第10話

 どれくらい飛んでいたのかは知らないが結構長く、思っているより遠くまで来ている。

 美紗が行くままに付いてきた成基はそろそろ空腹になってきたことが過る思考で判断した。

 直後、美紗が下降を始めた。

 その途中で町の標識を見てようやく成基は現在地が自宅から普段通っている学校の中間点にいることを把握した。

 一人暮らしをしている成基は平日はもちろん、休みの日でも家事をしなくてはいけないためにあまり出掛けるということや遊ぶということをしない。

 中学三年生というこの時期になれば遊びたくなるものだ。しかし彼は家計の事情もあり、そんな余裕はなくなった。

 ただそんな中でも千花は積極的に声を掛けてくれた。

 そんなわけだが成基も親が生きている間にはこの辺りに来たことがあったが、その時の記憶も暗くては一致しないため初めて来るに等しい。

 美紗は一軒の家の前に着地した。その家は特別大きいわけでも、何か特徴があるわけでもない。少し大きめだが至って普通の家だ。

 その家に美紗は躊躇いもなく堂々とその家に駆け込んでいった。

 成基はそれに罪悪感を抱いたのだが、修平達三人もどんどん入っていくため恐る恐るお邪魔した。

 美紗は玄関から廊下の突き当たりを右の部屋に入ると翔治をベッドに寝かした。

「ここ、勝手に入っていいのかよ? それに病院に連れていかなくても……」

「心配ない。ここはわたしたち《・・・・・》の家。それに病院はダメ。病院に行くと警察沙汰になる。そうなれば面倒に巻き込まれる。でもここには特別な薬がおいてある」

 美紗は答えると意識のない翔治の服を脱がして出血の酷い部分を拭き、その部屋のガラスケースから取り出した液体状の塗り薬を塗る。

「ちょっと待て。わたしたちの家って…………北条と翔治は同居してるのか!?」

 その問いには答えないで翔治に包帯を巻いて処置を終えた。

「そんな簡単でいいのか?」

「今塗った薬には傷口の悪化を防ぐための保湿効果があり、止血のために必要な栄養素や血漿の働きを活発化させる成分を含んで自然治癒力を高める効果がある。見る限り翔治は気を失っているだけだからこれで大丈夫。しばらくは安静が必要でも命に別状はない。これ以上はどうしようもない」

 さっきまでとは違い美紗は落ち着きを取り戻して冷静に判断している。あの翔治が墜ちてきたときの焦った叫びは何だったのだろう。

 やはり成基は美紗と翔治がどのような関係なのかを知りたくなった。

 その時、成基の知りたい答えを知っているであろう他のセルヴァーの三人が、

「翔治も大丈夫そうだし俺達はもう帰るよ」

 修平の言葉を残して帰っていった。

「あなたはいいの?」

 三人が出ていき少し広くなったように感じる部屋に静かに美紗が訊いた。

「俺は大丈夫だ。両親はもうこの世にいなくて、俺は今一人で暮らしてるから」

 それを聞いた途端美紗は目を見張ったが、その直後に今度は目を伏せた。

「そう…………」

 目を伏せたままの状態で発した声はどこかもの悲しげだった。

「あなたは前に私と翔治の関係を訊いた。今なら答えてもいいと思う」

「それって…………」

「今から四年前、小学三年生の時…………」


 当時小学校高学年になり、自立しかけていた美紗は小学校に通い、学校から帰っては友達と遊ぶという毎日が楽しく充実した生活を送っていた。

 ある日、美紗の両親が経営する会社が倒産し、そんな楽しい生活からは一変した。

 しばらくの間は貯めていたお金で遣り繰りしていたが当然それも長くは続かない。

 しかしそんな家計状況など全く解らない当時の幼い美紗は家計がそのような状態であることを聞かされなかった。それは子供に余計なことを考えさせないようにという親の気持ちゆえだ。

 それでも家計が厳しいということは解らないながらも美紗は親の様子がおかしくなっていることは察していた。

「ねぇ、どうしたの? お母さん、お父さん」

 彼女の無邪気な問いに美紗の両親は答えずただ涙を流し続けた。

 それから日に日に美紗は不安を募らせるばかり。

 そんな日々をを過ごして数日後。美紗は久しぶりに家族で出掛けた。出掛けた先はこの田上市。買い物をしたり観光したりと普通に楽しんだ。

 その帰り近くの公園に来ていた。

「今日は楽しかったね美紗」

「うん!」

「もう帰らないと。ちょっと待っててね」

 名残惜しそうに美紗の母が言うとなぜか涙を流していた。この涙の意味がその時はまだ美紗には判らなかった。

 涙を拭いながら少しこの場を離れていった。

 美紗は最初、母はトイレにでも行ったのかと思った。しかしそれは違っていた。

 五分が過ぎ、十分経っても母が帰ってくることはなかった。

 不安を募らせて母が向かった方に歩いていったが美紗は母を見つけることが出来なかった。

「お母さん! お母さん!」

 大声で叫ぶが返事はない。空はもう暗くなり公園の街灯が点き始めた。

 その時になって当時から頭のよかった美紗は別れる時の母の涙の意味を悟った。

 もう会うことは出来ない。

 お金もなく、帰り方も知らない美紗は家に帰ることも出来ない。

 両親の様子がおかしかったことから棄てられたのだと理解し、美紗は大声で泣き叫んだ。

 それから少し、公園のベンチの上で体育座りをして顔をうずくめ、涙が涸れて出なくなった頃、すっと美紗の目の前に影が出来た。

「どうしたんだい?」

 優しい声に顔を上げると、そこには父と同じような身長で穏やかな表情をしていて三十代から四十代前半ぐらいの白髪の混じった男性がいた。

「お父さんとお母さんと別れたの」

「迷子なのかい?」

「ううん。私、棄てられたの。お父さんとお母さんに棄てられたの! 私、わたしっ」

 正直に告白すると涸れていたはずの涙が再び溢れ視界が滲んだ。

 嗚咽を洩らしていると温もりを感じた。はっと顔を上げるとその男性の顔が真横にあり、そっと抱き締められていた。

「それは可哀想に。…………もしよかったらうちに来ないかい? うちにも君と同じくらいの男の子がいるんだ」

「いい…………の…………?」

 男性は体を離すと美紗を真っ直ぐに見て返した。

「もちろん。大歓迎するよ」

 なぜだかこの人は親と同じ温もりがあり、自然と心が落ち着いた。それに、行く宛のない美紗にとってはとてもありがたい言葉だった。だから答える。

「うん!」

 目を輝かせて強く頷いた美紗を見て男性も表情が緩んだ。

「よーしわかった。ついておいで」

 ゆっくりとした美紗のペースに合わせて前歩く男性に、美紗は離れないようにしっかりついていった。

 歩くこと約五分。一軒の家の前で前を歩く男性が止まった。それに合わせて美紗も足を止める。

「ここだよ」

「………………」

「ははは、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

「は、はい…………」

「うちの子は誰にでも話しかけるからすぐに仲良くなれるよ」

 男性は家の扉を開ける。

「お、おじゃましま~す」

 恐る恐る口にすると扉を開けた音を聞きつけて、男性の言っていた通り美紗と同じぐらいの年の男の子が走って出迎えた。

「おかえりー! あれ? 父さんその子誰?」

「この子は今日から家に来ることになった…………えっと、そういやまだの前を聞いてなかったな」

「北条……美紗」

「ということだ。北条美紗ちゃんだ。で、こいつが息子の神前翔治」

「ああ! 俺は神前翔治だ。よろしくな美紗 !」

「んでもって俺が神前彰人かんざきあきひとだ。これからよろしく」

 これが美紗と翔治の、そしてその父、彰人との出逢いだった。

 それから、彰人の言った通りすぐに美紗と翔治は仲良くなった。それはもう友達としてではなく家族として。




「そんなことがあったのか」

 話し終えた美紗の表情は少し俯いているためによく見えないが瞳を伏せていてがこのことは出来れば思い出したくないように感じた。

「だから、彰人さんは私の命の恩人なの。あの人がいなければ私は今ここにいられてない」

「ごめん。嫌なこと、思い出させたな」

「ううん。大丈夫」

 美紗の目頭から一粒の煌めきが零れた。大丈夫とは言っているものの本心はそうではないことが見え透いている。

「でも、お母さんもお父さんもいてくれたから今こうしていられる。私に関わった人が一人でも欠けていたら今の私にはなっていないかもしれない」

「…………北条は優しいんだな」

「えっ?」

 成基の言葉に美紗は反射的に彼を見た。

「だってさ、普通だったら自分を棄てた親のことなんか憎んで、恨んで、怒るはずだろ。なのに北条は自分を棄てた親にでもそんな風に思えるなんて」

 少しの間呆然と成基を見続ける美紗だったが、すぐに我に返って否定した。

「それは違う。私だって自分を棄てた親を憎み恨んだ。でも翔治と彰人さんと過ごしているうちに判った。誰かを憎んでも、誰かを恨んでも、そこから生まれるのは新たな憎しみや恨みだってことを」

「………………」

「あなたの訊いていた質問の答え。私と翔治は家族同然の大切な人。これでいい?」

「ああ。わかった」

 美紗は意識のない翔治の寝顔を一目見た。

「今日はもう遅い。続きは明日」

「そうだな。じゃあな北条」

 出ていく成基を見届けた美紗は眠っている翔治を見て自問した。

「私は本当に今、親を憎んでないの?」

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