅惑的に聞こえるのかは永遠の謎だ。
「僕はルーカス・ブロックマイアー。三歳。城にある屋敷に住んでいるけど知り合いはあまりいない……」
「なんだ? よく聞こえぬぞ」
白銀の髪の幼児は男の子とも女の子とも取れるか細い声で自信無さげに名を告げた。
それにレオンが鼻を鳴らす。
元気の塊みたいなレオンとナヨナヨしたルーカスは合わないかもしれないな。
レオンははっきりものを言うタイプだし、ルーカスは見るからに引っ込み思案だ。
どちらが悪いとも言えないが、相性はあまり良くなさそうだ。
その点に留意しておかなければ。
色々と考えながら聞いていると、気付けば名乗り出るのが最後になってしまった。
「アルフレート・シックザールと申します。魔法を学ぶ為に設けられた場ではありますが、出来れば皆さんとも仲良くなりたいですね」
素っ気なくならない程度に言葉を添えて自己紹介を終える。
何とか最後まで噛まずに言えたと内心でほっとしながら、こんなもので良かっただろうかと皆の顔色を窺うと、横から服の袖を引っ張られた。
振り向くと王子が目をキラキラさせていた。
「なあなあ、先生はアルトの母君なのか?」
隣の席に座るレオンは上機嫌な上に、期待に胸を膨らませていた。
そう、俺の隣には王子が座っている。
王子が全員平等であるにもかかわらず席順が暗黙の了解で決まっているのはおかしいとごねた結果、その主張が認められたのだ。
結局、俺とディートリヒは動かず、何故か他の三人が時計回りにローテーションするような形で席を移動した。
俺の隣がレオン、その右隣にルーカス。
議長席に母上。
俺の正面にディートリヒ、イルメラが兄妹で並んで座っている。
この席替えに関していえば、レオンは希望の席になり、イルメラは兄の隣で落ち着く事が出来て、二人にとっては好都合なものとなった。
その一方で、訳の解らない我が儘で移動させられたルーカスと、折角良い席だったのにすり替えられてしまった俺にとっては貧乏くじを引く結果となった。
野郎の隣より、可憐な女の子の隣の方がいい席に決まっている。
いや、真正面というのもなかなかに捨てがたいが。
せっかくイルメラのお向いさんになったというのに、レオンは何故だか俺の方ばっかり見ている。
「お前はあれか、むっつりスケベというやつか……」
「何だ?」
「いいえ、何でもありませんよ。ええ、先生はわたくしの敬愛する母ですよ。この身のなんと幸運な事でしょうね」
「そうか、やはりそうであったのだな!」
悔しい紛れにボソッと呟いたのを本人に聞き返されそうになって、さっと話題を元に戻した。
だというのにレオンは俺に対して誤魔化されているとも知らず、得意げに頷く。
単純な奴で良かった。
まあ、聞こえたところで育ちの良い王子の耳には“むっつりスケベ”などという単語は入って来ていないだろうから、意味は解らぬ可能性が高いのだが。
嫌味を笑顔で返されて、何と無く尻の居心地が悪かった。
「ではアルトの魔力は母君譲りなのだな!」
「ええ、まあそういうことになりますね」
母上との血縁関係を俺から聞き出したレオンは一旦は満足したかに見えた。
しかし彼は数秒後、さらに身を乗り出して再び探りを入れてくる。
そんな事を聞いてどうするのか。
意図が掴めない俺は当たり障りの無い返答をする。
そう言えば、部屋に飛び込んで来た時も魔法がどうとか言ってなかったか?
確かあの時もレオンは俺に何か訊こうとしていて、でもマヤさんの邪魔が入って訊けず終いだったんだよな。
二人のすちゃらか騒動を思い出して苦笑しつつ、あの時聞けなかった事に関係があるのだろうかと思案する。
いや、でも例のゲームでレオンハルトと云えば、筋金入りの剣術馬鹿だったよな?
なんで魔法なんだ?
「危ないですよ」
身を乗り出しすぎて椅子から落っこちそうになっているレオンの肩を押さえる。
肘掛けがついているおかげで今のところ転落は免れているが、椅子ごと引っくり返らないとも限らない。
理由はそれだけでは無くて、なんというか近かった。
主に顔が。
王子のご尊顔はまごうかたなき美形で、年齢的にもまだそれほど男女の性差が顕れにくい時期の為、見ようによっては女の子にも見える。
だがしかし、どんなに可愛いからといって王子は王子。
つまり男という事実は覆らない。
野郎と至近距離で見つめ合う趣味は俺には無いのだ。
「むぅ、苦しゅうないぞ?」
「いえ、わたくしが苦しいので」
「そのように堅くならずとも良い。アルトは余の友だからな」
時代劇がかった珍妙な口調で迫るレオンはそれでも可愛かった。
可愛いから困るのだ。
自分が好かれる理由が判らないから殊更頑なに拒んでしまうのに、レオンはストレートに好意を向けてくる。
幼さゆえに直球な表現しか知らないのだろうと思い掛けたが、大人になった彼もまた真っ直ぐな人間だった事を思い出す。
すぐに唇を尖らせて拗ねてみたり、かと思えば得意げな顔で小さな身体を踏ん反り返らせたり、忙しいやつだなぁと思う。
器が大きいのか、ただ幼いだけなのかもよく判らない。
だけどそこが面白いと思った。
「じゃあ、レオンはそのまま大きくなれよ」
目の前の金色の頭をわしゃわしゃと掻き回す。
せっかく整えた髪は見る影も無くなったが、その方が自然に思える。
レオンは後でマヤさんに怒られるかもしれないが、このくらいの仕返しはいいよな?
この間のミルク攻撃を忘れてはいない。
俺のタメ口に敏感に反応した王子が乱れ髪の隙間で破顔して、そんな彼を人懐こい子ライオンのようだと思った。
「はい、じゃあ二人のお喋りに区切りがついたところで今後について簡単に説明するわね」
つられて頬を綻ばせているところを急に現実に引き戻された。
そうだ、今は授業中だった。
「ごえんなしゃい、レオンが話し掛けてくるから……」
「むっ、アルトも話しておったではないか」
レオンが話し掛けてくるから、授業中だという事を失念しかけていたのだと主張しようとすれば、自分一人のせいにするつもりか、とレオンに横槍を入れられる。
「二人とも、お喋りは後にしましょうね」
「……はい」
過熱した言い争いになりかけたところに絶妙な間合いで再び母上、もとい先生の声が割り込んだ。
ごめんなさい。
レオンと二人してしゅんと項垂れると、二組の視線を感じた。
一つはイルメラ、もう一つは……ルーカス?
何処と無く羨ましそうに見えるのは何故だろうか。
「これから毎週三回、魔法の授業をおこなっていきます。今後の方針として、皆には毎月課題を出してそれをクリアしてもらいます。最初のうちは皆同じ課題だけど、状況によっては個別に課題を出す事もあるかもしれないわね」
「……課題?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。魔法の習熟速度……上手になる早さは人それぞれだから、課題は個々のペースを考えて出します」
母上が課題、という言葉を出すと皆の顔が一斉に強張った。
その中でももとから白いのを差し引いてさえ一際顔色が悪く不安げなルーカスがおうむ返しに訊ねる。
すると母上は幼子にもわかりやすいように言葉を選びながら答えた。
個人差がある、というのは師匠の魔導書にも載っていた。
そもそも保有魔力量の時点で貴族と一般市民には大きな隔たりがあった。
魔力の多い人間を貴族が囲い込んだ為だ。
権力・武力・魔力。
三つの力を王侯貴族だけで占有する気か、と民衆が荒れた時代もあったらしいが、貴族というものの在り方を考えるのならば、それも致し方無い事だった。
貴族にはその権威を維持し続けるという義務があるからだ。
だからこそ貴族は優れた血を求め、積極的にそれを取り入れた。
魔法で出世を目指すなら、まず魔力保有量を問われる。
そしてその後は努力とセンスがモノを云う世界だと言われている。
「最終的な目標は初等科入学前に中等科レベルの技術・知識を身に付ける事ね」
机の上で両手を重ね合わせてそう宣言する母上の言葉を幼児五人は思い思いの表情を浮かべて受け取った。
受験の為の授業では無い。
明らかにその先を見据えたものだ。
「私が教えられるのは魔法のみだけど、皆には同じ年頃の子と触れ合う経験も積んでほしいわね。きっと役に立つ筈だから」
それは説明というよりは願いだった。
ここに来る途中、母上と交わした約束を思い出す。
四つ目、 最後の約束は“他の子達と出来る限り仲良くなるよう努力する事”だった。
一つだけ毛色の違う最後の約束こそが本来の目的ではないかと思えてくる。
考えてみれば、この『魔法の授業』という名の集いはかなりおかしなものだ。
母上が教師を務めるというのは、その道のスペシャリストだという事で説明がつく。
しかし、何故こんな幼い子供を集めて授業をおこなうのだろうか?
単純に魔法を学ぶ為というのなら、もう少し大きくなってからでもいい筈だ。
前世では俺くらいの年齢の子供は保育園というものに預けられはしても、基本は四食(朝昼晩とおやつ)昼寝つきで勉学などには取り組んでいなかったというのに。
自分に前世の記憶があり、理知的に物を考えられるからこそ気付かなかった。
今回集まったメンバーが皆子供離れしているからこそ気付くのが遅れたが、二歳、三歳という年齢は学問をするには余りに幼い。
真面目にみっちり座学をするつもりなら、幼児にしてなんと気持ちの悪い子供だろうか。
他にもっとやる事があるだろう。
俺は勉強したいって言ったけれど、普通の子供なら遊びたい盛りの筈だ。
他人と関わり、情緒を育む。
与えられた課題をこなすという経験を積み、自ら目標を定められるようになる。
狙いはこんなところだろうか?
いや、他にも何かあるのだろうか?
凪いだ母上の瞳からは何の感情も読み取れなかった。
だけどそれで良かったのかもしれない。
母上の真の目的がどうであれ、魔法を学びたいと言った俺に応えてくれた。
他の攻略キャラたちとの出会いが前倒しされるというおまけもあったが、それとて俺には好都合だ。
母上は母上の思うままに、俺は俺のやりたいようにやればいい。
「とりあえず今月の課題は自分の魔力、それから他人の魔力の気配を感じ取れるようになる事ね」
最初の課題を発表した母上は机の上で左手の上に重ねていた右手を徐に持ち上げた。
天井に向けられた白い掌の上には最初は確かに何も乗っていなかった。
しかし瞬きをした次の瞬間、ころりと丸い飴玉のようなものが転がっていた。
上を見ても当然それらしい仕掛けなど見当たらない。
照明用の魔道具があるのみだ。
「これは魔力を目に見える形で固めたもので魔石と言うの。飴玉みたいな見た目をしているけれど、実際に舐める事も出来るわ」
そう言うと母上は魔石の乗った右手をルーカスに差し出す。
ルーカスはおっかなびっくり小さな人差し指と親指でそれを摘まみ、角度を変えながらしばらくしげしげと眺めていたが、途中でなにを思ったか大胆にも自分の口の中に放り込んだ。
ほにゃり。
そんな効果音が聞こえてきそうだ。
魔石を口に含んだルーカスはとろんと菫色の瞳を蕩けさせて、相好を崩した。
「本来魔石は味の無いものな筈なんだけど、どういうわけか私のは本物の飴玉のように甘いのよね。食べ過ぎは良くないけれど、疲労回復にもいいのよ?」
そう言われてみれば、ルーカスの顔色が少し良くなった気がする。
「むっ、余も食べたいぞ」
ルーカスがあんまり幸せそうな顔をして魔石を舐めるものだから、隣の王子が騒がしくなる。
レオンはお喋りな上に食いしん坊なのだ。
「この魔石を紙で包んだものを五個、この部屋のどこかに隠しておいたわ。今日は見つけた子から帰っていいわよ」
魔石探しもとい、飴玉探し。
戦いの火蓋が切って落とされた。
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