うーむ難しい問題てすね……、「戦争を物語化する能力」か…。
「本当の戦争」と言うのを81年間経験していないと言うのもあるのかもしれません、81年間戦争を回避できた事は本当に有難い事だと思います。
そんな我々は皆「本当の戦争」を人から聞いたり教えられた範囲でしか知りません、右派も左派も一般の人も大半の人は「物語の戦争」しか知らないのです。
そして「平和教育」がイデオロギー化してしまった(あくまでも私が思ってるだけですが)
「何がなんでも戦争は駄目だ」と言うのは良いのですが、「なんで駄目なのか❓」「自分の身を守るのは駄目なのか❓」「目の前で自分の愛する人達が蹂躙されるのを黙って見てろと言うのか❓」と言うのを全て「けしからん‼️、そんな事を考えてるから駄目なんだ‼️」って切り捨ててしまってると思うのです。
我々は「本当の戦争って何だろう❓」って考え議論する所から始めないといけないのではないか❓、と思いました。
うーん、そうですね。
自分は戦争ではありませんが、「死」が日常生活よりもリアルな事態として想定される世界に少々身を投じた経験があります。
その世界で自分は「英雄」には到底及ばない「モブ」で終わりましたし、何度かヤバい目にあって、命は拾ったものの体に少々不具合を負う羽目にもなりました。
そういった状況に身を置いているとですね。
「死生の境」ギリギリを疾走する、そのために自らの肉体と思考を限界まで酷使する。
そういうことが、「麻薬的に気持ちいい」のです。
このへん、一般的なカクヨム登録者の皆様には理解されづらい心のありさまという自覚はありますが。
「闘争」を希求するタイプの個人。
そういう人間が、ゼロではなく存在するということもご理解ください。
人間は戦争を嫌いながらも、どこか戦争に憧れを抱いているのではないかへの応援コメント
勝ったら官軍、負けたら賊軍ですから。
戦争が終わったら、英雄は危険な存在です。だから、物語として受け継がれます。
戦争というのは、実にして悲惨的なものは物語としてはやはり別で受け継がれますね。広島や長崎、東京大空襲や沖縄戦の様に。
とばいえ、私は身体は闘争を求めると感じています。アーマード・コアというゲームがあるように、人は闘争を求め、より自身を強くする。人によりますが。
戦争に憧れというわけではありませんが、私は昔より戦争兵器に興味を持つ特殊な人でした。音速を越え、あるいはA-10の様に打たれ強く、機関砲を放つ。
さらには、海では40cmを越える巨砲や一発轟沈の魚雷戦。現代では、レーダーと高度な電子技術によるミサイル戦争。
戦争自体が好きなわけではありません、人が人を殺すというのは、とても望ましいものではありませんから。
でも、そういった兵器のカッコよさに魅了される人は大勢います。だからこそ、ガンダムやエースコンバットといった架空戦争ゲームや架空戦記が生まれると考えています。
それに加え、戦争というのは技術の発展を急速に促します。
気象レーダー、電子レンジやジェットエンジンといった便利なものはすべて戦争発明品です。
憧れというものは、そう簡単に無くせるものではありませんから。
兵器のカッコ良さを知ってしまったものは、そう簡単に戦争兵器を無くす事には賛成できないでしょう。
それに加え、相互確証破壊が起こり得るこの世界において、平和の英雄が作れたとしても、それを世界単位で行わければ行けないのです。
人というのは、闘争を求め、そしてそれを代償に科学を発展させていく。私は、そう考えています。
もちろん、主様の言い分も正しいと思っておりますし、言いたいこともわかります。