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  • 「自主企画 感想送ります。」から来ました。
    「最期の夏」というタイトルに、最初から終わりが含まれているところが気になりました。
    拝読しました。少し懐かしい年代の空気も好きです。
    私は、作品の中で言葉や場面がどう響き合っているかを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
    少し長文になりますがお許しください。



    近未来SFとしても、夏の恋愛小説としても、老いた犬との別れを描く物語としても、いろいろな入りかたができる作品だと思いました。

    停止症によって本物の生き物が少なくなり、レプリカが当たり前になった世界。かなり大きな設定なのに、それが重くなり過ぎないのは、物語が最後まで、ひとりの少年とひとりの少女と一匹の犬という小さなつながりに絞られているからだと思います。

    「チェロが死ぬわ」

    冒頭の一言で、結末の方向はもう示されています。
    だから読み手が追うのは、チェロが死ぬかどうかではなく、その最期の夏が真砂と棗に何を残すのか、ということなのだと思いました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    強く残ったのは、覚えていたのはチェロだった、ということです。

    真砂は、チェロのことを「今の今まで忘れていた」。十年近く前に置いて行った犬のことを、電話を受けるまで思い出していなかった。

    けれど、チェロは覚えていた。

    十年ぶりに会った真砂の匂いを覚えていて、尻ポケットに鼻を押しつける。そこにチョコレートがあったことを、言葉ではなく身体で覚えている。

    ここが、とてもよかったです。

    チェロは理由を語れない。どうして覚えていたのかも言えない。ただ、身体がそちらへ動く。その小さな動きの中に、真砂が忘れていた十年が、逆向きに流れ込んでくるような感じがありました。

    そのチョコレートが、物語の終盤、チェロのそばにそっと供えられます。「ポケットに常備するようになっていたチョコレートを……チェロの身体に供え」という一行は、第3話の尻ポケットの場面と静かにつながっていて、言葉で説明される前に、何かが届いてくる。細部が細部のまま帰ってくるところに、この作品の丁寧さを感じました。

    もう一つ、読み返して少し立ち止まりました。

    棗が身につけているタイの色が、「フォーゲットミーノット(勿忘草)」色と書かれていることです。フォーゲットミーノットは勿忘草で、「私を忘れないで」という言葉を連れてくる花でもあります。棗がその色を身につけていて、終盤に「ずっと忘れないで、好きでいて」という言葉が真砂に向かいます。偶然かもしれませんが、ひっそり響き合っているように感じました。

    だからこそ、レプリカの設定も効いていたのだと思います。

    どれほど精巧に作っても、記憶領域はコピーできない。同じ姿をした別の存在になる。その宣言は、SF的な設定であると同時に、チェロが持っていたもののかけがえのなさを照らしていると思います。

    形ではなく、時間
    性能ではなく、覚えていたこと

    チェロの命は、ただ「本物の犬だから尊い」のではなく、十年分の関係を身体に残していたからこそ、代わりがきかないものとして立ち上がってくるのだと思いました。

    棗の「チェロはまだ、生きているのよ?」という台詞も、この流れで読むと別の厚みが出ます。写真を拒んでいるだけではない。生きているものを、先に思い出に送らないでほしい。今ここにいるチェロを、過去形にしないでほしい。そういう必死さが、声の奥にあるように感じました。

    ところが同じ棗が、嵐の翌朝、チェロがまだ生きているうちに、神社跡でひとり墓穴を掘っています。

    「まだ生きている」と言いながら、その手は墓穴を深くしています。

    この食い違いが棗という人物を単純にしないのだと思います。強がっていて、分かっていて、でも分かりたくない、準備しているのに受け入れてはいない。彼女は自分のことを「きっと冷たい女なのよ。チェロが死んでも泣かないと思うわ」と言います。

    けれど最後の空港の場面で「少しだけ泣いた」

    その裏切られ方に、やさしさを感じました。

    そしてチェロがいなくなったあとに、「ずっと忘れないで、好きでいて」という言葉が真砂に向かいます。

    覚えていたのはチェロで、忘れていたのは真砂だった。
    その真砂が、今度は「忘れないで」と頼まれる側になる。

    この配置が、じわりと苦しいです。

    棗はいったん「チェロのことをよ」と添えて照れを隠します。
    真砂は「それから、君のことも」と返します。
    その短い往復の中に、この夏にふたりのあいだで起きたことが、全部折りたたまれているように思いました。

    真砂は応えます。棗を十年も待たせないと約束します。

    ここで、もう一つの対応が静かに浮かびます。十年前、真砂はチェロを高藤家に預けて去った。チェロは何も求めず、言葉も約束もないまま、ただ十年間覚えていた。今回、真砂は棗に向かって「一〇年も待たせない」と言葉にします。

    チェロが身体で示したことを、今度は真砂が言葉で引き受けようとする。

    その約束がチェロの記憶と同じように続くのかどうかを、作品は最後まで確かめません。
    「喪失の痛みを、僕は初めて味わっているのかもしれない」という真砂の内省も、「かもしれない」のまま置かれています。

    真砂は未来の行為を選ぶ。レプリカではない本物の犬を連れて、またこの場所へ来ることを思う。

    それでも、その未来が本当に来るかどうかは、本文の外に残されていると思います。

    そこが、安易な希望に流れていないところだと思いました。悲しみが恋で消えるわけではなく、チェロの死が次の誓いで軽くなるわけでもありません。

    それでも、約束は置かれます。

    「最後の夏」であり、「最初の夏」でもある、という終わり方が、この作品らしさを感じました。

    どちらかに整理されない。
    チェロの最期と、真砂と棗の始まりが、同じ夏の中に並んでいる。
    打ち消し合わないまま、並んでいます。

    犬の物語として読むとやさしくて、夏の恋の物語として読むと少し苦いし、近未来SFとして読むと、「本物」と「記憶」の問いが残ります。

    読み終えたあと、チェロが覚えていた十年の重さと、真砂がこれから引き受ける「忘れないで」の重さが、きれいに重なるわけではなく、それぞれ別の重さとして残りました。

    チェロの身体が知っていたことと、真砂が言葉にしたことは、同じではないのかもしれません。

    でも、そのわからなさごと引き受けて閉じる作品だと思いました。



    追記

    近況ノートも拝見しました。
    二十年近く前に書かれたものを、ほぼそのまま載せているという点が、印象に残りました。

    読んでいて、古さというよりも、当時の空気がちゃんと作品の中に残っている感じがありました。
    携帯電話やデジタルカメラが自然にそこにあります。
    物語の中心には、技術ではなく、犬の身体の記憶や、夏の湿度や、言い切れない別れがあります。
    その重なりが印象的です。

    「テーマが古びていない」という作者様の言葉にも納得しました。
    命が失われること、誰かを忘れること、忘れないと約束することは、時代が変わってもあまり変わらないものだと思います。

    二十年近く前の空気が残っているからこそ、チェロが覚えていた十年や、真砂がこれから引き受ける時間が、作品の外側にまで少し広がって感じられました。

    改稿せずに残したことでしか出ない感触がある作品だと思いました。
    この作品を、今読めてよかったです。

    作者からの返信

    フォーゲットミーノットのタイまで含めて、作者の思いを十分に読み取った丁寧なレビューをいただきありがとうございます。

    一度は携帯電話をスマホにするなどを改稿を検討しましたが、作品の持つ空気感が失われる気がして、変更を断念し投稿するに至りました。
    そこを『改稿せずに残したことでしか出ない感触がある』という感想をいただいたことで、書き手として報われる思いです。

    最後の、『この作品を、今読めてよかったです』という言葉は、それだけで書いた理由があったと思えるほどありがたい言葉です。
    いずれまた、別の作品でお会いできれば嬉しいです。