風を感じて【完結】

永才頌乃

序章・全ての始まり

第一話・掴む手



 ──ザアァァッ──……。



 それは激しい雨の降る、晩秋の夜。


 難攻不落なんこうふらくといわれる王都の、北に位置する街。その一角に立つ、た歳月を感じられる教会の一室で書き物をしていた黒髪の青年は、協会の扉をけたたましく叩く音に顔を上げる。

 時刻は午前一時。

(こんな真夜中に誰だ?)

 青年は椅子から腰を上げると、壁に掛けてあった外套がいとうを羽織り、左手に洋灯ランプを持って急ぎ部屋を後にした。


 廊下を進んでいると、途中、白髪頭の小柄な老人と出会でくわした。

「──ロイ殿」

 寝間着姿の老人ロイは、青年の呼び掛けに顔を向けた。その表情は何処どことなく不安げで。

 七十五と高齢なロイは、この教会の司祭を務めている。

 ロイは、同じ階級でありながら、ここでは自身の補佐と身の回りの世話を行ってくれる青年に口を開いた。

「トゥルフ殿。一体何処のどなただろうか……?」

「私が見て参ります。ロイ殿はこちらにいらして下さい」

 眉尻を下げるロイに、トゥルフは安心させるために軽く笑んで見せると、彼をその場に残して足早に扉へと向かった。




 目的の場所に着いたトゥルフは、堅牢けんろうな造りの大きな扉の横、人が出入りするのに丁度良い大きさの鉄製の扉に手を掛ける。

 め金を外し、キィ、と音を立てて扉を押し開と、手にしていた洋灯で辺りを照らした。

「? ……いない」

 小さくつぶやき、トゥルフは更に周囲を見回した。

 しかし、先程扉を叩いたと思われる人の姿など何処にも見当たらない。

(……悪戯いたずらか?)

 それにしても必死さをうかがえるような叩き方だった。

 いぶかしく感じながらもきびすを返し、屋内に戻ろうとしたトゥルフは、しかし、足を止めた。

「?」

 先程開けた扉の影に、何かが置いてある事に気が付いたのだ。

 闇に身を隠すその物体に近付くと、洋灯を翳した。

「っ!?」

 置いてあったを見て、トゥルフは息をんだ。

 慌ててを抱え上げる。


「……ぁぁ」


「……何という事を……!」

 扉の脇に置いてあったのは、御包おくるみに包まれた生後間もないであろう赤児あかごだった。


 赤児は、か細く泣き出した。


 トゥルフは赤児を抱いて教会の中へ戻ると、暖炉だんろのある部屋へと足早に歩を進めた。

 ──この雨の中、長時間掛けてやって来たのだろう。

 扉が叩かれるのとほぼ同時に置き去りにされたと思われる赤児。しかし、然程さほど時間を置かずにトゥルフがやって来たにもかかわらず、その小さな身体は冷え切っている。

「──トゥルフ殿、一体どなたで……っ!? その子は……?」

 ロイは暖炉に薪をべようとしているトゥルフに訊ねようと声を発して直ぐ、揺り椅子に寝かせられている赤児の存在に気付くと驚きの声を上げた。

 トゥルフは手を止める事なく、けれども苦しげに顔を歪ませ口を開いた。

「……その子が置き去りにされていました」

 ロイの目が見開かれる。

「何と……!!」

 暖炉に薪を焼べ終えたトゥルフは揺り椅子に近付き、寝かせていた赤児を抱き上げた。そっと優しく自身の腕で包み込み、冷えた小さな身体を温める。

 ロイは、気遣わしげに赤児を覗き込んだ。

 二人の視線を一身に受ける赤児はもぞもぞと動くと、頬を優しく撫でるトゥルフの指を小さな手で、きゅっ、と力強く握った。

「──……」

 トゥルフの目が嬉しげに細められる。ロイも穏やかな笑みを浮かべた。

「トゥルフ殿の事が、大層気に入ったようですな」

「……だと嬉しいのですが」

 応えながら、赤児が動いた事で少し肌蹴はだけた御包みを直そうと手を掛けた時、それに気付く。

(何か入っている……?)

 御包みの中に一箇所、硬い場所があった。

 訝しく思ったトゥルフはそこを探り、そして。

(……あった)

 指に触れたそれを取り出したトゥルフは、軽く瞠目した。

「……これは」

 御包みの中から取り出したそれは、親指の腹程の大きさの、雫の形をした紅玉ルビーが下がった首飾り。

 その紅玉には見た事もない家紋のような紋様が白く入れられている。

「……それは、もしかするとこの子の親が持たせた物やも知れませんな」

 ロイがじっと首飾りを観察しながら呟く。

 トゥルフはそれに頷きながら、その首飾りを脇にある小卓サイドテーブルの上に置いた。

 首に掛けてやっても良いが、万が一飲み込んでしまってはいけない。

 トゥルフは御包みを整えると、赤児の頬に触れる。

 ──少し温まってきた。

 その優しい温もりに安心したのか、小さな手でトゥルフの指をつかんだまま、赤児は落ち着いた様子で眠りについた。

「……しばらく様子を見てみましょう。親が名乗り出るやも知れません」

(──果たして、子供をてた親が簡単に名乗り出るだろうか)

 ロイの言葉にそう思いながらも、トゥルフは頷いた。

「……そうですね」




 ──それから半年以上が経過し。

 結局、親と思われる者は誰一人として現れなかった。

 そしてそのかんに判明した事が幾つかあった。


 赤児は女の子であり、──全盲であった。


 本来ならば孤児院に引き取られるはずの子。しかしトゥルフが養女として迎え入れた。

 トゥルフはロイの世話や補佐をしながら、赤児に惜しみない愛情をそそぐ。

 全盲は障害などではなく個性として考え、出来るだけやりたい事をさせ、自分の持ちる知識をかめの水を移すが如く教え込んだ。


 そして──。


 赤児を養女として迎えて四年後、赤児を孫のように可愛がっていたロイが他界。

 トゥルフは王都にある教会に司教しきょうとして、成長した義娘むすめと共に移り住んだ。



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