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    こんばんは。
    別にちゃちゃ入れするわけではないのですが、「露悪」という言葉が微妙に誤用なんですよね。「露悪」は本来、自分の悪いところをわざわざ取り出して見せる、という一種諧謔的な姿勢をあらわすようなニュアンスの言葉だったと思います。それを「一般的社会悪の暴露」的な意味にまで広げられてしまうと、間違いではないとは思うのですが、ちょっと微妙に論旨が吹っ飛んでしまうというか・・・

    ちなみに、別の方の論説を読んだこともあって、当該作の第一巻だけ読んでみたのですが、どちらかというと「みいちゃんを消費する人たち」(の醜悪)が淡々と第三者視点で描かれた作品のように感じました。まあ第二巻以降、どのような展開になるのかは分かりませんが、あまり読みたくなる感じではなかったです。

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    ダーティな世界をカジュアルに消費しては何故いけないのかという前提を、創作者のアティテュードに求めるのですか?
    陳腐な残酷さを書きたがる手合いの作品を「悪意」であると断罪することは果たして正当なのですか?
    むしろその視座こそがウエメセに見えます。それは単なる胸糞だと。高度な文芸に昇華されてないなら浮上してくるなと。人様の前に晒すなら公衆の場にふさわしいメッセージを伴わせろと。
    まるで創作者を活動家として評価しているかのようです。

    文学的価値を生み出せてないから失当などと、例えばそれが共感を求める叫びであっても同じことを言って封じ込めようとするのですか?
    表現技術が拙いから語りきれてないのであっても、作者がテーマに真剣にコミットする気がないから軽薄で伝わってこないんだと、そう言って踏みつけるわけですか?
    興味本位の覗き見ではない「憐れみのため」に読まれるべきだと、そう言えてしまうことが、そこで描こうとされた世界そのものを汚物扱いしている上級市民の目線ではないのですか?

    クオリティが低く読むに値しない、と言うなら正当だと思いますが、作品表現をする創作者がどういった姿勢であるべきかと、一方的な美学の物差しで断罪することはグロテスクでしょう?

    アンダーグラウンドで歌手がひたすら希死念慮を、破滅願望を、憎悪を、殺意をただ野放図に歌い、それを聴いて救われる聞き手がいる。そういう営みを愚弄するのかと。