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  • 命を奪うっていう描写は重要ですね。
    主人公のキャラとしても命の考え方っていうのは重要なパーツになるところですからね。だから優しい主人公だったら、諸悪の根源である魔王さえその命を奪うのをためらったりなんていうのもありますからね。うまく使えば、そのキャラの光をしっかり表現できますし!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    命の考え方は重要なパーツですね。私も色々考えます。
    諸悪の根源である魔王。「それでも許す」というのも一つの考え。
    「放置したら、また誰かが犠牲になるかも。自分が手を汚してでも、その禍根を断つ」というのも一つの考え。
    いずれにしても、哲学というか、信念が問われる。
    実は主人公キャラに問われているのは「許す/許さない」ではなく、「信念があるか/ないか」のような気がするのです。

  • 一気に拝読させていただきました。
    大変勉強になりました。ありがとうございます!

    今しがた、私の書かせていただいているお話で人が亡くなったのです。主人公が殺める、ではなく敵が、罪のない子を。
    ですが、その事実に対する主人公の怒りがあまりにも薄いのかもと、改めて感じました。

    人を殺めるならば、それなりの報いや、背景をしっかり考え、表現しなければならないと思いました。

    ありがとうございます!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    創作について、何か考えるきっかけになったのであれば幸いです。

    敵側もまた、命に向き合っている存在です。それをどう扱うか……。
    それも作者の腕の見せ所となりますね。

  • 仰る通りだと思います。 
    ターミネーター、ラストの美しさを例に出された事、非常に腑に落ちました。
    とても難しい問題をわかりやすくお書き頂き、勉強になりました。ありがとうございます( ;∀;)

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。
    ターミネーター2は、「人を殺さないこと」の重みがよくわかる例ですね。
    読者の方からの指摘で気が付いたのですが、自分でも新しい発見でした。

  • とても難しい問いかけだと思いました。
    個人的には「残酷」を売りや差別化程度の認識で書かれている作品は嫌いです。「殺人」に対する意識の高低は、筆者の力量に直結します。それは何も「殺人」に関わらず、キャラの人間性、他者との関わり、思考、その他全てに直結しています。軽すぎても重すぎても駄目でしょう。なぜなら「物語」は楽しんでもらうものだから。
    私の考えは「必要であるのならばやる」です。
    単純な例を挙げれば「ミステリー小説」ならば、人は殺されます。犯人だけでなく主人公が罪を犯す場合もあります。そしてそこには明確な理由が存在し、それが作品の魅力となります。そういう必要性がエンターテインメントの中に存在するならば問題はないと考えます。
    私は小説を書く理由が明確でないものを世に出しても、メッキが剥がれるだけだと思っています。そう言いながらも完璧とは程遠いモノしか書けないから面白いんですけどね(笑)。
    非情に興味深い問題、自分の考え整理するきっかけになりました。ありがとうございます( ;∀;)

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。
    同意です。必要であれば、人殺しは描くべきです。ただし、創作者はその意味の重さは自覚するべきだと思います。

    若いころの私は、それをわからず、軽い気持ちで正統派主人公に人殺しをさせようとしていた。だから注意されたのです。そんな軽いものじゃないぞと。
    例外もあり、いろんな作品を一緒くたにはできないのですけれども。

  • ここまで拝読させていただきました、いや非常に共感できるエッセイでした。

    私も人の命に関する小説をいくつか描いていますが、自分は常にその場所に自分がいたら、キャラの息吹を考えたら、その世界が創作ではなくリアルに実在したら、という認識で描いてますので、やはり安直な殺人は描けませんね。

    銀英伝のお話では、あれ(ヴェスターラント)は間接的にラインハルトの失態ですが、別に望んでやったわけではないんですよね。
    でも最高指揮官としてその罪を背負わなければならない。そんな彼の真面目さと、作品の人間感情に真摯に向きあう作者さんの没入感が伺えるエピソードでした。
    自分のエッセイで私は「善行と悪行を行ってきた」対比としてラインハルトとハイドリッヒ・ラングについてちょっと書いてます。
    同じようにいい事と悪い事(≒罪)を重ねてきた二人の違い過ぎる結末には興味を惹かれますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    ヴェスターラントの惨劇は色々なことを考えさせられます。

    「二百万人は確かに死んだ。でも、そのおかけでもっと多くの人々が助かった」
    ……理屈としては正しいが、やはり多くの人が受け入れられない話。

    ラインハルトには「自分と同じか、より力ある者に立ち向かい、正す」という正義がありました。(特に、前半戦)
    だから作中の人々にも、読者にも支えられた。でも、ヴェスターラントはその正義には当てはまらない事件でした。それが彼や、周りの人々の心を(命も)大いに傷つけた。

    完全無欠なラインハルトにはあるまじき失態。でも……この失態があればこそ、何かラインハルトを愛しいと感じる私もいます。(作中、失われた命からすれば不謹慎な話ですが)
    矛盾していますね。でも、多くの人が同じように思ったのではないでしょうか。

    編集済
  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    私は小説を「自分が生み出した『世界』」つまり現実に存在する世界として描いていますので、登場キャラ一人一人にきちんと向き合って書こうと心がけています。
    そして、名作漫画やアニメなどでは、ほぼすべての作品でそれが当たり前のようにできているんですよ。
    でも、ラノベのヒット作の中にはそれが全然できてないのが多い気がするんですよねぇ。


    読む手が止まりません、大変面白いエッセイです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    小説以外でそれができているというのは、関わっている人間が多いから、というのはあるかもしれません。作者が感覚的に体得している場合も多いのでしょうが。

    ラノベのヒット作の場合できていない……ふーむ。
    Web小説が元の場合はそういうこともあるかもしれません。(編集さんが直させることもありそうですが)
    究極は正解のない話ではありますが。

  • スタンドは「人を簡単に殺せる兵器」でもありますからね。
    それをガッツリ向けられてて、なおかつ相手を殺さずに置こうとするのは、それなりの実力差がないと難しいでしょう。
    「再起不能(リタイア)」になるのは、たいていの場合勝敗が決した状態からのオラオラですから、倒す爽快感を踏まえつつも「成敗した」というレベルに留めておく、いい表現だと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    確かに、相手を殺さずに、戦闘だけ放棄させるのはかなりの実力が必要で、それも悩みの種なのです。

    「成敗した」はいい表現ですね。荒木先生が狙っているのも、その線ではないかと。

  • 北斗の拳のザコ悪役たちはキャラが立ってますからね。
    雑に殺されてはいるけど、雑には扱われていない。世紀末を面白おかしく生きるバイタリティと、殺されてもなお読者の印象に残る面白個性が嫌悪感を十分に薄めていると思います。

    JOJO3部は……来る相手が全員こっちを殺そうと向かってきているわけですからね。
    手加減できる程度の相手ならいいけど、殺さなければ殺される。あるいは見逃せば自分や仲間が危機に晒される、あるいはそいつを殺すことで物語が帰結する(J・ガイルやディオ)なんかは当然そうなると思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    北斗の拳の悪役は、雑に殺されているけど、雑に扱われていない、というのは、なるほどと思いました。彼らは(ある意味)作者に愛されていますよね。

    JOJO3部は、すべて正当防衛なのです。しかし、それでも直接の殺人を犯してしまった場合、どうなるのかはわからないと私は思います。
    襲ってきたスタンド使いの心臓をナイフで貫く、みたいな殺し方ですね。
    正直……「ドン引き」になる気がするのです。
    理屈では正当防衛と分かっていても、受け入れられない読者はかなりいると想像します。(私の感覚的には)
    良し悪しでなく、それが人の心のメカニズムだと思うのですね。だとすれば、それに合わせてうまい表現を創作者は考えてやらねばならないのではないか、と思うのです。

  • 第2話 例外を考えるへの応援コメント

    示されたケースのほかにもいくつか考えられますね。

    一番思うのは「殺さなければ殺される」ケースでしょうか。
    戦争モノなんかもそうですが、戦(いくさ)に出るということは敵を殺すための行動であり、ならば等価価値として殺されることも覚悟しなくちゃいけないんですよね。

    「殴るなら殴られる覚悟を、殺すなら殺される覚悟をするのは当たり前だ」
    自作小説の主人公に言わせたこのセリフが、自分にとって一番のお気に入りです。


    漫画「エリア88」のシュウイチロー・イトーさんはさらに印象深かったですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    はい、私はキャラを聖人にせよ、と言いたいわけではないのですね。
    殺さなければ殺されるケースで、相手を殺すのはやむを得ないと思います。
    そこでキャラは何を感じるのか。

    これは当然のことなんだ、と自分に言い聞かせたり。
    思わず吐いてしまったり。
    むしろ何も感じられなかったり……とか。

    それを表すのも創作の面白み(といったら不謹慎ですが)だと思います。

  • はじめまして。カクヨムのトップページでお見掛けして、実に興味のあるタイトルに惹かれてやってきました。

    実に共感できるお話です。私は脇役、やられ役にすごく思い入れる方で、そういったエッセイすら執筆していますので、なおさら主人公の「殺人」というものには嫌悪を抱きます。

    活字で表現される小説は、幼児向け絵本より高い年齢層に向けられる創作です(当たり前ですが)。
    でもだからこそ、主人公だから何でもうまくいく、みたいな話はあまり好ましくはないと思います。
    その極論が「主人公に敵対する悪役だから殺してもいい、罪にならない」って考え方だと思うんですよね。

    続きも楽しみに読ませていただきます。

    作者からの返信

    色々とコメントありがとうございます。
    時間かかるかもしれませんが、返信させていただきます。

    創作の世界にまで高いモラルを求めると、面白くなくなってしまう。皆、道徳の授業を聞きたいわけではないのですから。
    しかし、何でもあり、というのは違うと思っています。
    (正しくは、『やるのは結構、ただし覚悟は必要』といった感じですか……)
    私が若いころに受けた注意……今の創作志望の人に、考えるきっかけになったら良いな、と思って書いてみました。

    編集済

  • 編集済

    北斗神拳が秘孔を突いて敵を倒すのも、スタンドバトルがスタンド同士の対決なのも、
    漫画を読んだ子供達の「北斗の拳ごっこ」「ジョジョごっこ」が殴り合いになってしまわないための配慮なんじゃないでしょうか?

    ターミネーター2のシュワちゃんが人を殺さないのも、ホラー映画だった前作から路線変更し、
    主役が子供で、家族愛や親子の絆がテーマで、ファミリー層の観客を意識した映画だからかもしれません。



    荒唐無稽・暴力万歳な痛快B級アクション映画であっても、
    「人を殺した者は原則、死ななければならない」
    「法を犯したり悪いことをした者は、相応の罰を受けなければならない」
    「善いことをした者は、報われなければならない」
    (そうならないのなら理由を説明しなければならない)
    という、作品内での因果応報が意外とキッチリしていて驚きます。

    不特定多数の目に触れる商業作品としての最低限の倫理ってのもあるでしょうけど、
    因果応報がキッチリしていると読後感が気持ちよくて、物語全体がきれいに引き締まりますね。

    悪の組織を壊滅させる過程で、主人公も大怪我をしたり、大切な人を失ったり、精神的に深い傷を負うとか、
    西部劇のガンマンのように、ラストシーンでは街から去らなければならず、英雄としてコミュニティに受け容れてはもらえないとか、
    正体を明かせない系のアメコミヒーローのように、仮面を外せず、人目を避けなければならず、警察から追われる身になるとかも、
    暴力や殺人の責任を取らせ、「力の代償」を支払わせる方法といえるでしょう。

    追記:
    「最初の一人を殺めた結果、次々に刺客や復讐者が現れ、戦い続けなければならない」も「力の代償」の一種ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。
    そうですね! ターミネーター2のシュワちゃんが人を殺さないのは、創作上の美しさ以外に、前作とのギャップを狙うという意味や、「やっぱシュワはヒーローが似合う」みたいな思惑もあったのではないかな、と私も思います。
    そういうシンプルな楽しみも、またいいものですよね。

    後半の因果応報について。ベタですけど、効果があるからこそベタになる、多く使われているわけですよね。それもまた良しというか。

  • 「人の命が軽く扱われがちな異世界もの」を描く人間です。
    こんにちは。
    お断りをしておくと、まず私は作家ではありません。別の…、そうですね。創作関連に携わっている程度の人間としてここにいるということにしておきます。
    まず、筆者様が助言として受け取ったという「読者は、そこはきちんと見ているよ」ということについて、これを私が言われたとした時の答えを持っています。
    それを前提に読んでもらえるといいのかもしれません。

    書き出しとしては、「君らの描いてる世界の主人公皆揃って血生臭い」ないし「血に濡れた神輿は誰も担がない」というところからスタートして、中身としては登場人物の生き死にを主人公または視点人物に預けるのなら、その奪ったものの尊厳を大事にしろ、ということで受け止めました。
    これについて私見を述べると、書かれていること、例え話もそうですが読者の価値観・倫理観が同じ世界感であればそれは正しいと思いますが、必ずしもそういう世界が描かれているわけではないと考えます。

    事実として私はそういうつもりで描いていない人間の一人です。
    まったく違う世界を構築し、登場人物の視点に映ったものや感じたものをまとめ、それを翻訳している、という立ち位置で描いています。
    その映り方を見て、主人公が誰かの命を絶つことの重さと主人公の命の重さの等しさを描くことが重要なお話なら、その視点からであれば尊厳を守る、大事にする、という点だけは共感できます。
    しかし、言い方は悪いですが現代社会に異世界Mod付けたような創作をしていないので、倫理観が異なって当然という大前提がありますからそれに当てはまるとは限らないのです。
    特に異世界書いている人の多くはそういう風に構築していると思っているんですが、違うんですかね?
    だから、世界設定の時点からそのカタに嵌ってないのなら、私は作中人物の血に濡れたその手で人を抱くことを描きます。そうしなければ手に入れられないものなので、それが出来なければ物語は生まれません。よってそこに唾を吐かれたくはありません。
    作中命がただの数字であることに価値があるのなら、それだけでもいいし、核ボタンをお手軽簡単に押すことが重要なら、悲劇にフォーカスすることとその重さは場合によってはただのノイズになるんじゃないのかなと考えています。

    例えばなんですが、救われた人々から見たら義賊、反対に奪われた側から見れば強盗団。視点人物が受益者か被害者か、当人たちなのかで見え方や印象もそれぞれ変わります。
    受益者から見れば英雄。被害者から見ればただの犯罪者。当人たちの視点なら、殺しも含めてまた違ったものが見えると思うんです。
    その価値観をきちんと翻訳して伝えることが出来るなら、奪ったものと奪われた者の命は等価値になって、やめた方がいいとはならないようにも思います。

    最後に、時々創作物の扱いで言われることがあります。
    「それは、ユーザーさんが…」
    私の答えは今も変わらず、いつも「だから何ですか?」です。
    必要ならば不便を強いる、遠回りもさせる、説明さえもしないことがあります。
    そのうえで選んでもらうことは創造者が必要でそうしていることなら、それが許された自由だと考えているからです。
    つまるところ、その必要性は作品で決めます、ということです。

    まとまりがなくてすみません。
    面白いテーマをありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございました。
    それでは、ご指摘への回答を。

    まず、この問題には正解はないです。
    私がご説明したのは、私の考える定石です。例外はたくさんあり、結局は個々の作品を見ないとわかりませんし、見たとしてさえ人によって「この殺人は許容できない/許容できる」というのは変わってくるでしょう。
    それが前提として、以下、書きますね。


    1つ目。まずは、しくじりをお詫びしないといけません。
    編集さんから助言を受けたのは、私が正統派のファンタジーラノベを書こうとしていた時でした。ロードス島戦記のような、主人公が読者から愛され、支持されることを目指した小説ですね。
    そんな小説を書こうとしているのに、私は主人公に軽い気持ちで、人殺しをさせようとしていた。だから注意されたのです。そんな軽々しいことじゃないぞ、と。

    そう、あれは正統派ファンタジーラノベ(の主人公)を書こうとしていた者への助言でした。
    それを、このエッセイの前半では、小説の対象範囲を広げて説明してしまったように思います。後半はそれが気になったので、「正統派の、読者から支持される主人公」みたいな注釈を入れましたが。
    ねこのむしさんが描かれているのが、「正統派ファンタジーラノベ」から外れるものであれば、そこにボタンの掛け違いがあったやもです。異世界を舞台にした、ダークファンタジーとか、ピカレスクロマンとか……


    2つ目。異世界の倫理観について。
    異世界の倫理観は、現代日本の倫理観と違うのが自然でしょう。命の軽重の感覚も違うでしょうね。その辺り、キャラの持つ倫理観も変えないと不自然になるというのは、その通りでしょう。
    ただ、読者は現代日本の倫理観を持っています。
    ですから、主役級の、読者に支持されたいキャラを書くなら、その倫理観は不自然じゃない範囲で読者に近くした方が、受け入れられやすいだろうと、私は思います。

    mod、ですかね。あるいは嘘、不自然というべきかも。

    しかし……極端な例を出します。例えば奴隷制があり、奴隷はモノとして扱うという倫理観の異世界を舞台としたとしましょう。まあ……それほど、創作の舞台としてあり得ない異世界では無いですよね。
    その異世界で、主人公が誤って、誰かの奴隷を殺してしまったとします。
    そこで、
    「奴隷を殺すなんて道具を壊すようなものだ。弁償すればいいだろう」
    みたいなことを言ったら、かなりの読者は、その主人公を受け入れられないのではないかなと思います。
    やはり、奴隷の痛みを思いやり、死を悲しむ。罪悪感を感じる。そういうキャラが「主人公」として受け入れてもらえるように思います。その世界の倫理観に照らせば、不自然であってもです。

    お断りしたようにこれは極端な例で、ねこのむしさんが描いている異世界の倫理観は、もっと読者に受け入れられやすいものなのだと思います。
    例えば……襲ってきた山賊は、殺してしまってもよい、むしろ殺すのが社会のためだ、みたいな。そういう倫理観の主人公なら、受け入れてくれる読者は多いと思います。(眉をひそめる人もそれなりに多い、みたいな感じですかね)

    やはり、正解はないのだろうと思います。
    キャラの倫理観にその異世界のリアリティを求めるのも一つの手法、読者に受け入れてもらいやすいよう補正をかけるのも一つの手法。その企画、作品にふさわしい手法を選択すればよい。定石・一般論としては、後者の手法の方がうまく行くことが多いのでは……と私は考えている、ということです。

    すごく長くなってしまいましたね。エッセイ一本分くらい? まあ、これにもご反論はおありでしょう。語りつくせませんね。
    それだけ深い、面白いテーマなのだなと思います。

    編集済
  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    まず、荒木先生の創作スタイルは、先にキャラの設定を煮詰め、そのキャラらしさを大事にする、という特徴があると思います(数十項目もの身上調査書を作成するそうです)

    ポルナレフによるJ.ガイル殺害も、作者都合・作者個人の倫理以上にポルナレフの心の描写が優先されていると私は思います。
    キャラが作者の倫理の範囲内だけで行動したら、作品に幅がなくなります。

    それを読者がどう受け取るか、それは一人一人違うので、作者としては『作者の意図が伝わりやすいよう努力した上で、作品として手放したあとの読解は読者に委ねる』の一言でしょう。

    読者の受け取りかたも、
    【漫画内だから胸がすっとする、許せる/漫画とはいえ許せない】
    【味方キャラの行為だから胸がすっとする、許せる/味方キャラの行為だからこそ許せない】
    【復讐だから胸がすっとする、許せる/復讐とはいえ許せない】
    などと、論点が人によって違えば、その答えも違いますし、むしろ単純な答えが出ずに矛盾した思いを抱えたままという読者も多いかもしれません。
    作品として明確な答えを出すより、読者に問いを投げ答えを出さず考えさせるほうが大人向けかもしれません。何故なら、世の中はそういう事象が多いからです。

    全力を尽くした上で、読者に委ねる、誤読を恐れない、批判は受け止める。もしかしたら、創作者には、これが必要なのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    読者の受け取り方が違うというのはその通りでしょう。
    私はこのエッセイで、基本的な考え方を示したつもりですが、それでも違った受け取り方をされる方もいるでしょう。
    「復讐とはいえ許せない」
    といった。それでも……3割の人に眉をひそめられても、7割の人に受け入れてもらえるなら、描く価値はあると思います。
    ※割合は適当です。5割―5割でもいいですし、それこそ7割ー3割だっていいと思います。

    尖った表現でないと描けない物語もある。しっかり描いて批判は受け止める……のがおっしゃる通り創作者には必要な心構えかもしれません。

  • 第2話 例外を考えるへの応援コメント

    例えば、令和を生きる日本人と、戦前戦中の大日本帝国の民とでは、だいぶ価値観に差があると思います。

    それぞれのキャラが持つ価値観を、読者に納得させることができるかどうか。ここが分水嶺で、読者ごとに反応が異なるゆえんでもあると思います。

    ◇◆◇


    関羽と張飛が人気になるのは、当時の武将が敵を切ることを武功とするのは、まぁまぁ自明で納得できるからだと思います。

    張飛といえども、自軍の范彊・張達に暴力を振るう場面は、こりゃあいけないだろう……と思う人も多いんじゃないかと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    大日本帝国の民のキャラが、自分の価値観、正義を前面に押し出した時、それを令和の日本人である我々が納得できるか? ですね。
    納得できれば、支持も得られる、人気も出ると。

    ※それでも、そのキャラで人気を出したいとなれば、そのキャラの価値観を若干、令和人に寄せねばならないのだと思います。今の時代劇では、そのような補正がかかっているものと思います……。

    後半の張飛の話。たとえ戦記物と言えど、どんな場面、相手でも暴力・殺しが許容されるわけではない。そうだと思います。
    自陣に帰り、味方と接する時に横暴であれば、やはり支持は失われる。
    それは、「日常の論理」が適用される場面、相手だから。だから、読者の納得は得られない……ということになると思います。

    編集済
  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    さきほど、映画やアニメでそんな物騒な=殺人シーンのあるものばかり観ていたから、と言い訳(?)をさせていただきました。
    小さい頃から観ていたから仕方がない、という理屈は通りませんよね。いるのは今現在の僕だけなのですから。

    それでも、破壊というものにカタルシスを覚えてしまう以上、小説というメディア形態の上においてでも、表現したくなってしまう、というのはあります。

    後ほどおすすめレビューも書かせていただきます。しばしお待ちを<(_ _)>

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    誤解をされていないかな、と思ったので、念のためご回答します。

    ミリタリーものの創作をするのは悪いことだとか、殺人シーンの出てくる創作物は問題があるとか……私はそんなことは「全く思っていません」。
    貴方がミリタリーものや、物騒な(?)創作物に惹かれるのは、全くおかしなことではないです。それは、きっと魅力があるモノなのですよ。

    他の方への回答でも書きましたが、100人だろうと、1000人だろうと、書きたいことを書くために必要なら「人殺し」は描写するべきです。
    (逆に言えば、不要な「人殺し」を描くのは疑問ってことです)

    銀河英雄伝説という未来の戦記物では、一つの惑星の200万人が熱核攻撃で惨殺されるという事件を、作者の方は書きました。でも、それはお話の上で必要だったからです。その事件はお話を大きく動かし、銀河英雄伝説が名作となる要素の一つとなりました。

    「人殺し」は創作において、劇物のようなもの、と私は思います。
    取り扱いを間違えると、困ったことになる。
    ですが、それを恐れて、創作で「人殺し」を書くことを控えるとか、書くことに罪悪感を覚えるとか……そういうのは違うと思うのです。

    編集済
  • 北斗の拳はだいぶ読みました。確かに、いわゆる「ざまぁ」感はあったと思います。
    それが(北斗の拳なら漫画とアニメ)エンタメとして興行される以上、カタルシスなどはあるのでしょうね。いや、「必要」と言った方がいいかもしれない。

    僕もそのカタルシスに巻き込まれてしまっているので、あまり大したことは言えないなあ、と痛感する今日この頃です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    北斗の拳、確かに「ざまぁ」感はありますね。そうか……今の言葉にすれば「ざまぁ」か。

    後ほど5話の感想でも書きますが、北斗の拳での「人殺し」の描写は、書きたいことを書くために必要だったでしょう。仕方のないことです。

    もちろん、描かれている「人殺し」を不快に思う方もいるでしょう。それはそれで仕方ない。そういう人たちの気持ちをないがしろにするのも、違うのかな、と思います。

    割合は適当ですが、3割の人に眉をひそめられても、7割の人に喜んでもらえる作品なら、恐れずに書いて世に出すべきだと思います。

  • 第2話 例外を考えるへの応援コメント

    人を殺さないアクションヒーローとしては、なんといっても『ターミネーター2』のシュワちゃんが挙げられると思います。
    彼は人間ではないから……と考えてしまえばそれまでですが、それでも、自分がズタボロになっても警官隊を殺害せず、足元しか狙わない、というスタンス(主人公がシュワちゃんの行動を考え直させた)を貫くところは、純粋にカッコいいと思ってしまうのですよね。
    僕程度のオタクが語るには余りにも高尚すぎる考え方(ひいては映画)になりますが……。

    まとまりがつきませんね……。失礼致しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    『ターミネーター2』、私も思い出しました。素晴らしい着目点と思います。なぜ監督はシュワちゃんに人を殺させなかったのか……。

    「人を守るための戦い」なのに、人殺しをしてしまったのでは本末転倒、というポリシーもありましょう。
    『1』では殺人マシーンだったシュワちゃんとの、落差を狙った、というのもありそうですね。

    そして……シュワちゃんが誰も殺さなかったからこそ、彼が最後に消えていく時、我々(と、言わせてもらいましょう)は涙したのではないでしょうか。

    この作品もまた「人殺し」とどう向き合うかのいい例だと思います。

    編集済
  • こんばんは(^^)/ 岩井と申します。

    僕の場合、結構ミリタリー系の話を書くので、一般的なカクヨムユーザーの方々よりも、殺人描写は多くなっていると思います。
    何故かと考えてみると、僕が創作・執筆の引き出しに使っている映画・アニメが、そういう方向の作品だから、ということになってしまうのですが……。

    「三つ子の魂百まで」なんて言葉もありますが、本当にそうかもしれませんね。
    ううむ……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    第5話にもコメントいただいておりますね。そちらの方に、私が思ったことを記載しておりますので、どうかお読みください。

  • タイトルが気になったので読ませていただきました。

    私はキャラが命を奪う以前に、ストーリー上の死ですら書くことに躊躇してしまう臆病者です。

    重く辛い作品を書いてるくせに、登場するキャラはやむを得ず亡くなったキャラ以外は、死を書いていません。

    故に、人の命を奪うといった描写は、全く思い浮かべる事が出来ないのですが、事実に基づき、作品を書く上では必要な事なのかもしれません。確かにこのテーマにおいては正解が無いのかもしれませんね。

    正直に悪人を書くのであれば、そういったシーンは必要なのかもしれませんが、空想の世界だからこそ、優しくあってほしい……私はそう思ってます。

    ただの綺麗事てすよね。失礼しました。

  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    大変に考えさせられた、作品でした。

    御作に導いてくださった、月兎耳さんに感謝します。

    若い作家の方々に、是非読んで頂きたい作品でした。

    これからも、しっかり考えながら、書いていきたいと思います。

    ありがとうございました。

  • 『ジョジョの奇妙な冒険』は連載開始の1作目から
    ”見たくない” 漫画の筆頭でした。
    どんなに作者が工夫しても、私はやはり嫌いだったのでしょう。
    なので、読んでおりません。

    こういう者が一定数居るのも、世の中。
    人気漫画ですから、きっと面白い内容なのでしょう。

    前のコメント欄を拝読して、
    東日本大震災の時に、海岸に打ち上げられた見渡す限り続く死屍累々の景色に
    自衛官の方々が、涙を見せてはいけない規律に苦しみながら
    粛々と作業をすすめられた、尊い姿を思いました。
    大自然の驚異の前に、なすすべもなかった、現状。
    自衛官の方々は、全く悪くなかったのに、深く傷ついてしまった。
    その任務に就いていた事も極秘で、家族にさえその苦しみを語れない。
    私の親族の若者がどうやらその任務に就いたようでした。
    帰省して毎夜うなされる姿が、可哀そうだと、その母が隠れて泣いておりました。
    息子に、母が泣く姿を隠さねばならない……。

    人の命とは、いかに重いかという 厳しい教えでしょうか。

  • 北斗の拳の作者は、殺戮シーンを描く事の葛藤を鎮める為に
    『ボノロン』という子供向けの童話を描いてらっしゃいますよね。

    漫画という、視覚に訴える媒体で死を描くのも、作者に大きな負担を強いる行為なのだと、考えさせられました。

    『ボノロン』は、ずーっと我が子に読み聞かせで利用させてもらっていました。
    それを貰いにコンビニ(7)に通っていた程です。
    今でも店頭で見かけたら手に取ってしまいます。

    名作です。泣けます。笑

  • 第2話 例外を考えるへの応援コメント

    大変に興味深い考察でした。

    参考にさせて頂きます。

    指示を得られるかどうかは
    キャラの見た目の美醜にも大きく左右されそうですよね……。

  • はじめまして。
    於ともと申します。

    月兎耳さんの近況ノートから飛んで来ました。

    作中のキャラクターが人を殺めることについて。

    戦争のシーンを描く際には、お互いの国同士が生き残りをかけているという部分を
    分かって頂けるように努力しております。
    どちらの側にも言い分があって、見方によるだけで、どちらも正しい。

    私個人は、自殺願望者が、死刑になりたいから罪もない人を殺める行為は
    言語道断だと嫌悪している人間です。
    自然界には、苦しまずに眠るように〇を迎えられる毒を持つ野草が
    そこここに生えているのに……。
    (自死を薦めている訳では決してありません。生きてこそです)

    私の幼少期の成育歴が保護者によって歪められた為に
    加害を受ける側の痛みをよく理解しております。
    どうやれば最小の力で最大の殺傷傷を相手に負わせられるかも
    幼少期に叩き込まれました。
    一人にたった一つの命。その重要性と、戦争反対を前面に伝えられるように
    創作活動をしております。

    内藤渉 様のご意見に、とても興味を持ちましたので
    お邪魔させていただきました。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    とても参考になりました。最近のラノベで現代日本から転生した主人公が何のためらいもなく敵兵士をバッサリ切り殺している主人公がいましたが、確かに「こいつの倫理観ってどうなってるんだ」って疑問に思いました。その世界の住人だったらそういう文化や価値観だと思います。しかし現代日本で普通に生活していた主人公が何の迷いもなく殺しますかね。そういう違和感なんでしょうね、いい悪いではなくちゃんと作者はこの主人公に向き合っているのか?と言う疑問。まあ、私はそこを避けて人と戦うのは機械かモンスターで、人同士が可能な限り戦わない話を書いてしまっているんですがね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >いい悪いではなくちゃんと作者はこの主人公に向き合っているのか?と言う疑問。
    はい。まさにそういうことですよね!
    現代日本の通常の人間であれば、ナイフで人の手足を傷つけることさえ相当なストレスがあるはずです。ましてや、殺害には相当なハードルがあるはずです。
    返り血を浴びても。相手が死に際に「……母さん」と言っても。それでも、現代人の主人公はバッサリ殺せますか?
    そこまで想像して、それでもなお、必要なら書く。その覚悟は必要だと思いますね。

    編集済
  • こんばんわ。
    ぐるんぐるんin福岡と申します。(; ・`д・´)
    顔文字失礼!

    私はその考え方に共感します。
    でも殺します。
    演出で。

    リアルに考えるとすごく怖い事なんです。
    もし、リアルな人で成人以上なら20年の歳月がそこにあります。

    それが100人単位で死にます。
    どうなりますか?ですよね。
    狂気ですよ。

    で、もしその一人が自分の子だったら?
    気がおかしくなりそうです。

    ただ、エンタティメントなら幾分はありでしょうが、ならその一部を書くべきですよね。
    とか思ったり。

    おそらく僕の作品は、そういう意味でカクヨムとかなろう系では忌避される作品です。一度、感想聞かせてください。
    あなたのような人が読者になって欲しいです。

    人間を書く人に読んで欲しいし、そんな作品に出会いたい

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >でも殺します。演出で。
    いいと思いますよ。100人でも、1000人でも、「お話」に必要ならやるべきです。そこから、何を書きたいか、ですよね。

    銀河英雄伝説という、未来の戦記物に「ヴェスターラントの惨劇」という話が出てきます。惑星一つが、熱核攻撃で滅ぼされてしまう惨劇です。
    しかしその惨劇は「お話」を大きく動かしました(詳しくは述べませんが)。そして銀河英雄伝説は名作となりました。
    書きたいことを書くのに必要であれば、どんな悲劇も、殺害も書くべきです。きちんと作者の頭の中で整理して。

  • ぱっと一目見た時でめちゃくちゃ惹かれたので読ませていただきました。
    私事ですが同じようによく悩みます。
    なんというか、例えばラスボスサイドの人を簡単に○してしまう、倫理観のない悪役を出す際。
    そのキャラにも壊れてしまった悲しき過去があるので救済したい!と自分では思っても。
    「いやいや、それはそれでも関係ない人らを○してるぞ?」「普通に贖罪とかどうすればいいのだろう」
    って冷静に考えてしまいます。
    だからキャラクターの扱いって、ものすごく難しいと考えてしまいます。
    コメント失礼しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    贖罪。難しいテーマですね。
    直感的で申し訳ないですが、回答させていただきますね。
    これには正解はない。だから面白いのだと思います。
    (不謹慎な言い方で申し訳ないです)

    今、手元に「ゼロの使い魔6 贖罪の炎赤石」という本があります。この本の影のテーマは、大きな罪を犯した男の贖罪でした。
    最終盤でその男の独白があるのですが、本当に心を打ちます。
    そう……このテーマには正解が無いから、様々な作家さんが、様々な答を書ける。それがそれぞれ、人の心を打つ(こともある)。
    だから、良いのだと思います。
    ちょっと説教臭くなってしまいましたね。熱くなってしまいました。すみません。

  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    個人的に私も小説の性質上(なのかな?)人を殺しますが、そのパターンの場合、ある程度、あえて尾を引きずるような、後味の悪いものにしようと考えます。
    あるゲーム(神宮寺三郎シリーズをご存じでしょうか?)で「事件が解決しても誰も喜ばない。何故なら、人が死んでいるのだから」という文言が印象的であります。
    それでも、平成バブル期の90年代刑事ドラマに影響され、時代劇小説大好き人間としては手に汗握る格闘シーンなどは好きです(多少、空手を習っていました)。
    なので、「殺しはしないが報いは受けて」と重い作品を作ります。

    なお、自作は・・・そろそろ、その話になりそうな予感・・・

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    >「事件が解決しても誰も喜ばない。何故なら、人が死んでいるのだから」

    はい。印象深い台詞ですね。
    特に現代劇などでは人の死は重たいですよね。
    それは取り返しのつかないものだから……です。

    異世界ものとなると、若干テイストが変わってきます。
    人の命が軽くなってくるというか。
    が、読者は現代人ですしね。うーん。ここの塩梅は本当難しいと思います。


  • 編集済

    第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    「如何なる理由があろうと、人殺しは全員不幸になるべき」という意見を述べる人もいますが、もしそうなら、我々のご先祖は石と棒で争っていた世代から近代兵器が飛び交う世代に至るまで、すべからく全員まとめて不幸にならねばならないはず。

    よって、私はこの手の理屈には否定的な立場ではあります。

    しかしながら、自分が書いている戦争映画風の小説内で、モブキャラが戦死するシーンもできるだけしっかり書く度に、ストーリーの結末で主要キャラたちの運命をどうすれば読者が納得するだろうかは、割と悩まされますね。

    作風にもよるとは思いますが、作者の人殺しや暴力へのスタンスをどれだけ作中に自然に反映させるかも、内容の面白さに繋げる上で難しいものだと思います。

    作者からの返信

    コメント、また星のレビューありがとうございます。

    >「如何なる理由があろうと、人殺しは全員不幸になるべき」
    念のため、私の申し上げたいのは、そういうことではないです。
    「最近の創作物では、人が殺されすぎだから改めるべきだ」なんて道徳を振りかざしたいのではありません。
    創作ですから、人を楽しませる(人の心を動かす)ために必要なら、登場人物は殺してしまうべきです。ネームドでも、モブキャラでも。

    ただ人殺しというのは、時に、想像以上に読者の心にインパクトを与えるもので、だから創作者は注意せねばならないということです。
    読者に愛されて欲しいキャラなのに、考えなしに人殺しをさせてしまって、読者に引かれてしまう……そんなことにならないように気を付けよう、ということです。

    描き始めると結構止まりませんね。
    星のレビューの方の最後で述べてくださっている、

    >だからこそ、キャラクターにどういう「人殺し」をさせるか―――物語と登場人物に厚みを持たせる上で

    というのはまさに同意です。
    読者に愛されたいキャラは、どういう「人殺し」をするべきなのか。
    悪役は、どういう「人殺し」をするべきなのか。
    創作に取り組むうえで、きちんと考えねばならないことだと思います。


  • 編集済

    実際の戦争に従軍経験のある人からよく聞いたことがあるのが、戦車や航空機など"人の形をしていないもの"には、攻撃するのにさほど躊躇わないというものです。
    もちろん、戦闘中は生き延びるために必死というのもありますが、それでもやはり、"人そのもの"と"人が乗ってるもの"には"引き金の軽さ"に線引きがある。

    しかし、撃破したそれらの中にある死体を確認すると、途端に明確な殺人行為の実感を得て、精神的なショックを受けるのだとか。

    何かしらの理由で"敵は人ではない"と正当化できる要素は、創作世界を楽しむ上でも必要なのかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    重みのあるお話ですね。心のメカニズムとして、「人を殺す」のと「人でないものを破壊する」の間には大きな隔たりがあるのだと思います。これは理屈ではなく、事実としてそうなのだろう、と。

    不謹慎な話ですが、創作者は「そのメカニズムを利用する」くらいのしたたかさが必要なのではないか……と思います。

  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    ジョジョや北斗の拳は詳しく知らないのですが、作中で登場人物を殺すというのはなかなか考えてしまうところがあり、私も作品で考察したことがあります。
    でも、しょせん小説なんですけどね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    星さんの「泣き虫の天使」は拝読させていただいているところです。
    この若者が、なぜ……。今後の展開が楽しみです。

  • 第5話 ポルナレフの復讐への応援コメント

    理由があったら殺人も許される。それ自体がクリミナル・マインドですから、正当化はすべきではないですよね。
    ブラック・エンジェルズでも「俺たちがこれからすることは正義ではありません」と強調してましたね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    はい、その通りでしょう。どうあれ正当化はすべきではないですね。
    ポルナレフが「復讐なんだから、殺しても問題ない」とか言い出したら、私もドン引きです。

  • 第2話 例外を考えるへの応援コメント

    さっき観たアニメでも「野盗は殺すべきなんです」とヒロインてずから躊躇いなく殺してましたなあ。
    葛藤で尺は割かないようです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    うーん、ヒロインが、ですか。まあ、正解のない話ではあります。コメディの要素がどれくらい入っているかでも答は変わってきそうですしね。
    そのヒロインがどこまで覚悟して言っているのかなぁ……というのは思いました。