クラウ・ソラスの輝き

河野 る宇

◆始まりの章

*秘めたるもの

 朝の風景はどこの国でも変わらない──欧米風の家々が建ち並ぶ住宅街に小鳥のさえずりが歌うように響き、木々の葉についた朝露が揺れる。

 そんな街の一角で、

「ベリルのケチ!」

 少年はソファの背もたれをパコパコと小刻みに叩いた。重厚な革のソファと、それに見合った落ち着いた色のソファカバーが揺れる。

「お前にはまだ早い」

 青年はそんな少年に呆れて小さく溜息を吐き出した。

「早くないもん!」

 よく通る声にすぐさま切り返す。少年は不満げに頬を膨らませ、ソファに腰掛けている二十五歳ほどの青年を見つめた。

 少年の名はダグラス・リンデンローブ、十六歳。

 背中まで伸ばしたシルヴァブロンドの髪を後ろで束ね、大きく丸い赤茶色の瞳が可愛い顔立ちを引き立たせている。

 青年の名はベリル・レジデント。金色のショートヘアにエメラルドグリーンの瞳は切れ長で、落ち着いた雰囲気と整った容姿は多くの女性を魅了するだろう。

 ここはオーストラリア連邦、ノーザンテリトリー準州の首府ダーウィン──オーストラリア大陸北側のチモール海沿いに位置している街である。

 乾季と雨季を持つ熱帯気候帯で今は七月の乾季、最も涼しい季節である。逆に雨季ともなるとサイクロンと季節風による雨が降り、降水量の最も多い時期である十二月から三月には激しい雷雨が発生する事が多く、湿度は七十パーセントを超える。

 オーストラリアはいにしえの精霊が宿る、先住民族アボリジニたちの大地だ。ベリルは世界の各地にいくつか持つ家屋のうち、オーストラリアをメインの自宅としている。

 さて、この二人が揉めている理由、それは──

「僕もバックサイドホルスターがいい!」

「ヒップホルスターが不満か」

 拳銃ハンドガンを収めるケースについて揉めていた。

「そんなもの」と思うかもしれないが、ホルスターはとても重要だ。

 自分に合ったケースを選ぶ事は、「いかに素早くスムーズに武器を取り出せるか」につながる。

 刀を収めるさやだと考えれば、その重要性は容易に想像してもらえるだろうか。物騒な会話だがベリルは傭兵であり、ダグラスはその弟子である。

 彼の歳で弟子を持つなど不思議に思われるだろう。真実を述べるなら、ベリルの実年齢は五十一歳、耳を疑いたくなるが確かに五十一歳である。

 二十五歳の時に「不老不死」になったため、外見が二十五歳のままという、あり得ない存在がベリル・レジデントである。

 当然のごとく、公になればとんでもない騒動になる。

 しかし彼は傭兵という裏の世界に身を置く者であるため、その存在は「公然の秘密」としてまことしやかに広まっているという訳だ。

 因みに、バックサイドホルスターというのはグリップ底部が上方を向いていて、銃身が地面と平行もしくはそれに近い角度になるようにベルト背面部に装着するケースの事である。

 ヒップホルスターは腰の周囲に装着するケースで、装着位置のバリエーションは豊富だ。

 バックサイドホルスターはヒップホルスターの一種なのだが、慣れない者が扱うには多少の辛さを要する。

 少年はベリルの息子でもなければ血縁という訳でもない。ダグラスが彼の弟子になったのには、それなりの経緯がある。

 彼の父親もまた名のある傭兵だったが実は本当の父親ではなく、母親のアイシャが誘惑した数いる者の中の子どもだった。

 実の父の名はクリア・セシエル──彼は、「流浪の天使」と呼ばれるハンターだった。宛もなく旅をし、その容姿も相まってそんな通り名が付けられた。

 ハンターとは、指名手配犯や依頼により指定された相手を捕まえて引き渡す者の事だ。依頼内容によっては死体を引き渡す事もある。

 自分の子ではないと気付いた父、ハミル・リンデンローブは、ダグラスと妻への憎しみと同時に、不死であるベリルに妬みを抱いた。

 末期癌で死ぬ運命を定められた事からの憎悪は、十五歳のダグラスをベリルの元に寄こし、少年の死と彼の名声の失墜を計画した。

 しかしそれは失敗に終り、両親を失った少年は晴れてベリルの弟子となったのだ。

 本当の父であるクリア・セシエルは五十五歳、ダグラスが十三歳の時に他界している。

 彼の名誉のためにも言っておきたい。彼はアイシャがハミルの妻だと知っていた訳ではなく、旅先で偶然に出会い、一夜を共にしただけである。

 強い男が好きだったアイシャは、彼が噂の流浪の天使だと知って誘惑した。彼もいっぱしの男だ、美女に誘惑されればつい誘いに乗ってしまっても仕方がない。

 まさか、子どもが出来ていたなどと知れば驚いた事だろう。

 何せ彼は彼女から、

「子どもの出来ない体なの」と嘘を吐かれていたのだから。

 結局、その悪い癖が夫のハミルの怒りを買い、アイシャはハミルの手によって殺される事になるのだが……。かつては名のある傭兵だったハミルも、最後は失意のどん底で死を迎える事となった。

「他に方法は無かったのか」とベリルは幾度、思った事だろう。

 こんな終り方で良いはずがない、そんな死に方を望むなど──悔しさに目を眇める。そうして行く宛てのないダグラスを引き取り、少年にセシエルの面影を垣間見た。

 ベリルとセシエルは強い絆で結ばれた盟友だった。たった二度の出会いで生まれた絆は今、ダグラスに受け継がれている。

 そんな少年を弟子にして一年が経とうとしていた。十六歳になった少年の姿は、セシエルによく似ていた。年を追うごとに、さらに似てくるだろう。

 性格はかなり違ってそうだがと、ベリルはダグラスを視界に捉えて目を据わらせた。凄惨な過去があるとは思えない。それを言ったら自分もそうかと苦笑いを浮かべる。

 それは、決して明かしてはならない真実──彼が「人工生命体」だなどと誰が信じられるだろうか。

 五十一年前、A国の遺伝子研究施設で彼は生まれた。否、造られた。

 ヨーロッパにある小国、正式名称アルカヴァリュシア・ルセタの国家機密クラス遺伝子操作研究施設でベリルは誕生した。

 人間の胎内を介さず人を造り出そうという試みが国家機密で行われた。ほぼ全ての人種のDNAが集められ分裂、合成、結合の結果、ベリルは生まれた。

『実験No.6666。俗称キメラ』

 研究チームのリーダーであったベルハース教授は幼かったベリルにそれを伝え、彼はそれを素直に受け入れた。

 己の境遇が不幸だと思うほど、彼はさげすまれて育てられてはいなかったのだ。ベリル自身はあまり感情を表さないながらも、注がれる愛情はしっかりと受け止めていた。

 そんな彼が、何故ここに傭兵としていられるのか──? それはベリルが十五歳のとき、施設が何者かの手によって襲撃を受けたためだ。

 それを計画したのは一人の言語学者だった。ベリルを手に入れるために傭兵を雇い、施設にいた三百人を死に追いやった。

 彼を世界の支配者にするために仕掛けられたものだった。

 しかし、施設にいた人々の命を賭けた行動によって彼は無事に逃げる事が出来た。

 そうして出会った人物がカイルという名の傭兵だ。彼はベリルの全てを受け入れ、弟子にした。

 大きな事故が元でベリルが十七歳のときに引退を余儀なくされたが、死ぬまで彼はベリルの良き理解者だった。

 彼の影響でベリルもオーストラリアを気に入ったほど、カイルはベリルにとって大きな存在である。それも当然かもしれない。

 ベリルが施設から出て初めて出会った外の人間なのだから──それが傭兵だというのだから、「持って生まれた強運」としか言いようがない。施設にいた頃からベリルの戦闘センスは天性のものだったのだから。

 カイルの引退により、ベリルは十八歳で独り立ちするはめになってしまった訳だが元々のずば抜けた戦闘センスが彼をすぐに有名にした。

 十八歳で独り立ちし、二十歳で「素晴らしき傭兵」と呼ばれるまでになった。それも五十一歳になった今、懐かしい思い出だ。

 もちろんベリルの正体をダグラスは知らないし、これからも少年にそれを語ることは無い。セシエルには話してしまったが、彼はもうこの世にはいない。

 そもそもダグラスはベリルに会うまで不死である事も知らなかったのだ。それも仕方がない、そのとき少年は傭兵だった父の影響で傭兵というものに憧れ、ベリルという存在に憧れていただけだなのだから。

 ベリルの弟子として一年が経過したダグラスは、本当の父であるセシエルの事を聞いて多少は悩んでいた時期もあった。

 父と同じハンターの道を歩むべきか、傭兵になるべきか──両方を天秤にかけたとき、やはり傭兵としての自分を思い描いた。

 実の父はハンターだったけど、傭兵も時々はこなしていたと聞いたしで、そうして少年は安直に、「傭兵でいいか」と結論づけた。

 ダグラスは今、ベリルの装備しているものに興味を惹かれている。傭兵の世界に多少は慣れてきて、彼の真似をしたくなる年頃なのだろう。

 しかし少年はまだ弟子になって一年だ、ベリルのような抜群の戦闘センスを誰もが持っている訳でもない。

 素質は充分かもしれないが経験が伴っていない。ベリルのような熟練者の真似をした処で何の勉強にもなりはしないのだ。自分らしい動きを見い出せなくなる可能性もある。

「早く役に立ちたい」という想いが見て取れる、気持ちは解るが焦っても仕方がない。

 ベリルは最近のダグラスに溜息を吐く事が多くなった。ベリルの弟子という事もあり、本人も多少のプレッシャーがあるのだろう。

 彼が受ける依頼のほとんどは、内戦で取り残された住民の救出だ。決して戦い自体に加わる事はしない。もちろん、内戦だけでなく犯罪組織や集団に人質にされた者の救出や、時には個人の護衛などもこなしている。

『戦いでしか救えない命がある』

 そのために自分は傭兵として存在している──それがベリルの意志だ。

 不死という存在のため、多くの組織からも狙われている。今まで何度、捕らえられてきただろうか。

 不死を解明し、我がものとするために捕らえられ多くの実験を受けてきた。中には非人道的なものもあったが、彼は今も人を憎む事なく救い続けている。

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