強制☆恋愛体質
毛布 繰丸
第1話 婚約破棄されたら、恋をしないと死ぬ病気になりました!?
あたしは、いつだって世界で一番幸せな女の子だ。
心配性だけど世界一優しい大好きなパパと、大雑把だけどいつも笑顔で包み込んでくれる大好きなママがいる。
侯爵家という何不自由ない環境に生まれ、おまけによく面倒を見てくれる兄のような存在の幼馴染、伯爵家のミハイルもいつもそばにいてくれる。
そして何より……あたしには、いつも胸をドキドキとときめかせてくれる、完璧な婚約者のタール様がいるのだから!
「ああっ、今日も空が青いわ! きっとタール様があたしを呼んでいるのね!」
今日は久しぶりに、タール様のお屋敷でのお茶会にお呼ばれしちゃったのだ。
馬車に揺られること三十分。ネルヴー侯爵家の立派な門を抜けると、美しく手入れされた庭園が見えてきた。
そこには、薔薇の花が咲く庭園のガーデンテーブルで、優雅に読書をされているタール様の姿が!
銀糸のようなサラサラの髪に、切れ長の涼やかな瞳。神経質そうに眉間に寄ったシワすら、あたしにとっては知性の証にしか見えない。
ああ、なんて美しいのかしら。あたしの胸は、はち切れんばかりに高鳴っている。
「タール様~っ! お呼びいただきありがとうございます! あなたのデリールが、ただいま愛の翼に乗って参りましたわ!」
あたしは目をハートにして、一目散に彼のもとへ駆けていった。
バサッ。
あたしの声に気づいたタール様は、読んでいた分厚い本を乱暴に閉じると、ピクリとも表情を変えずにこちらを見た。
(ああ! 照れ隠しで本を閉じるなんて、可愛らしいところがあるんだから!)
挨拶もそこそこに、あたしはタール様の正面に着席した。
両手で頬杖をつき、ウットリとした表情でその端正な顔立ちを眺める。
タール様は大きなため息を一つ吐くと、ティーカップを手に取り、紅茶を一口飲んでから、真剣な顔であたしを見つめ返してきた。
(見つめ合う二人……。どうしよう、あの瞳で見つめられるとドキドキが止まらないわ。あの長いまつ毛になりたいわぁ)
あたしの脳内は、すでに二人の結婚式の鐘の音で満たされていた。
しかし、次にタール様の美しい唇から紡がれた言葉は、愛の囁きではなかった。
「デリール嬢。突然で申し訳ないが、君との婚約は白紙にさせていただく」
「…………えっ?」
「理由は君のその……過剰なまでの距離感と、人の話を聞かない性格だ。私は一人の静かな時間を愛している。君といると頭痛がするんだ。すでに父上からも許可を貰い、君の父親であるインノクト侯爵にも書状を送った。だから、これは決定事項だ」
「グハッ……!!」
冷酷なまでの宣告。
あたしの胸に、目に見えない巨大な槍が突き刺さった。口から魂が抜け出たかのような気がした。
タール様が何かを続けて話していたような気もするけれど、あたしの耳には全く入ってこなかった。
それからの記憶は、酷く曖昧だ。
どうやって家に帰ったのかもわからない。気づけば、あたしは自宅の自分の部屋の、見慣れた天蓋付きベッドの上に横たわっていた。
(……何もする気が起きないわ。あたしの世界から、光が消えてしまった)
それから、あたしは約一ヶ月もの間、部屋に引きこもった。
食事も喉を通らず、ただぼんやりと天井の模様を数える日々。
そんなあたしを心配して、家族や幼馴染が入れ替わり立ち替わり部屋にやってきた。
「デリール! ああ、我が愛しの天使よ! パパが最高級のシルクで新しいドレスを十着仕立てさせたぞ! これを着て気晴らしに……おおぅ、今日も顔色が悪いじゃないか! 誰か、医者を! 医者を呼べ!」
「あなた、落ち着きなさいな。デリール、あんな男のことなんて忘れちゃいなさい。世の中には星の数ほど男がいるのよ? ほら、ママと一緒に狩りにでも行って、熊でも仕留めてスカッとしましょう!」
パパは毎日違う宝石やドレスを持ってきては泣き崩れ、ママは相変わらず大雑把な慰め方で狩猟用のライフルを持ち込もうとした。
二人の愛情は痛いほど伝わるけれど、あたしの心はピクリとも踊らなかった。
そして、幼馴染であり親友のミハイルも、毎日あたしの部屋を訪れた。
「デリール、具合はどう? 君が好きだって言っていた、リンゴのコンポートを作ってきたんだ。少しでもいいから、口を開けてくれないか?」
ミハイルはベッドの脇に座り、優しい翡翠色の瞳であたしを見つめながら、スプーンを口元に運んでくれる。彼は昔から面倒見が良くて、あたしが落ち込んでいるときはいつもこうして傍にいてくれた。
だけど、今のあたしにはその優しさすら、空虚に響くだけだった。
「ごめんなさい、ミハイル……。あたし、もうタール様なしじゃ生きていけない……」
「…………そう、か。無理して食べなくていいよ。でも、君が悲しむ姿を見るのは、僕も辛いんだ。お願いだから、自分を壊さないで」
ミハイルはどこか切なそうな、泣きそうな顔をして俯いた。
みんなが励ましてくれるのに、あたしの心はどん底に沈んだまま。胸の奥が、ずっと冷たくて苦しい。
そして、婚約破棄からちょうど一ヶ月が経った日の朝。
「キャァァァァァァァァッ! お、お嬢様がっ! お嬢様が息をしておられません!!」
メイドの悲鳴が、屋敷中に響き渡った。
◇
「……っ、うぅ……」
重い瞼をゆっくりと開ける。
ぼやけた視界に、涙目で覗き込むパパとママ、そして蒼白な顔をしたミハイルの姿が映った。
「デリール! おお、神よ感謝します! パパはもうダメかと思ったぞ!」
「よかった……本当によかったわ、デリール!」
「デリール……! よかった、本当に……」
みんながホッと胸をなでおろす中、あたしは自分の体に異変を感じていた。
なんとか一命を取り留めたようだけれど、身体中が氷のように冷たく、胸の奥の鼓動が今にも消え入りそうに弱々しいのだ。指先一つ上手く動かせないし、息をするのも苦しい。
あたしは震える唇を動かし、ベッドの傍らに立つ主治医の先生に尋ねた。
「先生……正直に話してください。……あたしは、このまま死ぬんですか?」
あたしの問いに、部屋の空気が凍りついた。
初老の主治医は、ひどく言いづらそうに視線を彷徨わせた後、コホンと一つ咳払いをして、重い口を開いた。
「お嬢様。大変申し上げにくいのですが、このままだといずれ……」
パパが「そんな!」と頭を抱える。
「実は、先ほどの精密検査の結果、お嬢様は重度の『恋愛体質』であると判明いたしました」
「…………は?」
あたしはポカンと口を開けた。
パパもママも、ミハイルも、一瞬時が止まったように固まっている。
「れ、恋愛体質……? 先生、それが一体何の問題があるのかしら? あたしが恋に生きる乙女なのは、今に始まったことじゃありませんわ」
あたしが首を傾げると、先生はこれ以上ないほど真剣な顔で眼鏡を押し上げた。
「お嬢様が倒れた直接の原因は、体内の『ドキミン』という物質の著しい不足による影響です」
「ドキ……ミン?」
「はい。未だ王立研究所でも研究中の症状でして、完治する方法は見つかっておりません。通常、思春期を終える頃には自然と発症しなくなるのですが……。お嬢様の場合、定期的にドキミンが体内で分泌されないと、発作を起こし、最悪の場合、心停止に至ります」
先生の言葉が、脳内でゆっくりと反芻される。
ドキミン。
それが不足すると、死ぬ。
「具体的には、どうすればいいんだ、先生! どんな高価な薬でも用意するぞ!」
パパがパニックになりながら詰め寄る。
「薬ではどうにもなりません。ドキミンを分泌させる方法はただ一つ。――恋をして、胸を『ドキドキ』させることだけです」
「「「恋をして、ドキドキ!?」」」
「はい。お嬢様、最近は全く恋愛をされておられないのではありませんか? 婚約破棄のショックで、心が『トキメキ』を忘れてしまった状態です。新しい恋を探すのが急務です。処方が遅れると……最悪、死にます」
ショックを受けたあたしは放心状態となり、先生の説明はそこで終わった。
主治医が「じゃあこれで」と退出する際に、皆もあたしを気遣って一人にしてくれた。
……最悪、死ぬ。
その言葉が、あたしの生存本能に火をつけた。
死んでたまるか。
あたしはまだ十六歳。美味しいものも食べたいし、可愛いドレスも着たい。タール様への未練より、自分の命の方が大事に決まってる!
何より、新しい恋という言葉に強い光を感じた。
あたしは冷え切った体に鞭を打ち、勢いよく布団を跳ね除けた。
さっきまでの死にかけの状態が嘘のように、瞳に炎を宿してベッドの上に仁王立ちする。
備え付けのベルを使い、メイドを呼んだ。
「は、はいっ! お嬢様!」
急いで駆けつけてくれたメイドに、無茶なお願いをした。
「お願い! 今すぐ社交界の全てのパーティへの出席連絡と、お見合いの用意をお願い!」
「ええっ!?」
急に元気になったあたしを見て、メイドは戸惑いながらも嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「は、はい! かしこまりました。それでは、今から最高級の絵師を呼んで姿絵を発注して、お嬢様に釣り合うような殿方がいらっしゃる名家に送り、お返事をいただくことにしますね。だいたい数ヶ月後には……」
「だめよ! そんな悠長なこと言ってたら、あたしが死んじゃうわ! 大部分の手続きをすっ飛ばして、とにかく三日以内に『直接』会えるように手配して! お願い!」
「み、三日以内!? 姿絵も釣書もなしにですか!? それはいくらインノクト侯爵家の名を使っても無茶苦茶でございます!」
「そこをなんとか協力して欲しいの! 事情はパパやママに聞いてくれれば、きっと賛成してくれるわ!」
病気の詳細を話し忘れたせいで混乱しているメイドを、強引に押し切った。
あたしは窓の外、遠くに見える空に向かって、胸の中でそっと呟いた。
そしてあたしの心の五分の四を埋めていたあの方に、心の中でお別れをする。
(……さようなら、愛しのタール様)
悲劇のヒロインは、今日で終わり。
生きるために、あたしは恋の狩人ハンターになる!
「絶対に、最高に燃える恋をして、この失恋を乗り越えてみせるわ!」
こうして、新たなドキドキを求め、勘違いやすれ違いを繰り返しながらも、今日も元気に恋に全力投球するお嬢様の物語が、幕を開けたのである。
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