2026年7月2日 12:01
タラントの落ちる音を聞いたかへの応援コメント
「神」を題材にした作品の本棚からきました。拝読しました。作品の雰囲気に惹かれました。普段から作品の構造や、その奥に流れているものを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。少し長文になりますがお許しください。「タラントの落ちる音を聞いたか」タイトルを読んだ時点で、ずっと気になっていました。読み終えた今も、この言葉の置き所がよく分からないままです。音楽の話で、ピアノの話で、亡くなった母の声を追いかける話でもあるのですが、読後に残ったのは、きれいな旋律というより、まだ旋律になりきれない「音」そのものの感触だと思いました。この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。◇シモーネの世界は、生まれたときから音楽で満ちています。風の音を旋律として、水面に映る光を楽譜として理解する子どもで、その世界のまんなかにアガタの声がある。「シモネ、シモネ、私の可愛い天使。」という出鱈目な節回しの歌が、この世で最も崇高な楽器として置かれています。だから、アガタが死んだあとにシモーネがピアノへ向かうのは、たぶん「音楽を習う」ことではなくて、世界に溢れていた音をもう一度鍵盤から取り出そうとする行為だったのだと思います。でも、すぐ限界が来ます。「アガタのあの声だけはどうしても、取り出すことはできなかった。」この一文が、作品の底でずっと鳴っている気がしました。「取り出す」という言葉は、その後も何度も戻ってきます。ジャコモは「鍵盤から取り出そうと思うからいけないのではないかな」と、シモーネのやり方そのものに疑いを差し挟むのですが、その疑いをシモーネがどう受け止めたのかは、本文はほとんど教えてくれません。実際、後で『アポロン』が生まれる場面でも、同じ「取り出す」という言葉がまた使われています。個人的には、ここがいちばん落ち着かない箇所だと感じました。疑われたはずのやり方が、疑われる前とまったく同じ言葉のまま戻ってきてしまう。ジャコモの場面は、代価という言葉でも語られます。母の名を冠した曲。『エレーナ』「僕は、彼女の音を買い戻すために、魂を売り払ったんだ」という台詞。手をシモーネの胸に当てさせて、「僕は、君の曲を聴いてみたかった。」と言い残して、窓から落ちていきます。でも、何を売って、何が戻ってきたのかは、最後まで教えてもらえません。残るのは、「人が地面にぶつかる音」だけでした。シモーネの世界にはもう音楽はなかった。生まれて初めて、鳥の声も風の音も聞こえなかった。頭に残っているのは、地面とぶつかったときの音だけです。三日後、『アポロン』が生まれます。「やっと見つけた、母さん」という言葉とともに、あの子守唄も戻ってきます。ここだけ読むと、失われたものが返ってきたようにも見えます。でも直後、世界は「恐ろしいほどに満ち溢れていた」と書かれていて、この「恐ろしい」が最後まで気になりました。冒頭の満ち方と、ここでの満ち方は、同じ言葉なのに同じ感触に思えませんでした。終盤、ソレッラが現れます。七日間、ドアの外に影がある場面は、かつてシモーネ自身がジャコモのピアノを外で聴いていた構図とどうしても重なります。今度はシモーネが内側にいます。「先生は一体何を売り払ったんです?」この問いが戻ってきたとき、少し息を止めました。かつてシモーネがジャコモに向けていた問いを、今度は弟子から向けられている。しかも彼女はジャコモの妹です。手を取って自分の胸に当てる仕草も、あの日ジャコモがシモーネにしたのと同じ形をしています。「僕は、君の書く音楽を聴いてみたかったよ。」という言葉も、ジャコモの「君の曲を聴いてみたかった。」とほとんど同じ形をしていて、受け取る側だったシモーネが、いつのまにか返そうとする側に立っているのが分かります。シモーネは音楽を「神から前借りしているもの」と考え直し、「君の兄さんの音楽を、今ここで君に返そう」とします。ここで、返却という言葉に少しほっとしそうになるのですが、シモーネが何を持っていて、それをどうジャコモの音楽として返せるのかは、やはりどこにも書かれていません。そして最後に、もう一段ずれます。『エレーナ』はジャコモの母のための曲だったはずなのに、最終文でシモーネはそれを「アガタから奪った音楽」として認識し直します。エレーナからアガタへ、どこでどう移ったのかは示されないまま、物語は「返すようにして。」というところで止まります。返した、ではないと思いました。タイトルの「落ちる音」は、たしかにジャコモの落下音と結びつきます。でも「タラント」という言葉自体は、本文のどこにも戻ってきません。才能なのか、重さなのか、別の何かなのか。分からないまま、タイトルだけがもう一度こちらを見てくる感じがしました。読み終えても、何かがきちんと戻ってきた実感はありませんでした。ただ、誰かが落ちる音のあとで、「返そう」という言葉だけが、宛先の定まらないまま置かれている。そのことだけが、はっきり残っています。◇追記になりますが、ここまで書いて、私はこの作品に、答えを急がない強さを感じました。音楽や才能や代価を、分かりやすい答えに変えて渡すのではなく、取り出せないもの、買い戻したと言い切れないもの、返したとも言い切れないものとして、最後まで残っているように感じました。だからこそ「タラントの落ちる音を聞いたか」というタイトルが、読み終えたあとも閉じないのだと思います。落ちたものの音だけが、まだこちらに残っている。
作者からの返信
Lina Ictus Fluctus様丁寧なコメント本当にありがとうございます。初めて自分が書いた作品に対して頂く感想が、このように拙作に大変真剣に向き合っていただけるもので、感謝に堪えません。自分の書いた物語に対して、頂いた感想を通して新たな発見がたくさんありました。エレーナからアガタへ、そしてアガタからジャコモへ、それぞれどうやって音楽が移ったのか、自分の中ではおそらくこんなことがあったのだろう、というものはあるのですが、色々思うところがあり最終的にぼんやりした書き方になってしまったと思っております。だからこそ、>>私はこの作品に、答えを急がない強さを感じました。このようなお言葉を頂くことができ、とても嬉しかったです。わたしは、音楽という大きな概念に対して、どんなに学んでも、どんなに練習しても、きっとその存在のすべてを完全に理解することはできないのだと思っております。不穏な展開になってしまいましたが、その中で自分の人生を使ってでも音楽の深淵に近づこうとした若者たちの奮闘を(自分には真似できないようなものも含めて)少しでも描写できていれば幸いです。
タラントの落ちる音を聞いたかへの応援コメント
「神」を題材にした作品の本棚からきました。
拝読しました。作品の雰囲気に惹かれました。
普段から作品の構造や、その奥に流れているものを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
少し長文になりますがお許しください。
「タラントの落ちる音を聞いたか」
タイトルを読んだ時点で、ずっと気になっていました。
読み終えた今も、この言葉の置き所がよく分からないままです。
音楽の話で、ピアノの話で、亡くなった母の声を追いかける話でもあるのですが、読後に残ったのは、きれいな旋律というより、まだ旋律になりきれない「音」そのものの感触だと思いました。
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
◇
シモーネの世界は、生まれたときから音楽で満ちています。
風の音を旋律として、水面に映る光を楽譜として理解する子どもで、その世界のまんなかにアガタの声がある。
「シモネ、シモネ、私の可愛い天使。」
という出鱈目な節回しの歌が、この世で最も崇高な楽器として置かれています。
だから、アガタが死んだあとにシモーネがピアノへ向かうのは、たぶん「音楽を習う」ことではなくて、世界に溢れていた音をもう一度鍵盤から取り出そうとする行為だったのだと思います。
でも、すぐ限界が来ます。
「アガタのあの声だけはどうしても、取り出すことはできなかった。」
この一文が、作品の底でずっと鳴っている気がしました。
「取り出す」という言葉は、その後も何度も戻ってきます。
ジャコモは「鍵盤から取り出そうと思うからいけないのではないかな」と、シモーネのやり方そのものに疑いを差し挟むのですが、その疑いをシモーネがどう受け止めたのかは、本文はほとんど教えてくれません。
実際、後で『アポロン』が生まれる場面でも、同じ「取り出す」という言葉がまた使われています。
個人的には、ここがいちばん落ち着かない箇所だと感じました。
疑われたはずのやり方が、疑われる前とまったく同じ言葉のまま戻ってきてしまう。
ジャコモの場面は、代価という言葉でも語られます。
母の名を冠した曲。
『エレーナ』
「僕は、彼女の音を買い戻すために、魂を売り払ったんだ」という台詞。手をシモーネの胸に当てさせて、「僕は、君の曲を聴いてみたかった。」と言い残して、窓から落ちていきます。
でも、何を売って、何が戻ってきたのかは、最後まで教えてもらえません。
残るのは、「人が地面にぶつかる音」だけでした。
シモーネの世界にはもう音楽はなかった。生まれて初めて、鳥の声も風の音も聞こえなかった。頭に残っているのは、地面とぶつかったときの音だけです。
三日後、『アポロン』が生まれます。「やっと見つけた、母さん」という言葉とともに、あの子守唄も戻ってきます。
ここだけ読むと、失われたものが返ってきたようにも見えます。でも直後、世界は「恐ろしいほどに満ち溢れていた」と書かれていて、この「恐ろしい」が最後まで気になりました。
冒頭の満ち方と、ここでの満ち方は、同じ言葉なのに同じ感触に思えませんでした。
終盤、ソレッラが現れます。
七日間、ドアの外に影がある場面は、かつてシモーネ自身がジャコモのピアノを外で聴いていた構図とどうしても重なります。今度はシモーネが内側にいます。
「先生は一体何を売り払ったんです?」
この問いが戻ってきたとき、少し息を止めました。かつてシモーネがジャコモに向けていた問いを、今度は弟子から向けられている。しかも彼女はジャコモの妹です。
手を取って自分の胸に当てる仕草も、あの日ジャコモがシモーネにしたのと同じ形をしています。「僕は、君の書く音楽を聴いてみたかったよ。」という言葉も、ジャコモの「君の曲を聴いてみたかった。」とほとんど同じ形をしていて、受け取る側だったシモーネが、いつのまにか返そうとする側に立っているのが分かります。
シモーネは音楽を「神から前借りしているもの」と考え直し、「君の兄さんの音楽を、今ここで君に返そう」とします。ここで、返却という言葉に少しほっとしそうになるのですが、シモーネが何を持っていて、それをどうジャコモの音楽として返せるのかは、やはりどこにも書かれていません。
そして最後に、もう一段ずれます。
『エレーナ』はジャコモの母のための曲だったはずなのに、最終文でシモーネはそれを「アガタから奪った音楽」として認識し直します。エレーナからアガタへ、どこでどう移ったのかは示されないまま、物語は「返すようにして。」というところで止まります。
返した、ではないと思いました。
タイトルの「落ちる音」は、たしかにジャコモの落下音と結びつきます。でも「タラント」という言葉自体は、本文のどこにも戻ってきません。才能なのか、重さなのか、別の何かなのか。分からないまま、タイトルだけがもう一度こちらを見てくる感じがしました。
読み終えても、何かがきちんと戻ってきた実感はありませんでした。ただ、誰かが落ちる音のあとで、「返そう」という言葉だけが、宛先の定まらないまま置かれている。そのことだけが、はっきり残っています。
◇
追記になりますが、ここまで書いて、私はこの作品に、答えを急がない強さを感じました。
音楽や才能や代価を、分かりやすい答えに変えて渡すのではなく、取り出せないもの、買い戻したと言い切れないもの、返したとも言い切れないものとして、最後まで残っているように感じました。
だからこそ「タラントの落ちる音を聞いたか」というタイトルが、読み終えたあとも閉じないのだと思います。
落ちたものの音だけが、まだこちらに残っている。
作者からの返信
Lina Ictus Fluctus様
丁寧なコメント本当にありがとうございます。初めて自分が書いた作品に対して頂く感想が、このように拙作に大変真剣に向き合っていただけるもので、感謝に堪えません。自分の書いた物語に対して、頂いた感想を通して新たな発見がたくさんありました。
エレーナからアガタへ、そしてアガタからジャコモへ、それぞれどうやって音楽が移ったのか、自分の中ではおそらくこんなことがあったのだろう、というものはあるのですが、色々思うところがあり最終的にぼんやりした書き方になってしまったと思っております。だからこそ、
>>私はこの作品に、答えを急がない強さを感じました。
このようなお言葉を頂くことができ、とても嬉しかったです。
わたしは、音楽という大きな概念に対して、どんなに学んでも、どんなに練習しても、きっとその存在のすべてを完全に理解することはできないのだと思っております。不穏な展開になってしまいましたが、その中で自分の人生を使ってでも音楽の深淵に近づこうとした若者たちの奮闘を(自分には真似できないようなものも含めて)少しでも描写できていれば幸いです。