7/同位 == Lethe && 人格 == Murderer

 衝動に従って、と言われたが、これで合っているのだろうか。


 俺は人を殺す為に家から包丁を持ち出して、ひとの無い路地を夜に徘徊していた。繁華街の喧噪から抜け出す為に用意された様な細道に逸れた奴を付けて、俺は気付かれない様に息を潜める。ばれない様に、感付かれない様に。今、目の前を歩いている人間を、ゆっくりと、どうやって殺すかを楽しみにしながら。


 普段意識せずに行っている呼吸が、意識し始めると途端に苦しくなる。今まで自分がどうやって息をしていたのか判らなくなりそうになって、平衡感覚が曖昧になる。そんな気味悪さに浸って、自分の呼気を確認する様に口を手で押さえた。鼻から口から生暖かい風が溢れ出てきて、指に掌に絡み付く。


 あぁ……これが生きているって事か。何て気持ち悪い。こんな気持ち悪いものはすぐに止めねぇと。顔に遣った手には、何処かじっとりとした脂を感じて、べとつく。何もしないでも汚れていく身体。こうしている間にも、人の身体は穢れていく。菌が繁殖して、老廃物を溜めていき、それを嫌って洗い流す。


 何て無駄なサイクル。

 人間は汚いなぁ。

 生き物は汚いなぁ。


 せめて


 剥製はどうやって作んだろうか? ヒトの皮は脆いから、包丁一本で剥がすのはキツい。出来る事だけやれば何とかなりはするだろう。さてどうしたもんか? 先ずは血を抜こう。首の辺りにそっと刃を通して血管を千切れば、肉袋からは大量の血が漏れ出すだろうか。まるで針を刺した水風船の様に、ゆっくりと中身を出しながら萎んでいくに違いない。だから最初は首に包丁を突き立てよう。喉にまで貫通して余計な穴を空けない様に気を付けて。

 その次は内臓を取り出すべきか。新鮮な内にやらねぇと腐って形が無くなるし、べちゃべちゃになっちまう。理科でフナの解剖はやった事はねぇが、魚を捌く要領で腹を開けば平気だろう。その後は適当に腸でも掴んで手繰り寄せれば、全部一緒くたに引っこ抜ける筈。腹の部分を空っぽにしたら肋骨のしたに手を潜り込ませて弄れば、肺と心臓を無理矢理掻き出せる。心臓はポンプと言われるぐらいだから丈夫だろうけど、肺は軽そうだ。乾燥した古くなったスポンジみたいなもんかも知れねぇ。


 大体このぐらいやれば大丈夫。そうすれば綺麗になる。


 綺麗なままで誰だって死にたいだろ?


 だから俺がそれをやってやる。俺は人を殺したくて、誰かさんは綺麗なまま死んでいきたい。ほら、利害の一致だ。無償でやってあげる俺って何て親切。


 親切。


 自分で思い付いた事に自分で笑いそうになって、必死に笑い声を抑える。

 そこでうっかり我に返って、吐き気を催しそうになった。だが、それ以上に掻き立てられる妄想に、身を浸らせるのが愉しくて堪らない。


 ――あぁ、どうやって打ち殺そうか。

 何処に刃を突き立ててやろうか――。


 何て充足感だ。まだ殺してすらいないのに、人を殺せる事を考えると、これ以上の快感を得られるって事だ。


 今すぐにでも襲い掛かっちまいたい。


 だが我慢が必要だ。

 確実に、絶対に仕留める為に。


 返り血を浴びられる事に心躍らせていると、そこで、殺そうとしている誰かの前から、人影が来るのに気付いた。


 邪魔な――と小さく舌打ちすると、向こう側の奴も同じ様に舌打ちをした。


「――――」


 ……あれ?


 しい。何だ、これはどういう事だ。


 あっち側から歩いてくる奴。あいつは、あいつは俺と同じ様に、


 何でだ。何でそんな事が解る。俺には、何でアイツの事が解るんだ。確信を持って、あいつが同類だと見極められる。向こうの人殺しも同じなのか、戸惑った様にその場に立ち止まった。


 思わず俺も立ち止まる。


 そして、互いに狙っていた標的がその場から居なくなるまで、そうしていた。


 大分歩いた路地裏の小路には、俺とアイツしかいない。静かで、少し冷える。街灯が所々の暗闇に穴を開けていた。光に集まった羽虫が競う様にぶつかりあってバチバチと音を鳴らしている。向こうに立つ奴の後ろには、遠くの繁華街の明かりが家に遮られて、境界線がシルエットを描いていた。


 俺が一歩を踏み出すと、向こうも踏み出した。

 二歩、三歩、四歩――街灯で互いの顔が見える場所にまで俺達は歩いていく。

 そして、互いに人殺しの顔を見た。


「……お前は誰だ」

「それは、こっちの台詞だ」


 暫く、沈黙。無駄な問いだ。解っている、。それだけで、充分だ。


「……俺は、己、己ゆうだ」


 向こうの殺人鬼が名乗る。

 だから、俺も名乗りを返した。


きりさわ有栖。俺は多分……」


 ――多分? いや、これは確実な事だ。



 あぁ、と奴は言う。


「――だったら、だったら俺は」

「お前を殺さねぇとならねぇな」

「殺人鬼は二人も要らないと思うか?」

「別に。棲み分けが出来るならいいだろ」

「そうだな。確かにそうだな。けどお前は殺さないと」

「お前は俺の邪魔になる。同じ獲物を狙って、同じ殺し方をしようとしているなんて」

「興醒めもいいとこだな。俺の遣り方を理解するのは俺だけだ」

「そういう自負がある。理解されなくてもいいから人殺しをしようとしているのに」

「そうやって自分の考えを貫いて、何れは本質を理解されるべきものだ」

「それが同じ思考で同じ理解をしている奴が居る?」

「ははは! 性質の悪い冗談だな。別に自分の思想が崇高と思っちゃいないが」

「勝手にしたり顔で土足で這入り込んでくる様な奴はやっぱり失礼だよな?」

「だから礼儀を叩き込んで」

「権利を主張する」

「いやいや、ちょっと違ったな。そもそも社会とかどうでも良かったんだ」

「正しくは『真似してんじゃねぇよ糞野郎』ってところか」

「俺が考えた事を自分で考えたって自慢げに言うなんて、お前頭怪訝しいんじゃないか?」

「殺人には著作権は無いってか。ったく、巫山戯るなよ。こっちは純粋な気持ちで殺してるのに」

「模倣は構わない。ただ、俺のした事を真似て俺になった気になるな」

「そんな事をされたら俺自身がやった事だと思われる」

「それで身に覚えのない事で俺が勘違いされる。何だよそれ。完全に被害者じゃないか俺は」

「真似するならきちんと『真似をしました』って事を宣言する準備をしてほしいもんだ」

「だけどお前はそんな事微塵も考えてないだろ?」

「人殺しを自分一人の責任で出来ないなら最初からるな、って話だ」

「俺は自分の責任は全部自分で取ろう、誰かが俺に迷惑を掛けても文句は言わない」

「だから他人のお前は俺に迷惑を掛けられても文句を言うな」

「俺は常に対等に自由なつもりでる。相手に殺されても不満は言わない」

「ただその『殺人』は俺だけのものだ」

「それをお前は横から掠め取ろうとしている」

「責任を被せられるなんて我慢出来ないな」

「自分で自分の殺人も見つけられないなんて、最初から才能が無かったって気付け」

「なのにお前ときたら勝手に真似して自分のモノにしようとしている」

「そんなものは殺人じゃないな」

「ただの我儘だ」

「無い物りなんてお前幾つだよ。みっともない」

「判ったら黙って早く手放せ」

「今ならまだオーケーだ。意識的に人を殺してないだろ?」

「ただ、一回でも俺としてお前が誰かを殺すなら話は違う」

「俺は絶対にお前を許さないし、そんな理由で殺された人達の身にもなってみろ」

「可哀想にも程がある。特に理由も無く殺されただなんて」

「それにそれは俺が殺す予定だった奴の筈だ」

「つまり一番可哀想なのは俺じゃないか!」

「あぁもうダラダラ喋っても仕方が無いな」

「要約するか」

「つまるところ」

「ムカつくから」

「死ね」


 互いに、凶器を取り出す。思った通り、得物は同じ物で、包丁だった。


 同じ人間が居る。しかも、俺達は人殺しだ。全く同じ殺人鬼だ。

 だからどうしても相手が邪魔になる。理由? 


「…………」


 タイミングは要らなかった。


 ほぼ同時に俺達は互いの首を狙って、刃を振るった。

 俺はそれに合わせて軌道上に空いている腕を出してそれを防ぐ。奴も同じ遣り方で防いでいた。

 互いに同じ体勢の膠着状態で固まり、次の手を考える。


 ――いや。


 違う。俺は考える必要は無い。


「――――っ!」


 俺は渾身の力を込めて、相手を蹴り飛ばす。その衝撃で奴は倒れ、俺はその隙に――右目の眼帯を外した。


「ふぅ――――」


 広くなった視界に、殺人鬼――己を収める。

 そして視る。奴を、奴の澪の流れを俺は識る。


 立ち上がった己は、俺を睨んでこっちに向かってきた。だが無駄だ。もう解っている。奴が、何を考えて俺をどう殺そうとしているのか、


 まっすぐに腹を狙って包丁を突き出すが、解っている攻撃なんだ、怖い訳が無ぇ。


 直線の殺意を躱し、俺は反撃を返す。包丁を持っている奴の腕を切り付けると、その勢いで傷から出た返り血が道に散った。


「っぁ……!」


 己が痛みで怯んだ一瞬を逃さずに、俺は奴の顔面を蹴り飛ばす。そして倒れ掛けた奴の肩に包丁を突き刺し、完全に倒してその柄を踏み付ける。ぐじゅ、と肉の抉れる音がして包丁が骨に当たった。


 やべぇ。

 愉しい。


 こっちが一方的に暴力を振るうのが面白くて堪らない。


「――っく」


 がんがんと、ただひたすら奴の肩を潰そうと足を下ろす。骨にでも当たったのか中々刺さらないが、釘をハンマーで叩く様に少しずつ確実に肉を抉って拓いていく。しかし包丁は途中で衝撃に耐え兼ねて折れてしまった。仕方無く俺はそのまま開いた奴の肩の肉に靴底を捻じ込む。ぐちゅぐちゅと音を鳴らしながら、肩と腕の付け根が段々と平たくなっていき、肉片になって散らばり始めた。その度に痛みに歪む己の顔が、最高に気持ちいい。


 笑みが零れる。


 気が付くと大声で笑いながら俺は奴を踏み付けていた。己は何かを譫言の様な事を言っているが、耳に入らない。


 煩ぇ、話し掛けんな。今俺は手前を殺している最中なんだよ。まだまだ片腕を潰し終わってからじゃねぇと、止めを刺す気になれねぇ。俺を殺そうとした腕を使い物にならねぇぐらいに打っ潰しておかないと、満足出来ねぇ。


「はぁ――」


 十分に踏み潰してから、疲れて俺は息を整える。


 奴の腕は血だらけになっていて、肩の部分だけが殆ど骨が丸見えになっていた。少し遣り過ぎたか、肉を削ぎ落とし過ぎた。これ以上やってると、流石に血が無くなって勝手に死なれちまう。それは流石につまらないを通り越して自分を殺したくなる。


 さぁ、仕上げにするか。


 己の肩に刺した包丁を引き抜こうとしたが、踏み付け過ぎたせいで折れた事を思い出した。仕方が無いので、代わりに己が持ってきた包丁を使う事にした。

 自分の凶器で殺されるなんてのも無様で中々いい。


 もう殆ど気を失い掛けている己の顔を眺め、俺はその横にしゃがみ込む。


「――じゃあな、殺人鬼。お前の代わりは俺がやってやるよ」


 俺の言葉に僅かに反応を見せた己は、笑いながら言った。


「成る程……ね。いいね……、代わりが居るなんて……そう考えれば……殺し冥利に尽きる、か?」

「――はっ。はっは、違いないな」


 どっちが殺される事になってても、結果は同じだったろうから。その点では最後の最期で、自分に殺された事のある殺人鬼という、世界でただ一人の名誉を必ず得られる。そして鬱陶しい偽物が居なくなる。良い事尽くめだ。


 じゃあな、と俺は胸に向けて包丁を振り下ろし、


『そこまでだ、この馬鹿』


 その声に、止められた。


『カナエに言われたから見に来てみれば、カナエの言う通りじゃないか。全く、危ないところだよ』

「……柘榴ちゃん」

『そこまでにして帰るぞ。これでもう、お前はそこの殺人馬鹿に悩まされない筈だよ。何ってたって、端からお前が

「え?」


 いや、だって俺はこいつの、己の犯行の跡を視たから――


『ばーか。言われただろ、お前はその右目を扱えないから侵されてただけなんだって。大体、記憶で他人を模倣しようとしている偽物が、何で本物を壊すんだ。そんな事したら、もう模倣は出来なくなるだろ』


 それじゃあ、俺がここでやろうとしていた事は――意味が無い?


『今回の事はね、カナエはお前に自覚を与えようとしただけだよ。初めて人殺しの記憶を覗いたから、処理し切れてないだけだろうってね。これでもう、自分を見失う事も無いさ』


 くわーっ、と面倒臭そうに柘榴ちゃんは欠伸をした。


『まぁ、悪趣味な方法だけどね』


 呆然としながら、俺は包丁を取り落とした。

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