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AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
天然由来という言葉に惹かれる消費者がいるように、AI無添加という宣言も同様の価値を持っているのかもしれません。食べてしまえば味が重要ですが、食べるかどうかの判断にはパッケージが重要です。
AIは比較的新しいものですから、評価も様々だと私は思います。island様のようにAIを調理器具として評価するか、それとも添加物と見るか。私は道具として見ますが、後者の感情も理解できる気がします。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
できた作品が読者にちゃんと読めるかが最低限必要なことでありAIを使ったか人間の頭脳で考えて書いたかという事は読者にはどうでもいい事です。
要するに何を利用しようが『筆者が言いたいこと』が伝われば良いのです。
話の筋が通らず、何が言いたいのか分からない文章や細かな言葉や記号の選択の誤りがあるものや、文章の冒頭を字下げしてない読み物は大変読みにくく(AIを使う使わないは勘定しなくても)読む気がしません。
また、個人的にはAIだろうと人間の頭脳を使おうとカクヨムで人気のある『なろう系』は下品で薬にもならないので読まないことにしています。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
完全同意です。
どうすれば伝わるか。
そのためにAIを使うのはありだと思います。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
「自動生成AI」と昨今呼ばれているアプリが、何十億もの著作物を著作者の許可無く学習しており、画像(動画)生成アプリに関しては被害を受けた著作者から訴えられている、という視点がすっぽ抜けているところが気になりました。
文章を自動生成するアプリに関しては、誰の著作物を学習したかが証明しづらい事情もあり、画像生成アプリほどにはまだ騒がれていないようですが、著作権上問題のあるAIアプリがこの世の中に現れてしまった以上、すべての作家が盗作を疑われかねない立場にあるのです。
AIアプリに丸投げして文章を書かせた場合だけが問題になるのでもありません。ユーザーがAIアプリにアドバイスを求めた場合も、AIは無断学習した論文や著作物や企業秘密や個人情報を参照して、ユーザーへのアドバイスを出力します。それはつまり、本来権利者の許可無しに見てはならない情報を、アプリを介してユーザーが覗き見ているのと同じです。
自動生成AIを利用したかどうか自己申告したところで、嘘でない証拠にはなりませんが、「AIを使っていない」と表明しておくことは、個人的には、自作小説の価値を宣伝する目的というより、要らぬ疑いを回避する目的があると思っています。
自動生成AIなんてものが無ければやらずにすむ自己申告を、渋々やっている、やらざるをえない、というわけです。
一刻も早く法整備が進んで、著作権侵害の心配なくAIアプリを使えるようになるといいですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
著作権や学習データをめぐる問題が別途存在することについては、私も否定していません。
ただ、今回の文章では「生成AIそのものの著作権問題」や「AIに作品制作を丸投げすることの是非」は論点として扱っていません。
私が書いたのは、自分で考えた内容をAIに整理・文章化させるような使い方も含め、「AIを使った/使っていない」という工程そのものを作品の品質や価値の証明にすることへの違和感です。
そのため、今回いただいたご指摘は、私が書いたテーマとは少し別の問題だと考えています。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
この文章を読んで一番スカッとしたのは
「AI使ってない=偉い」
でも
「人間がチェックした=免罪符」
でもないってバッサリ切っているところです。
だから、
「工程の言い訳なんてどうでもいいから、読者の前に出すならちゃんと読めるもの出してくれよ」
という読み専としての素直な本音が刺さりました。
最後のオチで
「実はこの文章もAIと作った」
って明かされた時も、騙されたというよりは思考の交通整理がされてて読みやすかったと納得感がありました。
結局のところ、包丁を使おうがフードプロセッサーを使おうが、美味い料理を出してくれればそれでいいんですよね。
宣伝のようで申し訳ないですが私の作品
「AIに小説を書かせてみた」
を読んで、感想を是非聞いてみたいです。
評価してという感じでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「工程の言い訳より、読者の前に出すものとしてちゃんとしていてほしい」というところを汲み取っていただけたのは、とても嬉しいです。
包丁とワードプロセッサーの例えも、まさにそんな感覚です。AIを使ったかどうかより、最終的に何が出てきたかの方が、読み手としては重要だと思っています。
作品のご紹介もありがとうございます。機会があれば拝見させていただきます。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
学校で学んで、本を読んで着想した。
友人と議論して、新しい視点をもらった。
編集者からアイデアをもらった。
教授との会話から論旨が生まれた。
これに、
AI回答を採用したり自分の意見として取り入れた。
という軸が加わったのかなと。
「先人が考えたものだから私の思想ではない。出典も定かではない」
と、保険をかけても、選択してそれを自らの行動規範としたのは本人です。
そして、「自分で書きました」はなんの品質保証になりませんが、構想10年、芸人生活の前の貧乏時代なんて聞くと、その職人芸に一定の価値が発生するのは当然かと思います。(面白いかはやはり別)
大量の良質小説をAIが執筆できるようになったとき、読み手はAI小説で満足して、簡単なプロンプトで自分好みの小説が書けるなら、読み専はいくらでもAI執筆で自己消費できるようになるでしょうね。
何処から何処までが境界になるのか、考えさせられますね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
自己消費で満足する人もいるかもしれませんが、私はそうではありません。
そもそも自分で小説を書こうと思いませんし、仮に書いたとしても、自分で書いた小説を読みたいとも思いません(笑)。
なので、「読み専はいくらでもAI執筆で自己消費できる」という括り方には、かなり違和感があります。
そもそも自分で小説を書いた時点で、その人はもう「読み専」ではないでしょう。
AI小説への評価が先にあって、そこから「読み手はこうなるはずだ」という像まで決めてしまっているようにも見えます。
読み手が何を求めて他人の作品を読むのかまで、一括りにはできないと思います。
AIを使うこと、使わないこと――一人の「読み専」として思うことへの応援コメント
「AIは一切使っていません」について、私はislandさんと同じことを感じる時も多々ありますが、あえて私は作家がプロフィールなどにそう書くことは許容してあげるべきだと思いますし、無視すればいいだけです(作品の内容が重要なのですよね?)
読者には(私も含めて)どんなに優れた小説でもAIが書いたと分かった時点で読みたくなくなる人がいます。AI未使用を宣言する作家さんは、そういう読者を安心させるためにわざわざ記載している可能性が高いのではないかと思います。
なお、読みにくい文章を書く作家は腕を磨くかAIを使って読みやすくして欲しい……これには賛成ですし耳が痛いです。