第六章 トロイの鷹

決別①

 千鶴は夜の一本道にバイクを走らせていた。


 あの後千鶴は莉々亜の端末を借りて花江に連絡し、ことりのいえの無事を確認していた。

 陽介は雪輝にも電話をかけたが繋がらなかった。莉々亜もかけ直したが留守番電話になるだけだった。千鶴の端末はリュックの中に置き去りになっている。


 雪輝を心配しながら、三人は櫻林館に向かっていた。


 莉々亜は陽介のバイクの後部に乗ってもらっている。莉々亜の背後を守るために千鶴は陽介の後ろを走っているので、前方では莉々亜の長い髪が風になびいていた。


 莉々亜に陽介のバイクに乗るよう言ったのは千鶴だった。


「あれの後は頭がぼーっとするんだ。陽介の方が安全運転してくれるよ」

「私は千鶴君のこと、怖いだなんて思ってないよ」


 そのように莉々亜は言ったが、千鶴は無言で首を横に振った。結局莉々亜はうつむきがちにこくりと頷くと、陽介の方へ駆けていった。


「ヘルメットはないんだ。その代りちゃんと安全運転するから安心して」

「ごめんなさい。狙われているのは私なのに……」

「気にしない、気にしない」


 にっこり笑う陽介に、莉々亜も控えめに笑みを見せる。


「千鶴は落ち込んでるだけだと思うから、大丈夫だよ」


 陽介はそう莉々亜に囁いた。


「あの発作が出たのは数年ぶりで本当に久々だったんだ。だからショックだったんだと思う。今はそっとしておいてあげて」


 陽介は無線を手で覆い千鶴に聞こえないように言ったつもりだったのだろうが、無線はしっかりと陽介の小声を拾っていた。

 しかし千鶴は嫌な気分にはならなかった。まさしくその通りだったからだ。


 赤い鳥の幻覚は薬さえきちんと飲んでいれば一生抑えることができると思っていたが、それはやはりただの思い込みであったことに気づかされた。


 自分の中に住み着いていたあの赤い化け物は消えたわけではなかった。息をひそめ、深く根付いている。それが酷く情けなかった。格納庫では煽る常影に反発したが、今ではそれも馬鹿馬鹿しく思う。


 さっきのように、またいつ幻覚の発作に襲われるかわからない。それは千鶴の日常を脅かす恐怖でしかなかった。昔のように繰り返し起こるようになれば普通の生活もままならなくなるし、常影が指摘したようにパイロットの資格を失う可能性だって大いにある。それどころか、誰かを傷つけかねない。


 日常が崩れ始める音が千鶴には聞こえていた。


「千鶴、ワインレッドの鷹のマークのことだけど」


 一本道をしばらく走ったところで、無線から唐突に陽介の声が響いた。


「あれはトロージャン・ホークっていう組織のマークらしい」

「トロージャン・ホーク?」

「そう。トロイの鷹」


「トロイの木馬じゃないのか?」

「木馬ならトロージャン・ホースだけど、トロイの鷹でトロージャン・ホーク。だから鷹のマークなんだ」


 その説明で千鶴はすぐに納得したが、変な語呂合わせだとも思った。


「それは葉山家の情報か?」

「そう。すでに防衛省から指示があって、うちでも調べ始めてたみたい。うちの見解では、その組織がとある企業と繋がってると見ているらしい」


「陽介君の家って、いったい何なの……?」


 無線に莉々亜の声が割って入った。陽介のバイクに乗るとき、陽介から無線をもらっていたようだ。


「詳しくは言えないけど、僕の家は昔から防衛省と深い繋がりがあるんだ。今時世襲制で密命を受ける一族でね。表向きは葉山流現代舞踊の家元ってことになってるけど、実際は隠密機動隊って感じかな。鷹が描かれた家紋がそのまま部隊のシンボルになってるから、鷹の一族とか鷹の群れとか言われてるんだ」


「そんなこと、私なんかに教えちゃってよかったの!」


 慌てる莉々亜に、当の本人は笑った。


「こんなところ見られちゃったら言い訳する方が難しいからね。莉々亜ちゃんが秘密にしてくれれば問題ないよ。それに、葉山家は政界や防衛省関係では結構有名だから、知ってる人は意外と多いんだ」


「千鶴君は知ってたの? 雪輝君は?」


「俺は幼馴染だからだいぶ昔に教えてもらってた。雪輝はまだ知らないと思う」


「小さい頃、千鶴はよく訓練に付き合ってくれたんだ。大嫌いだった戦闘訓練だけじゃなくて踊りの稽古まで一緒にやってくれてさ。千鶴は踊りもすごくうまいんだよ」


 そこまで言ってから「それで、その企業のことなんだけど」と陽介は話を戻した。


「まだ確証を得るまでには至ってないんだけど、麗櫻国の世界的大企業『コズミックアーク』とどうやら関係があるらしいんだ」

「コズミックアーク……星間運送会社がどうして本部を襲撃するんだ?」


「そこまではわからなかった。襲撃があのタイミングだったから次世代戦闘機との関連を調べようと思ったんだけど、次世代戦闘機の詳細は防衛省直属の葉山家でさえ調べられないトップシークレットだったんだ」


 そういう隠し方をするならば、次世代戦闘機に何かがあるのは間違いなさそうだ。


「さっき千鶴と莉々亜ちゃんを襲ったやつらも、トロージャン・ホークの手先だったみたいだ。覆面を剥がしてるときに気づいたけど、うなじのところにあの鷹のマークとシリアルナンバーみたいなものが彫られてた」


 気絶した幼い赤色人種の顔がよぎる。千鶴はそれだけで気分が悪くなった。


「千鶴、大丈夫?」

「ああ」


 千鶴が頷くと、陽介は続けた。


「今の千鶴には酷だろうけど、トロージャン・ホークの手先が赤色人種となれば、火星に本社を置くコズミックアークとは一気に距離が縮まる。赤色人種は火星と深い関係があるみたいだし、コズミックアークはあの火星研究所に多額の寄付をしていたっていう記録も残ってる。世間には公表されなかったから、それがまた怪しいんだ」


 この件は千鶴の想像を逸脱した展開を見せていた。青鷹で戦った相手の所属先が気になって軽い気持ちで陽介に鷹のマークの調査を頼んでみたが、まさか火星研究所の話まで持ち出されるとは思っていなかった。


 千鶴は深呼吸をし、心を強く持つように自分に言い聞かせた。


「でも陽介、どうしてそんな話に俺と莉々亜が巻き込まれるんだ?」


 陽介は呻った。


「もうちょっと時間があれば調べられたかもしれないんだけど……。千鶴と莉々亜ちゃんが危ないってわかったのは、葉山家宛てにリークがあったからなんだ」


「匿名だったってやつか?」


「そう、それ。送信元の解析ができればもうちょっと詳しいこともわかったかもしれないんだけど、何せ緊急事態だったから。『あと半刻で利賀千鶴の抹殺と春日部莉々亜の拉致が遂行される』なんて内容だったんだ! リークするならもうちょっと早くしてほしかったよ」


 陽介は「リークしてくれただけでもありがたかったけどね」と不満気に呟いた。


「どういう手段のリークだったんだ?」

「それがさ、すごいんだ! 葉山家のコンピューターに直接送りつけてきたんだ! おかげで今うちは大混乱だよ!」


 興奮した様子で陽介は続ける。


「うちは極秘情報を扱ってるから、もちろんセキュリティは政府機関レベルで万全にしてある。それを潜り抜けてメッセージを直接画面に表示させてきたんだ! だからリークしてきた人物は天才ハッカーか、そうなり得るような驚くほど頭のいい人物だね」


 ますます千鶴の知り得ない次元の話になってゆく。


 この件でもし火星研究所が絡んでいるとなれば、そこで生まれた千鶴はどこかで関連してくる可能性はある。


 だが莉々亜がどう関連してくるかはわからなかったし、雪輝のことも心配になった。千鶴を襲ってきた赤色人種は雪輝の顔をしていたからだ。


 しかし雪輝は赤色人種ではない。雪輝の目や髪は黒いし、何より雪輝は赤色人種特有の幻覚症状もなければ、千鶴のように薬で抑えている様子もない。それに、雪輝はどちらかというと赤色人種を毛嫌いしているようでもある。


 ということは、赤い髪の同じ顔をした子供たちは、雪輝本人か雪輝の血縁者を赤色人種化したクローンだったのだろうか。


「わからないことだらけだけど……」


 千鶴は遠くに見える明かりに目をやった。櫻林館と航空宇宙防衛隊本部の明かりだ。


「櫻林館に着いたら、まず雪輝を探そう」


 千鶴は妙な胸騒ぎを覚えていた。雪輝が何かを知っているはずだと直感が告げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る