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  • 「雲と陽のあわい」へへの応援コメント

     何度も、私の原文への翻訳といただいたご助言を読み返しました。本当に考えさせられることばかりでした。
     まさか、このような形で私のためにここまで丁寧にアドバイスを書いてくださるとは思っておらず、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

     プロフィールや近況ノートにも書いているとおり、今年は試験の関係で、まだ皆さんの作品をしっかり読むことができない状況です。それでも、雰囲気を感じたり参考にしたりするために、一部の作品だけは読ませていただいています。
     皆さんの作品を読んだときもそうですし、今回、私の文章への翻訳やご助言を読んで改めて強く感じたのは、自分の日本語の文章がかなり「重たい」ということでした。
     日本のライトノベルらしい文体で原文を書き、AIへの翻訳指示も何度も調整し、そして何より、自分自身で全文を一文一文、細かく校正・修正しています。現時点では「今の自分にできる限りの文章だ」と言えるのですが、それでも比べてみると、その「重たさ」がどうしても目立ってしまうと感じます。
     今回この企画を始めたことや、作品の中に「お知らせ」の話を設けて皆さんから感想をいただいているのも、そうした理由があるからなのだと思います。

     今回ご指摘いただいた「主語が多すぎ」という点は、本当に頭を叩かれて目が覚めたような気持ちになりました(笑)。
     お恥ずかしい話ですが、日本語は七年以上勉強していて、試験の成績もずっと良いほうでした。勉強の中で「日本語は主語を省略することが多い」ということも学んでいたはずなのに、実際に作品を書く段階になると、すっかり意識から抜け落ちていました。
     もしよろしければ、もう少しだけ教えていただけると嬉しいです。

     ① 会話のセリフでは、主語はほとんど省略してしまってよいのでしょうか。
     例えば九割以上の場面では、日本のライトノベルでも、実際の日常会話でも、主語を省略するのが普通なのでしょうか。
     特に、今回例として挙げていただいたような、一対一で会話している場面についてお聞きしたいです。

     ② この作品は、男性主人公の一人称視点で進む物語です。
     その場合、地の文や心理描写では、主語はどのような感覚で使えばよいとお考えでしょうか。

     ③ 現在の作品における主語の使い方は、作品全体にどのくらい影響していると思われますか。
     仮に100点満点だとしたら、この「主語の多さ」だけで何点くらい減点される印象でしょうか。

     数量表現や読点についてのお話も、本当に勉強になりました。

     最後に、詩文調が崩れてしまうというお話についてです。
     この点については、私自身もとても共感しました。以前、作品タイトルを変更した理由について書いた近況ノートを読んでいただきましたが、あの近況ノートで書いたことも、まさに今回おっしゃっていた感覚そのものでした。
    「雲熙間」というタイトルがどれほど美しいものなのか、日本の読者の皆さんにも伝えたい気持ちは本当に強いのですが(笑)、やはりそれは難しいのだと感じています。
     とはいえ、目標は日本のライトノベルを書くことですので、この点については私自身、十分に受け入れています。もちろん、詩的な味わいが失われてしまうのは少し惜しいと感じることもありますが、作品として伝えたい核となる意味が残っているのであれば、それでよいとも思っています。

     今回も本当に多くのことを学ばせていただきました。まだまだ精進していきたいと思います。

     最後に、一つだけ少し厚かましいお願いがあります。
     午後には第34話まで読んでくださっていたことに気付きました。
     もしよろしければ、私に気を遣うことなく、本当に率直なご意見として、この作品を100点満点で評価していただけないでしょうか。
     初めて書いた長編作品でもあり、自分にとっては処女作でもありますので、どのような評価をいただけるのか、とても気になっています。
     できれば、二つの前提でお聞きしたいです。

     一つ目は、現在の完成版としての評価です。

     二つ目は仮定の話になりますが、「翻訳」や「言語・文化的な表現習慣」の問題を取り除いたとしたら、作品そのものとして何点くらいになるとお考えかも、お聞かせいただけたら嬉しいです。

     改めまして、作品を読んでくださり、そして丁寧なご助言をいただき、本当にありがとうございました。
     私にとって大きな助けとなり、とても励みになりました。

    作者からの返信

     大事に読んでいただき、ありがとうございます。
     私はプロでも何でもない、創作歴3年の人間です。至らないことは多いと思います。
     ですので、あくまでいち意見として見ていただければと思います。

     また申し上げるのならば、私は「ライトノベルを書く人間」ではありません。どちらかというと純文学、あるいは歴史を題材にすることが多いです。
     そのため、あなたの言う「重い文」とか、もっと言うと「堅い文」を書く人間です。
     そこも、踏まえていただければと思います。

     学者でも、作家でも無い。的外れなことも、言うかもしれません。
     あくまで、一人の日本語ネイティブとしての感覚をもとに、今回の質問へ返答させていただきます。

     まず言い忘れというか、伝えておくべきかな、ということから。
     日本語における知識として、「主語を使わない」ということは、口酸っぱく言われることだと思います。
     実をいうと、私としては「半分あってて、半分まちがっている言葉」だと思っています。
     この省略に当てはまるのは、多くが「人物に対する代名詞」です。
     中国語でいえば「我、你、他、她」という辺りですね。これは日本語では、かなり省略します。
     ですが一方で「モノやコト」については、かなり断定します。
     つまり、どういうことか。
     「主語は使わないけど、前提は共有しなければならない言語」なのです。「文脈」というやつですね。
     たとえるなら、お盆の上にコップが3つあるとします。
     前提として「お盆の上にコップがある」から示さなければならないのが日本語。
     主語として「コップがどうあるか」を示してから始めるのが、中国語の形態ではないか。そう思うのです。(違ってたら、ごめんなさい)
     前提条件が整っていないのに話すと、日本語の話法は崩壊します。
     「アレとって」「コレやって」。これだけでは、伝わりません。ケンカにすらなります。
     でも、指を差すなどして前提を共有すれば、なんとかなる。
     これが、日本語が「主語がない」と言われる所以ではないかと思います。
     これをまず、なんとなく知っておいてほしいな、と思います。

     その上で。

     まず①から参りましょう。
     「会話セリフでの主語の扱い」ですね。
     これに関して言えば
    「もしも”人物代名詞”を”主語”とするのならば、呼びかけや強調以外ではほぼ使わなくてよい」
    と、私なら答えます。
     たとえば、使うとすれば
    「巡!(呼びかけ)」「なに?」
    とか
    「俺は(強調)、そうは思わないな」
    とか。こういう使い方ですね。それ以外では、あまり必要ありません。
     ですが、モノやコトについて書く時には、毎回ちゃんと具体的な指定をしないと、認識が崩れます。
    「巡! アレ(モノ主語)とって!」
     これは伝わりません。
    「巡! タオル(モノ主語)とって!」
     これなら伝わります。ほかにも
    「澪! アレ(コト主語)して」
     伝わらない。
    「澪! 変顔(コト主語)して」
     これなら、伝わります。
    (あなたの作品の中で、澪さんに私を殴らせてもOKです)
     つまり、人物代名詞については、主語という意識で使わないほうが良いかもね、という感覚ですね。

     続いて②について。
     「一人称視点での、地の文と心理描写」ですね。
     私はこういう形で書いたことが無いので、想像の中での話になります。
     その中で申しあげるのなら
    「場面転換のときのみに使うべきではないか」
    と、私は考えます。
     私の作品から、出してみましょう。

    「 木しか見えなかった中から、その向こう側に薄く青が見えるようになっている。
     麓《ふもと》に降りてきたのだ。车《チェ》の音もしていた。
    ──光ってる
     監兵《かんぺい》がそう感じたのは、たぶん水からの反射であった。
     視界が開けた。前に、穏やかな水の平面が広がっている。」

     あくまで例文です。私の文章が優れている、というわけでは無いので、あしからず。
     これは、「風景~監兵視点~風景」という構造ですね。
     この場面では「監兵《かんぺい》」という人物を表す主語が、文の途中で出ています。
     ここでは主語を「視点の固定と転換」に、使っています。
     風景から、監兵の視点に収束した後、また風景に移る。
     映像作品でいえば、カメラ切り替えの作用です。
     つまり、この文章では「”だれ”が、”なに”をした」という意味では使っていません。
     一人称視点の作品なら、私は意識したほうが良いように思います。
     人物を特定するために人物代名詞を多用すると、文章の構造として、小説というよりは、スピーチ文に近くなります。
     変な言い方ですが、「登場人物の言葉」じゃなくて、「作者の言葉」に近づくのではないでしょうか。
     中国語で考えるときも、口に出さないのなら、たぶん毎回「我想──」とか「你是──」とかは言わない気がするのです。
     違うかもしれませんが、私としては、そんな風に思います。

     そして③。「主語過多による影響」ですね。
     これは先ほども言った通り、「スピーチ文に近くなる」という影響があると思います。
     中国語や英語だと、むしろ普通の表現ですが、日本語では違うと思います。
     そして、「カメラ切り替えの作用がある」とお話ししましたが、日本語における「僕」とか「私」という言葉の繰り返しは、つまり「カメラ切替」を高速で行うことに繋がります。
     こういった言葉には「目を留める」という効果があるので、文章の流れが毎回、ピタッと止まってしまうんです。
     「ライトノベルを目指す」というのであれば、この「推進力の停止」は、少し痛いかもしれません。
     あなたは「減点度」を気にされていますが、私の認識は違います。
     「そもそもの文章ジャンルが変わる」とは、言い過ぎかもしれませんが、でも受け取る印象としては、そういう力学があります。

     総括すれば

    1.主語というより、前提が必要
    2.人に関する主語を出すのは、カメラ切り替えに近い
    3.主語過多は減点対象というより、文章の軸に影響する

    というのが、私の個人としての意見です。



     「雲熙間」──良い題名だと思います。表現に悩まれたというのも、非常にわかります。
     「熙」は、「陽光」ではないんですよね。キラキラした感じというか、光線交じりの温かさが、なかなか端的には表せない言葉のように思います。これも、認識違いかもしれませんが。

     それに、いまさらですが「重い文章」というのは、決して劣っていません。
     重いからこそ、書けることもあります。
     でも「軽い文章」ほどページが進むわけではない、というだけのことです。
     気にしすぎると、あなたの文章が崩れるかもしれませんから、お気を付けください。

     最後に、点数についてです。
     前もって申し上げておきますが
    「歴史小説や純文学しか読まず、ライトノベルを知らない人間の直観」
    であることは、留意していただきたく思います。
     その立場で付けるのであれば、この作品は「60点代前半」という印象です。
     そして厄介ですが、あなたが「日本語における諸問題」を解決したとしても、私はこの点数を変えないと思います。
     それは
    「書き方が変わっても、書いていることは変わらないから」
    です。つまりこの点数は、好みの問題なのです。

     点数を付けるということも、ひとつの基準として有用だとは思います。
     ですが、私の所感を申しあげるのなら、あなたが重視するべきは「立ち位置」だと思うのです。点数じゃない。
     私が100点を付けて、あなたが0点を付ける。逆に私が0点、あなたが100点を付ける作品も、あるかもしれません。
     私は、世間で評判が良くても、自分には合わないと思った本を捨てた経験があります。
     過激な行為だとは思いますが、極端に言えば、そういうことがあるのです。だから今は縦軸で測らないほうが良いと、そういう気もします。

     少なくともあなたは、母語ではない言語で小説を書き続けています。
     人の意見を開放的に、積極的に取り入れようとしています。
     その真摯さに価値が無いとは、私は思いません。
     どうか、書き続けていただきたいと思います。

     上から目線になってしまいましたが、私も未熟中の未熟です。
     だから間違ったことも、たくさん言っていると思います。
     まずはあなたの感性を信じて、そして「なんとなく、やってみよう」と思ったときに、何かを取り入れてみてください。
     これからも何かあれば、お申し付けください。

     亀歩、亀歩、



     かしこ

    編集済