来ませんよへの応援コメント
自主企画にご参加いただき、ありがとうございました。
明治5年に旧暦の改訂があって1ヶ月ぐらいまるごとなくなってしまったのですね。
勉強になりました!
日付にこだわるのは、その日付でなければならかったからでしょうけれど、生きている人との約束であれば新暦で換算すればよいだけであり、約束のお相手は故人なのかなと思いました。
書き手の意図はわからないけれど、故人を亡くし、故人との大事な日を無くし、二重の喪失があるようなイメージとして迫ってきました。
そして、大事な日を無くすということが、約束を果たせないことによって故人の喪失を二度体験するような痛みがありそうに思いました。苦しみに追い討ちをかけるようなイメージです。
そのせいで切なく楽しめました。
一方で、当時の人は新暦になっても普通に旧暦でいきていたらしく、この人も旧暦に生きれば死者との行き違いもないのに、とちょっと不思議に思いました。なにかこう、新暦への置き換えというのが当時の社会風俗にとって「旧暦を語れば殺すぞ」みたいな弾圧ならば違和感はゼロだったのですが、暦屋以外にはあまり打撃はなくみんな旧暦を生きてたのかなって。
いろいろな読み方ができてとても楽しかったです!
ありがとうございました。
作者からの返信
安曇みなみさん
自主企画へ参加させていただきありがとうございました。
「故人との約束」という読みはまったく想定していなかったので、コメントを読みながら、こちらがもう一本短編を読ませていただいたような気持ちになりました。
たしかに、改暦したからといって人々の暮らしまで一夜で新暦になったわけではなく、旧暦はかなり長く生活の中に残っていたようですね。そのあたりまで考えると、「この男、別に待てるのでは?」というのもごもっともです。
ただ、この男にはどうも「換算して待つ」より、「来ないなら自分から行く」の方が性に合っていたようで。
故人なのか、生きている誰かなのか。
そこは、十二月三日と一緒に暦の外へ置いておこうと思います。
丁寧に読んでくださり、ありがとうございました!
来ませんよへの応援コメント
暦屋という商売があるのですね。初めて知りました。何の約束だったのでしょうね。自分から会いにいけるのなら良かったです