第23話 戦の準備

 翌日、学園は休校となった。

 生徒たちは寮から出るのを禁じられ、退魔士の資格を持つ教員が全員集められる。

 現場は正面玄関前、中央警備室、そして岡留美之おかどめよしのの研究室。特に、正面玄関前と岡留の研究室の有様は凄惨を極めた。殺人現場に慣れているはずの警官でさえ、嘔吐するありさまだった。

 学園長は正面玄関前の現場に入った。警察と退魔士、協力しての捜査だ。

「脅迫文だな」

 血文字の文章をそう断じた。

「名指しで引き渡し要求とは……」

 苦虫を噛みつぶしたような渋い表情になる。

「あっ、ここは一般人の立入は禁止ですよ!」

「なんじゃい、人を朝から呼び出しておいて」

 警官ともめる声がする。枯れ木のような老人が若い警官と押し問答になっている。

「待ちなさい、その人は私が呼びました。捜査協力者です」

「そ、そうですか。失礼しました」

 学園長が止める。老人が立入禁止のテープをくぐって入ってきた。

端山はやまさん、よく来てくださった」

 十口屋とぐちやの店主、介爺すけじいだ。学園長とは旧知の仲である。

「こりゃまたひどい有様じゃな」

 血文字を見て、介爺も眉をしかめる。

「一磨を渡さねば、皆殺しということじゃな」

「典型的な脅迫文です。古い定型文だ」

「古いはずじゃよ。土蜘蛛はそりゃもう古くからおる鬼の一族じゃからの」

「ええ。……この、癸巳みずのとみの日とは?」

 介爺は手帳を取り出すと、ページをめくる。

「わしの計算に間違いがなければ……明日じゃな」

「明日!?」

 介爺は懐中時計を開く。

「明日の丑三ツ刻……午前二時まであと十三時間か」

「考える時間も与えぬというわけか……」

 学園長がうなる。

「この土蜘蛛の王さんとやらから、デモンストレーションはあったのかい?」

「ええ。警備員二名が死亡、四名が意識不明です」

 そこへ若い警官が報告に来る。

「中央警備室で発見された四名、全員、一命は取り留めました」

「そうか。原因は?」

「病院からの報告ですと、神経毒ではないかということです」

 警備室で発見された四名は、学園内の付属病院に搬送された。全員命は助かったと聞いて、その場に安堵が広がる。

「岡留君の研究室へ行きましょう」

「うむ」

 学園長と介爺は岡留の研究室に向かった。

 研究室に入る。遺体はすでに運び出されていたが、血痕が濃く残っている。

「むう……こんなに濃い血の臭いは久々じゃの」

「大丈夫ですか?」

「まだもうろくはしとらんわい」

 介爺は肩をすくめた。退魔士稼業をしていると、グロテスクなものにも慣れる。

「発見当時の写真とかはあるかの?」

「ええ、もう現像させてあります」

 学園長は介爺に写真を渡した。無残に喰い荒らされた死体の写真だ。

「五臓……それと筋肉の多い太ももなんかが喰い散らかされとるな」

 まったく動じず、介爺は分析する。

「五臓は呪術的な意味合いで喰っとるな。脚の肉は……ま、腹ごしらえじゃろうな」

「私も同意見です」

 その場にいた警官の一部が、不快そうに眉をしかめた。退魔士とは精神がイカれた商売なのか――そんな声がしそうだ。

「警備員たちが昏倒しているあいだ、何があったか、だな……」

 学園長がつぶやくと、捜査に加わっている職員が声をかける。

「現場付近の防犯カメラの映像があります。ご覧になりますか?」

「もちろんだ」

 学園長たちは岡留の研究室をあとにした。

 視聴覚室へ入る。防犯カメラの映像を再生してもらう。

「誰か来た!」

 消灯時間の過ぎた廊下を歩く、ほっそりとした影がある。

「こいつは……」

「岡留先生!?」

 観王寺かんのうじ付近で行方不明になっているはずの、岡留美之だった。

 岡留は何事もなかったかのように、研究室の鍵を開け、中に入っていった。

「ここからだな……」

「別の映像では、死亡した警備員二名が巡回している姿が映っています。二名はトイレのあたりで別行動を始めました」

「別行動?」

 警備員が画面に映る。一人だ。彼は岡留の研究室の異常に気づき、中に入ろうとして襲われた。ドアのあたりで倒れる。倒れた警備員は室内に引きずりこまれる。その後、彼が研究室から出てくることはなかった。

 数分後、トイレで別れたというもう一人の警備員が、岡留の研究室に入っていく。足下はふらつき、おぼつかない。

 しばらくして警備員は研究室から出てきた。帽子は脱げ、髪はバサバサだ。手に何か持っている。

「何を持っている?」

 動画を一時停止し、拡大する。

「刷毛と……メス、ですね」

 ペンキを塗るのに使う刷毛と、解剖に使うメスだ。

 警備員は懐中電灯も持たず、廊下を歩いていく。真っ暗な廊下を、迷わずに。

「このあと、彼は正面玄関へ向かい、鍵を開けて出ていきました」

 そこまで見て、全員が悟った。この警備員の末路を。

 彼はメスでみずからの喉を斬り裂き、血をもって脅迫文を書き上げ、死んだ。

鬼児おにごにしては、気合い入っとるのう」

「それに関してですが」

 学園長は職員に指示し、ファイルをひとつ持ってこさせる。

「ほう、学外でトラブルが起こったときの顛末書じゃな」

 介爺はすばやく目を通す。同時に学園長が説明する。

「先日、繁華街で起こった鬼類の事件はご存知ですよね」

「おお、もちろん。一磨とらいらちゃんが組んでその日のことじゃったとか」

「その三日後、二人はあなたの店を訪れました」

「うむ」

「店を出たあと、二人は大学生に絡まれました。あの事件が起こる前、二人に絡んだグループのひとりだったそうです」

「ほう」

「その男……峯崎勝みねざきすぐるという大学生の首に、こんな痕跡が」

 レポートに添えられた写真を見る。男の首をうしろから撮影した写真だ。赤い八本脚の痕跡は、間違いなく蜘蛛の形をしていた。

「なーるほど、人に憑いて操る類か」

「峯崎は一瞬ではありましたが、人間離れした体術を見せたそうです」

「……死んだ警備員の首にも、あるじゃろうな」

 その通りだった。玄関前で死んだ警備員の首に、同じ痕跡があったという。

「生死まで操る力か。みずからの意志で協力する鬼児よりやっかいな力じゃ。こんなものが広がったら……」

 人間の世は終わる。

「土蜘蛛ども、何とあっても滅ぼさねばならんな」

「ええ。それに岡留君の救出も……」

「岡留美之、彼女はもはや異形じゃ」

 言いかけた学園長に、介爺は言い放った。

「端山さん、それは……!」

「警備員を喰ったのは、九分九厘、岡留美之じゃよ。鬼類どもが、ただの操り人形に食人をさせるはずがない。彼女は鬼に成ろうとしている」

「……!」

 介爺の瞳の光は、メスのような鋭さを帯びていた。

「岡留さんが鬼児となったとすれば、厄介じゃな。警備員を昏倒させることができたのも、彼女がこの学園内を知り尽くしとるからじゃ」

 介爺は白髪頭を掻く。

「策略を巡らすのは、鬼児の仕事じゃ。鬼児がレッドカーペットを敷き、そして……」

 敷かれた策略の上を悠々と歩く者が来る。

「鬼が来る」

 ――癸巳ノ日、丑三ツ刻。

 土蜘蛛が来る。玉石一磨を奪いに来る。

「鬼神に横道おうどうなし。正面切って襲撃をかけてくるぞい」

 鬼の武器は、絶対的で圧倒的な暴力。彼らは正面から来ずにはいられない。

「じゃが、まずは学内の総点検。鬼児の仕事を捜すのじゃ」

「ええ」

 何が起こったかは、警察に調べさせればいい。

 これから起こることに、退魔士は対応しなければならない。

 学園長はそばにいる職員に指示を出す。

「学内の退魔士を全員、第一会議室へ。十五分後に対策会議を開く旨、通達しなさい」

「はい!」

 十五分後、大会議室に退魔士らが集結した。

「……報告は以上だ。明日の午前二時、この学園は鬼類きるいの襲撃を受ける」

 事件の報告と、襲撃予想の通告。退魔士らに緊張が奔る。

「まずは学内に不審物、不審な物体がないか徹底的に調べろ!」

 学園長は矢継ぎ早に指示を出す。

「一、二年生および一般職員は全員学外へ退去、自宅待機せよ。帰宅が困難な者については、学内の避難シェルターに収容すること」

「シェルターには学内の人間全員が収容できます。そちらの方が安全なのでは?」

 学園長のかたわらにいた介爺が白髪頭をポリポリと掻く。

「戦場は学園になる。おまけに鬼児が学園関係者とあってはのう。どこに何が仕掛けられとるか。学内にいる方が危険じゃよ」

 介爺が歴戦の退魔士であることは、この場の全員が知っている。彼の意見は無視されない。

「端山さんの言う通りだ。すみやかに退避させたまえ」

「了解しました」

「退魔士による防衛ラインの構築を行う! 三年、四年、五年生についてはそれぞれの得意分野にて教員をバックアップ!」

「五年生はともかく、三、四年生の配置がネックですね」

「生徒の成績情報で決めますか?」

「それがいいと思います。ですが生徒の成績情報を解析する前に、コンピューターウイルスが仕掛けられていないか調べます。少々時間がかかると思いますが……」

 退魔士らは次々と意見を出し合う。

「そちらはまかせる。迅速に頼む」

「わかりました」

 学園長はふたたび声を張りあげる。

「また市内に住む退魔士に協力要請! できうる限り市内に待機し、万一学外へ怪異災害が拡がった場合、すみやかに退魔士の義務に従うこと!」

「すでに何件か、市内の退魔士らからの問い合わせも入っています。状況の説明と、協力要請を出しましょう。私が対応しますよ」

「すまんな、黒田教頭」

「なに、街をゴーストタウンにするよりゃマシです」

 気心の知れた仲間で結束し、魔を打ち破る。全員の心が高揚する。

「自治体へ通達! 怪異災害の恐れが高まったため、市民に注意を呼びかけろ!」

 学園内がにわかに騒がしくなった。


 介爺はらいらの病室を訪れた。

「らいらちゃん、体の調子はどうじゃね?」

「介爺さん!」

 知人の顔を見て、ようやくらいらの表情がゆるむ。

「何が……起こっているんですか?」

 介爺は黙って写真を手渡した。正面玄関前に書き散らされた脅迫文を撮影したものだ。

 らいらの顔が青ざめる。

「そんな……一磨さんは!?」

「わかっておるよ。引き渡したりはせん。ヤコージュ学園は総力を挙げて、土蜘蛛を退治するつもりでおる。この朱顎王のことで、何か思い出せることがあれば教えてほしいんじゃ」

「何か……」

 らいらは眉を寄せる。

「土蜘蛛は、土中に暮らす鬼。そして蜘蛛は水気あるところで怪異の伝承を遺す……」

 蜘蛛は水と関する怪異伝承を遺すことも多い。例えばこんな伝承がある。山中で樵夫が昼寝をしていると、蜘蛛が足に糸を絡みつけていった。樵夫は蜘蛛の糸を木にくくりつけておいた。するとたちまち、木が水中に引きずりこまれてしまった。蜘蛛は水中の妖怪であり、人を餌食にせんと狙っているのだ。

「水……」

 初めて朱顎王と遭遇したとき、洞の地面は水で満たされていた。

 あの土蜘蛛も、地下水の中を泳げるとしたら。

「水……井戸……古井戸は!?」

「古井戸?」

「学園の東端にあるはずです。フェンスで囲った……」

「ああ! そーいえばあったのー。しかしそんなもの、よく知っておったのう」

「一磨さんが教えてくれたんです」

 初めて会った日に、学園内を案内してもらった。

 地下水が枯渇したという井戸。あの下に、天然のダンジョンが広がっているとしたら。土蜘蛛はまちがいなくそこからやってくる。

「わかった。すぐ学園長に伝えよう」

「あの、今、学園内はどうなっているんですか?」

「一般職員や一年、二年生は退去した。学園長が陣頭指揮を執っておってな。防衛結界学を得意とする教員と上級生らが、すでに結界の作成を始めておるよ」

 介爺はやや渋い顔になる。

「じゃが結界とて万能ではない。古の京の都でさえ、才ある陰陽師や密教僧を抱えながら、魑魅魍魎が跋扈する世界じゃった」

「……はい」

「この結界は、わしらと奴らの戦争が、外部にもたらす影響を最小限に抑えるためのものになるじゃろうな」

「学園内に鬼が侵入したら、倒すまで戦うと?」

「うむ。わしも微力ながら助太刀するぞい」

 介爺は退魔士を引退したはずだ。体は大丈夫なのか。

 笑った介爺が、こめかみのあたりをトントンと叩いた。

「退魔士は、知識さえも武器なんじゃよ」

 介爺の笑顔に、らいらもつられてほほえんだ。

 笑ったらいらに安心したように、介爺は病室を出て行った。

「……一磨さん」

 あなたを守ろうと。

 皆が頑張ってくれると、言っています。

 らいらは胸があたたかくなるのを感じた。同時に不安も感じる。

「せめて会えたら……」

 窓をコツコツと叩く音がする。

「!?」

 金銅色の雀。金属の小鳥が窓の外にいる。

 らいらは窓を開ける。銅製の雀はチョンチョンと病室内に入ってきた。

竜野たつのらいら?」

「は、はいっ」

 名前を効かれて、らいらは思わず姿勢を正す。

「ぼくは銅雀どうじゃく。若君にお仕えする付喪神」

「若君……一磨さんのことですか?」

「そう。介爺様がね、解き放ってくれたんだ。若君の役に立つって」

 金属製の付喪神は、少女を励ます。

「若君には、あなたが必要だよ。時が来たら、一緒に行こ?」

「はい!」

 らいらの胸に希望が宿った。銅雀をシーツの中に隠し、ナースコールを押す。

「どうしました、竜野さん?」

「食べ物をありったけください! お腹空きました!!」

 腹が減っては戦はできぬ。

 彼女はまさにその通り。らいらの迫力に押されて、看護士がわたわたと走り出した。

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