Report.7
「……はぁぁぁぁ……」
久々に腹の底からため息が出た。遼太郎は完璧人間と思っていた。だが、今回の一件で、ダメ人間という印象に覆ってしまった。
いや、正確に言えば彼は完璧人間という事で間違いはないだろう。おそらく、遼太郎の彼女は遼太郎と同等、もしくはそれ以上の完璧人間なのかもしれない。僕を含む普通の人間同士に差があっても大して目立たないだろう。一時期親の金に頼っていた僕は普通以下かもしれないが。
とにかく、完璧人間同士に差があるとそれが大きく写ってしまいかねないのかもしれない。僕は完璧人間ではないので知ったことではないが。
何もやる気がしない。僕は普段遼太郎の寝ているベットで横になっていた。起きる気がしない。決して誘惑されたわけでも眠いわけでもない。あー、うん。素晴らしい。
枕に顔を埋めて再び深いため息をついた。いつかどこかで同じようなことをした覚えがあった気がした。デジャヴというやつだろうか。
横目に遼太郎を見ると、申し訳無さそうに正座していた。学校で説教されている学生のようだ。
「なんか……ごめん……」
「僕に謝るなら彼女さんに謝れよ〜……」
「うん……ごめん」
突如、部屋の扉が開いた。弁当のおじさんであった。おじさんは僕を見るなり複雑な表情で近づいて耳打ちをした。
「何やってるんですか」
「え?何って……」
寝てますけど。そう言おうとして、自分の立場を思い出した。そうだ、僕は監視人だ。何故対象の遼太郎が正座をして僕を見守り、監視人の僕がベッドで横になって見守られているのだろう。そもそも、仲良くなったとはいえ、他人のベッドに入るのは流石に失礼である。どうして気付かなかったのだろう。自分を悔いた。
僕は布団からゆっくり起きた。別に嫌ではない。少し寂しいだけだ。少しだけ。
「昼は外出されてた様なので、遅れてはいますが昼食です」
「ありがとうございます……」
あれを見られた後ということもあり、おじさんの顔を直視出来ぬまま礼を言った。おじさんはいつもの如く、さっさと戻ってしまった。
肩の力を抜いて一息ついた。遼太郎は僕が布団から起き上がったあたりからずっとクスクス笑っていた。少々腹立たしかったのでなんとなく呟いた。
「彼女さん」
遼太郎の動作はピシッと止まった。僕は先ほどまで遼太郎がしていた動作と同じことをした。
この日はそれ以降、特に問題は起きなかった。遼太郎の彼女さんは「千穂」と言うらしい。その千穂さんを探そうとも考えたが、流石に見つかりそうにないので、この日は演劇の練習をして、そのまま1日を終えた。
翌日の昼頃、僕らは古い劇場にいた。前に来たことのあるそこは、再びよく見るとやはり風情があり、いい雰囲気を醸し出していた。ここで言う風情が何を指すかは聞かないでほしい。
遼太郎が練習している間、僕は観客席の真ん中のあたり、ステージが見渡せる席で漫画を描いていた。中々いいネタがなく手がしばらく動かなかった。
認めよう。いつものことだ。
ステージに視線を向けると、通し練習だろうか、監督が観客席前列に座り、他の役者はそれぞれの出番をステージ裏で待ち構えているようだった。しばらく見ていると遼太郎が出てきた。漢と男の面接の時ではセリフを読むだけであったが、それに身振り手振りが混ざると更に上手く見える。
遼太郎の役は主役とはいかないものの、そこそこ役割がある主役の友人の役だった。脇役は脇役だが、存在感はかなりのものである。
他の役者も遼太郎に引けを取らぬほど上手い。流石である。
ふと、ステージの左手に違和感を感じた。何故感じたのかはわからない。直感に近いものだった。どうせ僕の姿は見えないので、その違和感の場所を見てみることにした。僕は座っていた席から右手の通路に移動した。そこから見えたのは人影だった。詳しくは見えないが、ステージを凝視しているのはわかる。
更に僕は近づく。ステージに上がる。そして、その正体の元に辿り着いた。男性だった。初めて遼太郎がここに来た時にいた気がしないでもない。容姿はお世辞にも良いとは言えない。
その目は遼太郎を捉えていた。その目からは尊敬や学習意欲などは一切感じない。憎しみや恨みなどの負の感情が、奥深くから溢れ出ていた。
自分のしていること、例えば仕事や趣味に突然才能の溢れる人がやって来た時、どのように感じるだろうか。
感心したり、尊敬したり。
その人から学べることを学んだり、教えてもらったり。
それが才能だと諦めたり、妬んだり、憎んだり。
人それぞれだろう。
ただ、僕から言わせてみれば、感心や尊敬を向ける人がいることは滅多にない。諦める人が殆どだろう。だが、何故か妬んだり憎んだりする人は少なからず1人いる。とはいえ沢山いることはほぼない。何故だか知らないがそういうものなのだ。分かりやすく例えれば、学生の時に妙に勉強の出来る天才タイプは必ずいる。そしてその人を影で悪く言う人も必ずいる。その天才がいかに良い人であろうと。
僕は遼太郎が俳優にスカウトされた時から薄々妬まれることは予想していた。そりゃ突然入ってきてすぐに役をもらえるのだ。周りから見れば癪に感じる人は必ずいるだろう。それがまさに目の前にいた。予想と違うのはその形相だ。ただの恨みや妬みとは違う。それが何かは説明出来ないが、普通の感情とは比べ物にならないほど大きいことはわかる。
その男はいつ遼太郎に危害を加えるか分からない勢いだ。今でないとしても、いつかやらかすだろう。透明人間状態の僕がそれを阻止してもいいのだが、それでは根本的に解決出来ない。監視機関が終われば意味を成さないだろう。取り敢えず遼太郎にこの事を伝えるのが最優先だ。そう思い舞台の方を振り返ると顔が目の前にあった。近すぎて誰か判断できないほど近い。僕は声は抑えられたものの、驚いて尻餅をついてしまった。遼太郎はそんな僕に気付かずに役を演じている。やはり誰にも見られてないとしても、恥ずかしいものは恥ずかしい。
休憩時間に、僕は遼太郎に見たものを伝えた。遼太郎は冷静に
「そっかー。まあしょうがないね。もう慣れたよ」
と答えた。その言葉とは裏腹に、遼太郎の顔は真っ青だった。
「大丈夫か?」
「何が?彼のことなら大丈夫だよ」
「違う。お前真っ青だぞ」
「え?気のせいだよ」
ははは、と遼太郎は笑った。とても弱々しい笑いだった。
男の役はやはりと言っては失礼かもしれないが、脇役中の脇役だった。出番もワンシーンしかない。演技もかなりお粗末なものだった。
「大丈夫か?」
舞台からの帰り際、僕は再び遼太郎に尋ねた。
「大丈夫だって」
はっはっはと笑って見せた。先ほどよりも顔色は良くなっているように見えた。遼太郎は相変わらず周りの目を気に留めずに僕と会話した。
「ほう……」
僕は今日の出来事を無線でおっさんに話した。
「少々心配なんですが……。僕に何か出来ることは無いんですか?」
「お前が出来ることは起こっている出来事を遼太郎君に伝えることくらいだ。監視対象以外に危害を加えると何と言われるかわからん。緊急事態以外はそいつに手は出せん」
僕は何も言えなかった。少し間を空けて、おっさんが口を開いた。
「緊急事態が何かは、わかるよな」
「緊急事態……か」
薄暗い部屋の中、僕は呟いた。緊急事態といえば、遼太郎の命に危機が迫っている時だろうか。妬みや憎みなどでそこまで行くとは思えない。頭ではわかっている。心に芽生える不安を抑えても、どこからともなく不安が湧き出てくる。外では梅雨らしい、弱々しい雨が降っていた。遼太郎を見ると赤子のように眠っている。昼までの不安に飲まれた顔はそこには欠片もなかった。それを見てようやく僕の心にも余裕が出来たのか、心の疼きは少しだけ収まった。僕は静かに布団を被った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます