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    右頬の運河への応援コメント

    現実にある光景なのでしょうけど、運河の街とかもろに聞き覚えがありますし。
    すごく幻想的な空気を感じます。
    説明ではなく、語りになっているのが、いいと思いました。
    描写がねっとりあるわけではないけれど、情感が濃く伝わってきました。

    作者からの返信

    お読みいただき、感想までいただきありがとうございます。

    せっかくなので少し裏話をすると、最初は渋谷の街を舞台にする予定でした。
    いつでもどこかで工事が続いている、完成しない街。
    いつの間にか運河の街になっていましたが、情感を受け取っていただけたなら何よりです。

    この度は本当にありがとうございました。

  • おわりにへの応援コメント

    拝読しました。この作品タイトルの「吟遊詩人」に惹かれました。
    私は、普段から作品の構造や、その奥に流れているものを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
    少し長文になりますがお許しください。

    最初は、とても静かな話だと思いました。

    新居
    夕食後
    暖炉
    座椅子
    リュート

    旅をしてきた母娘が、初めて居を構える。
    そこで母が、市場や広場で語ったのとは違う、「私のために」寓話を語ってくれる。

    そういう入り口から始まる作品なので、最初はてっきり、母から娘へ、あたたかいものが夜ごとに手渡されていく話なのだろうと思いながら読んでいました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    読み返して一番残ったのは、「忘れない」という言葉でした。

    はじめに、語り手は「忘れないうちに書き残しておきたい」と書きます。
    空色のリュートの終わりで、母は「忘れないでね」と言います。
    そして最後、語り手はもう一度、「忘れないよう、記しておこう」と書きます。

    この三つが、たしかに作品全体を動かしているように感じました。
    書くことが、ずっとこの物語を前へ進めている気がします。

    不思議なのは、「忘れないでね」と言われたとき、語り手が「何を」と聞き返していることです。

    何を。

    母は、曖昧に微笑むだけで、答えません。

    だから記録は続くのに、何を忘れないための記録なのかは、最後までわからないままです。
    ここは「深い余白」というより、答えられないまま置かれてしまった問い、という感じで読みました。

    「右頬の運河」も、印象に残った話です。

    涙には、泣いた人の記憶が溶けている。だから涙を飲めば、その記憶が胸に湧き上がって、他人の涙にも共感できる。そう聞くと、記憶を分け合うあたたかい話に見えます。でも、妹が言う「この涙は、私のものじゃない。私の涙じゃない」で、見え方が少し変わりました。誰かの記憶を胸に受け取ることは、同時に、自分のものではないものを飲まされることでもあるんだと思います。

    少年と友人が出会った日、友人は少年に「君、名前は?」と尋ねます。
    同じ言葉が、洪水のあと、記憶をなくしたはずの友人の口から、もう一度出てきます。
    同じ問いのはずなのに、まったく違う場所から発せられているように読めました。

    それと、少年たちの暮らしの中に、「返事の代わりにパンを手渡す」という場面がありました。

    言葉の代わりに、パン
    答えの代わりに、生活

    ここでは何かが答えられないまま、それでも日々だけは続いていきます。

    この「代わりに」は、後半でもう一度、違う形で戻ってきます。

    「空色のリュート」では、老婆が姿を消して、老婆の代わりに、ベッドにはリュートが横たえられていました。
    旅商人の娘は「空へかえった」と言うけれど、それが何を意味するのか、本文は確かめさせてくれません。

    そのすぐ後で、母が言います。

    「これがそのリュート」

    この一言で、寓話の中にあったはずのリュートが、いま母の手にあるリュートとつながってしまいます。でも、それは証明ではないと思いました。語り手も「まさか」と思うけれど、母の顔を見ていると反論できない。つながっているのに、確かめられない。その状態のまま、母の「忘れないでね」へ進んでいくのが、読んでいて重たかったです。

    そして「おわりに」で、母がいなくなります。

    「母が死んだ」
    「死んだと言っていいのかわからない」
    「母が母でなくなった」

    母が居なかった。代わりに、見知らぬ少女がいました。

    でも、その声は「間違えようのない、母の声だった」とあります。

    ここでもまた、「代わりに」が戻ってきます。

    返事の代わりに、パン
    老婆の代わりに、リュート
    母が居なかった。代わりに、見知らぬ少女が

    どの場面でも、いなくなった理由は説明されません。
    代わりに置かれたものが、本当に元のものと同じなのかも、確かめる手立てがありません。
    それでも、パンは手渡され、リュートは残り、少女はそこで寝息を立てています。

    だから、「とうとう母を見つけた。いや、見つけられなかった」という言葉が、すごく大事に思えました。

    見つけた。
    けれど、見つけられなかった。

    声はある。面影もある。だから見つけたと言えます。
    でも、探していたはずの母そのものではない。だから、見つけられなかったとも言わなければならない。

    「少女を、母を、母だった少女を抱いて泣いた」という並べ方も、どれも間違いではないのに、どれか一つに決めてしまうと、何かを取りこぼしてしまう感じがしました。

    終盤、語り手は「私がいつか、母のように少女へと還るまでは」と書きます。
    それがどんな条件で起こるのかは、やはり示されません。
    前にも同じことがあったらしい、というだけで、決まった仕組みまでは本文には置かれていないと思います。

    だから私は、この作品を、きれいに閉じた円環の話としては読めませんでした。
    折り返してはいるけれど、閉じてはいない感じです。

    語り手はリュートを抱えて、路地に座り、物語を売るようになります。そして、ここに記した物語を「彼女のために取っておこう」とします。

    何が渡ったのかは、ここでもやはり確定しないままだと思います。

    寓話なのか
    記憶なのか
    リュートなのか

    それとも、見つけたとも見つけられなかったとも言わなければならない、あの状態そのものなのか。

    「忘れないよう、記しておこう」

    最後のこの一文は、母が誰なのか、どこへ行ったのかを説明するための記録ではないと思いました。むしろ、説明できなかったことを、説明できなかった形のまま、次の誰かのために残しておくための記録なんだと思います。

    読み終えて残ったのは、何かがきちんと渡りきった、という安心感ではありませんでした。むしろ、何を受け取ったのかよくわからないまま、それでも書きとめてしまう、その感触の方が残りました。

    忘れないために書く。
    でも、何を忘れないためなのかは、最後までわからない。

    それでも、次の「彼女」のために、取っておかれる。

    作者からの返信

    お読みいただき、また感想までいただきありがとうございます。
    とても丁寧に読んでくださったのではと感じ、嬉しい限りです。
    お言葉をお借りするならば「それでも書きとめてしまう」そんな何かをお渡しできたのかなと思うと、作者冥利に尽きます。
    いただいたご感想を糧に、次の作品も書いていこうと思います。

    この度は本当にありがとうございました。

    編集済