応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 今更な注意事項への応援コメント

    「なろう系」という呼び方そのものが、侮蔑の意味を含んだ歴史があります。

    それで過敏になる人がいるのも事実ですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    たしかに「なろう系」は侮辱や皮肉を込めた使い方をされていたそうですね…

    少しこのことも調べてみようと思います。

  • 南京事件のいちばん厄介なところは、犠牲者数の「正確な真相」が、もはや誰にも証明できないという点だと思います。中国側が数字を政治的に水増ししてきたことが、かなり確からしいとしても、ではこちら側が史料に基づいて誠実な推計を出せば信用されるかというと、そうはなりません。
    なぜなら、加害者の側が出す数字には、どれだけ正確であろうと「被害を少なく見せたいはずだ」という疑いが、構造的に貼りついてしまうからです。この非対称性からは、当事者である限り誰も逃れられません。
    つまり、加害も被害も、戦争が終わった後には「正しい数字」という形では決して回収できない。事件直後に利害関係のない第三国が調査するのが一番、信用性の高いことですが、当時の情勢や戦争はそれを許しませんでした。
    戦争の悲惨さとは、人が死ぬことだけでなく、その死にまつわる事柄すら確証を持てなくなることかもしれません。

    作者からの返信

    柊様、非常に深く、かつ本質的なコメントをいただきありがとうございます。

    「加害者側がどれだけ誠実に数字を出しても、構造的な疑いから逃れられない」という非対称性の指摘、そして「死にまつわる確証すら失われること自体が戦争の悲惨さである」という視点は、私にとって非常に新鮮な発見であり、深く考えさせられました。

    確かに、戦争という狂気は物理的な命を奪うだけでなく、戦後における「その死を悼むための客観的な事実や真実」すらも政治や立場の霧の中に消し去ってしまう。この構造自体が、戦争が残す最大級の不条理(二次被害)なのかもしれません。

    この作品で書いた「勝者と敗者、被害者と加害者の間で歴史が都合よく書き換えられていく」というテーマにも深く響き合う、素晴らしい視点を共有していただき本当に感謝感激雨あられです。

    こうした有意義な議論ができることを、書き手としてとても嬉しく思います。

  • なろう系について物申すへの応援コメント

    率直に言うと、記事そのものよりも、「自分の好みに合わないジャンル全体を切り捨てるような姿勢」に違和感を覚えました。

    なろう系には確かに共通するテンプレートやお約束がありますが、それはミステリーや恋愛小説にも同じことが言えます。

    エンタメ作品には「気軽に楽しめること」そのものに価値がありますし、読者全員が社会問題や重厚な人間ドラマを求めているわけではありません。

    また、「なろう系にはオリジナリティがない」と断言しながら、一部のテンプレート作品だけを例にジャンル全体を語ってしまうのは、少し視野が狭いようにも感じました。

    個人的には、作品への批評以上に、「自分の価値観こそが創作の正解である」という前提で語られている点が気になりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    たしかに、おっしゃる通りにこの作品は自分の主観で書かれたものであり、共感できない方々もちろんいると思っております。

    そして、読み手への配慮が足りず、熱意が先行してしまった部分がありました。
    これは自分の力不足でございます。

    自分は気軽に楽しめるジャンルを一方的に非難したいわけではありません。


    近現代、娯楽は多様化し、今までとは違い手軽に楽しめる娯楽が社会一般的に好まれるようになりました。

    今後の世界でも、より一層手軽に楽しめる娯楽は広まっていくと思っております。

    しかし、「手軽さ」が「唯一の正解」にならないことを、願っているだけです。

    なろう系全体をテンプレートで駄作と断ずるのは、確かに飛躍でした。

    正確には、「特定のテンプレートが溢れ、それがジャンルの顔になっている」ことへの違和感を書いたつもりでしたが、うまく言葉にできていませんでした。

    ただ、「エンタメには"気軽に楽しめること"自体に価値がある」と言うなら、それは受け入れます。

    しかし、「気軽に楽しめる」ことと、「テンプレートを無批判に流用すること」は別の問題ではないでしょうか。

    ミステリーや恋愛小説にもテンプレートはある——その通りです。

    しかし、「なろう系」というジャンルは、Web小説という媒体の特性上、テンプレートの再生産が圧倒的に速く、かつ大量に行われる。その結果、「テンプレート=ジャンル」という認識が固定化し、多様性が失われるリスクが、他のジャンルよりも高いと感じています。

    「努力の大切さ」を親友から学んだ経験は、私の宝物です。

    しかし、それを「すべての読者に求めるべきもの」として提示したのは、私の傲慢です。

    ただ、「努力」を描かない作品が悪いとは言いません。

    言いたかったのは、「努力の"結果"があまりにも安直に報われる」構造が、現実の努力と乖離しすぎていることへの違和感でした。

    これは「努力を描け」と言っているのではなく、「努力と報酬の関係を、もう少し複雑にしてほしい」という願いです。

    異なる視点からの貴重なコメント、ありがとうございました。
    neon様の意見は後の創作で活かさせていただたいと思っております。

    「自分の価値観こそが創作の正解」という前提を、もっと自覚的に扱うように気をつけていきます。

  • はじめまして。
    私も戦争作品を扱う身として、単純なジュブナイルや無双に昇華するミリタリー作品を横目で睨みながら執筆をしております。
    なろうと呼ばれる全ての作品がそうであるとは思いませんが、最も警戒しているのは、善悪がはっきりしていて、それでいて戦いがすべてを解決するという構造です。
    書かれているように、戦争犯罪もなく、主人公サイドは聡明で敵は野蛮といった描き方で戦いを肯定する。これは暴力礼賛につながり、フィクションであっても危険だと感じております。
    現実と幻の境界は常に曖昧なものです。その曖昧な境界の上で、暴力を快楽として反復し続ける行為は、いつか社会に手痛いしっぺ返しとなって返ってくるのではないか。そう思えてなりません。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    確かに、なろう系と呼ばれる作品のすべてがそうであるとは限りませんね。

    しかし、おっしゃっていただいた「暴力を快楽として反復することへの社会的なしっぺ返し」という懸念については、私も強く同感しております。

    実は私自身、未熟ながらも戦争や政治をテーマにした作品を本格的に執筆し始めたばかりの身です。

    そうした立場にあるからこそ、善悪の二元論で一方的に敵を野蛮に描き、戦いさえすれば何もかもが解決するような「都合の良い無双作品」に対して、どこか強い危機感を抱いておりました。

    善悪は決して単純な二元論で語れるものではなく、戦争や争いもまた、すべてを綺麗に解決する手段などではあり得ないはずです。

    同じような問題意識を持たれている創作の先輩様と、このような場でお会いし、言葉を交わせたことを大変光栄に思います。

    僭越ながら、私はまだ学生でありまして、この「なろう系について」という中でも、勉強不足ゆえに拙い主張や偏った表現をしてしまっているかもしれません。

    もし気になる点や不自然な記述がございましたら、ぜひご指摘いただけますと幸いです。

    温かくも深いご指摘、本当にありがとうございました。

    これからも、素晴らしい作品の御創作、応援しております。

    編集済
  • 座布団10枚!

    作者からの返信

    あざます!

  • なろう系について物申すへの応援コメント

    でもweb読者はその気持ち悪さを求めているので読まれたいなら迎合するのが手っ取り早いと思います。
    もちろんなろう系以外でも伸びてる作品はありますが例外を真似してもほとんどの人は成功しない。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    確かに、「手っ取り早くアクセスを伸ばす」という商業的な観点に立てば、なろう系のテンプレートに迎合することが最も効率的である、というのは全くその通りだと思います。


    そして、多くの読者がその「手軽なカタルシス」を求めているという現状も、重々承知しています。

    しかし、僕がここで書きたかったのは「どうすれば手っ取り早く伸ばせるか」という技術論やマーケティングの話ではありません。

    ここで僕が問題にしたいのは、「伸びないからテンプレートに逃げる」「伸ばしたいからテンプレートをなぞる」という姿勢が定着した結果、創作における「オリジナリティ」が蔑ろにされていないか、ということです。

    安易なテンプレートへの依存は、見方を変えれば「自分自身のアイデアで読者を惹きつけることを諦めた」とも言えるのではないでしょうか。

    もちろん、テンプレートを器用に使いこなしつつ、独自の魅力的な作品を作られている作家様を否定するつもりはありません。

    インターネットによって誰もが簡単に小説を発信できる時代になったからこそ、数字を追い求めるためだけの模倣に終始するのではなく、自分自身の言葉や感性で「自分流の物語」を紡ぐことの大切さを信じたい、と僕は考えています。

    ちなみに、僕を批判するのはもちろん良いです。
    こんな大勢を敵に回すようなことを書いている人など批判されて当然です。

    すみません、長々と書いてしまいました。

    兎にも角にも、異なる視点からの貴重なご意見、ありがとうございました。

    編集済