2026年6月9日 10:24 編集済
三島由紀夫 『憂国(ゆうこく)』 あらすじ ネタバレへの応援コメント
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作者からの返信
こんなエピソードがのこっているようです。 結論から言うと、三島由紀夫は太宰治の生き方に憧れるどころか、激しい嫌悪感を抱き、徹底的に批判していました。 文学的な評価や人間の好みにおいて、これほど「水と油」という言葉がぴったりな二人はいません。三島が太宰をどう見ていたのか、有名なエピソードを交えて紐解いてみましょう。直接対決:最初で最後の対面 1946年12月、まだ無名に近かった21歳の三島は、知人に連れられて、当時すでにスター作家だった太宰治を囲む酒席に参加しました。そこで三島は、憧れるどころか、太宰の目の前でこう言い放ったのです。「私は太宰さんの文学が嫌いです」 これに対して太宰は一瞬呆気にとられたようですが、顔をそむけて、「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なぁ、やっぱり好きなんだ」と、寂しそうに、あるいは見透かしたように笑ったといいます。 なぜ三島は太宰を嫌ったのか?三島自身がのちにエッセイなどで語っている理由は、主に以下の3点に集約されます。 「自己憐憫(じこれんびん)」への嫌悪:三島は、自分の弱さやだらしなさをそのまま晒し、「どうせ俺なんて」と甘えるような太宰のスタンス(いわゆる「私小説」的なウジウジした態度)が耐えられませんでした。 「生活」と「芸術」の混同:三島は、文学とは徹底的に構築された美の結晶であるべきだと考えていました。そのため、太宰のように自身の私生活の破綻や心中騒ぎをそのまま文学の切り札にするやり方を、「芸術家としての怠慢」だと一蹴していました。 性格の近親憎悪: 実はこれが一番の核心だと言われています。三島はのちに「太宰が隠そうとした欠点を、自分も持っているからこそ、あんなに激しく嫌ったのだ」という趣旨の自己分析を残しています。二人とも「自意識が過剰な知識人」という根底の病理は同じであり、三島はそれを「肉体や行動(割腹自殺へ向かう道)」で克服しようとし、太宰は「弱さの露悪(入水心中)」で溺れようとした。つまり、表現のベクトルが真逆だったのです。 太宰の「死にたがる、破滅的な生き方」は、戦後の若者に熱狂的に受け入れられましたが、三島にとってはそれこそが「もっとも排除すべき、みっともない弱さ」でした。したがって、憧れとは真逆の、「反面教師」としての強烈な意識があったと言えます。
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三島由紀夫 『憂国(ゆうこく)』 あらすじ ネタバレへの応援コメント
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作者からの返信
こんなエピソードがのこっているようです。
結論から言うと、三島由紀夫は太宰治の生き方に憧れるどころか、激しい嫌悪感を抱き、徹底的に批判していました。
文学的な評価や人間の好みにおいて、これほど「水と油」という言葉がぴったりな二人はいません。三島が太宰をどう見ていたのか、有名なエピソードを交えて紐解いてみましょう。
直接対決:最初で最後の対面
1946年12月、まだ無名に近かった21歳の三島は、知人に連れられて、当時すでにスター作家だった太宰治を囲む酒席に参加しました。そこで三島は、憧れるどころか、太宰の目の前でこう言い放ったのです。
「私は太宰さんの文学が嫌いです」
これに対して太宰は一瞬呆気にとられたようですが、顔をそむけて、「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なぁ、やっぱり好きなんだ」と、寂しそうに、あるいは見透かしたように笑ったといいます。
なぜ三島は太宰を嫌ったのか?
三島自身がのちにエッセイなどで語っている理由は、主に以下の3点に集約されます。
「自己憐憫(じこれんびん)」への嫌悪:三島は、自分の弱さやだらしなさをそのまま晒し、「どうせ俺なんて」と甘えるような太宰のスタンス(いわゆる「私小説」的なウジウジした態度)が耐えられませんでした。
「生活」と「芸術」の混同:三島は、文学とは徹底的に構築された美の結晶であるべきだと考えていました。そのため、太宰のように自身の私生活の破綻や心中騒ぎをそのまま文学の切り札にするやり方を、「芸術家としての怠慢」だと一蹴していました。
性格の近親憎悪:
実はこれが一番の核心だと言われています。三島はのちに「太宰が隠そうとした欠点を、自分も持っているからこそ、あんなに激しく嫌ったのだ」という趣旨の自己分析を残しています。二人とも「自意識が過剰な知識人」という根底の病理は同じであり、三島はそれを「肉体や行動(割腹自殺へ向かう道)」で克服しようとし、太宰は「弱さの露悪(入水心中)」で溺れようとした。つまり、表現のベクトルが真逆だったのです。
太宰の「死にたがる、破滅的な生き方」は、戦後の若者に熱狂的に受け入れられましたが、三島にとってはそれこそが「もっとも排除すべき、みっともない弱さ」でした。したがって、憧れとは真逆の、「反面教師」としての強烈な意識があったと言えます。