第二部

第8話 学園、始まる

 月曜日がやってくる。

 週末、実家に帰っていた生徒たちが登校し、寮に残っていた生徒たちも教室へ急ぐ。

「おはようございます、一磨かずまさん」

「おはよ、らいら。今日が初めてのホームルームか」

「はい。先に職員室へ来るように言われてますが……」

「場所はわかるか?」

「ええ。先日、案内していただいたので」

「じゃ、先に教室へ行っているから」

 二人は学棟の中で別れた。

 ヤコージュ学園のクラス編成は独特だ。入学したときに決まったクラスが、卒業するまで続く。優等生も劣等生も有資格特待生も、同じクラスメイトとして過ごす。

 学園のカリキュラムは、選択科目が多い。選択の幅が広いということは、生徒の意思と希望が、そのまま彼らの学園生活に反映されるということだ。

 ある生徒は学識を深め、ある生徒は体技を極め、ある生徒は実践を重んじる。学年が進むごとに、生徒たちはそれぞれ得意分野を伸ばしていく。個性が強く分かれてくる。

 それでもクラスは同じだ。だから自分とはまったく異なる得意分野を持つ生徒とクラスメイトだったりする。

 一磨も自分の教室へ向かった。

 三年五組、そこが彼のクラスだ。

「おはよー」

「おっはよー、一磨!」

「おはよう、玉石たまいし君」

 クラスメイトたちが一磨に挨拶を返す。特待生という隔ては感じない。

 キーンコーンカーンコーン……。

 時間を告げる鐘が鳴った。

「起立! 礼!」

 クラス委員長の号令とともに、ホームルームが始まる。

「おはよう、お前らー。ウワサの転入生を紹介するぞー」

 担任教員の声が教室に響いた。クラス中がざわつく。

竜野たつのさん、入ってきてー」

 らいらが入ってくる。やや緊張した足取りで、担任の横に立つ。

「マニ学園から参りました、竜野らいらです。よろしくお願いします」

「知ってるやつもいると思うが、彼女は有資格特待生だ」

 ザワ、と先ほどとは違うどよめきが起こった。

「つまーり、そこの玉石と同じってことだ!」

「え? ああ、はい、まぁ」

 突如ご指名を受けて、一磨は間の抜けた返事をした。

 担任は説明を続ける。

「二人は今年、退魔士になったばかり。学園長のはからいで、ペアを組んで退魔士の任務に当たることになる」

 クラス中から「ええ~!」と声が上がる。

「しかも! 知ってると思うが、土曜日の怪異事件、鎮圧したのはこの二人だ!」

 今度は「おお~!」と歓声が上がった。基本的にノリがいい。

「お前ら、こいつらを見習ってぇ! ジャンジャン勉強しろよ!」

 担任の陽気な声が響いて、ホームルームが終わった。

 一限目が始まるまでの短い時間。生徒たちはそれぞれの受講する授業へ移動する。

「すごいね、もう特待生なんだ」

「えーざんねーん。一緒に授業とか受けないの?」

 らいらの周囲に女子が集まっている。

「たまには、聴きに行ったりするかもしれませんが……」

 らいらも無難に受け答えしている。クラスになじめそうな雰囲気だ。

「ね、土曜日のこと、聞かせてほしいな~」

「今は時間がないので難しいですけど、機会があったらお話しします」

「あ、そーだ。お昼ごはんは?」

「誘ってください。行きますから」

「ほんと? 来てね!」

 らいらは早速、女子たちと携帯の番号を交換している。

 一磨はそれをボーッと見つめていた。

「なあ、一磨。ペア組むってホントか?」

 才二さいじが興味津々といった様子で話しかけてくる。

「あー……学園長が、さ。組めって言ったから」

「すっごいかわいいじゃん! うらやましい~」

「なんか俺、背中に視線が突き刺さってくるんだけど」

 一磨は肩をすくめた。クラス中の男子の視線が痛い。

「あーそうかも。そういや次の時間、総合呪術学なんだけど」

「え」

「この分だと、実践するヤツが出てくるかもな」

「俺、呪われる!?」

「髪の毛とか取られないようにしとけよー」

「今この学園にいること、メチャクチャ後悔したぞ!」

「アッハハハ! もげろよ!」

「もげねーよ!」

 怖気が走る一磨に、才二が爆笑する。

「ほら! 早く移動しろよ! 遅刻するぞ!」

「ほいほーい。じゃ、気をつけなよ、一磨」

「じゃ、竜野さん、またねー」

 生徒たちは自分が履修する授業へ急ぐ。

 二人だけ、ぽつんと教室に残された。

「一磨さん、これからどちらへ?」

「ん? ああ、図書館。らいらは?」

「寮へ行きます。今日、やっと荷物が届くので……」

「そっか。じゃ、また」

「はい、また」

 二人は別れた。

 一磨は図書館を目指して歩きはじめた。


 数時間後。一磨は昼食を取って、寮へ戻った。

 三階の、三〇二号室が一磨の部屋だ。

「あれ?」

 自分の部屋の前まで来ると、廊下に段ボール箱が積まれているのが目に入る。

「隣は……空き部屋だったはずだけど」

「あ、一磨さん!」

 らいらだった。ラフな格好で隣の三〇三号室から出てくる。

「と、隣!?」

 驚く一磨に、らいらは軽く首をかしげる。

「三〇三号室。間違いないはずですけど」

「ハー……あの学園長……」

 一磨は軽く頭を抱えた。

 散流寮さんりゅうりょうは特待生専用寮であるため、入居者は多くない。空き部屋はほかにもたくさんある。それなのにこの部屋の配置。間違いなく、学園長あたりのご配慮だろう。

「一般男子寮と女子寮は別なのに、特待生は何で共用なんだろう」

「人数が少ないからじゃないですか?」

「せめて階を変えるとか」

「パートナーですから、隣のほうがいいですよ」

 らいらはニコニコしながら段ボールをひとつ部屋に入れる。

「すごいですねー、2DKもあるなんて」

 ダイニングキッチンと、部屋が別に二つある間取りだ。さほど広くもないが、一人で暮らすには十分すぎる。

「ああ、特待生は自分で仕事を受けるから、資料や武器で持ち物も多くなるし。それで広い部屋が与えられるんだと」

「お風呂もついてるし、いいですね」

 風呂とトイレが一室にある三点ユニットだ。

 一般生が二人一部屋、風呂とトイレは共有なのに比べると、破格の待遇だ。

「もっと送ってもらおうかなぁ。これなら家に置いてきたものも……」

「必要なもの以外はやめといた方がいいぞ」

 一磨は自分の荷物を三〇二号室に放りこみ、制服の上着を脱ぐ。

 廊下に戻って、段ボール箱をひとつ持ち上げた。

「大変だろ? 手伝うよ」

「あ、すみません! 助かります」

「お邪魔しまーす」

 家具はすでにセッティングされている。荷物をほどいているところだったらしい。

 床に段ボール箱を置く。

「開けていいか?」

「お願いします」

 箱を開けると、本やノートが出てくる。量が多い。努力した証だ。

「これー、本棚に入れていいかー?」

「適当でいいのでお願いしまーす。あとで整理しますんで」

 箱から出てきた順に、本棚に詰めていく。

 本やノートはどんどん並び、最後の一冊になった。オレンジ色のバインダーだ。ルーズリーフを綴じたそれは、結構な厚みがあった。プラスチックの表紙には「薬ノート」と手書きしたシールが貼ってある。

「あ、ちょっと待ってください」

 バインダーを本棚に入れようとすると、らいが戻ってきた。

「どうかした?」

「これだけは特別なので……もうこっちに入れちゃいます」

 らいは勉強机に据えつけられた引き出しにバインダーをしまった。

「あれは、ウチの家に伝わるお薬について書いたノートなんです」

「へえ……実家、薬屋なのか?」

「いいえ。……ほら、わたしは神虫ですから」

「あ、そっか」

 人間の姿をした、ヒトではないモノ。彼ら独自の文化があるのだろう。

「市販のは効かないことも多いんです。だから基本的なお薬は自分たちで作ってるんですよ」

 らいらは段ボール箱を一磨の前に置いた。開く。中からいくつも瓶が出てくる。ジャムを入れるような瓶に、さまざまな色のペーストや液体が入っている。瓶にはひとつひとつラベルが貼ってあり、「切り傷」「火傷」などと書かれている。

「苦労するんだな」

「慣れてますから。お薬しまうの、手伝っていただけませんか?」

「ああ、いいよ」

 薬の保管場所は、薬の性質によって変えねばならないという。冷蔵庫や流し台の下、明るい場所、乾燥している場所――部屋のあちこちに、薬の瓶をしまった。

「これで終わりです。ありがとうございます」

「んじゃ、次の箱開けるわ。さて……」

 別の箱を開けると、私物の小物が出てくる。丁寧に梱包された写真立てがあった。

「これ……」

 記念写真らしく、二十人ほど写っている。卒業写真かと思ったが、違う。写っている人間の年代がバラバラだ。

 らいらが手前に写っていた。両隣には幼い男の子や女の子が三人、そのうしろに両親らしき男女がいる。その近くに老夫婦がいて、また別に若い夫婦もいる。

(こんなに……家族や親戚がいるのか)

 皆、おだやかに笑っている。

 両親も兄弟もいない一磨は、うらやましく感じた。

「それ、ウチの一族なんです」

「わっ」

 いきなりうしろから話しかけられた。

「一族ってことは、全員神虫を出せるのか?」

「ええ。でも、鬼と対峙できるほどの能力がある人は少ないのです」

「なぜだ?」

 鬼を喰らう神虫の一族。いわば鬼の天敵であることは、学園長も言っていた。

 らいらはすこし困ったような表情をした。

「いま、妖怪や鬼が大量に棲んでいるといわれる地域は、法律で人の立入が禁止されています。入るには、退魔士の資格がいりますよね」

「まあそうだな。素人が行っちゃ、べられるだけだ」

「だけど、退魔士になるには、体術・知識・霊力、そのすべてにおいて相当のレベルを要求されます。たしかにわたしの一族は、普通の人たちとは違いますが……退魔士に至れるほどの人は少ないんです」

「あー……なるほど」

 二年で退魔士の資格を取った一磨にはわかる。入学以来ほとんど学園の外に出ず、起きている時間はすべて勉強と鍛錬に当てた。

 ほかの生徒はそれを五年かけて行う。彼らはまだ余裕がある。

 しかし国家試験直前の先輩たちはまるで幽霊のような顔をしている。誰もが追い詰められ、限界におびえながら退魔士を目指す。

 脱落者も少なくない。挫折し、退学に至る生徒もいる。

 退魔士は、その資格に至るまでがすでに修羅の道である。

「人の世の法に従うと決めたわれらは、たとえ飢えようと、法を破って鬼のいる地域に入ることはできません」

「厳しいんだな」

 だがその厳格さゆえに、彼らは人間に混じって暮らしていけるのだろう。

「だからわたしは退魔士になったんです」

「ふうん……」

 もっと細かい事情を聞きたかったが、一磨は笑って小物を取り出す。

「まあ、積もる話は追々聞かせてもらうよ。まずは片付けだ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 また二人はパタパタと荷ほどきを始めた。

 らいらがキッチンを片付けているあいだに、一磨は軽めの箱を持ってくる。

「これも開けてっと……」

 一磨は無造作にガムテープをはがした。

 中には布が入っていた。小さく折りたたまれた布地が並んでいる。

「……ハンカチ?」

 ひとつ手に取る。ライトグリーンのチェック柄だ。するりと広げると、布は逆三角に似た形で止まった。

 女物の下着だった。

「一磨さん、服の箱持ってきて……きゃっ!」

「ご、ゴメン!」

 一磨が下着を手放す。下着が箱に落ちると同時に、すべりこんだらいらが箱を閉じる。

「み、み、見ました……?」

「ゴメン、ほんと、見るつもりは……」

 二人ともしどろもどろで目をそらしあう。

「すみません……箱に、書いておけばよかったですね……」

「いや、こっちこそ……」

「…………」

「……」

 気まずい沈黙が流れる。

「おーい、大丈夫かい?」

「きゃあ!」

「わああ!」

 様子を見にきた管理人の声に、二人は悲鳴を上げた。

「竜野さん、荷物はあれだけだったかい?」

「あ、はい! あれで全部ですっ!」

「あれ、玉石君も手伝ってるの。大変だね。でも偉いねー」

「いえいえ! 俺が勝手にはじめただけですしっ!」

 二人とも大あせりしながら答える。それをいい機会に、二人はまた片付けを始めた。

 荷ほどきがすべて終わった頃には、午後四時を回っていた。

「すみません。こんなに長い時間、手伝ってもらって」

 ミニテーブルをはさんで、二人は座っていた。

 出したばかりの湯呑みに茶を淹れ、らいが差し出す。

「別にいいよ。ヒマだったし」

「一磨さんって、優しいんですね」

 面と向かって言われると照れる。照れくささを隠すように、一磨は茶を飲んだ。

「前は……マニ学園だったよな?」

「ええ」

「ここへ来たのって、学園長が誘ったからか?」

「はい」

「親御さん、反対したりは?」

「いいえ。事情を話したら、喜んで『移りなさい』って言ってくれました」

「らいら自身は? こんな離れた学園にいきなり来いって言われてさ。迷ったりはしなかったの? 友達だっていただろ?」

「えっと……」

 らいらは恥ずかしそうに口ごもる。

「わたし、前の学園も実家から離れてますし。だから距離はいまさらって感じでしたし。それに、二年間ずっと勉強ばっかりしてて……友達もそんなにいなかったっていうか……」

 目元にわずかに影がさす。あまりふれられたくない話題らしい。

「そ、そっか」

 地雷踏んだか、と一磨は自分を恥ずかしく思った。

(だけど……)

 言っておきたいことがある。

「ここで作れよ」

「え?」

「友達。皆、いいヤツばっかりだからさ」

 携帯電話を取り出す。

「ほら、ケータイ。持ってるだろ?」

「あ、はい」

 携帯電話の番号とメールアドレスを交換する。

「朝、何人かと交換してるの見たけどさ、ほかの連中も聞けば絶対教えてくれるから。仲本あたりなんか姉御肌だし、昼飯とかお呼びがかかるぞ。絶対行けよ」

 仲本は一磨のクラスの女子のひとりだ。

 らいらは安心したようにニコッと笑った。

「一磨さんがパートナーで、本当によかった」

 優しい笑顔だ。見ているこちらも思わず顔がほころぶ。

 茶がほっこりと湯気を立てる。

「なんかこうしてると、夫婦みたいですね」

「うぐっ!」

 一磨は思わずむせた。

「だ、大丈夫ですか?」

「いや、らいらが変なことを言うから……」

「変なこと?」

「な、何でもない。大丈夫だから」

 ピンポーン。

 部屋のインターホンが鳴る。

「はーい」

 らいらが応対する。

「あ、仲本さん!」

「え、仲本?」

 一磨は思わず立ちあがって玄関へ向かう。

「ああー!? なにしてんのよ、玉石君!?」

 クラスの女子が数人、玄関口に立っている。先頭に立つ仲本が、一磨を指さす。

「へっ!? つーか、仲本も何しに来たんだよ!?」

「今日荷物が届くって聞いたから、手伝おうと思って来たのよ」

「もしかして、もー片付いちゃってる?」

「えーすごーい。早い!」

 女子のにぎやかな声が満ちる。

「ほら、言ったとおりだろ」

 一磨は小さな声でらいらにささやいた。

「えっ?」

「皆、いいやつだって」

 らいらは嬉しそうに笑った。

 部屋の奥を示す。

「皆さん、せっかくですから上がってください。お茶を用意しますね」

「やったー! おっ邪魔っしまーす」

 部屋が一気にキャアキャアとにぎやかになる。

「玉石君」

 仲本が一磨の肩を叩いた。

「……なんだよ」

「今日の呪術学で習ったんだけどー、『今昔物語集』に目玉と男の人のモノで呪いをかけるっていう話が」

「やめろー!!」

 一磨の悲鳴が、散流寮に響き渡った。

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