ディンバー公子の初恋 ディンバー公子街へ行く
ナツメ
第一話 ディンバー公子街へ行く
プロローグっていうか、無理やりな旅立ち
青年は背中を丸めて地面を掘っていた。
青々とした葉の茂る大木の下で、子供の頃から愛用している麦わら帽子と、くたびれて履き心地の良くなったベージュのズボン。白い長そでのシャツの裾は残念なことにズボンの中にしまいこまれている。帽子から覗く金髪は適当に括られており、うっすらと汗ばむ青年の首筋に張り付いたりもしていた。
青年の名はディンバー。正式な名前はやたらと長い。
目下の興味は右手に握られたカブトムシ。肩から掛けた虫籠は、良く見ると金の装飾が施されており、さらにさらに目を皿のようにして観察すれば、年季は入っているものの、彼を包む服自体がとても高価なものだとわかるだろう。
それでも興味はカブトムシ。ミヤマとヘラクレスを採取するのが日課だ。
それがたとえ屋敷の執事が放ったものだと知っていても、やっぱりミヤマに遭遇すれば歓声を上げるし、ヘラクレスを採ったら顔は綻んでしまう。
そんな彼の背後に、一人の女性が立ってた。
「ディン? あなたまだそんなことを? 成人の儀式まであと一年もないのよ。さっさと嫁さん連れてこんかい」
だんだんと口調を崩しながらディンバーの頭をはたいたのは、青年の母だった。
「え。でも一年後なのでしょう。その時に適当に決めれば」
「何を言っているの! その辺の嫁さんに一国の主を支えろとは言えないでしょう!」
「俺の継承権は八位なんでしょ。回ってきませんよ」
ディンバーは苦笑してまた地面に向き直る。何か幼虫でも埋まっていないかとせこせこと手を動かしていた。
「そんなのわからないじゃない。あなたのお爺さんと伯母さまと従兄とお父さんが死んで御覧なさい。ぷっと順位なんて上がるじゃない」
「いやいや、そんな勝手に殺さないで下さいよ」
軍手の手首の部分で額の汗をぬぐいながらディンバーは苦笑した。
「いいから! さっさと見つけてくるのよ。幸いあなたには婚約者がいますからね。そうだ、今から迎えに行きなさい。ほらさっさと迎えに生きなさい」
ディンバーの手がぴたりと止まった。
「婚約者……ですか。まぁ、居てもおかしくはありませんけど、初耳ですね」
「そうでしょうとも、今言いましたもの」
胸を張って言いきる母親に、ディンバーはあきらめた様子で立ち上がった。長身でバランスのとれた良い体をしている。さすがに衣食住に何不自由なく育ってきただけあって肌のつやも申し分ない。
「まあ、簡単でいいですね。で? お相手はどなたです」
「アリューシャよ」
母の鼻の穴が膨らんだ。
「アリューシャ? あの、屋敷メイドのアリューシャですか。へぇ」
「いやいやいや。ちょっと待ちなさい。世の中に何人のアリューシャが居ると思うの」
ちなみにこの世界でのアリューシャ率は結構高い。十人とは言わないが、五十人に一人くらいの割合でアリューシャという名前を持つ者がいるだろう。
「あんた、今えらく簡単にメイドと結婚しようとしたでしょう?」
「……二秒くらいは考えましたよ」
母はがっくりと肩を落とした。
「あなたが良くても、相手に振られることもあるでしょうに。いいこと。あなたのアリューシャを探しなさい。残念なことにずいぶんと昔に婚約を決めたから家の名前を忘れてしまったのよ。悪いけど、ちょっとぶらついてきてよ」
「え? どういうことです」
ディンバーの首が傾いだ。
「だから……ちょっと旅にでも出ろって言ってんのよ」
母は強かった。
あっという間にディンバーの旅立ちを決め、屋敷内に通達を出し、その晩のうちには「少しの間お別れパーティー」なるものも開催したのだ。
これではさすがにしらばっくれることは難しいだろう。
翌朝、屋敷メイドが笑いすぎの目を腫らしながら荷物を差し出してきた。
「まあディン様、頑張ってぇね。私もアリューシャとして応援しますさ」
「……俺のミヤマゴローとヘラ様に餌あげておいてね。あと部屋に金魚鉢があるけど、昼になったら窓際じゃなくて直射日光の当たらないところに移動して。あと」
「はいはいはい。サボテンもカエルもニシキヘビもクマノミもちゃーんと面倒見ますって」
ぐいぐいと背中を押されてディンバーは旅に出た。それこそプッと屋敷門から放り出された。
肩から掛ける形の革製のバッグが一つと、護身用のナイフケース、いつもとは違う特殊な布で出来ているズボンとシャツ。お気に入りの麦わら帽は却下された。カバンの中を漁ると、蓄光石が仕込まれたライトとノートにペン。小さな布の入れ物には飴玉がいくつか。
おやつ付きでどこまで行けばよいのだろうか。とりあえず城下街でもぶらつくかと、ディンバーは舗装された道路を下っていった。
ディンバーの住む公屋敷は、この町の西側にある小さな丘の上に建っている。さらにその西側には、裏山と呼んでいるディンバーお気に入りの森が広がっていた。子供のころは森の中から夕陽に照らされる城下を見るのが好きだったことを思い出しながら、ディンバーはぷらぷらと道を下っていく。
やがて小さな門が見えてきた。
「とりあえず。朝ごはん食べたいな」
丘を取り囲む塀は公屋敷と城下を隔てる、あまり高くない敷居だった。ちょっと頑張れば乗り越えられそうな高さの塀。道の部分にだけ門が設置されてはいるものの、厳重な警備はおらず、ただ老兵が椅子に座っているだけだった。まだ早い時間だからか、幸せそうに船を漕いでいる。
ディンバーは起こすのも忍びないと、そっと門を出ることにした。
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