10-1


「はい、十文字じゅうもんじ君、あーん」

「……あーん」


 俺は素直に、緑山みどりやま先輩が、ニコニコしながら差し出したスプーンを咥える。


 口内が一瞬冷たくなり、舌が柔らかな甘味を感じると同時に、俺の鼻腔をバニラの官能的な香りが駆け抜ける。美味い。食後のデザートとしては、完璧だ。


「十文字君、美味しい?」

「……はい、とても美味しいです」


 慈愛に満ちた表情の緑山先輩は、本当に嬉しそうにほほ笑むと、俺の口から引き抜いたスプーンを、そのまま自分の口に入れた。


「うん。本当に美味しい」


 先輩はにっこりと、天使のような笑顔のままで、品の良いデザートプレートに美しく盛られたアイスクリームを、再びスプーンですくうと、俺に差し出す。


「はい、十文字君、あーん」

「……あーん」


 俺は再び、緑山先輩が差し出したスプーンを咥える。


 こんなことが延々と、本当に延々と繰り返されている。


 なにもデザートのアイスだけではない。俺は、そこに至るまでの食事全てを、緑山先輩の手によって食べさせてもらっていた。


 まるで、親鳥に全てを委ねた、ひな鳥のように。

 


 だが、それも仕方ないことなのだ。



 俺は両手両足を縛られて、椅子に拘束されているのだから。




「うふふ、こうやって、十文字君にご飯を食べさせてあげるの、夢だったのよ?」

「そうですか、緑山先輩の夢を叶えるのに一役買えて、俺も嬉しいです」


 食事が終わって、俺の口元をシルクのハンカチで丁寧に拭きながら、先輩はまるで慈母のように、俺を見つめている。


「君があおいちゃんにサンドイッチ食べさせてもらったって聞いた時か、もうずっと、ずっと羨ましかったんだから。うふふ、ちょっと子供っぽいかしらね?」

「いえ、とても可愛らしいと思います」


 俺の口を拭き終わった彼女は、その汚れたハンカチを丁寧にたたむと、ゆったりとした緑のワンピースの上に羽織った、高級そうなカーディガンのポケットに、大切そうに仕舞い込んだ。


「そうだ! 羨ましいついでに、十文字君に一つ、お願いしてもいいかしら?」

「なんでしょうか? 俺にできることでしたら、なんでも協力しますよ」


 ニコニコと上機嫌な先輩は、ぱちんと両手を合わせると、楽しそうに笑う。

 俺はそんな彼女に、従順に従って見せる。


桃花ももかちゃんや火凜かりんちゃんや葵ちゃんみたいに、私のことも名前で呼んで?」

「分かりました。俺でよければ、喜んで。――樹里じゅり先輩」


 即答した俺を見て、先輩は、実に満足そうに微笑む。そして、本当に嬉しそうに顔をほころばせ、続けて可愛らしく、俺にお願いをしてきた。


「うふふ、それじゃあ私も、十文字君のこと、これから統斗すみと君って呼ぶわね?」

「はい。とても嬉しいです」


 このとろけるような笑顔には、逆らってはならない。



 彼女の瞳は、どこまでも、本気なのだから。



「ふふふ、私も嬉しい。食器、片付けちゃうわね」


 俺の返事に満足したらしい樹里先輩は、上機嫌でテーブルの上に残った食器を片付け、料理を運んできたサービスワゴンに収めていく。


 その様子は、さながら、幸せそうな新妻と言ったところだろうか。

 俺は注意深く、気付かれないように、先輩の動きを探る。


「それじゃあ、食器洗ってくるね? すぐ戻ってくるから、我慢してね?」


 手早く食器を片付けると、先輩は鼻歌なんて歌いながら、ワゴンを押してこの部屋から出ていってしまう。ダメだ、隙なんて見つけられなかった。


 彼女が出ていった扉の向こうから、ガチャリ、ガチャリと、重そうな鍵がかけられる音が幾つも、幾つも響いている。


 あの扉こそ、この部屋から外へ出るための、唯一の出入り口である。

 どうやら、その唯一の退路は、厳重に閉じられてしまったようだ。


 俺は憂鬱な気持ちで、椅子に拘束されたまま、周囲を見渡す。



 まず目につくには、ログハウス調の室内に見事に調和した、質の良い調度品だ。


 派手すぎず、かといって無個性ではない、さりげない存在感で客人に安心感を与える、質実剛健な家具の数々が、センス良く配置されている。


 残念ながら、この部屋からの脱出には、あまり役立ちそうにないけれど。



 次に目が向くのは、この密室の中から、唯一外の様子が覗ける重要な箇所……、本来なら、純粋に外の風景を楽しむための、窓だ。


 外は快晴、雲一つない青空を確認できた。木々は紅葉に染まり、実に美しい。


 まあ、あの窓を無機質にふさいでいる、真新しい鉄格子さえなければ、もっと美しいのだけれど。


 窓自体は、大分と古いものに見えるのに、あの鉄格子は、ピカピカと輝いている。どうやら今回のために、わざわざ準備をしたようだ。


 本当に勘弁していただきたい。



「はぁ……」


 全体的な部屋の広さとしては、大体二十畳くらいだろうか?


 祖父の実家が畳敷きだったので、そこで得た、なんとなくの感覚による、単なる当て推量だけど、まぁ大体、そのくらいだと考えよう。

 

 とりあえず、ベッドもある部屋の中で、余裕を持って食事できる程度のスペースが存在しているのは、確かである。


 俺はため息と共に、自分が拘束されてる椅子に目をやる。

 がっしりとした木製のチェアだが、座り心地は悪くない。快適と言ってもいい。

 

 そんな椅子の肘掛け部分と前脚部分に、俺は、それぞれ両手両足を、厳重に縛りつけられている。


 どっかりと椅子に腰かけた状態なので、特に無理な体勢とは感じなかったが、四肢を動かせないというのは、なかなかに辛い状態だった。


「う~ん……」


 俺を縛るのに使われているのは、柔らかいタオルのような布だ。どうやら、俺を傷付けないように、配慮してくれたらしい。実にありがたいなぁ。


 だが、布と言っても侮るなかれ、両手首に加えて前腕部、さらに両足首と脛付近、ついでに、胴体部まで、こうもしっかり結ばれてしまうと、普通の人間では、まず動くことはできない。


 そう、普通の人間ならば。


「……さて、どうするべきか」


 残念ながら俺は、普通の人間じゃないんだよなぁ……。


 カイザースーツを呼ぶまでもない。ちょっと命気を込めるだけで、こんな拘束は、簡単に抜け出すことができる。


 扉は厳重に鍵がかけられているし、窓には鉄格子が存在するが、そんなことは関係ない。俺がその気になれば、どちらも即座に破壊可能だし、なんなら、直接壁をぶち破ったっていい。


 つまり、俺はその気になれば、いつでも、この状況からの脱出は、可能なのだ。


 問題は、そんなことをしてしまえば、樹里先輩はまず確実に、俺という存在が、本当にただの一般人なのか疑うだろう、ということなのだが……。


 樹里先輩に、というかマジカルセイヴァーの皆さんに、俺という存在が、実は普通の人間ではないんじゃないかという疑念を持たれる可能性のある行動を取ることは、できるだけ避けたいというのが、本音である。


 というわけで、強行突破は最終手段。最後の最後、本当にどうしようもなくなった時でもないと、使えないのだが……。



「……本当に、どうするべきなんだ、これ?」


 というか、そもそもどうして、こんなことになったんだ?


 俺は樹里先輩に、みんなで勉強会をしようと誘われて、ホイホイとそれに参加しただけなのに。


 しかし、気が付いてみれば、俺はなぜか先輩によって監禁……、いや、軟禁だ。軟禁ということにしよう。状況的には監禁だと思うが、精神的には軟禁としておいた方が、幾分か楽な気分になれそうだ。俺は先輩によって、されてしまっている。


 これがなにかの冗談や、悪ふざけでないことだけは、どうしよもない真実だった。


 さっきも言った通り、そんなことは、樹里先輩の目を、瞳を見れば、分かる。


 彼女は本気だ。正真正銘、徹頭徹尾、丸ごと全部、本気なのだ。

 俺の超感覚が、チリチリと危険を告げるほどの本気っぷりである。


 それも、なにかに操られているとか、なにか取り憑かれているとか、実は偽物だとか、よく似た他人だとか、そういうことではない。



 緑山樹里は、緑山樹里として、彼女自身の意思を持って、俺をしたのだ。


 本当にどうしてこんなことになったんだ……。


 俺はこの現実から逃げ出すように、つい前日の出来事を、粛々と思い返し始めるのだった……。

  


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