第三歩 ちいさなアリューシャが現れた
「あのな。どこの世界に昆虫採集に協力してくれるお嬢さんがいるっていうんだよ」
キールが腰に手を当ててディンバーをしかりつけた。
「カーダーなんとかっていう学校も持ち出しやがって。そりゃ確実に一般人が通えないタイプの学校なんじゃねぇのか。足がつくだろ足が」
しょんぼりと肩を落としつつ、道路わきの柵に腰かけたディンバーは上目遣いでキールを見た。
「足がつくって……別に悪いことをしているわけじゃないし。別に隠すほどの身分じゃないし……誘拐されたりしてもどうにかなるでしょ」
キールのこぶしが飛んだ。
殴られたディンバーは頭を抱える。
「ならねぇよ。いいか、その出来が良いんだろうけど残念な頭に刻みつけておけよ。金で解決できるならいい。取引が出来るならそれでもいい。でもな、あんたの命は他の人と違って誰かとすげかえることのできない、えらーい命なわけ」
ため息交じりに言ってキールはディンバーを見下ろした。すぐに口を噤む。
ディンバーがじっとキールを見ていたからだ。その瞳にはいつもとは少し違う色が見える。もしかしたら怒りに近いものなのかもしれないが、キールがその違和感に気がつく前にディンバーが「違う」と言った。
「俺の命も、他の人の命も、その人以外が補填出来るようなものじゃないでしょ。キールはすごく頭が良いと思うけど、そこは間違ってる」
「ま、間違ってるって……」
ふいとディンバーが目をそらした。地面のタイルを見つめながら不機嫌そうに足を揺らす。
「わかったよ。わかった。オレが間違ってました。……で、昆虫にも意味があったわけ?」
ちらりとキールを見たディンバーだったが、まだ機嫌は直らない様子でプイと横を向く。
「……希望を告げただけだよ。俺が昆虫好きだから、見つかったアリューシャが昆虫好きなら言うことなしだなって思ってさ」
「あんたが、昆虫好き? 公子様なのに……昆虫……」
キールは目を丸くした後、楽しそうに肩を揺らした。
キールがディンバーを公子様と呼ぶ時は、決まって少し辺りを気にする。当のディンバーよりも警戒心が強い。そのためか、誰かが近づいてくるとキールは話すのを止めたり、ディンバーの事をディッツと呼び変えたりしていた。
「なんか、あんたっていい感じだな。まぁ、常識が無いってところは確かに公子様だけどさ。偉ぶってないし、命令調でもないし、趣味は昆虫採集だし。こういう世の中でなけりゃ仲良く出来たかもしれねぇな」
キールはなおもくつくつと笑っていた。
三件目のアリューシャ邸はシンプルな門構えではあるが、しっかりと手入れの行き届いた庭を持つ洒落た外見をもつ屋敷だった。
午前中を使って二件のアリューシャ邸を訪ねてみたが、残念というか当然というか、どちらも門前払いだったのだ。
もちろんアリューシャには会えなかった。
二人は門の前に立ってはいたが、小さな声で言い争っていた。
「今日は止めようぜ。よりによってあんた昼飯にニンニクたっぷりの包み焼きなんか喰いやがって。万が一会ってくれるってなったって、第一印象ダメダメだぜ」
「ニンニクのどこがいけないんだよ。ちゃんと歯は磨いたよ」
「そう言う問題じゃなく、もう染みついてるってんだよ。鉄板焼きの匂いも食べたニンニクの匂いも。むしろ毛穴から染み出るっていうか……。な、明日にしようぜ」
顔をしかめてキールがディンバー近くで鼻をつまむと、不意にかわいらしい声が二人の間に割り込んだ。
「そうね、ちょっと臭うかもしれないわね」
さすがにディンバーも驚いたらしく、辺りを見回した後でそろそろと視線を下げて行った。
長身のディンバーのちょうど腹のあたりに、ふわふわとした金色の髪が見える。ディンバーのそれとは違い、風に踊る様がとても軽やかで美しかった。
キールもびっくりした様子で声の主を見ている。
紺色のワンピースにピンク色のボレロを着た少女がディンバーの腹のあたりに顔を近づけて、鼻をひくひくと動かしていた。
「でも鉄板焼きを食べたって言われなければわからないわ。気にしすぎじゃなくて?」
胸を張ってそう宣言した少女は、くるりと振り返って「そうよね、フォード」と付け加えた。彼女と同じく視線を転じれば、いつの間に現れたのかきっちりとした燕尾を着こんだ男が立っている。
「そうですね。ですが、初めてのお宅を訪問されるには、少しばかり不用意かと」
「そうねぇ。うるさい方もいらっしゃるし。でも今回は大丈夫よ」
フォードと呼ばれた青年は、銀縁の眼鏡を指先で押し上げた。同じく銀色の髪がわずかに揺れる。
「と、申しますと?」
フォードがそっと少女の傍らに歩み寄った。少女の執事らしく、ディンバーたちが何か危害を加えないとも限らないと警戒をあらわにする。
「この方たち、ウチに御用が御有りのようですもの」
少女はにっこりと笑った。
「ええと……」
キールが困ったように呟いた。
するとフォードがわずかに背を正し、白い手袋を付けた掌を少女に向ける。
「この方はこちらの邸宅の主。アリューシャ・エンディアラ様です」
「アリューシャという女性を探している? それは私のことなのかしら」
アリューシャは首を傾げた。
通された客間には高級そうなテーブルと、同じつくりの椅子が並んでいた。フォードが銀のワゴンを曳いてきて、白磁のカップに紅茶を注ぐ。丁寧な仕草で全員の前に紅茶をセットすると、足のついた皿を中央に置いた。赤いジャムののせられたスコーンが甘い香りを放っている。各々の皿に盛り付けがなされ、フォードが一歩下がって姿勢をただした。
「フォードの焼くスコーンはおいしいのよ。どうぞ召し上がって」
アリューシャはそう言って自らスコーンを口に運ぶ。ディンバーとキールもそれに倣ってスコーンに手を伸ばした。優しい香りが口に広がる。確かに売っているものとは違うようだ。
「実は……名前以外に探す手立てが無いんですよ。アリューシャさんと言う方を探すと言うだけで」
ディンバーは眉尻を下げて首を傾げた。
「その、アリューシャさんとやらを探す理由は何なの?」
「うーん。まぁ、恥ずかしながら……」
ちらりとキールを見れば、「仕方ない」とばかりに首を縦に振る。候補者に会ったのならアリューシャを探している理由を告げないわけにもいかないだろう。
「幼少のころに両親が決めたという僕の婚約者を探しておりまして……。アリューシャと言う名前以外に手掛かりが無いのです」
ディンバーが婚約者と言う単語を出した途端、フォードが少し嫌そうに眉根を寄せた。
「ではきっと私ではないわね。私は今年で十歳よ。あなたが小さいころに決められた婚約者なら、あなたと同じ位の年齢の方よね」
なぜかアリューシャがほっと息を吐いた。するとフォードが少しだけ前に出る。アリューシャが発言を許すと、フォードはしっかりとした口調で話し始めた。
「年齢だけなら可能性が無いとは言い切れません。ディッツ様が二十歳だと仮定すれば、十歳のころにアリューシャ様が御生まれになっていますよね。女児の誕生とともに婚約者が決まることも多々ありますし」
「でも、私はここの生まれではないのよ」
なおもアリューシャはディンバーの婚約者である可能性を否定する。
「ディッツ様はどちらの御生まれですか」
フォードの問いかけに、アリューシャも真剣なまなざしでディンバーを見た。ディンバーは小さく「困ったな」と呟いてから軽く額を掌で押さえる。
「僕の生まれはロクテロン。南部の猟師町です」
「ああ青の街。アリューシャ様も南部、ウィディロマでお育ちです。これでディッツ様とアリューシャ様の御家柄が会えば」
「フォード。家名を訪ねるのは失礼が過ぎるわよ」
フォードはすぐに長身を折り曲げて「失礼いたしました」と慇懃に礼をした。すっと一歩下がり口を閉じる。
「ごめんなさい。気になさらないでくださいね。良かったら午後は庭でおしゃべりでもいかがかしら。実は今日の御約束がキャンセルになってしまって時間が開いてしまったのよ。お付き合いいただけると嬉しいのだけど」
キールはその申し出に苦笑した。同じようにディンバーも苦笑する。
「お申し出はありがたいのですが。得体のしれない男二人とお茶というのは、なかなかに家人泣かせですよ」
キールが小さく笑いながらそう言った。。
わずかに顔を赤らめるアリューシャを見てからフォードのほうを振りかえると、無表情ながらも同意する雰囲気が漏れ出ている。
「まぁ、優秀な執事殿がいらっしゃれば心配は無いのかな」
「まあ、キール様……フォードもお礼を言って。優秀だなんて、そんな」
アリューシャは自分がほめられたかのように頬を染めて嬉しげに言葉を紡ぐ。
「フォードは父上が亡くなられた後に来た執事なのよ。古参の執事が辞めてしまって困っていたところを助けてくれたの。家の内外のすべてを任せているわ。それはもう、庭木の手入れから、金庫の」
「アリューシャ様。それ以上は」
キールがやんわりと制すると、アリューシャもハッとした様子で口元を押さえる。
「そうね、ちょっとはしゃぎ過ぎたわ」
アリューシャは恥ずかしそうに言った。
午後のお茶がダメだと言うなら、せめて送らせてほしいというアリューシャの申し出を受け、二人はアリューシャの後をついて庭を歩いていた。
すっとキールがディンバーの耳元に口を寄せる。
「なぁ。フォードって怪しくねぇ? 親父さんが死んでから執事になったんだろ。この屋敷の財産とかって……」
「言いたいことはわかるけど……違うと思うなぁ」
ディンバーもこそこそとキールに返答する。
「そうか? だってあんな子供なんだぜ。今は後見人とかがいるだろうけど十二になったらちゃんと家を継げるんだろ。継いだ途端に……ってことにはならないのかね」
「……ならないと思うけど」
楽観的だなとつぶやいたままキールは口を閉じる。どうも納得していない様子に、ディンバーは苦笑して口を開いた。
「んじゃ、試してみる?」
「試すって」
キールが問いただすよりもまえに、ディンバーがすっと前に出た。
ふっとディンバーの気配が変わる。明らかな害意を滲みださせて素早くアリューシャに向かって手を伸ばした。ディンバーの身のこなしは訓練された者のそれで、思わず制止しようとしたキールの手をもすり抜けてアリューシャの襟もとへと届こうとしていた。
次の瞬間。
長身が半回転して地面に転がった。
地面にうつ伏せ倒れ、肩のあたりを膝で押さえつけられたディンバーは後ろ手に腕を掴まれた状態で悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっと待って。ギブ。ギブ」
「何が目的です? このまま警察に通報いたします」
ディンバーを半回転させて、見事に地面に縫い付けたフォードは、鋭い視線でディンバーをにらみつけていた。
「フォ、フォード? ディッツ様……いったい、何が」
驚いて後ろに数歩たたらを踏んだアリューシャに、フォードが静かな口調で、ディンバーがアリューシャに危害を加えようとしていたのだと説明した。
「待って。待ってください。ええと、そりゃ間違いじゃないけど、真意じゃないっていうか。お嬢さんに手を伸ばしたのは確かだけど、ホントに触ろうとは思ってなかったって言うか」
ジタバタとディンバーが暴れながら抗議する。
フォードはそんなディンバーの腕を締めあげた。傍から見ていてもディンバーの関節がおかしな音を立てたのが聞こえた。ディンバーは息を詰めるのと同時にアリューシャも息をのむ。
「アリューシャ様。 その男から離れてください」
フォードがキールをにらみつけながらアリューシャにそう言った。そろそろとアリューシャの足がキールから離れて行く。
「いや。なんというか……ごめんなさい。あの、そいつ、放してやってくれませんかね」
キールは慎重にそう言うと、うめき声を上げるディンバーを指し示した。無言のまま否定を表すフォードにさらに口を開く。
「あの、そのですね……んじゃ、そいつのポケットに入ってる財布を見てもらえませんかね。ちょっと、その体制はまずいんじゃないかって思うわけで」
「何が言いたい。そうやってごまかそうとしても無駄だ」
言うなり、片手でディンバーの両手首を押さえ、フォードはジャケットからベルを取り出そうとした。他の使用人を呼ぶつもりだろう。
「ちょっと待って。呼んだらアリューシャがめちゃくちゃ不利になるぜ。何せ、あんたが組み敷いてるのは……王位継承者なんだ」
「戯言を!」
「見てみろって。そいつの財布! 正真正銘ロイヤルメーカーが発行したビロウドの聖布に継承の紋章があるから。確かめてからでもいいだろ!」
キールが手を合わせて頼み込むと、フォードはしぶしぶといった様子でディンバーのポケットに手を伸ばした。その間に何かされてはたまらないと、隙なくキールから視線を放さない。
取り出して、器用に片手で中身を空けると、キールが言った通りのものが姿を現した。
フォードは真偽を確かめようとその表面をつまみあげた。
その様子にアリューシャがそろそろと近づき、フォードの手元を覗き込む。
「確かに……継承紋が。公爵子息様……本当に?」
「本当ですって。本当だから、放してやってくれ」
一瞬の沈黙ののちに、アリューシャがフォードにディンバーを解放するように呼び掛けると、フォードはすぐに立ち上がった。
「い、痛い……肩が外れたかと思ったよ」
ディンバーは情けなく右肩を押さえながら体を起こした。
「いや、ちょっと執事のフォード君が、アリューシャをだまして遺産をこそぎ取ろうとしてるんじゃないかってキールが言うもんで。そうじゃないってことを証明しようとしたらこんなことに」
さりげなく全責任をキールに押し付けて、ディンバーはぶつぶつと文句を言った。
「疑ったのは事実だけどさ、確かめろなんて俺は一言も言ってないんだけど」
キールの反論を軽く無視して、ディンバーは口角を持ち上げた。
「どちらにしろ混乱させて申し訳ございませんでした。改めてサイマール・中略・ディンスイエル・バーナートです。ディンバーと呼ばれることが多いのですが、今はディッツと呼ばれています。んで、フォードさんは遺産目当てですか」
「あのな!」
中略すんなとか、他に聞き方があるだろうがという意見はまたもや無視された。フォードはその様子を見て目を丸くしていたが、不意にくつくつと笑い始める。
「なるほど……私が、アリューシャ様をだますなり、殺害するなりして遺産を取ろうとしていると。まぁ、そんな想像をされても文句は言えませんね。何しろ……大旦那様が亡くなられて使用人がほとんどいなくなった所に現れたのが私ですからね」
「フォード……そんな」
アリューシャの声が小さく震えた。大きな瞳に見る見るうちに涙が溜まっていく。しかし、こぼれおちる前にアリューシャはぐっと唇をかみしめるとディンバーとキールを見据えた。
「お客さま方にはご迷惑をおかけしまして、申し訳ございません。わたくしが年若く、頼りないからこのようなことになってしまいましたのね。でも、フォードを雇ったのはわたくしです。わたくしはフォードも、わたくしの眼も信じておりますし、万が一……ま、万が一ご心配いただいたことが起きても、すべて、わたくしの責任ですもの。後悔もいたしませんわ」
ポロリと一粒涙が落ちれば、後はこらえきれなかったのだろう。瞳からしずくを落としながらきゅっと口を継ぐんだアリューシャの姿に、ディンバーは小さく「しまったな」とつぶやいた。どうやらこの状況はディンバーにとっても予想外だったようだ。
「すみません……泣かせるつもりはなかった……というか、その、ごめんなさい」
ディンバーは長身をしっかりと折って頭を下げた。
「いいえ。いいえ……。ごめんなさい。泣くなんて、みっともない真似をしまして……フォードのことをそのように言う者がいるのは、もちろんわかっておりました。面と向かっては言われたことはありませんが」
そりゃそうだろうとキールはちらりとフォードを見る。フォードも居心地が悪そうに、わずかに身じろぎした。
「でも、フォードは……フォードはそのようなことはいたしません。だって……」
アリューシャはちらりとフォードを見た。
ディンバーとキールもフォードを見た。
とうのフォードは、何を言われるのかと首をかしげる。
どうやら、アリューシャが言いたいことには覚えがないようだ
「フォードは、フォードは……」
何度もそう言いながら、アリューシャはきゅっとドレスを握りしめる。
「フォードは」
「フォードは?」
ディンバーがそう繰り返すと、泣いていたためだけではなく顔を真っ赤にしたアリューシャが小さく口を開いた。
「……ですもの」
「え?」
男三人が首をかしげる。
「だから……です、もの」
「はい?」
とうとう男どもはそろって身をかがめてアリューシャの口元に耳を近づけた。
「だから!」
「フォードはただのロリコンだものー!」
「だものー!」
「だものー!」
「だものー!」
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