第12話 申し込み用紙

 翌朝美穂が出勤すると、カウンターの端に一枚の紙が置かれていた。

 昨日貼ったポスターと同じデザインだった。

 その下に、『参加申込書』と書かれている。

 美穂は、申し込み用紙を持ち上げた。

 名前、年齢、参加理由を書く欄がある。

 そして最後の欄には、『好きな本』とある。

 今までとは違った本にも出会ってほしい。そんな思いもあった。


 開館し、最初の利用者が入ってくる

 いつもの図書館でいつもの一日が始まる。

 けれど、カウンターの横には、昨日までなかった申し込み用紙がある。


 午後、一人の男の子が母親と一緒にやってきた。

 男の子は、ポスターを見て立ち止まった。

「これ、もう申し込めるの?」

「はい。申し込めますよ。」

 美穂は申し込み用紙を渡した。

「名前を書いてね」

「うん」

 男の子が、鉛筆を持ち名前を書く。

 そのあと、好きな本の欄で止まった。

「ここ、何書くの?」

「好きな本の題名を書いてね」

「ないよ」

「ない?」

「本、あんまり読まないもん」

 母親が、

少し申し訳なさそうに笑った。

「この子、図書館には来るんですけど、本はあまり読まなくて」

 美穂は、男の子を見る。

「じゃあ、好きなものは?」

「電車」

「電車の本は?」

「すき」

「じゃあ、それでいいよ」

「いいの?」

「うん」

 男の子が、

 『電車の図鑑』と書く。

 最後まで書いて、申し込み用紙を渡した。

「これでいい?」

「うん。ありがとう」

 男の子は、ポスターをもう一度見る。

「季節を本当に探すの?」

「探すよ」

「図書館の外で?」

「そう」

「じゃあ、いっぱい見つけるね」

 男の子は、嬉しそうに母親の手を引いて外に出ていった。

 美穂は、その背中を見送った。

 申し込み用紙を一枚、ファイルへ入れる。

 一人、また一人と参加者が増えていく。

 それだけなのに、今度は少しずつ緊張してきた。


 その日の夕方、美穂は企画書を見直していた。

 参加人数は現在五名。

 思っていたよりは多いかもしれない。

 最初は、数人集まればいいと思っていたけど、実際に人が集まり始めると、別のことが気になってきた。


 季節を、どうやって選ばせる?

 図書館の周りには、どんなものがある?

 触ってはいけないものはある?

 雨だったらどうする?

 子どもが季節を分からなかったら?

 本を選べなかったら?

 考え始めると、次から次へと出てくる。

 美穂は、企画書の余白に書き込んだ。


『雨天の場合』

 その下に、

『季節が見つからない場合』

 さらに、

『参加者が本を選べない場合』

 企画書がどんどん埋まっていく。

 気がつくと、最初に書いた

『正解はありません』

 という言葉が、隅へ追いやられていた。


 帰宅後に夕食を作りながら、美穂はずっと企画のことを考えていた。

「お母さん」

「ん?」

「焦げてる」

「え?」

 振り返る。

 フライパンの端が、

 少し黒い。

「あ」

夫の健吾も覗き込み言った。

「珍しいね」

「ちょっと考え事してた」

「何?」

「仕事」

「本選ぶやつ?」

「うん」

 莉子が、味噌汁をよそいながら言った。

「楽しそうなのに」

「楽しいよ」

「じゃあいいじゃん」

 美穂は、少し黙った。

「でも、失敗したくない」

 莉子が、こちらを見る。

「なんで?」

「みんな来てくれるから」

「みんな?」

「参加する人」

「じゃあ、失敗してもいいんじゃない?」

「……どうして?」

「だって、最初から成功するって決まってないでしょ」

 莉子は、何でもないように言った。

 それから、焦げたところを箸で避ける。

「これ、食べられるかな?」

「…たぶん」

「じゃあ食べよ」

 三人で笑った。


 翌日、美穂は仕事帰りに植物園へ行くことにした。

 ワークショップの日ではない。

 自分の企画の下見だった。

 図書館から歩いて、周辺で感じられる季節を確認する。

 道端や公園、街路樹や植え込み。

 子どもが歩ける範囲で危険な場所はないか。

 何かヒントになる場所はあるか。

 実際に歩いてみると、思っていた以上に難しかった。

 普段は、ただ通り過ぎている道。

 今日は、立ち止まって見る。


 綺麗に整えられた花壇がある。

 公園の木々がある。

 でもこれらは、人の手で整えられたもの。

 これを子どもたちにどう見せて、何を感じさせたらいい?

 美穂は、落ちていた葉っぱを手のひらに置き、しばらく考えた。


 そのとき、少し離れたところから声がした。

「藤井さん?」

 振り返ると佐伯だった。

 植物の手入れをしているらしい。

「こんにちは」

「こんにちは」

「何してるんですか?」

「企画の下見です」

「え?」

 佐伯は、少しだけ驚いた顔をした。

「仕事の?」

「はい」

「季節を探すんです」

「季節を?」

「そうです」

 美穂は、拾った葉を見せた。

「この辺で探そうと思って」

 佐伯は、葉を見る。

「いいと思います」

「本当に?」

「はい」

 美穂は少し考えてから言った。

「でも……」

「でも?」

「子どもだと、その季節特有のものを見つけられるかどうか。見つけてもそれだけで終わるかもしれません」

「……ですよね」

「だから、見つけたあとに何か目的があるといいかもと思って、本と結びつけたかったんですが」

 美穂は、黙って考えた。

「本を選ぶ?」

「はい」

「季節を見つけて、本を選ぶんですか?」

「難しいと思います」

「じゃあ……」

 二人とも黙った。

 佐伯が、葉っぱを見る。

「みつけたものの形から選ぶとか」

「形?」

「たとえばこの丸い葉を見つけたら、丸いものが出てくる本とか」

「それ、面白い」

 美穂の顔が明るくなる。

 佐伯は、少し照れたように視線を外した。

「でも、僕もこういう企画はやったことないので」

「また考えてみます。ありがとうございます」

「はい」

「じゃあ、失礼します」

「はい」

 佐伯は、植物園の奥へ戻っていった。

 美穂も、駅に向かって歩き出す。

 冷たい風がふいているが、何だか本を見るのが待ち遠しくなった。ワクワクした気持ちになった。


 図書館に戻る途中、さっきの言葉を思い出していた。

『見つけたものの形から本を選ぶ』

 面白いと思う。

 でも、それだけではない。

 丸い葉や細い枝、ギザギザした花。

 ただ見つけるだけよりも、自分が感じたことを言葉にする。

 そして、その言葉から本を探す。

 それなら、普段は本を読まなくても電車が好きな男の子でも、できるかもしれない。

 美穂は、足を止めノートを出す。


『季節を見つける。』

↓

『感じたことを書く。』

↓

『その言葉から本を探す。』


 そこまで書いて、美穂は顔を上げた。

 今まで本を探すときは、

 「何の本が必要ですか?」

 と聞いていた。

 でも、今回の企画では違う。

「何を感じた?」

 と聞いてみる。

 答えが、

「なんとなく」

 でもいい。

「怖い」

でもいい。

「おいしそう」

でもいい。

 そこから一冊の本を探すのだ。

 ノートの最後に書いた。

『本を読む前に、本と出会う。』

 今度は、消さなかった。


 その日の夜、また企画書を開く。

 最初に書いた、


『正解はありません』


 その文字を、残した。

 その下に、一つだけ追加する。


『感じたことから、本を選ぶ。』


 企画書の空白は、まだ残っている。

 でも今度は、その空白が少し楽しみに思えた。

 何が入るのかはまだ決まっていない。

 だからこそ、やってみたい。

 美穂は、パソコンを閉じた。


 机の上には、前に作った葉脈のしおりがある。

 細い線が、いくつにも分かれている。

 その一本一本が、どこへ向かうのかまだ、分からない。

でも、だから見ていたくなる。

 美穂は、明日の予定を確認した。

 明日も仕事。その次の日も。

 そして、少し先に子どもたちと葉っぱを探す日がある。

 そこまで、あと三週間。

 美穂は、カレンダーに小さく丸をつけた。

 この企画はやり遂げたい。

 皆の力を借りながらだけど、私が考えた企画だから。

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