第六歩 見えないけどアリューシャが現れた
キールは押し黙ったまま馬車から下りた。
最初に目隠しをされたため、手錠がどのような素材なのかを確認できなかったのが悔やまれる。
感触ではふわふわとした毛のようだが、想像するものであれば非常によろしくない。
身体より心を疲弊させてため息をつくと、隣に座っていたディンバーが「大丈夫?」と本当に心配そうに声をかけてくるのも腹立たしい。
「誰のせいだ、誰の。こんなとこ、弟ならまだしも、妹に見られたら」
きっと自宅周辺で知らない者はいなくなる。彼女は良く言えば社交的、的確に言えばおしゃべりなのだ。
「でも、すぐに家に入れてくれるみたいだ。門のところをガチャガチャやってる音がする」
「ミラーさん。ご在宅ですかー」
警官の声が聞こえた。しかし門の開く音はしない。
「不在じゃねぇの? 居なかったら一晩留置所か?」
「ミラーさん。アリューシャ・ミラーさーん。いらしゃいませんかー」
その声に見えないなりに二人は顔を見合わせた……ような行動を採った。
「アリューシャ……」
ぼそりとつぶやいたのはディンバーだが、キールも同じように口の中にその名前を転がした。
確かに、二人はこの家に来たことがある。
しかも昨日。そして印象悪く追い出されたのも確かだ。
「一件目のアリューシャか。なんか、屋敷のベテランメイドっぽいのが出てきた」
「たぶんね。二件目のアリューシャ邸では、門にたどり着く前にマッチョが二人いたからね。警察の人だってああやって門にとりついて名前を呼んだりしないでしょ。ラッキーだ。アリューシャに会える」
「いや、今そこじゃねぇよ? 会えたとしても俺らストーカー扱いだかんな?」
もそもそと二人が話している間に門が開けられたのだろう、二人は腰につけられたひもを引っ張られながらよたよたと屋敷へと足を踏み入れたのだった。
ディンバーの金で買った靴は、安物ながら踵には樫の補強のついている丈夫なものだった。屋敷の床材はおそらく石なのだろう、歩くたびにかつんと乾いた音がする。
音はあまり響かずに吸収されているので、玄関ホールとまでは行かない空間を持つ屋敷であることが分かった。
玄関に入り、扉が閉まったことを光の量で感じていると、昨日聞いたメイドの声が聞こえる。どうやら女主人が来たようだった。
ヒールの音が近づいてきたが、一瞬止まり、小さく息をのんだのが音でわかった。
「ええと、ちゃんと繋がっていますし、悪さもさせませんのでご安心を」
警官の声はちょっとよそ行きのものに聞こえた。小さく笑い声まで挟ませるあたり、このアリューシャという女主人に気に入られようとしているのだろう。少なくとも悪い印象を与えたいというときに出す声ではなかった。先ほどよりも上ずった声ということは、彼も多少緊張しているのかもしれない。
「え、ええ。あの……すみません、わざわざ直接顔を拝見したいなどと、ご無理を言いまして」
「いえ、これも仕事です。心配事は消してしまわないと」
消すってどういう意味だと突っ込みたくなるのをぐっと我慢して、キールは神妙に口をつぐんでいた。
「こいつらが、昨日屋敷のまわりをうろうろしていた男でお間違いないでしょうか」
コツコツとヒールを鳴らしてアリューシャがやってくる。
ふわりと風が動き、人の気配というのが体温を伝えた空気であることが実感できる。
甘い香りが届くほど近くにやってきたのだろう。アリューシャがキールとディンバーの顔を確認しているのが何となく感じられた。ちょっと手を動かせば彼女に触れそうな気がする。
「はい。屋敷の窓からリルハ……彼女が来訪をお断りするところを見ておりましたから、間違いございません」
「お前たちは何か言うことはあるか?」
警官は律義にこちらにも発言する機会を与えてくれるようだ。
しかし、その雰囲気には険悪なものを感じた。めったなことを言えばすぐにでも腰のひもを引かれることになるのだろう。ディンバーが何も言わないことにほっとしながら、キールは慎重に言葉を選んだ。
「あの……確かに僕ら、昨日、町の北側にあるお宅を訪ねました。アリューシャさんという方を探していたからです。でも、ストーカー? なんてことはありません」
「よく言うよ。こんなに白紙の手紙を送り付けて」
何かをたたくような音がした。どうやら証拠として保管していた手紙の束を叩いたようだ。
「おとといの手紙にはやっと何か書いてきたと思ったら「君に会いに行くよ」だと? 来たら来たで今度は知りませんだと。そんな嘘は通用しないぞ。しかも、いいか、この手紙にはな、こんな……いやらしいものも入っていたんだ」
ぐっと警官の身体が近づいたと思ったら、手の中に何かを握らされた。
ざらつくような、それでいてとても細い。縮れた細い糸のような
「っげ! なに握らせてんだよ! 気色悪りぃ! あ、あんただけ手袋してんじゃねぇか! ふざけんな!」
キールは手をぶんぶんと振り回した。一刻も早くこれを手放したい。だってこれは、なんだか想像するのもいやな、あれじゃないか。
いや、違うかもしれないが、見えない分だけ想像力が実力を発揮して困る。
なぜか門番のマッチョが脳裏に現れては消える。
「あ、ばか、こら。暴れるな」
バサバサと何かが床に散らばった音がする。
キールがやっとのことで、警官から逃れ、自分のズボンで手のひらを拭いていると、ふと腰のひもが揺れた。さりげなくディンバーの方によってみると、どうやら一度かがんでから立ち上がったようだった。
「あの……いいんですか?」
そう言ったのはディンバーだ。小さな声で、ちょっと遠慮したように紡がれた言葉の意味をはかりかね、キールは見えないなりにディンバーの気配を追ってしまう。
その代わり、先ほどと同じように、小さく息をのむ音が聞こえた。
「大丈夫ですよミラーさん。そんなにおびえないで」
アリューシャがおびえているという。ディンバーの言葉におびえるというのはどういうことなのだろう。何かディンバーは知っていて、それをばらそうとでもいうのだろうか。
いや、ディンバーもここへ入るまでアリューシャとは面識はないはずだ。
「おい、おまえ。何を言い出すんだ。この人を脅したりしたら承知しないぞ」
布地の引き攣れる音がした。腰のひもが揺れ、警官がディンバーの拘束を強めたような気がする。
「ちょ、ディッツ何言って」
「何とか言ったらどうだ!」
キールの声を遮って警官がディンバーに問いかけた。
しかし、ディンバーはしばらくの沈黙の後に、もう一度「いいんですか?」と繰り返す。
警官がさらに問い詰めようとしたその時、細い声で「ええ」とだけ返されたのが聞こえた。
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