応援コメント

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  • この感情の方向への応援コメント

    コメント欄にて失礼いたします。
    このたびは、【第2回】一言キャッチコピー自主企画にご参加いただき、誠にありがとうございました。

    作品を拝読させていただき、愛することと愛されることについて、深く考えさせられる時間をいただきました。愛したい——けれど、愛ゆえに生まれる傷を恐れて、その痛みを避けるために愛さないことを選ぶ。そして、愛さなければ愛されることもないと気づき、それでもなお傷つくことを恐れずに愛することを選ぶ——その思考の変遷そのものが、自己自身に対する愛、すなわち「自分を愛すること」​ の、何よりの証なのだと感じました。
    まずは自分自身をしっかりと愛すること。そうして初めて、他者を心から愛することができるのだと。失ってからその大切さに気づくのではなく、今ある愛をしっかりと抱きしめることの大切さを——本作を通じて、改めて教えていただいたような気がいたします。

    どうか、ささやかながら❤️と⭐をお受け取りください。

    引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

  • 僕は──を愛している。への応援コメント

    コメントは2回目になりますね。前回は少し硬く書いてしまいました。
    作品を拝読しました。前回読ませていただいた時とは、違う雰囲気の作品に感じられました。
    私自身、情動的な感想を書くのはあまり得意ではないのですが、普段から作品の構造や、その奥に流れているものを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。少し長文になりますがお許しください。




    失恋と自己嫌悪の話として入ってきました。

    半年前に別れた彼女
    別れてからも消えない浮遊感
    好きだったのに別れた、というだけでは収まらないものが、最初のほうから少しずつ滲んでくる印象を受けました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。



    主人公には「知っていた」ことがたくさんあります。

    病気のことも、苦しい思いをしたことも、彼女が医療の仕事に就きたいことも。

    彼は言います。

    「だけど、僕はそれを知らなかった」

    この「それ」が何なのか、私は最後まで一つに決めきれませんでした。病気の悪化なのか。彼女が彼に何も言わなかったことなのか。それとも、彼女の苦しみの内側そのものなのか。

    知っていたことと、それでも届いていなかったことの間に、静かな距離が開いている感じです。

    知識として持っていることと、その人の苦しみの中に入れていたことは、たぶん別のことだった。その痛さが、「知っていた、でも知らなかった」という形で残ります。



    「選ぶ」という言葉も、この作品では何度も出てきます。

    「俺を選んでくれと言った相手を、選んでくれた相手を、選べと願った相手を、選ぶと誓った相手を、僕は最後に選べなかった」

    同じ動詞が角度を変えて積み重なって、最後に「選べなかった」で止まる。

    ここが苦しいのは、終盤になっても「今度こそ選べた」という形では終わらないところです。最後に置かれるのは、「選んだ」という完了の言葉ではありません。

    「君に、手を伸ばし続ける」

    選び直した、ではなく、伸ばし続ける。
    この違いが大きいと思いました。



    再会の場面が、特に印象に残りました。

    主人公は走り出す。けれど、彼女のいるベンチへ格好よく辿り着くわけではありません。砂の上で転ぶ。「誰にも見せられないくらいの転倒」とまで書かれています。

    そして、その音と声で彼女が振り向きます。

    意志を持って走ることが、直接の接触を生んだのではない。
    みっともない転倒が、彼女の視線を動かしたのだと思います。

    主人公はそれを「今日だけは、それで良かった」「転ぶのなんて、たった一度でいいんだ」と受け取ります。知ることも、選ぶことも、謝ることも、きれいに完了させようとして届かなかった。それなのに、失敗した身体だけが届いてしまう。

    格好つけた意志では動かなかったものが、転倒というみっともない出来事によって初めて動きます。

    この逆転が、この作品の大事な場所にあると思います。



    「ごめん」も、謝罪の形では終わりません。

    ずっと謝りたかったはずの主人公が「ごめん」と言う。けれど、それはそのまま通らない。「ごめんじゃなくて」と自分で言い直して、「ありがとう」へ変わります。

    ただ、この「ありがとう」は、今の謝罪の代わりではないと思いました。

    そこには、「手を差し伸べてくれた時、僕を選んでくれた時に僕は、こう言ったはずだ」という根拠が置かれています。かつて彼女が手を差し伸べ、彼を選んでくれたあの瞬間に、本当は言うべきだった言葉です。

    謝罪が感謝に置き換わった、というよりも、ずっと前に言えなかった別の言葉が、ここでようやく出てきたように見えます。

    だから、謝りたかった気持ちは、謝罪としては終わらないまま残る。

    この未完了さが苦いと思います。



    タイトルにある「瞳」は、最初から置かれています。

    別れる前の彼女は「伏し目がちな、何処か一所に視線を刺す瞳」をしていて、そこに「写っているのは僕ではない気がした」と語られます。

    終盤になって、ようやくまっすぐ目が合う場面がきます。
    「不確かになった瞳の中の僕が、鮮明に映った」

    この「鮮明に映った」が何を意味するのかは、一つには決めきれません。

    彼女の瞳の中に自分が映ったのか。
    あるいは、彼女の眼差しを通して、主人公自身の像がはっきりしたのか。

    どちらとも読める感じです。
    どちらかに決めてしまうと、少しこぼれるものがあると思います。

    到達したのは、彼女の心そのものではないと思います。彼女の眼差しの中にある自分の像です。「瞳の先」には、たしかに何かがある。けれど、それがどちら向きの到達なのかは、開いたまま終わります。



    主人公は、自己中心的であることをやめません。

    「僕は、僕が大好きなのだから」
    「自分の命や人生以外を最優先になんてできない」

    そこを認めた上で、言います。

    「だから、僕は愛する」

    最終行の直前にも「僕は僕のために」という言葉があり、利己性は消えないまま最後まで残ります。

    それでも、その媒介になる「優しいと言ってくれた、僕の優しくない部分で」という言葉に、この作品の不思議な誠実さを感じました。

    自分では優しいと思っていない部分を、彼女は優しいと呼んでくれた。
    その、他人から与えられた優しさを抱えたまま、自分のために、彼女へ手を伸ばしていく。

    無私の愛に到達したわけではないと思います。

    でも、無私ではない愛がどんな形をしているのかを、この作品はかなり正面から書いているように感じました。



    知ることも、選ぶことも、謝ることも、愛することも。

    どれも、意図した完了形には届きません。

    それでも最後に、まだ伸ばし続ける手だけが残ります。

    失恋や自己嫌悪の話としてだけでなく、届かなかったものが、届かなかったまま別の形に変わって残っていく作品として、深く印象に残りました。



    追記

    プロフィールに「書き出しを書くのが好き」とありましたが、この作品は書き出しの強さが印象に残りました。

    「はっきりした、僕は何もわかっていなかった。」という一文で、ただの失恋回想ではなく、これから何かがほどけていく予感が生まれていました。そこから「知っていた/知らなかった」へ進んでいく流れも、最初の一文が最後まで作品を支えているように感じました。

    また、感情を説明するだけでなく、「浮遊感」「重くなっていく体」「転倒」「瞳」といった身体や場面に置き換えていくところに、この作品らしさがあると思います。気持ちを気持ちのまま書き切るのではなく、体の動きや視線の変化として残しているところが、とても良いと思いました。

    これからも、書き出しの一文から全体へ静かに波紋が広がっていくような作品を読んでみたくなりました。

    作者からの返信

    今回もコメントをくださり、ありがとうございます。言葉の一つ一つから滲む想いに、胸がいっぱいです。
    基本的に僕は、王道とか、ご都合主義とか、綺麗事とかは別に嫌いじゃないんです。キャラクターがそれで幸せになってくれるなら書きたい、というか、幸せに突き進もうとする彼らを止めたくないと思っているんです。
    でも今回は、一つ綺麗事を描きたくなかった。「僕」は「君」を一番に考えてはいなかった。そこだけは崩したくなかった。「君」が好きだからなんて理由で「僕」を動かすのは違う気がしたんです。
    彼が自分を愛したまま、これからも彼女の手を取れることが、物語の外へ行った彼らへの、作者としての望みです。

    改めて、読んでくださり、ありがとうございました。