第三十五章 雪降る夜にへの応援コメント
あぁ、ついにこの日がきてしまいましたね、、
最後に、はるが牛一の元にかけつけてくれたのですね。
金沢で別れて以来の親子の再会。
「お前の……その強さがあったからこそ……わしは……最後まで……」
こんなにも、はるの存在が牛一を支えていたのですね。
そして牛一は、真実を誰かが見つけ出す種を蒔いたと告げる。
はるはその言葉の意味を完全に理解できなかったものの、その父の心をしかと受け止めると言ってくれた。
これほど牛一を安心させる言葉はないですよね。
本当に、はるは牛一にとって命そのものだったように感じます。
牛一が託した真実の種はいつその実を結ぶのか。
牛一が亡くなってもその心はなくならない。その種の行く末をあの世から、しかと見届けようとしている気がします。
第三十四章 文のやり取りへの応援コメント
牛一と娘はるとの文のやり取りが、親子の情の深さを感じさせます。
とくに試練にあった牛一とはるだからこそ、その絆がより強く結ばれている気がします。
牛一からは、詫びと感謝の気持ち。
はるからは、父を一層慮る気持ち。
どちらも相手のことを心から思っている、というのが伝わってきます。
『はる。そなたがいてくれたからこそ、わしは、これまでの日々を、どうにか生き抜くことができた。そなたに、心より、礼を言う』
この言葉を書くことができた牛一は、何かもう思い残すことはないようにさえ思われました。
ここには、本能寺の真相を世に明らかにできていない無念さは感じられません。ただ、ただ、はるが自分の人生にいてくれてよかった、という思いのみが溢れているように感じます。
『父上は、詫びとお書きになられましたが、私は、一度たりとも、父上を恨んだことはございませぬ。』
この言葉に牛一はどれほど救われたことかと思います。
『これまでの全ての苦労が、報われたような気がした。』
まさにそうですよね。
人生の晩年になってこの境地になれたことが、本当に良かったですね。
第三十三章 遠き文机への応援コメント
ここで牛一の娘、はるの再登場ですね。
はるは、娘『さち』を失ってからどんな年月を重ねてきたのかと思います。
父、牛一と別れて会うことは叶わないまま、文だけで繋がってきた。
『灯心の灯りの下、一人、机に向かい、震える手で筆を動かし続ける、父の背中であった』
というところに、はるが牛一の身を案じているのが伝わってきます。
牛一は決してはるに自分の苦労は吐露しなかったと思われます。
しかしはるは、文の行間に滲む、父の疲弊の色を読み取っていたのですよね。
そしてまさに、はるがなんとなくでもわかっていたのは、
『父が本当に書きたいと願っているのは、その物語ではなく、その裏に隠された、何か別の真実なのだということ』
親子の絆を感じます。
はるはまた、牛一が『一人で背負い続けてきた、途方もない孤独』にも気づいていましたね。
しかし、私は牛一は決して孤独ではないと思います。こうやって、牛一のことを理解して、牛一が抱えている重荷を少しでも分けてくださいという娘がいる。
牛一とはる、二人に本当の安らぎが訪れるのはいつなのか。
これまでの苦しみが報われて、二人で手を取り合って、親子水入らずで過ごせる日が来て欲しいです。
第三十二章 二条城への応援コメント
牛一は、長年、太田の家として豊臣家に仕えてきました。
その牛一が今最も心の拠り所にしているのは、その豊臣家の宿敵、家康であることが感じられます。
それほどにまで牛一は、真実を語ることへの誓いを強く心に立てているのですよね。
あの真実。それこそは『本能寺の変』。
『全ての糸が、一人の男へと繋がっていること――。』
つまりその一人の男とは秀吉以外の何者でもない。
このことをついに語ることができた牛一はどんな思いだったのか。
それを断定せずにあくまでも推測の域を出ないことを付け足したところに、牛一の慎重さが伺えます。
そしてその牛一の語ったことを、家康はしかと受け止めてくれましたね!
牛一が見込んで話した家康の度量を感じます。
もちろん、まだ真実が世に明かされたわけではありませんが、重たい扉が開かれたのは事実ですよね!
牛一がやっと報われる時が来たのでしょうか?そうであって欲しいです!
第三十一章 天道に背くへの応援コメント
ついに牛一が大きな一歩を刻みましたね!
『天道に背く』
これは二つの意味がありましたね!
秀吉の甥の秀次は、関白の座も継いだのに、秀吉との不和が生じて自害を命じられた。それ自体はまだ乱世にはままあることだと受け入れられたとしても、
秀次に関連した罪もない三十九人もの人々が処刑されてしまった。
これは牛一にとって、さちの死を思い起こさせるものだったのですよね。
あの時耐えた涙が溢れ出てくるような思い、怒り、それらを秀吉が亡くなった今、太閤様御一代記を自らの手で書き換える。
『裁くのは天であって、この牛一ではない――それが、牛一が生涯をかけて守り抜いてきた、記録者としての矜持であった。』
その牛一が
『これを裁かずして、いったい何を裁くというのか。』
という理不尽さへの怒りに打ち震えて、天道に背き、天道に背く行いをした秀吉を断罪する。
それは同じ『天道に背く』であっても両者の意味はまるで違いますよね!
この出来事が牛一にもたらした影響は今後どのような力になって行くのか。
本能寺の変こそが本丸であるように感じますが、家康はその真実を明かす道を開いてくれるのか。興味を惹かれます!
第三十章 家康の頼みへの応援コメント
今度は家康が牛一に関ヶ原の合戦を書いて欲しいと頼んで来たのですね?
これは家康にどんな意図があったのかわかりませんね。その言葉通り信長公記にただ本当に感服したとも思えないわけですし。
しかし、
「そなた、随分と、疲れた顔をしておるな」
この家康からかけられた言葉が、かつてないほど牛一の心に深く響いたことに、ハッとしました!
人は誰でも自分の苦しみ、大変さに気づいて寄り添ってくれると心を動かされるのですよね!
牛一も今までの苦悩がわかってもらえたのでは?という気持ちになって、この御方となら、という思いが湧き起こったのもわかります。
『いつか、真実の全てを、託すことができるのではないか。』
家康の台頭に、真実はまた日の目を見ないことになるのではないかと懸念されましたが、反対に、牛一にとって大きな支えになっていく予感がしている。
牛一もここまで耐えてきて良かったと言えるのか。
まだ半信半疑ではありますが、家康を信頼する気持ちが裏切られないといいな、と思います!
第二十九章 関ヶ原への応援コメント
『関ヶ原』——歴史上余りにも有名な天下分け目の合戦。
ここで語られたのは石田三成のこと。
牛一にも無縁ではなかった人物ですよね。
信長公の御一代記を書こうとしていたとき、孫のさちの死を知らせに来たとき、牛一は三成のひととなりを感じ取っていましたよね。
『あの男は、ただ、己の信じる筋を、最後まで通そうとしただけであった。』
これは、牛一にも通じるものがあったからこそ、三成が最後までその正直さを貫いて、それが命取りになったことが、人ごとには思えなかったのだと思います。
今、関ヶ原の戦いに勝利した家康が頂点に昇り詰めようとしている。
秀吉の時に隠された本能寺の変の真実の命運は家康が握ることになる。
しかも家康は、光秀を裏切った男、、
これはもう、またしても真実が封印されてしまう恐れが出てきてしまいましたね!
その真実を知る者の数も少なくなっている。牛一の心中は如何程なのか。
いつか必ず真実を語るという誓いに試練が訪れているようです。
幾度も打ち消されてきた灯でしたが、秀吉の死の後に、また立ちはだかる家康という大きな壁。
今度こそ牛一は諦めてしまうのか。
行く末が案じられます。
第二十八章 創ったなへの応援コメント
満を持して家康が登場してきた感じです!
あれほどの歳月と犠牲を払って書き上げた書物が、大名たちの中で丁重に扱われることがなくなっているのを目の当たりにして、虚しさばかりを感じていた牛一でしたが、
ここで空気を一変させたのが、徳川家康ですね!
家康が読んだのは、まず信長公の御一代記。大名達の扱いの違いを感じましたよね。
そして問題の個所、『本能寺の変』。ここは秀吉によって真実を曲げて書いただけに、牛一も家康の反応が怖い気がしますよね。
そして一言、
「これは……創ったな」
まさに!
見抜かれていましたね!
しかし家康はそれ以上詳しくは言わない。
そして「よう出来ておる」とだけ伝える。
真実を知っている家康から出たその言葉には、どんな意味が込められていたのか。
『真実を知りながら、それを語らず、時流を見極め、ただ静かに力を蓄えていく――そのような男こそが、この乱世の果てに、最後まで生き残るのではないか。』
この牛一の言葉が印象的です!
そしてこの言葉は、いつの時代にも普遍的に通用する真実を言い当てている気がします!
私達は、その後、家康が天下をとることを知っていますが、奇しくも牛一はそれを見抜いていましたね。
そして牛一の運命はどのように関わってくるのか。
家康の登場によって物語が大きく変化するような予感です。
第二十七章 太閤の死への応援コメント
ついに、あの秀吉が亡くなりました!
長い年月、恐怖や怒りを抱えながらも、家族を守るために必死で耐えてきた牛一でしたが、秀吉の死がもたらしたものは、安堵でも喜びでもない。
あまりにも牛一から奪ったものが大きかったのか、秀吉亡きあとも、牛一を支配し続けるほどその影響力の凄まじさを感じます。
しかも、
『長年己を縛り続けてきた鎖の、その手応えまでもが、ふっと消え失せてしまったかのような、頼りない空白であった』
とさえ感じている。
これは常に牛一がその鎖と共に人生を歩んできた後遺症のようにも思いました。
しかし、これまでとは違います。
秀吉が亡くなってこの世からいなくなった今、真実を語りたいという気持ちが再び湧き起こってきているのを感じます。
まだ牛一の中の灯は消えていませんでしたね!
第二十六章 帝への献上への応援コメント
『太閤御代度々御進発之記』という新たな題が付けられることになった、秀吉の一代記。
牛一が書いたのは事実だとしても、中身は誇張や虚偽が織り込まれている、、
それでも信長公の御一代記を、同じく真実を捻じ曲げて書いたときに感じた痛みとは比べものにならないくらい、何の痛みも感じられない。
牛一の記録者としての矜持が失われてしまったことを思い知るような気がします。
帝に献上されるという栄誉であるはずなのに、虚しさばかりが漂います。
牛一はこのまま終わってしまうのか。
真実は誰の元にも届かないものになってしまうのか。
そんなはずはないと思っています。
第二十五章 満足げな笑みへの応援コメント
『太閤様御一代記』、書き上がったのですね。『信長公の御一代記』を献上した時のあの神経が張り詰めたような緊張と比べると、訳もないという感じですね。
秀吉は嘘でも何でも自分が大した人物であるように書かれていれば大満足なようですね。
牛一は自分が書いたものが真実ではないと分かっていながらも、今はもう心の葛藤がなくなってしまったのですね。
そして秀吉は、その牛一が書いた書物を帝にも献上することを思いつく。
これでいよいよ、その書物はこの国の歴史の『真実』として定着してしまうことになるのですよね、、
この時の牛一が『奇妙な虚しさ』を覚えていたとあったのが印象的です。
『苦しみを感じていないのに、満たされてもいない』
何か空っぽになってしまったみたいでしょうか。
『己自身の記録者としての矜持』はどこに行ってしまったのか。それを取り戻す日は来るのか?
第二十四章 もう一つの一代記への応援コメント
牛一は、息子の牛次、小又助を秀吉に差し出すことすら平静になってしまいましたね。
もう秀吉に抵抗する気持ちも湧かなくなってしまった牛一ですが、それこそが恐ろしいというのが印象的です。何か魂を抜かれてしまったようですね。
そして言われるがまま書き始めた『太閤様御自身の一代記』
それは信長公の御一代記を書いた時とはまるで心の状態が違っていたのですよね。
一つには、信長は自分が間近でその生涯を見つめてきたのに対して、秀吉には確かな記憶がほとんど存在しない、ということですね。
これは心の葛藤が起きにくいですよね。
そしてもう一つ。
牛一には何かと戦うだけの気力がどこにも残されていなくなってしまったのですよね。
『人は、心から敬い、愛したものを裏切る時にこそ、真の痛みを覚えるのだ。』
この言葉、鋭く切り込んでいますね!
大坂の穏やかな夜が、静かに広がっていく中で枯れてしまったような牛一がそこにいるような気がします。
しかし真実をいつか語るという思いまでは、枯れて欲しくないです。
第二十三章 和泉守への応援コメント
とりあえず、牛一は信長公の一代記を書き終え、完成したのですね。これで重荷から解き放たれると思ったのも束の間、
秀吉の残酷な命令がそこにありましたね。
自分の信念を曲げて書いた記述を自ら読まされる。これは精神的にきついですね。
明智日向守光秀と逆心という言葉。
その場所に、牛一が強い引っ掛かりを感じてしまうのは無理がありませんよね。
そこは牛一が最も同情と哀れみを寄せた光秀を裏切る箇所になっている。
そして秀吉は満足する。
『この書物によって、初めて、信長公の御生涯を、正しく知ることになろう』
かなり牛一にとって嫌な言葉ですよね。
しかも奥書まで書かせる用意周到さ。
牛一が感じた屈辱はどれほどだったのかと思います。
神罰まで『あの男』にくだることを念じてしまったのですよね。
そして秀吉から賜った『和泉守』の官途。
これを喜べるはずもありませんよね。
更に写本を作る。
更に更に秀吉の一代記も書かされる。
しかし考えようによっては、『信長公記』よりもそれほどの葛藤がなく書けるのでは?と思いますよね。
それはそうなのかもしれませんが、一難去ってまた一難といった重い枷を負わされてしまいましたね。
それでもいつか牛一には真実を語って欲しいです!
第二十二章 物語を創るへの応援コメント
ついに、牛一が書き始めましたね!
そして、あぁ、、というため息が漏れてしまいました。
もう己に言い聞かせていますよね。
『これは、噓を書くのではない。』
『これは――物語を、創り上げるのだ。』
それは『これ以上の血を流さずに済むのであれば――』
という気持ちから出たものなのですよね。
秀吉の恐ろしさにはもう抗えないことを知ったのですよね。
『これは、真実ではない。牛一は、誰よりもそれを知っていた。』
ここで、はっきりと言い切っていますね。
この言葉には重みがあります。
さちの死が本当に牛一には大きかったのを感じます。
でも牛一は
『いつか。いつか、必ず。』
と誓っています。
だから、まだ牛一の中の炎は消えていないと思います!
『夜明け前の、最も暗い刻限』
これは牛一の心の状態を表しているようにも感じます。
『まだ幾つもの巻を、書き継がねばならなかった。』
牛一の苦しみはまだまだ続いてしまうのか。
第二十一章 距離への応援コメント
『信長公記』という信長の一代記を後世に残そうとしたことで、牛一は過酷な運命を背負うことになってしまいましたね、、
孫の『さち』が不審な死を遂げたり、娘の『はる』から金沢にはもう来ないで欲しいということを言われたり。
これはもちろん、お互いの身を守る手段だったと思いますが、一人娘にさえ会いに行くことができなくなってしまったのは、辛いですよね。
はるも娘を亡くして、父の牛一に縋りたい気持ちがあるはずなのに、苦しい選択をした——そこに、はるの強さがある。
しかし、その強さは牛一自身が強いたものだと、己の弱さを責める気持ちがあるように感じました。
娘の手を握って感じたぬくもり。
牛一はそれを守りたいと思ったはずですよね。しかし今は距離を置くことでしか守れない。
牛一に光が射すのはいつなのか。
この状況を早く抜け出して欲しいです!
第二十章 さちへの応援コメント
この章で、とうとう犠牲者が出てしまったか、、という気持ちになりました。
しかし、それは明らかに犠牲になったというのではなく、「事故に見える形で起きている」というところが怖いです!
いろんなことを重ねて検証していくと、「ただの事故」ではなくなるのですよね。
しかも本能寺の『素性の知れぬ数名の者ども』と金沢の『見慣れぬ男』がリンクする!
秀吉、と言っていいのだと思うのですが、牛一にここまでしてくるとは!です!
そしてその事故を伝えに来たのが三成。
『私は、私の見た真実を語ったまで』
これ、以前にも三成が牛一に言っていましたが、まさかここでもこのセリフが出て来るとは!
しかし以前その言葉を発したときと、今の三成は違う。秀吉の恐ろしさを再認識しました!
また牛一が三成の生真面目さ故の、行く先を案ずる気持ち、三成が歩む道を私達はわかっていますが、この時の牛一にそれが予測できたというのが興味深いです!
何度も試練が訪れますが、今回は孫娘の死ということもあり、牛一もさすがに堪えたと思います。
しかしそれだからこそ、『真実を伝える』、という気持ちが更に強硬に芽生えたのかとも思いました。
第十九章 積み重なる訂正への応援コメント
ここまで書き直させるか?!というくらい、秀吉は自分に都合のいいように牛一に要求していますね!
他人の功績を自分の功績にしてみたり、自分に都合のいい背景を付け足して、印象を変えてみたり、結果の責任を別の者に負わせてみたり。
さらに光秀のことになると、その人物そのものを作り替えてしまう。
元々は信長公に忠実な将だったのに、秀吉によって謀反を起こすべくして起こした男に変えられてしまう。
いやぁ、秀吉、かなり策略家です!
また、秀吉が『この目で見て来た』と言っているのが、牛一を押し潰すのに十分な言葉になっていますよね!
もう、牛一が書いた『信長公記』は作者こそ自分になりますが、中身はおよそ自分の作ではない。
自分が納得していない内容が、後世に自分の名前で残り続けてしまう。
そんなことでいいのかと思ってしまいますよね。
第十八章 名もなき数人への応援コメント
前回、秀吉が牛一に怒声を浴びせたことにより、本能寺の変で信長公を討ったのは秀吉だったのではないか、という疑念が確信になりましたね!
そして牛一は光秀の思いに一矢報いたくなる気持ちになった、、
それが
『素性の知れぬ数名の者ども』
という一句を入れることだったのですね!
これは牛一らしい巧みなやり方ですね!
もちろん、素性がわからないので、それが秀吉の配下だったとは言っていない。
そしてそれを読んだ人には、光秀が一人で企てたとされていることに、疑念を抱かせるようになっている。
ほんの小さな言葉に牛一は自分の思いを込めたのですね。
秀吉は
『歴史とは、後の世に残る、唯一無二の真実でなければならぬ。』
と言っていますが、これこそあなたがそれを言いますか?という気持ちになりました。
もう、一層のこと、書くのをやめたら楽になれるのに、、と思いました。
しかし牛一は一筋の光明を見出しました。
それが
『この胸の内に秘めた真実を、しかるべき相手に、この口から直に語り伝える日が、必ず来る。』
ということ。
この思いがあれば今を乗り切れる、そんな気がしました!
第十七章 怒声への応援コメント
前回、牛一の中で本能寺の変で、光秀を嵌めたのは『秀吉』なのでは?と推測していましたが、
この章では、秀吉の『怒声』によって、自分の繋いだ像が『――やはり、真実であったのだ。』と確信に変わりましたね!
特に『光秀は、謀反を企てたのだ! それだけのことではないか! 』ここのセリフの『それだけのこと』と言っているところが印象的です。
牛一は『それだけ』のことではないことを、概ね知ってしまっている。
そして秀吉が自ら『それだけ』と言い張ったために、かえって疑念が強まったのですよね?
しかも秀吉は激昂して言った。
これはもう間違いない。
このシーンはとても緊迫していました!
秀吉は、真実の記録ではなく、自分が望む形に整えられた記録が欲しいのですよね。
そして牛一は、それに対して抵抗する気持ちを持っている。
怒声より、その後の静けさの方が恐ろしかったという牛一の気持ちが伝わってきました!
本能寺の変の真相を知る段階を超えて、その真相を知ってしまった牛一がどう書くのか。
続きを楽しみにしています!
第十六章 書けぬ真実への応援コメント
応援コメントのお返事ありがとうございました!
前回、牛一は光秀が謀反を企てた首謀者でなく、実は裏切りにあった『哀れな男』だったのではないかという像を浮かび上がらせました。
書き方はわからないけれど、光秀の思いを受け取って信長公記を書くのかと思われましたが、この第十六章では、『書けぬ真実』となってしまいましたね。
一体何があったのか、、
ここで、前回の『(光秀が)誰かに利用され』の箇所が大きくものを言うことになりましたね。
まずは毛利方に足軽奉公をしていたという行商人の話。
あの「電光石火の中国大返し」の裏にあった真相。本能寺の変が起きたとされる前後に、すでに大阪に近い尼崎の辺りにいた見慣れぬ手勢のこと。
これらの情報は、今まで牛一が集めてきた断片と合わせると、更にその『誰か』が紛れもない人物となって、何を企てたのかが強い確信になっていく、、
そして、光秀の『大阪の織田勢も討ち果たした』という書状と、その二日後の殿下側の『信長公は御存命』という書状。
これで全てが牛一の中で一本に繋がってしまいましたね。
その『誰か』は秀吉であり、秀吉が光秀を嵌めたのだ、と。
しかしそれでもまだ牛一はその可能性を否定しました。この一番大事な部分を決定付けない描写がとても丁寧だな、と思いました。
それでも牛一はまた自分を問い正しましたね。
『気づかなかったのではない。気づくことを、ずっと避けてきたのだ。』
この言葉が凄く印象的でした!
そのことまでも自覚してしまった今、改めて『書かねばならぬ』が『書けば、全てが終わる』になることが突き付けられる。
全てとは太田の家、そしてはるの命運も含んでいる。
ここまで来ると本当に牛一の苦悩の凄まじさが伝わってきます!
そんな中、牛一はどんな選択をするのか?
続きを楽しみにしています!
第十五章 鳥羽にて、本能寺にてへの応援コメント
『本能寺の真相』は如何に!
牛一がその真実を知ったのではなく、今まで聞いてきた証言を繋ぎ合わせて浮かび上がらせたもの。
ここは読み応えがありました!
そもそも光秀は本当に本能寺を襲ったのか?という大胆な推理。光秀がいたのはもっと別な場所——鳥羽。そしてそこで落ち合うはずだったとある武将が現れない。
光秀の焦る姿が目に浮かぶようでした。
そして、本能寺では斎藤利三の本隊がいた。しかしその前に、別の一団が侵入していた、、
ここはかなり怖い推理です。
前のエピソードのタイトル『桔梗ではない旗』の持つ意味が、また一段と意味を成してきたように感じました。
旗の描写のところ、引き込まれて読みました!
もし牛一が考えたことが本当だったとしたら、『光秀は、誰かに利用され、その名だけを歴史に刻まれた、哀れな男であったことになる』
そうなのですよね!まさに、そしてその誰かとは?!になります!(牛一にはその人物が浮かんでいますよね!)
光秀のことを思ったら、さぞ無念だったと思います。
牛一もそのように感じたのでしょうか。
信念を持って書こうとしているように感じます!
続きを楽しみにしています!
作者からの返信
いつも丁寧な応援コメントをありがとうございます。
牛一が聞いて来た『本能寺の変』の姿が見えましたね。
これからの牛一がどうするのか?
どう書くのか?
お楽しみに。
第十四章 桔梗にあらざる旗への応援コメント
いよいよ、牛一が書き始めるのか?と思いましたが、ここでそうはせずに、今度は大名ではなくその家来衆、下働きの者たちの噂話に真実の欠片を求めたのですね。
この方向転換は上手いな!と思いました!
本能寺近くに住んでいたという老爺の話、近江坂本でかつて明智家に仕えていたという中間の話——
これは、今までの大名たちが語らなかった部分を充分に補う話のように感じました。
そしてそれらの証言を重ねると一つの疑念になっていく。
西国——
あの人しかいませんよね。ここではっきりとした名前を出さないところがいいな、と思いました。証拠がない。まさにそうなのですから。
タイトルの『桔梗にあらざる旗』が絶妙に効いていますね!明智の者ではない何かが存在した可能性を匂わせている。
作者様からの返信にもありましたが、今はもう信長公をどう書くかということより、本能寺の真相は何なのか?を追う人になっていますね!
とても興味深いテーマになってきました!
続きを楽しみにしています!
第十三章 声なき声への応援コメント
ここで『四人の証言』のまとめとなりましたね!家康、幽斎、氏郷、官兵衛、『誰もが、何かを知っている。あるいは、何かに気づいている。』
つまり、みんな本能寺の変について何か引っ掛かりを感じている、ということですよね。
サブタイトル(声なき声)にもありますが、
牛一が追っている『真相』は、誰かが答えを教えてくれるものではなく、
みんなが口にしなかったことから推し量って、浮かび上がってくるものになっているのですよね?
また、真実を追い求めても、それをすべて知って、すべて書けるわけではない、ということを感じます。
ここまで来て、牛一は心を決めたようです。
『誰の顔色を窺うためのものでもない』と。
『牛一自身が、生涯をかけて見つめ続けた』というところが、大きな決断になっていますね。
このエピソードは今までの一つの区切りになっている気がしました。
続きを楽しみにしています!
第十二章 官兵衛の推察への応援コメント
いよいよ、最後の人物になりました!
それは黒田官兵衛、軍師官兵衛ですね!
この官兵衛が1番緊迫感があったように感じます。話すことに澱みがないというか、牛一の気持ちを見透かしている感じがして、うわ手を行く相手のようでした。
光秀の謀叛にいち早く動いたことについても、『軍略とは、常に、あらゆる事態を想定し、備えておくもの』『それが軍師たる者の務め』という説明が効いていて、
本能寺の変をあらかじめ予期していたわけではないということを、暗に感じさせるようでした。
前回、氏郷が『真実は闇に葬ってはくださるな』と言っていましたが、官兵衛はそれとは対照的なことを言っている。
茶碗のお茶を一口も飲まなかったというのが、不気味な恐ろしさを醸し出しています!
牛一は一体信長公の一代記をどうやって仕上げるのでしょうか?
続きを楽しみにしています!
第十一章 氏郷の涙への応援コメント
応援コメントのお返事ありがとうございました!
『本能寺の変』をどう書くか、また謎がどのように明かされていくのか、興味を惹かれます!
今回牛一が訪ねたのは、蒲生氏郷という、信長公の娘婿にあたる人物ですね。
氏郷にとって信長公は、世間一般に言われているような恐ろしい人物ではないと言っていましたね。
信長公から愛情を受けていた者から見た信長というのが興味深いです。
そして牛一が聞きたかった『本能寺の変』のこと。光秀のこと。
本当に光秀の思惑だけで起きた変だったのか。ここでもその疑念が湧きました!
『真実を闇に葬るな』
氏郷の言葉は牛一の心に刺さったと思います。
会う人ごとに苦悩が増えていくようです。
続きを楽しみにしています!
第十章 幽斎の沈黙への応援コメント
次に牛一が訪ねたのは細川藤孝——今は幽斎。
息子は忠興、忠興の妻は細川ガラシャ夫人ですね。ガラシャ夫人の父は明智光秀。この繋がりからも、牛一が幽斎からことの真相に迫る話を聞きたかったのではないかと思いました!
幽斎は本能寺の変の後、光秀から加勢を求められていながらも味方はしなかった、、
そこには幽斎の深い葛藤があったのですね。
そして牛一は、光秀がなぜ信長にあのようなことをしたのかを尋ねました。
幽斎の話を聞くことで、あの変の真相が少しずつ浮かび上がってくるようで、引き込まれました!
今までは、牛一が信長をどのように描けばいいのか、話を聞いた人達の要求に苦悩していましたが、
今回は本能寺の変に隠された真相に迫っていく展開で、また違った面白さがありました!
続きを楽しみにしています!
作者からの返信
いつもコメントをありがとうございます。
牛一は信長一代記の最後の章『本能寺の変』を書くために謎を追い続けます。
今後も引き続きよろしくお願いします。
第九章 伊賀越えの記憶への応援コメント
『誰のためでもなく、牛一自身が見た信長公のために書く』
と心を決めたはずだったのに
「自分が見ていない出来事を、どうやって書くのか」
という問題に直面してしまいましたね。
相手は後の将軍家康。
『世の中には、美しく語られた方が、皆が幸せになれる話というものもあるのだ』
家康の言葉は暗に、正確に記することに苦言を呈しているように聞こえます。
またもや牛一は迷路に入り込んでしまったようです。
続きを楽しみにしています!
第六章 ぼかす筆への応援コメント
応援コメントのお返事ありがとうございました!
ご紹介いただいた『歴史の窃盗人』を読ませていただきました!
『信長公記』は歴史の授業で習いましたが、その著者は太田牛一という人だったのですね!
実際に『信長公記』というものが存在するだけに、それがどのようにして書かれたものなのか、興味を惹かれました!
「ないことを加えず、あることを削らぬ」という誓いを立てながら、天下人の秀吉の圧力に次第に屈していく牛一の葛藤に、自分の気持ちも揺れ動きました!
また、娘のはるが父思いであるが故に、そのはるを守るため、ついには誓いを破って事実の輪郭をぼかすさまは、
父親としての愛情の深さと、歴史の記録者としての矜持とのはざまで苦悩する牛一の姿がとても印象的です!
まだ途中までですが、非常に面白い作品だと思います!!!
続きを楽しみにしています!
終章 泰平の物語への応援コメント
ついに完結!!
牛一の蒔いた種の行く末はいかに!
最後に登場して来たのは、牛一が二条城の一室で真実が世に出ることを託した男、徳川家康。今や天下を統一して、大御所に収まっている。
そしてその家康が孫達に、牛一が書き記した『信長公記』を読み聞かせている。
ここで、安易に家康が本能寺の変の真実をその孫達に語ってしまわないところがいいと思いました。
いかにも天下泰平になった今なら牛一の思いを汲んで、その願いを聞き届けてやろう、それでめでたし、めでたし、としなかったところに、この作品の真髄を感じます。
「もし、私たちが知っている歴史とは、誰かによって作られた物語だったとしたら――」
このテーマがとてもこの物語にはまっていて、特に牛一が本能寺の変を執筆するにあたって信長に縁のある人や、時には下働きの者達の噂話まで聞いて、真実の欠片を求めて行くエピソードは読み応えがありました!
私たちが知っている歴史とは、一体何が真実なのかということを改めて考えるようになりました。
牛一の苦悩、その思い、『信長公記』に隠された秘密。それらを想像しながら毎回夢中になって読ませていただきました!
(取り分け、『桔梗にあらざる旗』のエピソードが印象的です!)
また、牛一にとって、娘のはるの存在が何にも変えられないほど大きな心の拠り所であったのを感じ、牛一がこの世を去るときにもそばにいて、父の思いを受け止めてくれたことが何よりだと思いました。
本当に、ご紹介いただいたのをきっかけに最後まで読ませていただきましたが、大変面白い作品でした!!!
作者からの返信
いつもコメントありがとうございます。
牛一の人生を描きながら、現代社会の構図と何も変わっていないのではないか?と思う事もあります。
政治を動かしている人達が歴史を作り、事実を曲げて隠蔽しながらこの世の中が作られて行く…。
報道は政治に忖度して情報を扱う。
三成のような素直に生きる人が、下手なクジを引いてしまう。
小説を書きながら、少しでも色々な問題に疑問を持ち、本当は何が隠れているのか?を読者のみなさんと一緒に考えられたら素晴らしいのでは?と思っています。
最後まで読んで頂き本当に嬉しく思います。