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    1+1=?への応援コメント

    私もその話を知っているので、同じ本を読んだか、有名なお話なのかもしれませんね。
    1+1=2が何か教えるには、まずアラビア数字が数を抽象的な概念に置き換える言葉で画期的な発明なのだという説明が必要なのかなと思いました。
    私もエジソンじゃありませんが、いちいち引っかかって算数が壊滅的に苦手な子供だったので、そうやって成り立ちから説明してほしかったなあと思います。
    で、息子も同じタイプなので、「何でこんな事が分からないの!」…これに類することを敢えて言っています。なぜなら、ここで同類が理解を示し過ぎると、社会で生きていけない大人になる心配があるから(^^;
    世間の人が何に対して苛立ち、何を当たり前と思って生きているのかも教えとかないと、エジソンじゃない場合は結構まずいことになる気がするんですよ。
    逆に娘の方は社会に適合しまくる優等生タイプなので、もっとオリジナルのアイデアでハジけていいんだぜ!はみ出していこうぜ!と勧めてます。
    ダブスタな親みたいですが、子供のタイプが全然違うので、仕方ないんです…!

  • 1+1=?への応援コメント

    >理解が遅いとか浅いとかの話ではなく、そうなるだけの納得を求めている

    そうなのでしょうね。「正解はこうなのだから、こう覚えなさい」という教育は、記憶力だけは良くなりますが、何故、それがそうなのかを考えたり、納得したりする過程を省いてしまっています。
    答えだけを出せれば良い点を取れますが、自ら新しいものを生み出すのは難しくなるのではないでしょうか。

    作者からの返信

    他の方のコメントでも述べましたが、言及された箇所、入れるかどうかで悩んだんです。何か説教臭くてヤだなって。と云って、自分の書く物の大部分が説教臭いのだから今更かな? と思い、結局そのまま載せる事にしました。
    何故、どうして、と疑問を感じる事、そして、此処からが非常に困難なのですが、その先に在る答えを求めて、自分の足で踏み出して行く事。それは、与えられたレールの上を外れて、道なき道へと踏み出して行くと云う事。これが今の学校教育に決定的に欠けている物と感じますね。と口で言うのは簡単ですが、その困難さ、危険性、それを考え合わせると中々実現に到るには難しいかも、とも考えてしまうのです。

  • 1+1=?への応援コメント

    思うに、もし子供が何かを学んでいる際に詰まる事があるならば、それは理解が遅いとか浅いとかの話ではなく、そうなるだけの納得を求めている、と考えるのが妥当ではないか、とそう考えます←概ね同意。現代日本の教育は与えられた結論に対して疑問を差し挟むことなくスムーズに鵜呑みにできる人間を「出来る子」と扱う傾向がありますからね、詰まるのは良くないとされている。けれども詰まることこそ、真の学びの入口なのですな(と、わかったような口をきいてみます)

    ちなみに余談ですが、「1+1=2?」を突き詰めたいならば、是非「数学基礎論」をば。名前の取っつき易さに騙されてうにょーんとなること必至ですたい。

    作者からの返信

    実は、引用された箇所に関して、入れるかどうかで少し悩んだのですが(我ながら説教臭いなと)、そもこの話が思い付きに依る物なので、浮かんだ事は全部入れてしまえ、の精神で結局そのまま載せる事にした経緯があります。
    振り返って自分の子供時代、特に疑問を差し挟む事無く、そう云う物として与えられる事共をひたすら吸収していた事を思い出し、今思うと勿体ない事をしたな、と思うのです。
    尤も、そう云った数々の事柄に纏わる背景に関して説明を受けた所で、果たして当時の自分に理解出来たか、と問われると、甚だ疑問ではあるのですが。
    結局、人は与えられたレールの上を歩くのが楽ではあるし、そう選択しがちであると云う、極めて悲観的な結論になってしまうのでしょう。決まった道から外れ、その先の、道なき道を歩むと云う、ある意味無謀な開拓精神を持ち合わせる事の恐怖、危険性を考えるに、そうなってしまうのも已む無し、と、そんな風に考えてしまうのです。
    壁をぶち破れ、扉の先へ抜けろ、と云う言葉、特に歌の中で頻繁に見かける文言ではありますが、実際に‶その先″へと抜けた人々がどうなったか、1960年代のロックミュージシャン達の辿った運命を見るに、軽々しく言えた物ではないな、と、そんな恐れを抱いてしまうのです。ちょっと話が外れましたか。


    「数学基礎論」……タイトルからして頭がうにょ~んとなる様なヤバ目の雰囲気がプンプン感じられるじゃないですか、ヤダ~! 多分ですが、従来の算数、数学に関する態度で臨むと、この手の本は理解不能な異次元的な物になってしまうのでしょう。単に数、と云う物ではなく、その内に込められた意味、世界観、そう云ったある種文芸的な発想を持って臨まないとこの種の論を理解するに困難であると想像します。今回の話で漸くその入り口に立てた、そう思うのは一寸思い上がりに過ぎるのかな? と、思ったりなんかします。

  • 1+1=?への応援コメント

     色街アゲハ先生! 最後の段落は何のコトかワカリマセ~ン! 
     失礼いたしました。いやはや、1と1は個人だとすると合わさる筈がない。これは真に哲学的な問答でございました。

    作者からの返信

    ンモ~、分ってるクセに~☆
    ……大変失礼いたしました……。
    考えてみたら、知っている人にとっては、今更? な内容なのかも知れませんが、自分からしてみればそもそも考えもしなかった事柄であるので、書く熱量が残っている内に形にしてみました。
    改めて算数、数学と云う物が、数字と云う‶言語″を使った世界の解釈、それも実践的、内面的の両方に跨って行われている物だと知れて、驚いている次第です。数の世界を人文的に読み解いてみる。今迄気付かなかった面白い面が見えてくるかもしれません。