第2話

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 ジリリリリリリリ。

 美紗みさ翔治しょうじが転校してきてから丁度一週間後の朝。成基せいきは自宅の自室で響き渡る目覚まし時計によって強制的に意識を呼び戻された。

 この日、成基は日直に当たっており、朝、普段より早く登校して日直としての仕事をしなくてはならなかった。その分目覚ましがなったのは普段より三十分も早い。

「ん~~」

 大きく一伸びしてから目を擦り、重たい体を起こしてベッドから出る。

 家には成基以外に誰もいない。正確にはこの世にいない。

 四年前に母が病気で亡くなり、中学一年生だった二年前に父が急病で他界した。母に関しては病室で成基と父に看取られて安らかに眠ったが父はそういうわけではない。成基が学校から帰ると父が急病で亡くなったという電話が入り、急いで病院へ向かうと確かにそこに父の遺体があった。だから父の亡くなるときの様子を知らない。

 その時成基は泣きじゃくった。幼い子供のように。息子一人を残して逝った父の死を受け入れることが到底できなかった。

 涙が出なくなると自然と父の死を受け入れることが出来るようになり、次に成基の心に残ったのはこれから独りで暮らしていけるのかという不安。

 病院側から養護施設に入るかということも言われたがそれは断った。さすがに施設で暮らすのならせめて父や母と一緒にいた自宅で暮らしたいが故だ。

 それ以来不安ながらも暮らしてきた。日に日に家事が出来るようになり今では当然のようにこなせる。寂しさなどはもうない。

 そんな過去のある成基は制服へと着替えを済ませ、家の二階にある自室から居間のある下の階へ下りる。いつものことながらそこまでのんびりとしている暇はないために食パンをトースターに入れている間に身支度をする。

 成基が洗面所から出てくると同時に食パンが焼けた。こんがりとした良い匂いが部屋に広がる。

 冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに移す。それを持ってテーブルに向かい、四つ置かれた椅子の一つに座る。

 食パンを二分弱で平らげ、牛乳を一気に流し込むと、さっとコップを洗って学校へ登校した。

 電車通学の成基は家から十五分かけて駅まで歩いてそこから電車に乗る。

 電車の中で目的の駅に着くまで吊革に手をかけてただ待っていると、前の方に成基と同じ白銀しらがね学園の制服を着た男女が立っていた。

 その二人の生徒は成基に背を向けて立っているが、最近学年ですごく話題に上がっている人物で、成基自信も常に見ているためにすぐ判った。

北条ほうじょう神前かんざきだ」

 話しかけても無駄なのは判っているのでそのまま二人の様子を見続ける。

 すると、驚くことに普段一言も話さない二人が話し始めた。でも元いた中学校が同じだから当然なのかもしれない。だが、前の中学校では話していたということになる。

 しかし驚くべきことはそれだけではなかった。なんと美紗が笑顔を見せているのだ。

 成基は初めて見る美紗の笑った表情にしばらく見惚れていた。普段から美しい顔立ちが一層強く輝いている。それが年頃の少年には天使に見えた。

 だが、そんな至福の時は長くは続かない。目的駅である田上たなかみ駅に着いて電車を降りてそこからまた十分歩かねばならない。

 普段見れない光景が見れたので、電車を降りてからも二人の後ろから様子を見ながら行くことにした。

 なるべく見える距離で出来るだけ気付かれないような位置を保ちながら尾行――目的地は同じなのだが――する。翔治と美紗は話しているものの美紗が笑顔を見せることはない。やはりそう簡単にはあの時の笑顔はもう見せてはくれない。

 そうこうしている内に学校に着き、美紗と翔治は別れて教室へと入っていった。成基も日直の仕事をするために同じく教室に入ったがその間が気まずかったのは言うまでもない。




 昼休み、給食の後も自分の席でを見つめている美紗をおいて成基は屋上へと向かった。

 屋上の階段と外を繋ぐ扉を開けると陽炎ができていてまだ夏の名残が残る日差しが照りつけ、熱い風が吹く。

「やっぱ暑いな」

 外に出ただけで汗が滲み始める。

 来るんじゃなかったと思ったが教室よりはましだ。いつもの日常に飽きた成基だったが、実際に変わってしまうとなんか変な気がしてならない。隣の席ではいつも無愛想ですごくかわいい美少女が外を眺めていて、普段休み時間を教室の自分の席で過ごす成基はいつもの場所にいづらかった。

 傍にいたくない訳じゃない。むしろいたい。話もしたい。だけど自ら一言も言葉を交わそうとしない彼女の近くにいると気まずくなるのだ。その事に関して美紗は気にしてないどころか興味すら持っていないのに距離を開けているのは成基の方だ。成基も気にしなければいいのだがそうはいかない。美少女の横という幸運の成基に向けられるクラスの男子の視線が痛い。

 その美紗はというと、授業と授業の間はほとんど移動教室などで忙しかったたため、次の日にクラスの女子から色々と訊かれて、その無愛想さに周囲をがっかりさせていた。になみに転校してきた日、移動教室でどこが目的地か判らない翔治と一緒に美紗を案内したのは成基だ。

 それが理由というわけではないが二人を、特に美紗を放置しておくわけにはいかなかった。

「成基くんこんなとこにいたんだ」

 不意に階段の方から控えめな女子の声が聞こえた。成基には小さい頃から聞き慣れた声でその持ち主が直ぐに判った。

「あぁ。なんかあいつの近くに居辛くて。それよりどうしたんだよ千花ちか

 彼女の名は夢咲千花ゆめざきちか。黒髪のショートヘアとセミロングの間ぐらいでどちらかといえばショートヘアに入る。身長はやや低め。成基とは幼馴染みでよく遊んでいた関係にある。彼女は声からも窺えるように大人しく人見知りで容貌も控えめなことが見てとれる。だがよく知るクラスメイト、ましてや幼い時から時を同じくする成基にはよく話しかけ相談に乗ったりすることがある。

「成基くんは北条さんのことどう思う?」

「どうって別にそんなんじゃ……」

 顔を赤くして勘違いする成基に千花は冷たくいい放つ。

「もしかして、気があるの?」

「ない! 微塵もないから!」

 慌てて否定する成基を見て千花は訝しげな目を向けてきたがすぐに元に戻した。

「そうじゃなくて印象とか性格面」

 なぜか勝手に一人で想像を繰り広げていた成基が少し安堵したように息を吐いた。

「あぁそっちか。何かさ、さっきも言ったけど近くにいづらいんだよ。あいつ無口だし無愛想だし。そのわりには頭も見た目も良いし。だから全く素性が判らない。何か謎めいてるって感じで」

「そうなんだ……。それじゃあ大体同じかな?」

「同じ? 何が?」

「神前翔治くんと。神前君だって見た目も良いし勉強も出来る。でもあまり話さなくて、何か怖いような感じする」

「そっか神前翔治と隣だったな」

「うん」

 そう、実は神前翔治の隣は千花だ。ホームルームの時に美紗が隣と聞いて驚いて翔治の席を聞いてなかったがよくよく考えたら三十六個席のある内三十四が埋まっており、教室に空席は成基の隣と一番廊下側の前から三番目に座る千花の隣しか空いていない。その内成基の隣には美紗が入ったので翔治は自動的に残った千花の隣になる。

「翔治はどうなんだ?」

「今翔治くんはいつも通り読書に夢中だよ。行ってきたら?」

 千花は笑って冗談ぽく言った。成基にはその結末が見えているので同じく笑って返す。

「どうせあいつのことだから完全にスルーされるよ」

「だろうね」

 しばらく会話に間が空く。その間を埋めるように聞こえてくる蝉の鳴き声。肌にまとわりつくような熱い風が二人の間に流れる。

 その沈黙を破ったのは千花だった。

「ねぇ成基くん。実は私、北条さんのこと知ってたんだ」

「え? 何で?」

「私剣道やってたでしょ? 北条さんも剣道部で隣町だったからよく見かけたんだ」

 千花は性格に合わず剣道部に所属していた。一見すればそんなイメージなど無いのだが千花の父親が剣道の指導者をしている影響を受けて小学校三年生の時から父親指導の下で練習していた。しかし控えめな性格で運動があまり得意ではない故に実力は伴わなかった。中学校に入ってからもやっぱり剣道が好きで地区大会で一勝、二勝したらいい程度の実力しかなかったが辞めることはなかった。

 そんな千花が剣道の試合で美紗を見たことがあると言う。地区大会では一つ上の地区にならないと当たらない隣町だが、他の大会などで隣町へ行ったり、隣町から来たりということが頻繁にある。

「それに北条さんの実力は凄くて全国大会で入賞するぐらいのもので全国的に知られてるんだ。その見た目と実力から《光速の薔薇ライトニング・ローゼン》という二つ名までついていて高校からはスポーツ推薦でいくつもの全国大会の常連校から声が掛かってるって噂もあるの」

「そんなに凄いのか?」

「うん。試合を観てても竹刀の動きが速すぎて目が追い付かなかった」

「運動も出来るのか…………」

 何気なく成基は千花に聞こえないように呟いた。

 千花の話を聞いた成基は考えるにつれて疑問が浮かんできた。

 そんなに可愛くて頭も良くて剣道でも全国レベルの彼女がどうして受験生にとって一番大切になるこの時期に転校してきたのか。それも翔治と一緒に。彼女らは同じ学校から来たと菅原が言っていた。二人はどんな関係なのだろう。恋人同士? いや、何の根拠も無いが違うだろう。

 その答えを知る日は来ないだろうと成基は悟った。聞いたところであの美紗が答えるわけが無いからだ。それは翔治も同じ。教えてくれるわけ無い。

 そう結論に達したところで昼休み終了五分前を告げる予鈴かなった。

「時間、か…………。俺達何であいつらのことでこんなに悩んでるんだろな?」

「何でって、それは……」

「分かってる。分かってはいるけどさ……おかしな話だよな。いきなり来た転校生のことをこんなに考えるって」

 本当に俺達はお人好しだな。

 口には出さず思ったが、千花もいるためすぐに口調をいつものようにして言った。

「さ、こんな暑いとこにいると汗をかくだけだし、早く戻らないと遅刻するぞ」

「…………うん」

 二人は扉を開けて校舎に入り教室のある二階まで階段を下りた。その途中で成基は一つだけ心残りなことがあった。

 ――千花が俺を探して屋上に来た本当の理由って何だったんだろう?

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