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「有所感」——私の創作論、私の創作の魂への応援コメント
やはり熱量がすごい方だと思いました。
伝えたいという純粋な想い、
それを文字にして伝える力が
人の心を動かすのだと思いました。
中国語の意味も知ることができ、
意味は違えど、表現するという
形は変わらないのだと、
とても嬉しい発見がありました。
完成されたものの後書きではなく、
途中経過を見せていただいたこと。
今、目標に向かって走りつづけ、
奮闘されている姿を文字にして
綴っていただいたこと。
走り出すことに躊躇いを感じて
いる人にも、
同じように迷いながら進んでいる
人にとって、
自分を信じる勇気を与えてくれる
ものではないかと思います。
わたしも励まされた一人です。
作者からの返信
葛城瞳さん、いつもありがとうございます!
日本の素晴らしい作品から、何度も前へ進む力をもらってきました。
だからいつか、自分も誰かの力になれる作品を書きたい。
ここまで長々と書いてきましたが、結局はこの一言に尽きるのだと思います。
振り返ってみると、私は昔から感情が大きく動いたときにしか、小説を書きたいという気持ちになれませんでした。特に悲しい出来事があったときです。
今思えば、それが私の言う「有所感」なのかもしれません。
伝えたい想いがあるからこそ、私は筆を取るのだと思っています。
実は一度書いて、やっぱり少し自惚れている気がして消してしまった言葉があります。
でも、葛城瞳さんならお伝えしたいと思いました。
「私は、自分が次の時代(主流)を作るような作家になれるとは思っていません。
でも、もし将来連載や書籍化という機会に恵まれたなら、読者に『こんな作品が世に出るのか』と顔をしかめられるような作品だけは、決して書かないという自信があります」
同じように言葉を愛する創作者として、私の言葉が少しでも励みになれたのなら、それ以上に嬉しいことはありません。
本当にありがとうございます。
(……とはいえ、私はまだ処女作を書いている真っ最中の新人です。情熱だけじゃどうにもならないことも、まだまだたくさんあります。書く技術も、作品を客観的に見つめる力も、これから少しずつ磨いていかないとですねww)
「有所感」——私の創作論、私の創作の魂への応援コメント
私の企画の方にご応募いただきありがとうございました。
「中高生さんの作品を読ませてください~」と題していたので、日本の中学生高校生様がたからのご応募のみをいただけるものと思っていましたが、まさか海を超えた創作論が流れ着いてくるとは(笑)。
本文自体は、非常に興味深く拝読いたしました。本当に勉強になりました。
すっかり、柊夕様の論に感化されてしまいました。
それはきっと、私の薄々思っていたところが、非常に丁寧に、巧みに、著されていたからでしょう。
そして本当に突然でお目汚しの限りのようですが、私が今企画にあたって書いた近況ノートの方をぜひ読んでみていただきたいです。
『(前略)
私は基本的に、応募いただいた作品は、『修辞法(文章力)』『キャラクター』『ストーリー』『世界観』『総評、他コメント』の四観点+総評、で感想を書いています。
これらは上から順に、私が鑑賞中、比重を置いて読んでいる観点です。
では、それら四観点はなぜこの順なのか、というのを話しておきましょう。
まず①、『修辞法(文章力)』。
小説というのは、絵画や音楽と同じ、表現です。そして、絵画では、視覚的な絵が。音楽では聞こえる音が、というふうに、それらは表現に用いるモノによって、区別されています。
そして、小説というフォーマットでは、言葉が用いられるワケですね。
基本的に、デッサンの上手くない人の描いた絵は、あんまり評価されません。その人の中にいくら面白い作品があったとしても、絵としてそれを表現する技術が足りなければ、伝わらない。それはちょっと、残念すぎる。
小説においての文章力も、それと同じです。伝えたいことが技術力のせいで伝わらなくて、作品としての評価の俎上に乗せられないなんて、もったいなすぎる。
なので、アタシは文章力に一番重きを置いて観ています。ま、何事も基礎が大事ってことネ。
次に②、『キャラクター』。
これも明確です。キャラクターがストーリーを創るからです。
例えば、
魔王は、権力が欲しいから人や土地を奪おうと動く。勇者一行は、それを止めたいから、魔王討伐に出かける。
個性的なキャラが、ただ彼らの日常を過ごすだけの、「日常系」は作品として成立する。しかし、キャラが出てこない物語というのは、見たことがない。
…やめて、一部の前衛的な不条理演劇を持ち出さないで。
とにかく、まあ、ストーリーがキャラを動かすのではなく、キャラがストーリーを創り、動かすのです。
なので、③のストーリーはいろいろ最後まで見たうえで、です。
アタシは読中、『?』となったところは、「コレはきっと後々に活きる伏線なのだ」と思ってしっかり覚えておこうとします。
だから、それが全然回収されないまま終わると、(´・ω・`)となります。
あ、『チェーホフの銃』の話は過去の近況ノートでしてるので、ぜひ。『撃つぞ?』の回です。
最後に④の『世界観』ですが、コイツが最下位な理由は、平たく言えば普通に現代社会でお話が展開されたところでなんの問題もないからです。
でも、面白い設定や作りこみには、面白い!と言いたいので。
と、まあこんなもんですね。
やっぱり、私はまだまだ浅学菲才な学生で、何一つ偉そうに言えることは無いし、何言ったところで戯言です。
しかし、評価基準の定量化とか、最低限そういうところはちゃんとやりたいな~、と。
ほとんどの皆さんに同じ基準で感想を書きますので、他の人が僕にどんなこと言われてるか~、とか気になった方は読んでみても面白いかもしれません。
そして、応募してくださった皆さんには、本当に心からの感謝を。
マジでありがとうございます。本当にいろんなこと勉強させていただいております。
それじゃあ、皆さんの力作の読解に戻りますか。
あと、本当に些細でも、今企画に関してなにか気になること、確認したいことがあれば、お気軽にお尋ねくださいませ~。』
自分のアカウントの方で公開した文章なので、これといった推敲も行っておらず、お見苦しい点、多々あると思います。
今、人様の書かれた小説を拝読して、それにとやかく横やりを入れるようなことをしている身です。
柊夕様にはぜひ、この読み方をどう思われるか、ご意見、いやご教示いただきたいです。
本統に、ぜひよろしくお願いします。
ところで、柊夕様は本文で、
「本来であれば、冒頭の数章で作品の核心となる設定を提示すべきなのかもしれない。しかし私の執筆スタイルは、この時点では「絶対にそれとは気づけないような伏線」を張り巡らせ、読者が後々になって読み進めて初めて理解するような形をとっている。
私は、人間関係が十分に成長・発展し、物語の十分な伏線がしっかりと整い、すべてが自然な流れで本筋へと入っていく構成を好んでいる。
そのため、どうしてもストーリーの進行が極端に遅くなってしまう。これに加えて、先述した「事細かにアニメを描写するような」書き方をしているため、作品全体のテンポはどうしてもスローペースになる。」
と仰っています。
私は(柊夕様の作品を一度も拝読したことのない身ですが)これは全く問題のないことと感じます。
日本で、インターネット上の小説共有プラットフォームは、その原型ができたときから「主に素人が書き、素人が読む場所」だったからです。
別になにも、全ての書き手読み手を貶めたい意図は全くございませんよ!
ただ、今このカクヨムというプラットフォームが、「素人が読み、また本職の編集者なんかに見てもらえる機会もある場所」であることを強調したい。
編集者の方なんかはきっと、この違和感が後の伏線になっているのかもしれない、と考える、とにかく最後まで読む読み方をされるはずです。
極論を言ってしまえば、そんな人達に評価され後押しされてから、他の人たちに鑑賞してもらえればいい。
書籍化、アニメ化というのはまさに、数多ある作品の中から、編集者の方らが面白さを保証した作品であることの証だからです。
鑑賞する人たちも、わざわざお金を出して本を買ったり、あるいは放送日程を確認して目を通されたりするわけです。
そうなれば、途中で鑑賞を放棄されるということはグッと減るでしょう。
なので、今連載途中の作品に対して気になさっていることは、本統に些事であると、私はそう思いますよ。
最後に一つだけ。特に共感できたのは、京アニのくだりでした。
我々オタクにとって、あれほど大きな喪失はここ数年で中々無かったものでした。
個人的に、『らき☆すた』を監督された武田氏が被害に遭われたことが、なによりのものだったと感じます。
そして私も、拙いながらなにか京アニを応援できれば、という気持ちを持って、今創作活動を必死に学んでおります。
長文、本当に失礼いたしました。しかも、勢いに任せ書き連ね、要領を得ない部分があろうことも自覚しております…。
柊夕様の作品も、ぜひ読ませていただきます。
本統に学ぶところばかりの創作論でした、本統にありがとうございました!!!
作者からの返信
はい! 日(ちゅう)本(ごく)の(前)高校生ですww!
長文のコメントをいただき、本当に嬉しかったです!
中高生向けと明記されている企画であるにもかかわらず、もうすぐ大学院生になる私が厚かましくも参加してしまい、申し訳ありません。失礼いたしました!
ですが、やはり本当のことをお話しすべきですね。適当に選んだのではなく、企画名を見て興味が湧いたのです。自分がターゲット層ではないと分かっていながら、こっそり参加してしまったことを改めてお詫びいたします。
いただいたコメントを何度も読み返し、理解が間違っていないか心配でAIにも翻訳を頼みました。コメントも近況ノートも、どちらも親近感を覚える内容でした。
勝手にこんなことを言うのは不適切かもしれませんが、あなたと高校生の頃の私には、きっと多くの共通点があると感じています。(もしかしたら、今もそうかもしれません)
私も真剣に交流させていただきたいと思っているため、恐らくこのお返事も長くなってしまうと思います。事前に謝っておきますね。同時に、ちょっとした警告(笑)としても。
(書き終えて読み返してみたら、少し論文のようになってしまいました……ごめんなさい!)
読み方、つまり『修辞法(文章力)』『キャラクター』『ストーリー』『世界観』『総評、他コメント』の四つの観点について議論したいとのこと、拝見いたしました。
それでは、恐縮ですが私の考えを少し述べさせていただきます。
まず、あなたも説明されている通り、この4つの順番は実際にあなたが作品を読む際に重視している優先順位ですね。読書がそうであるなら、ご自身の創作もまた同様ではないかと思います。
私個人の見解として、まず2つの総括的な点があります。
第一に、それぞれが持つ、あるいはまだ構築途中の創作理論によって、小説の各要素に対する重視の度合いは人それぞれ異なります。同じであれば偶然であり、異なっていればそれが日常です。
第二に、作品のジャンルや表現の重点によって、優先順位もそれに応じて変わるかもしれないということです。
したがって、第一の点から見て、私にはあなたの順位付けを「評価」する資格も立場もないと考えています。ですので、その順位付けについて、上記の2つの点を交えながら、私個人の考えや気付きを共有させてください。
まず、おっしゃる『修辞法(文章力)』の視点についてです。
私はあなたの考えに非常に賛同します。
考えてみると面白いのですが、よく突き詰めていくと、「小説」という形式の表現力は、無限に小さくもあり、また無限に大きくもあることに気づきます。
その表現力は無限に小さいのです。
それは結局のところ、映像やBGMを伴う没入感のある体験を提供する漫画や映画・ドラマには敵いません。ただの文字が一つ一つ並んでいるだけで、それを繋げて初めて文や言葉になり、集中していないと一行の文にすら繋がらないこともあります。
しかし同時に、その表現力は無限に大きいのです。
なぜなら、漫画や映像作品も素晴らしいですが、それらは結局のところ、監督や制作陣の目から見た世界にすぎないからです。すでに型に嵌められ、制限された世界なのです。
一方で小説は、一人ひとりの想像力に頼ることで、無限に多く、無限に素晴らしい世界を生み出すことができます。おそらく「千人の目には千人のハムレットが映る」というのはこういう意味でしょう。
そして、ここに『修辞法(文章力)』の重要性が現れてきます。
どんなに強い想像力があっても、「彼らは大変な苦労をして魔王を倒した」という一文から、小説で5つの節を満たせるような素晴らしい戦闘シーンを自分で想像することは不可能です。もし本当にそれができるなら、一体どちらが作者で、どちらが読者なのでしょうか?(笑)
だからこそ、あなたの考えは非常に正しいと思います。基礎となる文章表現力が基準に達していなければ、どんなに素晴らしいアイデアやシーンも表現し、伝えることはできません。
中国には「白描」と呼ばれる創作手法があります。簡単に言えば、強い修辞や華やかな描写を使わず、最も素朴でありながら心を動かす言葉だけで、人々の心にまっすぐ届ける手法です。
ここで、ある名作を引用して説明したいと思います。正確には「白描」とは言えないかもしれませんが、私の言いたいことを説明できると思います。
カミュの『異邦人』の冒頭にあるあの名言です:『今日、母が死んだ。あるいは昨日だったかもしれない。私にはわからない。』
このように、強い修辞や描写がなくても、「感情」によって人の心を揺さぶることができます。
私個人としては、私のこの創作論を読んでいただければ理解していただけると信じています。ここで、その中の言葉をもう一度引用させてください。
『もしそれが真情であるならば、たとえスケールの小さい表現であっても、それはやはり血の涙を流して訴えるものとなる。
しかし、それが単なる技術の誇示にすぎないのなら、文学史にはいくらでも諸大家の遺した千古の名文が溢れている』
そのため、私は修辞を第一位に置くのではなく、「真情」を第一位に置くかもしれません。
どんなに些細な感情であっても、たとえそれが「好きな人と付き合えた! 彼女が可愛すぎるから、彼女をモデルにして小説を書こう!」といった他愛もない感情であったとしても、それが真摯なものであれば、小説、ひいては他の芸術ジャンルの源泉になるのだと思います。
第二の点、『キャラクター』の視点についてですが、私はあなたと同じ意見です。
あなたは『ストーリーがキャラを動かすのではなく、キャラがストーリーを創り、動かすのです』と仰いました。
私も全く同じ考えです。
キャラクターがいて初めてストーリーが生まれます。いわゆる「ストーリー」とは、彼らの「人生」そのものです。もし逆にストーリーを第一位に置き、ストーリーでキャラクターを動かそうとするならば、それは間違いなく本末転倒です。
展開のために、あるキャラクターに本来絶対にしないような行動を突然無理に取らせることは、自身のキャラクターに対する不敬であり、読者も納得しないと思います。このように極めて功利的にキャラクターを利用することに対して、私は非常に抵抗を感じます。
第三の点、『ストーリー』の視点についてですが、あなたの近況ノートを拝読いたしました。
まず心理描写の部分について、私もあなたと同じ考えです。
私個人は心理描写を極めて重視する執筆スタイルであり、基本的には「心理描写が多すぎる」と言われるほどのレベルで重視しています。
特にあなたが仰った:『出来事A→普通そこからは出ない感情、の描写よ。つまりさ、ある環境に置かれてる、そのキャラだけの物の捉え方ってコト。周りは皆喜んでるのに、自分だけは悔しいと思っている、みたいなコトも、あるじゃんね。』
私は非常に強く共感できます。私の作品『彼女は天女「ゆかり」であり、あなたの縁「ゆかり」でもある』の第38話には、ちょうどそのような状況の描写があります。
そして、これを借りて、あなたの近況ノートにあるもう一つの視点『チェーホフの銃』についてお話ししたいと思います。
私は、これは「感情的なもの」と「構造的なもの」の2つの状況に分けるべきだと考えています。
もし構造的なものであるならば、例えば「普段は使わないが、最後に初めて使われる道具をあらかじめ主人公に渡しておく」といった定番の展開は、埋め込んでおくべき伏線となります。それは描写されるべきです。文章の構造を洗練させる際にも、それは必要な内容として残されます。
しかし、感情的なものは異なると考えています。もし本当に『無駄が無くてスタイリッシュな劇にしろ』に従って削ぎ落としてしまうなら、恐らくほとんどの感情的な描写はカットされてしまうでしょう。
ここには非常に興味深く、考えるに値する点があると思います。
作品内のキャラクターの感情には、読者の目から見れば、あるいはそれを書いた作者の目から見ても、削ることが可能で不要なものに見えるものがたくさんあるかもしれません。
しかし問題は、それらの感情が、作品内のキャラクター本人にとっても不要なものなのか、ということです。
私の2つの作品において:
『彼女は天女「ゆかり」であり、あなたの縁「ゆかり」でもある』の第30~33話
『雲と陽のあわい』の『幕間〜澪の冒険〜』
これらの話はすべて、異なる視点からすでに記述されたプロットを再記述したものです。いくつかの情報補足はあるものの、もし感情を削ぎ落として必要な情報だけを残すなら、これらの話は事実上、存在する必然性がありません。
しかし、もしあなたが興味を持ってここまで読んでくださるなら、決してそれが存在する必然性がないとは感じないはずだと信じています。
したがって、『チェーホフの銃』という点において、私の見解は、構造的な削ぎ落としは作品をより洗練させ、読者が読みやすくなるということです。しかし、「一見すると削れそう」に見える感情的なものに関わる場合は、慎重になる必要があります。
最後に『世界観』の視点についてです。
ここでは、私が上で述べた「作品のジャンルや表現の重点によって、優先順位もそれに応じて変わるかもしれない」という点に再び触れる必要があります。
「ライトファンタジー」においては、いわゆる世界観とは、現実の認識と少しだけ異なるいくつかの点にすぎないかもしれません。
しかし、「異世界」や「SF」といった作品では、世界観の重要性が一気に第一位に躍り出るかもしれません。私たちは上で「キャラクターがストーリーを動かす」という視点を議論しましたが、こうした作品においては、キャラクターは「この世界」に生きる必要があるのです。
そのため、世界観の構築は非常に重要になるでしょう。
例えば、ある異世界作品において:
第1話で、作者が「Aという職業は王国最強の存在である」と書いたとします。
そして第5話になったとき、作者がまた「後方支援で料理を作る料理人は、基本的にみんなAという職業だ」と書いたとします。
あるいは第1話で、作者が「王国の空は飛行禁止である」と書いたとします。
そして第5話になったとき、作者がまた「空には至る所に急いで移動する民衆がいる」と書いたとします。
そうなると、他の部分がどんなに素晴らしくても、読者は「一体これはどんな世界なんだ?」「Bというものは食べられないと言っていなかったか、なぜ主人公たちはそれを携帯食料にしているんだ?」と疑問を持つでしょう。
そのため、かなりの割合のジャンルの作品が世界観の構築に極めて依存していると考えています。一方で、世界観の構造に依存しないジャンルにおいては、確かに大した問題ではありません。例えば日常の恋愛ものであれば、それは現実世界そのものであるため、そもそも世界観という概念がありません。
私は正真正銘の新人作者ですので、あなたのような方に交流していただけることを非常に嬉しく、光栄に思っております。以上が私の個人的な見解であり、評価ではなく、あくまで議論と交流のためのものです。
もし私の作品のスタイルやジャンルがあなたに受け入れられるものであれば、読んでいただけると大変嬉しく思います!