悔悟の告白 1
二階の窓から外に出てみれば、晴れた夜空にはぽつんと、下弦の月が浮かんでいた。見据えるさきは木々の影が色濃く落ちていたが、固めた決意を揺るがせる要因にはならない。
考えたすえ、碧天都へ戻ると決めたサユは、月待の家から抜け出すことを選んだ。
自身が受けた仕打ちを忘れたわけではない。それどころか、いままさに実感をもって思い知らされていた。確固としてあったはずの使精たちとの繋がりが、古森に辿り着いてもなお、わずかも感じられないのだ。
封石により契約を断たれたサユには現状、力を貸してくれる使精は一体もいない。それでも、たとえ同じような目に遭おうとも、兄と直接会って話がしたい。サユはせつにそう願っていた。
だが、古森へと出てすぐのこと。迷いなく進むサユを背後から呼び止める者がいた。
「足許も見ないと、転んでしまうよ」
穏やかな声音で紡がれたのは、幼いころに聞いた覚えのある台詞だった。さきほどとは打って変わり、その声からは煩わしさが消えていたため、サユを少なからず混乱させる。
「体調が優れないんだろう? 身につけていた封石が原因だとは思うけど、まだ、無理はしないほうがいい」
気遣う言葉に、うっかり振り返ってしまったサユは、はからずも八年前まで意識を引き戻される。
向けた視線のさきには、風精であると信じて疑わなかった少年が成長した姿で立っていた。しかもいまの状況は、進んでいた方向こそ真逆ではあるが、彼——、少年だったファイスが、初めて声をかけてきたときの立ち位置とまったく同じだった。
時が戻ったような感覚に、サユは戸惑いを覚える。けれど決意を曲げる気などいっさいなかったので、ファイスから目を逸らし、無言のまま先を急ぐ。本音を言ってしまえば、どのような顔をして向き合えばいいのか困惑していただけなのだが。
すぐに背後から溜息が聞こえた。続いて足音が追ってくる。
「ついてこないで」
サユはなかば意地になって歩き続けた。しかしファイスに引き返す意思はないらしく、足音は止まらない。そればかりか異論を唱え始める。
「いいかい。僕は君の使精じゃないし、従う理由もない。むしろ、命令し慣れた女を屈服させて組み敷くっていうのも、そそられるね」
追いついた気配に、サユはちらりと視線を走らせる。お互いの目が合い、横に並ぶと、ファイスは皮肉を感じさせる笑みを見せた。
「欲しいものは力尽くでも手に入れる。魄魔らしいだろう?」
そう口にしながらも、無理にでも引き止めようとする素振りは見られなかった。その対応に、心にできたばかりの傷が疼く。
サユの脳裏に浮かんでいたのは、月待の家で
もどかしさを抱いたサユの足が、ぴたりと止まる。緑の双眸は挑むようにファイスへと向けられていた。
「力尽くというのなら、それを実行してみせてよ。どうしたの? 私を手に入れたいのでしょう?」
挑発するも、ファイスは行動に移さないばかりか沈黙してしまう。だからこそ、サユは確信する。
「もう二度と、あなたには騙されないわ。口先ばかりで、本当は私に触れるのも厭なのでしょう?」
サユは我慢がならず、ファイスから感じ取っていた印象を吐露してしまう。
図星だったのか。問われたファイスはにわかに驚きを覗かせていた。しかし驚きに重ね、思いもよらない返しを寄越す。
「もしかして君は……。僕に、触れて欲しいの?」
「——話を、誤魔化さないで」
いつもなら、そこで聞き捨てていただろう。なのに不覚にもファイスの台詞で、自身が抱いたもどかしさに説明がついた気がした。
そうなのかもしれない。と、抱えていた想いをすんなり認める。
目眩で座り込んだあのときもそう。彼が優しく接してくれた時間はもう取り戻せないし、二度と訪れないという現実を受け入れようとして、息苦しく、胸が締めつけられた。
自分でも浅ましいと思う。赦してもらえなくて当然だと諦めながらも、彼ならばという期待が、少なからず胸にあったから。本当は彼に、コウキのように優しく気遣って欲しかったのだ。
だが、期待を抱いていた自分を認めてしまったせいで、サユはファイスの本心をなおさら知らずにはいられなくなる。もうこれ以上、無駄な期待を抱かずに済むように。
ゆえに俯きそうになるのを我慢し、サユはファイスを見上げた。
「私の質問に答えるのがさきよ」
「……そうだね」
応じたファイスの顔に、危うい笑みが浮かんだ。
お互いの距離が近づいたその刹那、詰め寄った自分を恨めしく思うもすでに遅い。伸ばされたファイスの腕に気づき、とっさに足を退く。牽制しようと胸のまえで両手を広げたが、左手首を強く掴まれる。背に腕まで回され、抵抗すら許されないまま、サユはファイスに抱き寄せられていた。抗議の声を発しようとしたが、それもあえなく失敗に終わる。
出し抜けに、口を塞がれてしまったからだ。
乱暴で、愛情の欠片も感じられない、唇にくちびるを押しつけるだけの、非道な行為で。
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