*踏み出した足
ダグラスは大学生活を楽しく過ごし、二年で卒業を考えていたが結局は三年を要した。ハイスクール時代に仲良くなったハリーとは今でも友達だ。時々、家を訪れてはベリルの言葉に目を輝かせている。
あと五年もすればベリルが歳を取らない事に気が付くだろう。ダグラスはそれに、多少なりとも気を揉んでいる。
しかし、ハリーならきっと受け入れるだろうという不思議な予感はしていた。
大学を主席で卒業したダグラスを勧誘する企業は多かった。しかし、彼が勉学に励んでいたのは少しでもベリルと張り合うためのものである。
それでもベリルに敵う気がしない、悔しいが仕方がない。
ダグラスは自分の顔を見て時折懐かしい目をするベリルに、それほどに父親のセシエルとの絆は深いのだと身に染みるほど感じた。
一度も会ったことはないけれど、父の顔だけは写真で知っている。確かに驚くほどそっくりだった。
父を知るハンターたちに話を聞くと「尊敬出来る人物だった」と語ってくれる。誇れる父だったのだと嬉しかった。
ダグラスはローランドの事でそれなりに強くなった。今では、仲間が倒れても躊躇うことなく次の行動に移行できる。
躊躇うことで及ぼす危機を考えれば止まってはいられない。戦闘中に起きなくなったフラッシュバックは、日常生活で
その痛みも、自分が生きている証だと思えば付き合っていける。ベリルは、完治することは無いと言っていた。
自分なりの付き合い方を学ぶことが「治った」ということになるのだろうとダグラスは推測する。
──そうして月日は過ぎ、ダグラスは二十歳を迎えた。
「ベリル。相談したいことがあるんだけど」
リビングのソファでハンドガンの手入れをしていたベリルの斜め横にある一人掛けソファに腰を落とし、おもむろに切り出した。
ベリルはやや眉を寄せつつも、神妙な面持ちのダグラスに手を止めて言葉を待った。
「俺さ、他の傭兵にも技術を学びたい」
「相手は決めているか」
「え? まだだけど」
唐突に持ち出した話だというのに、さして驚くこともなく聞き返したベリルにダグラスは拍子抜けした。
ベリルは閉じていたノートパソコンを開き、一つのファイルをダグラスに示した。
「──これ」
そこには、ベリルが馴染みとしている傭兵の名前が連ねられていた。しかもダグラスが苦手とする、山岳地帯における戦闘のエキスパートたちだ。
なんてこった! ダグラスはすべて見抜かれていたことに絶句した。俺がいつか切り出す日をずっと待っていたんだ。
学び方には人それぞれ、個人差がある。ベリルは全ての戦闘においてエキスパートだが、彼一人から学ぶには限界がある。より多くの学びを吸収したければ、数多くの者と関わることだ。
そのためベリルは、多くの者から学び取れとこれまで沢山の仲間を紹介し、彼らの戦い方を詳細に説明してきた。
「じゃあ、今の俺にいいのは誰かな」
「ヘインズはどうだ。そろそろ引退を考えているそうだが、彼の知識を受け継ぐ者がいない。苦労したこともあり助言は丁寧だ。お前のジョークにも付き合えるだろう」
開かれたデータにダグラスは目を丸くした。ヘインズという男の特徴と傾向が事細かく書かれている。
こんな日が来る事を予想して、ここまで綿密なリストまで作ってくれていたとは感服した。
「どうした」
ダグラスの視線に気が付き怪訝な表情を浮かべる。
「ありがとう。父さん」
父さんと呼ぶのは多分これが最後だろう。一時的に養父となってくれてはいたけれど、実際は正式な養子縁組をしていた訳じゃない。
常に狙われている立場から、書類上に名前が残って危険が及ぶことを避けてのことだ。もしかすると、俺が寿命を迎えたときに初めて養子として残すのかもしれない。
それはベリル次第だけれど、死んだあとのことなんてどうでもいい話だ。前に進むのに余計な考えは必要ない。
ベリルは唐突にダグラスの口から紡がれた言葉に驚いたのか、無表情で数秒ほど見つめて飲み物を取りに立ち上がるとき彼の頭を軽くこづいた。
──それからダグラスは一年ごとに師を替え、二十五歳で独り立ちを果たした。多くの師を持てたことはダグラスにとって貴重な経験で顔の広いベリルに感謝しかない。
弟子は師に似るというけれど、ダグラスもまたオーストラリアに主な居を構えていた。距離がある方が色々と便利だろうと、合い鍵をベリルに渡してアデレードに住んでいる。
スタンダードな造りで白い壁が清潔感を表している。
「お?」
家に帰ると、ドアの横に荷物が届けられていた。宛名は無かったが箱の
箱を持って家に入り、落ち着くと早速その箱を開ける。
「これは──」
箱の中には、青いバンダナが数十枚ほど詰められていた。やや明るめの藍色をした、落ち着いたその風合いに口元を緩める。
「出来たんだ!」
一枚を手にして広げ、バンダナの端にプリントされているドラゴンの翼に剣のマークを嬉しそうに眺めた。
傭兵たちの中には、自分を表すエンブレムを持つ者がいる。
ベリルには刃を上に向けたその柄に一対の翼、その後ろに盾を簡略化したエンブレムがある。師に言われて作ったそうだが、センスあるなと感心した。ベリルの師という人物も気になるところだ。
そのエンブレムを見て、ダグラスも独り立ちする時には作ろうと決めていた。
「さすがベリル」
ダグラスはその出来栄えに満足した。これでようやくベリルの足元に近づけたとバンダナを撫でる。
ハリーからは、今でもたまに電話がかかってくる。ヨットレーサーになる夢は挑戦し続けていて、「無理かもしれない」と諦めかけてはいるようだ。
それでも彼は両親の反対を押し切って進んだ事に後悔はしていないようだった。ベリルの話も出てくるけど、歳の話は一度も出てこない。
ベリルの周りの住人があの通り、普通にしているんだからハリーが騒いだって「むしろ自分がおかしいのだろうか」と思ってしまうのかもしれない。
ただ、ハリーのひと言に今思えば吹き出してしまう。
<死ぬまで人生について相談出来る相手がいるってのは幸せだよな!>
電話の向こうの声に、あのときは唖然とした。彼なりの受け止め方だったのかもしれない。
ミーナとも年に数回は電話で会話を交わす。あの時の感情は今でも覚えているけど、やはり彼女に自分の世界を見せるイメージは無い。
いつか、そんな相手が目の前に現れるのだろうか。そういう予感は今のところは無い。仕事で手一杯ということも理由の一つだけれど。
そんな時がきたら、ベリルに紹介してみようかな。色恋沙汰にとことんうといくせして、彼の目は確かだから。
──それから二週間後、ダグラスは南米での仕事を終えてニューヨークにもある家に帰ろうかと飛行場を訪れた。
タイミング良く目当ての飛行機がある訳がなく、暇を持て余していた。
「なあ、あんたダグラス・リンデンローブだよな」
突然に声をかけられて振り向くと、アジア系の顔立ちの男がそこにいた。身なりは普通だが、持っているバッグに見覚えがある。どうやら、先ほど完遂した仕事の中にいた一人らしい。
「正しくは、ダグラス・リンデンローブ・セシエルだけど。あんたなに?」
いぶかしげに見上げて付け加える。
「俺、アキト・セラ。よろしく」
ダグラスの表情を意に介さず笑顔で手を差し出す。その手を一瞥しダグラスより若干、背の高い
「よろしく」
躊躇いながらも手を握り返し、どこか期待しているようなアキトの眼差しに怪訝な表情を浮かべた。
「なあ、今いくつ?」
「え、二十六だけど」
「俺と同じだな」
嬉しそうに応える青年にダグラスはますます眉を寄せた。
「俺、日本人なんだ」
「へえ、そう」
関心も無く応え、到着した飛行機に乗るべく搭乗口に足を向ける。
「仲良くしようぜ。若者同士さ」
アキトは後ろから追いかけて会話を続け、屈託のない笑顔が降り注がれる。そんなアキトにダグラスは目を据わらせた。
今までにも面識のない者が親しげに声をかけてきた事があったが、ダグラスはその理由をよく知っている。
きっとこいつも同じような理由だろうと、あしらうようにニコリと笑顔を返す。
「じゃあ、これで」
「おう!」
意外と素直に折れた。少し拍子抜けしたが「まあいいや」とシートに腰を落とした。
「やあ」
「なんのつもり?」
隣のシートに座ったアキトに眉間のしわを深く刻んだ。素直に折れたのはこういうことか。
「偶然だよ」
こんな偶然あるものか。さすがにここまでするかとダグラスは呆れた。隣にいるからといって付き合ってやる道理はない。出来るだけ目を合わせずにいようと窓の外を見やった。
そうしてしばらく沈黙が続いたが、
「なあ」
「うちに来ても何も無いよ」
「えっ、家に行っていいの!?」
「エ? いや、そういう意味じゃ」
しまったやぶへびだと頭を抱えた。俺としたことが何をやっている。アキトを見やると、まるで子供のように喜んでいる。
今更「だめだ」とも言えずに、深い溜息を吐き出した。
──アメリカ合衆国ニューヨーク州。大西洋岸中部、北東部地域に位置する州だ。東南の端には人口最大の都市ニューヨーク市がある。州都はオールバニ。
到着したダグラスは、メタルグレーのピックアップトラックを郊外まで転がす。隣でニコニコしているアキトを一瞥し、まさか家にまで上がり込むとは度胸があると半ば感心した。
「お~、いいうちじゃん」
芝生の庭を眺めながらダグラスの後ろをついていく。
「普通だよ」
白いドアを開いてアキトを中に促す。小ぎれいにされている家の中は、どちらかといえば殺風景であまり生活感が見られない。
「おお! すげえ!」
ダイニングキッチンと続きになっているリビングには大型の液晶テレビと高級なソファが、二人がけ用一つと両端に一人がけのソファが一つずつ並べられている。それに見合うガラスのリビングテーブルにアキトは思わず声を上げた。
「はあ……」
賃貸アパートの俺とは大違いだと肩を落とす。資金源はどこから来ているんだと思わずにはいられない。
「部屋はあといくつあるんだ?」
「ん~?」
家に戻る途中にスーパーマーケットに立ち寄って買った食材を冷蔵庫に詰めながら思い起こす。
「二階に寝室と部屋が二つある」
アキトはそれに口笛を鳴らした。
「日本が狭いだけ」
「言ってくれちゃって」
──夜
「へえ、自衛隊にいたんだ」
二人はいつの間にかジュースからウイスキーに代わり、グラスを傾けていた。アキトはサバサバした性格で妙に会話が弾む。
「なんで辞めたの?」
「ん~、なんか」
アキトは言い出しにくそうに頬をかき、苦笑いを浮かべた。
「俺のやりたいことじゃないなって思ったんだ」
自国を護る事に誇りを持ってはいたけれど、自分に出来る事は別にあるような気がしていた。
「そんな時にさ──」
「ベリルの名前を聞いた」
グラス越しに放たれた言葉に、アキトは笑みを貼り付け無表情に見つめるダグラスとしばらく見合った。
「……あれ? 気付いてた?」
「もちろん」
ダグラスはアキトの表情に薄笑いを浮かべ、ソファに背中を預けた。
「大抵の奴はベリルに近付きたくて俺に近づいてくるからね」
組んだ足を余裕をかますように揺らす。アキトは、ばれていたかと視線を外して頭をかいた。
「別に気にしてないよ。アキトとはいい友人になれそうだ」
戸惑っているアキトを一瞥し、グラスを軽く掲げる。
「そか。良かった」
ベリルの弟子だからと近づいてくる人間の中にだって、そういう出会いはある。出会いのきっかけの一つがベリルの弟子というだけだ。
アキトはベリルに会いたがったが、だからといって簡単に会わせるのも躊躇われた。ベリルはさして気にはしないだろうけど、ぽんぽん紹介しまくるのはどうにもこちらの気持ちが差し
「まあ、いつか会えるよ」
「そうだといいけどなぁ」
同じ歳のアキトは日本人だけあって、ダグラスよりは若く見える。赤茶けた髪は今のダグラスのように後ろ髪が少し長いためゴムでまとめていた。
ダグラス本人は知らない話だが、彼には「神の愛で子」という面白い通り名が付けられている。
これまで二年以上に渡り、ベリルがそばに置いて育てた者はダグラスただ一人だ。そのせいかどうかは解らないが、人を小馬鹿にする態度は皆が納得してしまうほどである。
しかしダグラスは憎まれる事もなく、むしろ可愛がられている。それだけの魅力を持っているのだろう。
加えて、己の外見を余すところ無く活用している。
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