kkym街、自主企画ストリートのはずれにて。への応援コメント
>で、話したいのはここからだ
本当に話したいことがこの先に続きそうなのに、ここで完なのですね😂
作者からの返信
「藤葛さんにこんな文章を読ませてしまってすまねぇぜ……」とは思っています。
この文章は『路地裏に消えた歌』がお題の自主企画に参加させようとして書いていた文章でした。
『で、話したいのはここからだ』の後には、小説云々について書いた文章の内容と、ボカロ云々について書いた文章の内容とを結合して、『路地裏に消えた歌』を回収するような文章を書くつもりでした。
つもりだったのですが、書いている途中で書き終わった部分を読み返したときに、今回の文章の内容や言葉の調子がどうもムズムズするというか、はっきり言って好きじゃないなって感じてしまったんですよね。
すると途端になんか、書く気力みたいなものが失せてしまって。
書かずに終えた部分についても、なぜそれを話したいのかと言えば『内容とを結合して、『路地裏に消えた歌』を回収する』というのばかりが頭にあって、その内容自体を本当に書きたいのかと問われれば、ちょっと無理をしているような気がして。
そんなことをごちゃごちゃ考えた末に、未完成のままでこの文章を書くのはやめました。
未完成のままでやめたのですけれども。
この文章の内容には思うところがあったのと、なにかひとつの区切りの象徴として、自分の内に留めず外部に晒すべきだと勝手に感じたがために、未完成の文章のまま投稿をしてしまいました。
……上記の一連の文章、「めっちゃ長々と喋っちまったぜ!」とは思っています。
感想のお言葉、うれしいです。
kkym街、自主企画ストリートのはずれにて。への応援コメント
おおっ、消えたっ(≧▽≦)
そうかそういうことか。
へ? とか思ったあと爆笑しちゃいました(^▽^)
作者からの返信
「フリークスさんにこんな文章を読ませてしまってしのびねぇぜ……」とは思っています。
あの、この文章は未完成のまま投稿しちゃったやつなんです。
あれです。フリークスさんも作品を参加させていた、クロノヒョウさんの『路地裏に消えた歌』の自主企画。
あの自主企画に参加させようと書いていたけれど、なんだかやる気が失せちゃって、未完成のままにしちゃった文章なんです。
文章が途中で終わっている(消えている)のと、タイトルの『消える』は、全く意図していなかったし、関係なかったやつです。
なんか、「フリークスさんに深読みさせちゃって申し訳ないぜ!」と思います。
感想のお言葉、うれしいです。
編集済
kkym街、自主企画ストリートのはずれにて。への応援コメント
kkym街……なんだか隠されているような隠されていないような気がします。
小説を書くのは私も好きというか、「書いていないと人生やってられないぜ」みたいな感じで書いていますが、書き終わると「半日潰しちゃったな…」というのは私もあります。
ボカロもちょこちょこ聴きます!
お気に入りは「メリュー」と「ロキ」と「ロウワー」です!(←聞かれてないのに答えるんじゃないよ)
作者からの返信
「やまなしさんに こんな文章を読ませてしまって申し訳ねぇぜ……」とは思っています。
一体どこなんでしょうね、kkym街……。
今回のこの文章を書いた私にも、くっきりとした姿が見えているわけではないけど、おぼろげながら浮かんできたんです。『kkym』という文字が。
なんとなく、ただ本当に根拠もなしに何となく、『kdkw』と何かしらの関係がありそうな予感がしてはいるのですが、やはり全くわからないぜ……と思います。
『メリュー』、いいですよね! 私もドはまりして一生聴いていた時期がありました。
今、改めて聴いてみました。
この曲にごちゃごちゃと言葉を並べて感想を述べるのは野暮だと思いますから黙します。
久々に聴いてみて、やっぱりいい曲だねって思いました。
『ロキ』もめちゃ好きです。
歌詞や音がカッコイイのも もちろん好きですが、歌詞の内容にユーモアがあるのも好きです。
特に、『実は昨日から風邪で声が出ません』からの『寝言は寝て言え』が最高にクールな風刺だなって。
私は高校生の頃にバンドをやってる友達との付き合いで、地元のライブハウスでの高校生バンドのライブにお客として度々足を運んだのですが。
毎回1、2組くらいはバンドメンバーの誰かしらが前日から風を引いていました。
今思えば人前での演奏に緊張しちゃって逃げたくなる気持ちも分かるのですが。
そこを厳しめに『寝言は寝て言え』で咎めている『ロキ』は、最高にクールだなって思っています。
『ロウアー』についてはすみません。「オシャレな曲だぜ!」とは思うのですが、この曲のリズムで快楽物質を生成するような受容体が私の脳みその中に形成されていなくて……。
ただ『ロウアー』も、様々なところで名前を聞く有名な曲ですよね。
聞かれていないことであっても、ふと思いついたことをお話してくださるのは、私はうれしいなって思っています。
会話の中に飛躍があると、コミュニケーションに広がりが生まれるように思いますから。
感想のお言葉、うれしいです。
kkym街、自主企画ストリートのはずれにて。への応援コメント
僕と俺の使い分けが興味深いです。僕というのは社会的なペルソナで、小説書くのは楽しい、贅沢な時間の使い方だ、というSNS向けの自我。その一方で俺は原初的な衝動で、小説というものを業とみなし、好きとか嫌いとかその稜線自体が混沌としている流動的なエートスなのかなと感じました。他人が思うほど小説を書くのは楽しいだけのものじゃないし、苦しいからといってやめられるようなものでもない。そのことをうまく言語化できない感じが、終盤に思考の迷宮化に繋がっているのかと感じました。間違ってたらごめんなさい
作者からの返信
「楠本さんにこんな文章を読ませてしまってしのびねぇぜ……」とは思っています。
最初に白状しておこと思うのですが、楠本さんがコメントに書いてくださった物事に関しましては、あまりよく考えていませんでした。
僕とか俺とか私とか一人称のブレについては自覚や認識があるのですが、構わずにやっています。
そしてそれは何らかの計算や設計があるわけではなくて、完全に感覚です。
この文章を語っているのは『僕』だな、とか。この文章を『私』が語るのはしっくりこないな、とか。そんな感じの感覚です。
このように私は一人称について特に深く考えずにやっているのですが。
私が自覚していないだけで無意識化では、楠本さんがコメントに書いてくださったような事柄があるかもしれないし無いかもしれないなって思いました。
楠本さんが私におっしゃってくださったことが間違っているかどうかはわからないですけれども。
私は私の書いた文章に対して、それを読んでくださった方々が様々な感想や解釈を持ってくださるのがうれしいと感じます。おもしろいと感じます。
私が意図したとおりの感想を抱いてくれても、それはもちろん うれしいです。
けれども私が全く意図せず想定していなかったような解釈や感想を抱いてくださるのも、うれしいしおもしろいって感じます。
だから私は楠本さんが私の文章を読んで、コメントの内容のような事柄を考えてくださったことがめちゃうれしいです。
感想のお言葉、うれしいです。