第十一歩 東の女性(ひと)
二人の男は無遠慮に室内に入り込んできた。
二人とも同じ黒いシャツを着ており、一人はきょろきょろとあたりを見回して、ふっと鼻で笑った。もう一人は無表情のままだったが、メイとジルをちらりと見てからすぐに目をそらした。
無表情の方の男が紙を取り出し、無造作テーブルの上に置いて口を開いた。
「メイ・シュゼットの夜間外出の罰金を出せ」
ディンバーがさりげなく位置を変えてテーブルの紙を見ると、夜間外出云々とメイ・シュゼットという文字が見て取れる。
青年会とやらからやってくるのは、おそらくこの男たちのような大柄な者が多いのだろう。二人は入口を背に仁王立ちになった。
小ぶりではあるが居心地の良い家が、今は息苦しいほどに窮屈に感じる。
「うわー。マッチョだねー。昨日の門番とどっちがマッチョだろ」
ディンバーは思わず唇を突き出した。幸い音は出なかったが、キールがあわててディンバーの口を両手で塞ぐ。
キールの母は炊飯台の傍に置いてあった籠から袋を取り出すと、そこからくたびれた緑色の紙幣を何枚かつまみあげて数を数え始めた。
その姿を見た男のうちの一人がにやりと笑い、キールの母の手をおもむろにつかんだ。
「いや、金額が改定されたんだ。ちょうどその袋の中身くらいの金額にな」
男が力を入れると、キールの母がたたらを踏む。
「おい。やめろ。今まで5万でいいだろう」
もう一人の無口な方の男が制する。
「値上がりしたんだよ」
「ふざけるな!」
キールが男の手をつかもうとするも、屈強な男の腕力には勝てなかったのか、乱暴に弾き飛ばされて、床に転がる。
揉め始めたのを感じてか、キールの家の前には人が集まり始めていた。
ディンバーはおびえるメイとジルの前にしゃがみこみ、
「ちょっと、外に出てようか」
そう言って二人の手をとると、堂々と建物の入口に向かった。
そのディンバーを見つけ、キールの前に立ちはだかっていた男が眉を跳ね上げる。
「なに勝手なことしてる、貴様」
持っていた警棒を勢いよく壁につきたてると、みしりと壁が嫌な音を立てた。
警棒には金属の装飾がなされている。慣れた様子で男はもう一度警棒を振り上げると、今度はディンバーの顔の直ぐ横を掠るようにして壁を揺らした。
こんなもので叩かれたのだから、小さなメイの足が腫れあがるのもむりはない。立って歩くことができるということは、骨折まではしていないようだが、それでも重度の打撲であることに違いはない。
「ここにいると、子供らが怖がるから」
低く抑えた声は、わずかに震えていた。それを恐怖の現れととらえたのか、男は嗜虐的に口の端を持ち上げる。
「そりゃいいことだ。躾は子供のころから必要だからな」
ディンバーは警棒を無視して二人を入口から外へと出した。近所の大人だろうか、すぐに二人を人の輪に呑み込ませてくれる。二人の姿が見えなくなるとディンバーは入口のドアを開け放ち、内側からドアにもたれかかるように体重をかける。
「それはそうと、青年会って何ですか?」
「ん? そういや、お前、結構いい服着てるな……ここの人間じゃねぇのか。街の坊ちゃんてか」
ディンバーは肯定も否定もしなかった。
その様子に男はにやにやと笑って、ディンバーの顔すれすれに警棒をつきたてる。
「青年会はなぁ。このあたりの道路や水路や燃料なんかを、ここにいる奴らのために保管し、維持している組織なんだよ。土地を安値で貸してやって、家を建てるってときには資材置き場から木材を持ち出してもいいっていうおまけつきの優しい組織さ。犯罪が起きないように夜の間は見回りもしてる。犯罪者とは命がけで戦う優しいお兄さん達よ。そのお兄さん達のために、皆さんにはちょっとずつ寄付をお願いしているんだ。おわかり?」
「はぁ……」
ディンバーは中途半端な相槌を打つ。
「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと出せ。袋ごとだ」
「罰金ってのも、基準があるんですよね」
「さっきから、ごちゃごちゃうるせぇな。あるよ、ありますよ。登録名簿に載ってるやつが犯罪を犯すと、罰金ですよ。ほら、ちゃんと書類もあるぜ。いちいち大人のやることに口を出すんじゃねぇよ」
男が乱暴にテーブルに置かれた紙をつかみ、ディンバーにつきだす。
ディンバーはそれを受け取ると、にっこりと笑った。
「良かった。じゃぁ、今回は正規の徴収じゃないんですね。何だ、僕びっくりしましたよ。兄さん達迫真の演技だから。これじゃ、メイももう夜間外出なんかしないだろうし、他の子もいい子になるかも知れませんね」
「何を言ってやがる、てめぇ」
「いやぁ、それにしても手が込んでる。このハンコなんか、本物使ったんじゃないですか? すごいなぁ」
「だから、何を言ってやがる」
とうとう、男はディンバーの胸倉をつかみ上げた。
「……だって、これって」
そこでディンバーはさらににっこりと笑った。でもここ二日間ほど一緒にいたキールには何となくわかった。
(笑って……ねぇ)
いつの間にか背筋に嫌な汗が流れる。
「偽物というか、お兄さん達が勝手に作ったやつでしょ」
ディンバーの声はやけにクリアに聞こえた。
ディンバーを締め上げていた男も目を白黒させてから、ディンバーの襟を離した。
「ほら、おじさんたちも見て見て。紙なんか公文書そっくりなんだよ。透かしも入っちゃって……ほんと、良くできてる。でも」
徴収のための用紙はあっという間に人々の手に渡り、くしゃくしゃになってディンバーの手元に戻ってきた。ディンバーはそれをきれいに折りたたみながらにこやかに続ける。
「メイ・シュゼットって書いたのは、メイ本人にわかりやすいように、でしょ? ね? おてんばなお嬢さんに注意をしに来たんでしょ? そうじゃなかったら」
「なにが言いたい!」
「そうじゃなかったら、ちゃんと登録名で書類は作るでしょうからね」
キールは思わず母を見た。
母も小さく首を振っている。
ということは、この町の住民登録はなされているということなのだろう。ディンバーは何を言っているのだろうか。
「僕も、初めて見たけど……東方文字。ええと、メイの名前は、どうやって書くんですか?」
ディンバーはキールの母を見た。
キールの母も驚いた表情を見せていたが、すぐに籠からペンを持ち出し、近くにあったリンゴの入った紙袋の一部を切り取ってテーブルに置くと、この国の文字とは違う、直線の組み合わせで作られた文字を三つ書いた。
「うわ。複雑……これは、俺には書けないや。でも、登録は正式名でなされるから、書類はこっちの名前になるはずなんですよね。でもそれじゃメイにはわからないかもしれないから、彼女がわかりやすいように「メイ」って書いてきてくれたんですよね。いやぁ、正規のお仕事以外にも、こんな風に安全教室まで開催するなんて、ほんと面倒見が良いですねぇ。迫真の演技だから、僕まで怖かったですよ」
ディンバーがまくしたてると、男はぐっと口を噤んだ。
「ほら、メイ。こっちにおいで。ちゃんとお兄さん達に謝ろう?」
そう言うと、人垣のなかからおずおずとメイが出てくる。様子は見えなくてもディンバーの声は聞こえていたのだろう。
「ほら。お兄さん達は、メイが遅くに外出したことを心配してきてくれたんだ。……ですよね?」
ディンバーの瞳はじっと二人の男を見つめている。
ドアの外に集まった人々もじっと男たちを見ていた。
ここにきて初めてキールは、ディンバーがなぜドアを背にしていたのかに思い当った。
最初からこのつもりだったのだ。書類が偽物で、彼らが私腹を肥やすためだけにここへ来たこと。その中にはほんの少しの大義名分も含まれていないこと。それをおおっぴらにするために。その様子を、集まった人に見せるために。
メイはディンバーの足に隠れるようにしがみついていたが、ディンバーの手がそっと背中を押すと、片足を引きずりながら数歩前に出た。
外に集まった人たちから「かわいそうに」とか「子供に対してやり過ぎだ」とかの声が漏れる。
「あの……お兄さん達……。ごめんなさい。もう、夜遅くに出歩いたりしません」
そう言ってディンバーを振り返る。ディンバーは小さく首を振った。
「あ……ええと……。心配、してくれて……ありがとう」
メイはそう言ってぺこりと頭を下げた。男は顔を真っ赤にして押し黙る。
母が頭を下げたのを見て、キールも頭を下げた。
「おい、行くぞ」
無口な男が最初に動いた。
「なんだよ、こんなのどうだって……おい!」
「行くぞ」
「くそ! わかったよ、……次から気をつけろ! いいな!」
男たちは足音も荒々しく家を出ていく。
顔をあげると、ディンバーが遠ざかる男たちの姿を険しい顔で見つめていた。
しかし、すぐにその表情が消えると、ディンバーが乱暴にメイの頭をなでる。
「この子、めっちゃ頭いいね。あそこで「ごめんさない」なんて言われたら、どんな奴でもメロメロでしょうよ」
キールは床に座り込んだまま盛大に息を吐いた。
「なにが、なんだか……」
その様子を見て、キールの母はクスクスと笑い声をあげる。
「母さんはわかったわよ。ディッツ君のからくり」
「……からくり?」
「ええ」
キールの母はいたずらっぽく笑った。
「一つ目は、あの無口な男の人でしょ? あの人、子供がいるわね。多分……そうね、メイとかジルくらいの」
「……やっぱり、そう思います?」
ディンバーも「やっぱりそうかぁ」なんて言っているが、どういうことなのだろうか。
「似合わないネックレスしていたもの。写真が入るタイプのやつね。ああいうのって、結構男の人の方が付けてたりするのよね」
「……そうですか。女性は結構現実的ですもんね」
ディンバーが苦笑とともに近くの椅子を引いて座った。いつの間にか入口は閉められ、周りの人も去って行ったようだった。部屋の中にはいつもと変わらぬ、のんびりとした空気が流れている。
先ほどまでもめていたとは思えないほどだ。
「まぁ、そこはそうだったらラッキーだな、位にしか思っていなかったんですけどね」
「そうなの? 大きなポイントだったと思うわよ。そして、二つ目は部屋の内装でしょ? 東方に行ったことがあるの?」
「はい。昔、叔父に連れて行ってもらって……あれ以来刺繍の絨毯が我が家ではブームが去ることを知りません」
「あら。うれしいわ」
キールを置き去りに進む会話からすれば、この部屋にあふれる母手作りのタペストリーやら、ベッドカバーやらは、東方の産物ということなのだろう。ということは。
「ご出身は、東方なんですね?」
「そうよ、ニャパという地方なの。刺繍は得意なのよ」
「素晴らしい。一つうちにも作っていただきたいくらいです。今度発注してもいいですか」
「もちろんよ。力作をお届けするわ」
確かに、母の出身は東方だと聞いている。
キールにもやっとつながってきた。
「親父は、東方で母さんと知り合って、んで、こっちに来たって」
「みたいだね。親父さんは学者さんか……先生だったんじゃない?」
ディンバーにはどこまでわかるのだろうか。
溜息とともに頷くと、苦笑が返された。
「大したことじゃないんだよ。本に……ほら、名前が入ってるでしょ。それがシスールってなっていたからさ。キールのお父さんなんじゃないかなって。弟さんは「ジル」でしょ。ってことは男の子はお父さんと同じく「ル」で結ぶことにしたのかなって思ったんだよ。東の方には、親から一文字もらうっていう風習があるって聞いたことがあったからさ」
「たしかに、俺の親父はシスールって名前で、鉱物学者だったよ。俺に文字を教えたのも親父だ。自分が死ぬまでに何とかして本を読めるようにしてやるって言って」
「そりゃ、良い親父さんだね」
ディンバーの言葉がどこかにストンと落ちた気がした。
「後は簡単よ。最後の文字が「ル」じゃない子、つまりメイは私側の法則で名付けたのじゃないかって思ったのでしょう? 大当たりよ。私の名前はウィリケ。メイの名前とは東方文字で書いた時の最後の一文字が同じなの」
「ということだよ。キールの親父さんは、キールたちを公国の文字で、お母さんとメイを東方文字で登録したんじゃないかって思ったんだ。確認してなかったから、あそこでキールの……いや、ウィリケさんが機転を利かせてくれた良かったよ。いや、今回は結構ひやひやした」
ディンバーはひらひらと手で自分の首のあたりを仰いだ。
そこには、似合うのか似合わないのかは分からないが、銀色のチェーンが見えていた。
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